惑い 1

	(-注意:あなたの居る場所のパラレルもの-)
	設定:透也とみのりは同じマンションに住む幼馴染
	
	
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	マンションの屋上にあがると決まって彼が居た。
	
	星の見える数が少ない都会の中で、なるべく近い場所で小さな輝き
	を見ていたいといつだったか言っていた。
	
	薄茶色に輝く瞳は、静かな瞬きをその中に映している。
	
	星の瞬きを―――――。
	
	
	今日も彼はそこに居た。
	
	
	「透也、家に行ったんだよ」
	屋上の柵を背に寄り掛かり、地面に座っている彼に声を掛けた。
	透也はゆっくりとこちらを見る。
	「あぁ、悪い。何?」
	「夕飯のおすそ分け」
	彼の傍に寄り、トレーを置いた。
	「ふぅん、カレーね」
	ふっと笑う。
	大人びた表情で。
	形の良い唇を少しだけ曲げて笑う様子は美しいと思えた。
	「透也はうちのカレーは好みじゃない?」
	「給食か、おまえんちのカレーぐらいしか食わないから、好みかど
	うかは判らない、でもまぁ、給食のカレーよりは美味いかな」
	「給食…って小学校のときの話?」
	「そう」
	「…透也は、学校ではお昼ご飯何食べているの」
	「学食で、まぁなんか適当に」
	「ちゃんと食べてる?」
	「あぁ、食ってる」
	
	透也の家は複雑らしく、幼稚園の頃からこのマンションに住んでい
	るけど家族は一緒ではない様子だった。
	複雑の部分は聞いていないし、彼も話したがらない。
	
	ただ、いつも一人で居ると云う事は事実だった。
	
	彼とは中学までは一緒の学校だったけど、高校からは別々になった。
	私は公立、透也は私立の進学校へと進んだ。
	
	「ねぇ、透也は学校楽しい?」
	透也は私を見て、小さく笑う。
	「なに、おまえ学校つまんないのか」
	「あ、ううん、そうじゃない…透也が、どうしているのかなって思
	って」
	彼はまた笑った。
	「別にフツー」
	「そっか」
	
	風が優しくそよいで、透也の長めの前髪を揺らした。
	
	透也はどちらかと言えば中性的で、他の男子とは少し違う感じがし
	た。
	きめの細かい白い肌。
	通った鼻筋。
	すっきりとした目元。
	形の整った唇は淡い色をしていた。
	
	神話の中にでも出てきそうないわゆる美少年だ。
	
	「何?」
	「え?」
	「おまえ、じっと見てるから」
	「あ、ごめん」
	「謝る必要は、ないけどね」
	「う、ん」
	「そんなにモノ珍しいか?この顔が」
	彼はちょっと笑って言う。
	「珍しいって言うか、綺麗だなぁって」
	「はっ、綺麗?」
	透也は目を細めて私を見る。
	「うん、綺麗。そうやってちょっと目を細める仕種なんかもその一
	部だよね」
	「はぁ、そう」
	ちょっと語尾に呆れたような色が混ざった。
	「綺麗とか言われるのヤダ?」
	「…どうかね」
	「透也が嫌ならもう言わないよ」
	「別に言いたいなら言えばって思うけど」
	「あ、じゃあまた言うと思う」
	「…変なやつ」
	
	透也は夜空を見上げた。
	つられるようにして私も見上げる。
	
	届かない、遠い空。
	闇夜は絶対的な拒絶の様に見えて、そのくせ僅かな光を瞬かせてい
	る星が希望をちらつかせる。
	
	星空を、ただ綺麗なものだと思えなくなったのはいつから?
	
	色んな風に物事を捉えられるのは成長と云うの?
	
	だけどいつまでも綺麗なものをただ綺麗だと思えるだけの心の方が、
	私は良いのに。
	
	―――――遠くなる、段々と。
	
	昔みたいに、暗くなるまで近所の公園で遊んだりしない。
	体つきが変わっていくのと同時に、距離があいていく。
	
	透也との関係をそんな風に感じていた。
	
	同じではいられない、判っているのに時間の流れさえも止めたくな
	ってしまう。
	彼から、煙草の香りがするたびに…。
	
	携帯の着信音が鳴り透也が立ち上がる。
	「悪い、カレーは食えそうにない」
	「え?あ…出かけるの」
	「あぁ」
	「そっか」
	「じゃあな」
	
	扉を開けて出て行く彼の後ろ姿を見送り、私はどうとも言い難い気持
	ちにさせられた。
	
	思い出もどんどん小さくなっていって消えて無くなりそう。
	寂しいという感情以上のものが湧き上がっている、そんな気がした。
	
	透也、傍に居て、何処にも行かないで。
	
	
	そんな事を云う権利は私には無く、唇も動かなかった。
	
	
	なんだろう、独占欲なのかな。
	彼は私のモノではないのに。
	
	
	ふっと、幼稚園の頃を思い出した。
	透也と私は違う幼稚園に通っていて、その上彼はいつも延長保育を
	受けていたから幼稚園からの帰りも遅かった。
	ときどき画用紙に描かれた絵を大事そうに持って帰ってくる事があ
	り、延長保育の時に同じ園の子に書いて貰ったのだと彼は言った。
	
