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蜜色月〜恋の始まり〜

 番外編SS−和泉視点−



 営業補佐で女が入社してきた。
 頼りなさそうな、ほっそりとした体付きの女だ。
 ちょっとつつけば泣きそうな感じなんだけど。


「和泉君……ちょっと来てもらえるか?」
 井上部長に呼ばれ、彼らがいるデスクまで歩いて行く。
「今日から君の下で働く深見さんだ」
「宜しくお願いします」
 深見は俺に一度頭を下げてから、人の良さそうな大きな瞳をこちらに向けてきた。じっと俺を見つめてくる彼女は、やはり、ちょっとつつけば泣きそうな感じに見える。
 なんとなく、面倒だなと思えた。
 前任者のように、仕事をようやく覚えた頃に辞められるというパターンが予測出来て溜息が出そうになる。
「ま、せいぜい頑張れば?」
 俺がそう言うと彼女は呆気にとられたような表情をしていた。

「言っておくが、女だからといって甘やかす気は微塵もないからな」
「わ、判ってます、私、絶対あなたの役に立ちますから」
 怯まず言い返してくる度胸はあるんだなと、薄く笑う。
「俺の役に立つだって? そんな台詞は十年早いんだよ、結果残してから言え」
 ばさり、と机に書類の束を放り投げると深見は怯んだような表情をした。
「それを持って会議室に来い、業務の説明をしてやる」
「は、はい」
 
 どうせ辞めるんだったら、さっさと辞めてもらったほうが都合がいいとこのときの俺は思っていた。

 ******


「いいか? 説明は一度しかしない、そして質問は最初の一回は答えてやるが、同じ質問に二度返事はしないから覚えておけよ」
「……う、は、はい」
「それから」
「はい」
 慌てたように背筋を伸ばす彼女を見て、苦笑いに似た笑みが漏れる。
 深見の服装をちらりと見てから俺は口を開いた。
「パンツスーツは禁止だ」
「え?」
「……おまえ俺の話を聞いているのか? 同じ事は二度言わないと今、言ったばかりだろ」
「あ、あの、パンツスーツ禁止って、聞こえてますけど、どうしてですか」
「色気がないからだ」
「色気って……でも、他の女子社員の方でパンツスーツの人もいたと思うのですが」
「おまえ、誰の直属だ?」
「……和泉……主任です」
「それで、誰に向かって意見してる」
「おっ、横暴です! そんなのパワハラじゃないですか!」
「入社一日目にして、パワハラと騒ぐか」
 ポケットから煙草を取り出し、俺はそれに火をつける。
 やはり、言い返す度胸はあるわけだ。
 だけどそんなふうにされるとこちらの嗜虐心が煽られて、是非とも泣かせたいと思うようにもなってしまう。
「おまえさ」
「は、はい」
 ふぅっと煙草の煙を吐き出して俺はゆっくりと言った。
「退職願いの書き方は知っているのか?」
 深見は息をのみ、こちらを見上げてくる。
「業務内容の説明より、そっちの書き方を教えてやったほうがいいみたいだな」
「辞める気はないです!」
「俺はおまえのこといらないし」
「まだ何もしてないのに、いらないとかひどいんじゃないですか?」
 顔に似合わず反発してくる。そうされると、やはり泣かせてやろうと思う気持ちが強まった。
「俺の手足のように動いてくれなければとてもじゃないけど仕事はこなしていけない、なのに服装ひとつで反発してくるような人間は男であれ女であれ、いらないって言ってるんだ」
 深見はじっと俺を見てきた。
 何かを考えているような瞳をして、ややあってから口を開く。
「……すみませんでした、和泉主任。あなたに従います」
「そう」
 銀色の灰皿に煙草を押し付け、その火を消した。
 俺に従うねぇ?? そういう台詞をさらっと言ってしまうところも甘いよなと思ってしまう。
「じゃあ、脱いで」
「は?」
「従うのではなかったのか」
「え、あ、だ、だって、今日は私、スカートは持ってきていません」
「今度は言い訳か」
 当然とも思える彼女の反論に、俺が言葉を重ねると深見は急に椅子から立ち上がった。
「帰るのか?」
 流石に音を上げたのかと思い、笑うと彼女は俺を睨み付けてきた。
「帰りません、あなたに従うだけです」
 深見は自分の上着のボタンに手をかけて勢いよくそれを脱いだ。
 気が強いのか、感情に身を任せて滅びるタイプなのか判断つかないが、面白いことになってきたなとは思った。
「本気で脱ぐなら、そこの鍵を閉めろ。誰かに見られて困るのはおまえだろ?」
 笑いながら俺が言うと、深見はまた俺を睨み付けてから会議室の扉の鍵を閉める。
 冷静な判断が出来るタイプの人間ではないんだなと思え、あっさりと悪い男にひっかかって後で泣くような種類の女なんだろうなぁと考えた。

「全部脱げばいいんですか?」

 その彼女の問いに答えずにいると、もう勢いが止まらなくなったのか彼女は次々と衣服を脱いでいき、下着姿になった。
 放っておいたら全裸になるんだろうなと思え、それも面白そうだと興味を引かれたが、そこまでするのは流石にためらわれた。

