惑い 3

******


いつからだったろうか、みのりが僕に対して遠慮を見せる様になっ
ていたのは。

昔は無邪気に遊ぼう遊ぼうと寄ってきたものだったのに。

僕がひとりで公園に居ると、当たり前の様にやってきて言った。
「今日は何して遊ぼうか」
僕が一緒には遊ばない、と答える事は微塵も考えていない様子で。

天真爛漫なのか何も考えないのか、だけどそんな彼女に僕は救われ
ていた。

僕は物心ついた時からずっとひとりだった。
世話をしてくれるハウスキーパーはいたけれど、寂しいと訴える事
が出来る人間は誰一人として傍にはいなかった。

心の中を曝け出す事が出来ない。
やがてそれを当たり前と感じる様になり、言おうと思う事も無くな
っていった。


延長保育で似顔絵を描いて貰い、そんな事が何度か続いた時だ。
みのりが自分も僕の絵を描くと言い出した。

みのりの自宅で彼女が絵を描いている間、彼女の親はクッキーを焼
き上げ、モデルにされている僕にくれた。
既製品ではないものを初めて見た僕は、その星型やハート型のクッ
キーをもの珍しく思った。

「透也って、目も髪も茶色くて綺麗だよね」
茶色のクレヨンで色を塗りながら彼女が言う。
みのりが「どうしてそんな色なの?」と言わなかった事に僕はひど
く安堵した。
「もっと茶色だったらもっと綺麗なのにね」
「もっと茶色って?」
「んー、キンパツで、目の色も青とかでー」
「…そんなの、ガイジンみたいじゃないか」
みのりは笑って首を振る。
「違う、透也は王子様なの」
絵の仕上げに彼女は頭の上に王冠を書き足した。
「できた!」


―――――僕が、王子?
だったらみのりは何?
僕を王子だと言うのなら、君も王女だ。
同じ国の。

違うか?

僕は君と違うものにはなりたくない。

やがて僕らは成長し、大人に近付いていった。

天真爛漫に見えた彼女が少しずつ変わっていったのは高校に入学し
て以降の事だった。

彼女と伊勢崎は同じ高校へ行き、僕だけ違う学校へ進んだ。


週に何度かはみのりが夕飯を差し入れにと持ってきたが、家の中に
入らなくなっていた。

年頃であると思えばそれは正しい事だったのかも知れなかったが、
ゆっくりと話をする時間もなくなり、僕はどんどん寂しく思う様に
なっていってた。

ある日、気晴らしに屋上に出て星を眺めていると、食事を持ってみ
のりも上がって来た。
その時、久々に長い時間彼女と過ごし色んな話をする事が出来た。

部屋にいなければいいのかと思い、僕はその日以降なるべく屋上に
向う事にした。

少しでも彼女との時間が欲しかったからだ。

そう、少しでも。
少しで良いと自分に言い聞かせていた。

沢山を望めば苦しい思いをするだけだと僕には判っていたから。

気になるのに、気にしない様にする事も多かった。

伊勢崎と登下校共にしている事は最たるものだった。
伊勢崎ではなくても、彼女が誰かのものになったら?

考えてどうにか出来る事ではないと判っている。
だから”欲しい”と思う気持ちは見えない振りをした。


欲しい。

みのりを。

ずっとずっと僕の傍に居て欲しい。

そんな気持ちは心の奥底に隠した。

望む気持ちがあるのに望んでいないと自分に嘘をついた。

それは諦め癖があるのに、その反面貪欲であるという事を自分自身
が知っていたからだ。
欲しいと思う気持ちは、息をするのも痛いぐらい切ないものだとい
う事も知っていたからだ。

彼女が唯一無二である事を認めてしまえば自分が壊れてしまう。
違う、唯一無二ではないんだ、女であれば誰でも良いんだと何度も
自分に言い聞かせた。


ラムネのビー玉の話は…割ってでも手に入れるなんて嘘だ。
僕にはそんな度胸は無い。
割るのは怖くない。
瓶が惜しいわけでもない。

ただ、その中にあるビー玉を一緒に壊してしまう事を恐れてしまう
んだ。

壊したくない。
例え手に入らなくても。

だったら瓶ごと僕は抱き続けよう。

一生ビー玉に触れる事が出来なくても、失うよりは良い。

そう思っていた筈なのに―――――。


******

僕が半裸にしたみのりが、僕の身体の下で涙を流していた。

「…泣くのは卑怯だな」

彼女を卑怯と言うのなら、一体僕は何なのだ?
彼女に本心を何一つ言わず、行為に及び泣かせたのに。


本心?
本心なんて言える筈が無い。

みのりは僕を幼馴染だと断言した。
だけど…伊勢崎は違う。

『伊勢崎には、ただの幼馴染だとは言わないのか』
『ただの、じゃないよ』

僕は幼馴染で、伊勢崎はそうではないと彼女が言った後で僕は何て
言えば良かった?