	私の知らない世界に彼は居て、その世界で他の子と交流を深めてい
	る事が悲しく思えたのを記憶している。
	
	透也にはずっと私と同じ世界に居て欲しいと望んでいたのに。
	
	
	今はその世界を完全に違(たが)えてしまっていた…。
	
	
	******
	
	
	「今年の夏の暑さは異常だな」
	学校近くの小さな商店。
	入口そばに置かれているベンチに腰掛けて、もう一人の幼馴染の景
	ちゃんが言った。
	彼はソーダ味の棒アイスを食べている。
	私はビンに入ったラムネを飲んで涼んでいた。
	「段々暑くなってるよなぁ、子供の頃はもうちょっとマシだった気
	がする」
	中身が無くなったラムネを振ると、カランと中に入っているビー玉
	が音を立てた。
	「この中のビー玉って取れないのかなぁ」
	「無理じゃね?だいいち取ってどうすんだよ、そんなただのガラス
	玉」
	「だって、綺麗じゃない?」
	「取れないと思うからそう感じるだけで実際手にしたらがっかりす
	るんじゃねーの?無駄無駄」
	「…そうかな」
	「そうだよ」
	景ちゃんは私の手からラムネの瓶を取り上げ、瓶を入れておく箱に
	入れた。
	
	「帰るぞ」
	
	乗りなれたいつもの電車に揺られて帰る。
	窓に映った私と景ちゃんを眺めた。
	
	昔は、景ちゃんも同じぐらいの身長だったのに、今では遥かに背が
	高い。
	手の大きさも、足の大きさも昔とは違う。
	
	変わってしまう。
	それが”成長する”という事。
	
	身体と同じ様に、心も変わっていくものなのだろうか。
	
	毎日毎日一緒に遊んでいたのに、私はもう透也にとって必要ない人
	間になってしまったの?
	
	―――――いつか、その時が来るとしても、それは”今”ではなく、
	もう少し遅い方が良かった…。
	
	
	「俺、これから加藤の家に行くんだけど、おまえはまっすぐ帰るの
	か?」
	最寄り駅につくと景ちゃんはそう言った。
	「んー、本屋にでも寄ろうかな」
	「そう、まぁ気をつけて帰れよ」
	ぽん。と軽く私の頭を叩くと彼は行ってしまった。
	
	何か明確な目的があったわけではなかったけれど、言ってしまった
	ので本屋に立ち寄る事にした。
	
	可愛いランチトートの付録がついた雑誌を眺める。
	ポーチ付きの雑誌の方が良いかなと見ていると、透也が目に入った。
	
	「透也、今帰り?」
	「…あぁ」
	透也は小説を手にとって見ている様子だった。
	「小説を買うの?」
	「あぁ、何か面白そうなものはないかと思ってな」
	「ふぅん」
	「おまえは何買いに来たんだ?」
	「何かないかなって思っただけ」
	透也はフッと笑った。
	「そう、今日は伊勢崎と一緒ではないんだな」
	「駅で別れたんだよ、用事があるみたいだったから」
	透也は少しだけ目を細める。
	「おまえら、本当、仲が良いんだな」
	手に持っていた小説を棚に戻して、透也は本屋を出て行く。
	私はその後を追った。
	「わ、私は、透也とだって仲が良いつもりだよ?」
	「ん、そう」
	見上げると、彼はちょっと笑った。
	
	―――――透也はどう思っているか判らないけど。
	
	一瞬冗談の言葉が浮かんで言いそうになったけれども寸前で飲み込
	んだ。
	本当に、彼がどう思っているのか判らないからだ。
	
	なんの確信も無しには言えない。
	
	
	「今日ね、学校近くのお店でラムネを飲んだの」
	「…へえ」
	「中に入ってるビー玉が欲しかったんだけど、あれって瓶を割らな
	いと取れないのかな」
	「いや、飲み口の部分を外せば取れる筈だぜ?」
	「え?あ、そうなの??」
	「多分な」
	「…あー知ってたらやったのに」
	「そんなに欲しかったのか」
	「うん」
	「だったら、瓶を叩き割ってでも手に入れれば良かったのに」
	透也が笑った。
	「透也だったら、そうした?」
	「本当に欲しいものならな」
	「他の人につまらないものって言われても?」
	私の言葉に彼はゆっくりとこちらを見て言った。
	「他人なんて関係ないだろ、とやかく言われて諦めるんだったら、
	まぁその程度だったって事なんだろうけどな」
	「…そっか」
	「おまえ、欲しいものは欲しいって言える様にならないと駄目だぜ」
	「え?」
	「昔っから、伊勢崎につまんねーくだらねーって言われると諦める
	癖がついてしまっているからさ」
	透也は笑った。
	「綺麗な石、変な形の葉っぱ。おまえの欲しがる物は他人から見れ
	ば確かにつまらない物かも知れないけど、俺は…」
	ククッと彼は笑う。
	「昔おまえが海に行ったお土産だと言って寄越した変な模様の貝殻、
	今でも持ってるぜ」
	「え!小学校の頃の話だよね?」
	透也はそれ以上は何も言わず、笑っていた。
	
	
	
	―――――ねぇ透也。
	思い出の共有はいつまで出来る?
	