 上品そうなレースのキャミソールに彼女が手をかけたとき、頃合いだと思い口を開いた。

「綺麗な脚をしているな」
「え?」
「ほどよい肉付きで柔らかそうだ。隠しているのは勿体無い」
「え、っと……あ、ありがとう……ございます?」
「風邪をひいて会社を休まれても業務に支障が出る。服を着なさい」
「……それは、認めていただけたということですか?」
「取り敢えずはな。業務の説明始めるぞ」
「ちょ、ちょっとだけ待って下さい」
「ああ、特別に五分だけ待ってやる」

 面白いショーの終わりを告げるように、俺は資料に目を落とし深見に背を向けた。
 最後にもう一度だけ彼女のすんなりと伸びた脚を見てから。


 ******


 犬のように縋る目をするくせに負けん気は強いらしく、絢は仕事を覚えようと必死になっている様子だった。
 昼も食事をそこそこに、業務内容の勉強をしているようで新人の姿勢としては見上げたものではあった。そして俺がどんなふうに言っても泣き言を言わない。泣かないのか、と残念に思うが、それでも感情の限界はやってくるようで俺はその限界一歩手前で懐柔する。彼女は面白いぐらいにこちらの意のままになるものだから次第に俺の感情も変わってきていた。


 気が強いくせに、騙されやすいお人好し。
 気が強いから、妥協をせずにいつまでも走り続けて自滅するタイプの人間だろうと思えた。
 パワーポイントが使えないと喚いた翌週には、細かな設定まで使いこなせるようになっていた。うちの会社が貸し出しをしている車の特徴を全て言えるようになっていた。超人的な賢さが絢に備わっているわけではなく、努力でカバーしていることは判っていた。

 昼休み。
 外で食事を済ませ、社に戻ると、節電の為に明かりが消えた薄暗いオフィスに絢はいて、パソコンの前でマウスを握ったまま机に突っ伏して寝ていた。

 彼女が入社してから少しその身体が痩せたことは知っている。
 ストレスを与え続けてきたのは他でもないこの俺だったから。


 言うことをきかせたい。

 ありとあらゆる場面で。

 泣かせてみたいと思った感情は最初の頃と変わっていない。

 ただ、それは社内でというふうには思わなくなっていた。

 会社の外で、ふたりきりの場所で、泣かせたいと思った。

 服を脱がせ、あのほっそりとした脚に唇を寄せその奥にある部分に舌を這わせて啼かせてやりたいと思う。

 俺の腕の中で滅茶苦茶啼かせたいと思った。だけどそれと同時に小さな彼女の身体を抱いて俺の全てで護ってやりたいとも思ってしまった。

 彼女の隣の席に腰掛け、その寝顔をただじっと見つめた。

 可哀想に。
 おまえはこちらをどう思っているか知らないが、俺はこうと決めたら実行する人間だ。
 どんな手段でおまえを落としてやろうか。
 
 好きだ好きだと言い続ければ、人の良い彼女は懐柔されるだろうということは予測出来た。だがそれでは面白味がない上に情にほだされた関係は脆く崩れやすいことも判っている。壊れないような関係があるかどうかは判らなかったが、絢と築く関係は容易く壊れるようなものにはしたくない。
 それは上司と部下であるから、壊れてしまわれると困る……なんていう感情ではなかった。世間体はどうでもいい。そういうことではなく彼女をずっと傍に置いておきたいと思う感情が俺の中に芽生えていた。
  
 絢が拒否しないことを大前提にものを考えているあたり、俺は彼女の寝顔を見ながら笑ってしまった。

 本当は、今すぐ触れたい。
 今、見えている場所も、隠された部分も全て触れて感じたい。
 柔らかな絢の肌の感触を知りたかった。

 だけど。それと同時に彼女にも求めさせたいと思ってしまった。
 俺が彼女を求める気持ちと同じかそれ以上の気持ちで、絢に俺を求めさせたいと思う。

「絢……」

 そっと小さくその名を呼んで俺は立ち上がり、彼女の後頭部に唇を寄せた。そしてまるで最初から俺がそこにはいなかったようにしてフロアから出る。

 女なんて仕事をする上でもプライベートでも厄介ごとを持ち込む存在でしかないと思えるのに、欲しいと思った。

 泣き出しそうなのに、泣かない彼女を。

 そうして俺は絢に気付かれないように賽を投げた。
 俺の気に入る目しか出ない賽ではあったけれども────。



******お礼******
お買い上げ頂いた皆様、ありがとうございました。
和泉視点をとリクエストを頂き、出版社許可のもと番外編をサイト掲載する運びとなりました。少しでも、楽しんで頂けましたら嬉しいです。

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本編はこちら↓

フレジェロマンス文庫/蜜色月〜甘い夜を下さい〜
※一万文字程の作品です※
●あらすじ●
高級外車をレンタルしている会社に入社して企画営業部のドSな主任和泉にいいようにされる新人の絢。
顔もよければ声もよい彼だったけれど、バリトンボイスで罵倒される日々。だけど和泉は巧みなさじ加減で優しさも時折ちらつかせてくる。
苛めが90パーセント、優しさ10パーセントの彼に飴と鞭だと思いながらも絢は逆らえない。そのうえ和泉はスキンシップだと言って絢に触れてくる。
ただのスキンシップだと判っているのに愛撫のようだと感じてしまう。心の内側をのぞかれているような気がして、セクハラだと絢が訴えても和泉は相手にしない。
からかわれているのが判っても彼に触れたいと思う気持ちが強くなり打ち消せなくなっていく想いに耐えかね、セクハラを止めなければ会社を辞めると宣言するものの彼からの返事は「辞めたいならどうぞ」のひとことだった。
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