	
	彼の携帯の着信音が短く鳴った。
	
	「メール?」
	「そうだな」
	「そういえば、私達ってメールのやりとりしないよね」
	「必要ないだろ」
	
	彼の言葉に一瞬息が詰まった。
	
	「…変な顔するな、メールがしたいなら送ってくれば良いし俺も返
	信はするけど、おまえ用事があればすぐ家に来るだろ?だから、必
	要ないって言ったんだ」
	「あ、そ…そっか」
	透也は笑った。
	
	風で彼の絹糸の様に滑らかでさらさらの髪がそよいだ。
	茶色の髪が日の光を浴びて一層明るく見えた。
	
	「なぁ」
	「え?」
	「俺は…そんなに他のやつらとは違うか」
	「どういう…意味?」
	「違うか?」
	透也は立ち止まって私を見下ろした。
	彼がどんな答えを求めているか見当もつかなくて、私は思っている
	ままを言うしかなかった。
	「同じじゃない、透也は透也だから。他人と違うのは…透也の中で
	はいけない事なの?」
	彼は小さく笑った。
	「同じが良い。皆が当たり前と思う事を当たり前と感じたい」
	「例えば?」
	透也はまた笑った。
	「ラムネは無いけど、何か飲むか」
	自動販売機に顔を向けて彼が言う。
	「え?あ、じゃあ…オレンジジュースにしようかな」
	「甘いものばっかりだな」
	そう言って透也はオレンジジュースのボタンを押して読み取り口に
	携帯をかざす。
	出てきたオレンジジュースの缶を私に渡した。
	彼は無糖のコーヒーを選択した。
	
	「公園、久しぶりじゃね?」
	家の近所の公園に透也は入っていく。
	まだ沢山の子供達が遊んでいた。
	「…よく遊んでいたよね」
	木陰のベンチに腰掛けて缶を開けた。
	
	「おまえと遊んでいる時が一番楽しかった」
	「そう?」
	「なーんにも考えてなさそうな子供だったからな、おまえ」
	「失礼ねどういう意味よ」
	彼は笑った。
	「俺が皆と違うって事も、考えてない様子だったから俺は楽だった、
	肌の色、目の色、髪の色…見た目、生活環境とかさ」
	透也も缶コーヒーを開けて、それを一口飲んだ。
	「ラムネのビー玉の話だが」
	「うん?」
	「俺は、”本当は欲しい”と思っていても欲しいと思えない心にな
	ってしまっている」
	「どうして?」
	「さっきも言ったけど、俺は欲しいと思ってしまったらどんな手段
	を用いても欲しくなってしまう性質だからさ」
	「それはいけない事なの?」
	彼は笑った。
	「まぁ、それがビー玉だったら、容易に手に入れられるけどな」
	「……」
	「”ビー玉”だったら、な」
	透也が見ている先には親子連れがいた。
	母親と小さな子供。
	
	無機質に見ているその様子が、何故か私には羨望の眼差しに思えた。
	
	「欲しいのは、お母さん…なの?」
	透也はコーヒーを一口飲んでから答えた。
	「すっげぇ昔、クリスマスプレゼントに何が欲しいか聞かれた事が
	あってさ、その時、答えたんだよな」
	きゅっと形の良い唇を結ぶ。
	少しの時間の後に彼は言った。
	
	「―――――お母さんってな」
	「…透也…」
	「そのプレゼントは未だに貰ってない」
	彼は何かを打ち消す様にして笑った。
	「俺は、それさえも本当に欲しいものだとは感じない。無くても良
	いって思っている」
	「本当は欲しいのに?」
	「…思ったところで手に入らないのが判ってしまっているからなん
	だろうな」
	「透也のお母さんは…居る…の?」
	彼は頷いた。
	「あぁ、何処かでは生きている筈だ」
	「そう…なんだ」
	
	生きていればいつかは逢えるよ。
	そんな事は言えなかった。
	
	透也が”欲しいと思っているのにそれを感じないような心になって
	いる”と言ってしまう位の何かわけがあるのだろうから、気休めの
	言葉は毒にしかならない。
	
	『おまえ、欲しいものは欲しいって言える様にならないと駄目だぜ』
	
	さっき言われた透也の言葉を思い出す。
	欲しいものを欲しいと言える自由な心を持っているのに。
	そんな言葉を含んでいる様にも思えてきていた。
	
	


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