彼女の特別は僕ではない。
知らされれば知らされるほど、僕の中の想いが込み上げてきた。

欲しいのに、望んでいるのに。
君だけ居ればそれで良いと思える程の想いなのにと心が叫んだ。

魂の慟哭を聞いた気がした―――――。


諦めるのは得意だった筈なのに、諦め方を忘れてしまった。
誰にも渡したくない、僕のものにしたい。
心も身体も全部。

沢山のものを諦めてきた、たったひとつ心から望むものなら、叶え
てくれても良いじゃないか!!

「みのり」
濡れた瞳で僕を見上げてくる。
こんな状況なのに、僕の心からは彼女を愛しいと想う気持ちが溢れ
出てくる。

彼女が居なければ、今日までの僕がどうだったかなんて想像が出来
ず、彼女を失ってからのこれからをどうすればいいのかも想像が出
来なかった。

壊したのは確かに僕だった筈なのに。

僕は彼女を強く抱き締めた。

「みのり、僕を許して」
「…私は何を許せば良いの?」
濡れた瞳は静かに僕を見詰めていた。
酷い事をしているのに、責める様な色は見えない。
息を吐いて、みのりの耳の傍で言葉を紡ぐ。
2度は言えないだろうから。

「僕が、おまえを想う事、愛しいと想う事、その気持ち。僕の望む
全てがおまえだから、おまえを僕に与えて欲しいと願ってしまう事
を…許して欲しい」
「とう…や…」
「みのり」
僕はもう一度彼女を強く抱いた。

ずっと誰かに言いたくて誰にも言えなかった言葉。
僕はそれを初めて口にする。
「お願いだ、僕を…愛して、ずっと傍に居て」

誰にも愛されない僕を、君が愛して。

望む言葉は苦しくて切なくて、胸を引き裂いた方が楽だとも思える
ものだった。

「透也」

彼女の手が、僕の顔を包み込んだ。
「泣くのは、卑怯…だよ」
そう彼女に言われて初めて自分が泣いている事に気が付かされる。
「あなたが泣けば、誰もあなたを一人になんて出来ないよ」
「”誰も”じゃない、僕に必要なのはおまえだけだ」
「透也…」
「行かないで…何処にも…誰かのものになるなんて言うな」
彼女は僕の涙を唇で掬った。
みのりを見ると花が咲いた様な笑顔を僕に向けた。
「透也の涙は、宝石みたいだね。ラムネのビー玉よりも綺麗で…」
みのりが僕の背に腕を回し僕を抱く。
「私はずっとあなたの傍に居る、だからその涙私だけの物にして」
「…みのり」
「あなたは私の中ではずっとずーっと前から特別なの、幼馴染だけ
ど”ただの幼馴染”なんかじゃないんだよ、大事な人だった」
「……」
「昔から、透也の事しか考えていなかったから、この気持ちが恋っ
ていうものかなんて判らない。だけど昔も今も私の中には透也しか
居ない。それは本当なの」
彼女は小さく息を吐いてから言葉を繋げた。
「望んでくれるなら、私で良いなら、私はずっと透也の傍に居る」
「僕が望むのはおまえだけだ」
「うん、うん…透也、凄く嬉しい」
みのりの瞳に滲んだその涙が眦(まなじり)から煌いて零れていく。
僕の想いを嬉しいと言う彼女が、愛しくて堪らなかった。
そして許された気がした。
僕が彼女を想う事を、望む心を。

何度もキスを繰り返し、柔らかな彼女の唇を自分の唇で感じた。

「時間を止めたかった、戻したかった。透也と毎日遊んでいたあの
頃に」
みのりは大きく息を吐いて言葉を続けた。
「透也、続きをして。あなたと繋がりたい、これってそういう事な
のでしょう?」
「…みのり…」
彼女は微笑んだ。
「裸を見られるのは恥ずかしいから嫌だって思ったけど、透也に触
れられるのはイヤじゃないんだよ、例えば言葉どおりに透也が、た
だしたいだけでの行為だって、それでも私…良いかなって思った」
「ごめん、あんなのは嘘だ」
「うん、良いの。ねぇ透也、私の身体…あなた好みになっているか
なぁ」
みのりは僕の手を取り、そのふっくらとした胸の上に置いた。
「僕には好みなんてない、おまえの存在だけが僕を惹きつけ魅了す
るのだから」
柔らかく乳房を揉むと彼女は唇をきゅっと結んだ。
「だけど…男から見たら欲してやまない身体の造りだとは思う」
「それ…は、褒められてる…のかな」
淡い色をした乳房の先端部を口に含むと、彼女が息を乱した。
弾力のある柔らかい膨らみ。
滑らかな肌。
細い腰。
どれもそれがみのりだと思うと僕は興奮した。

真っ白なシャギーラグの上とはいえ、床である事には変わりなく、
興奮する思いを抑えて彼女を抱き上げベッドに降ろした。

その場所に行ってしまうと、僕の抑えは完全に効かなくなってしま
った。
みのりの服を脱がせ、僕も着ている物を脱ぎ捨てた。

女らしいなだらかな身体のラインを舌と唇で辿る。
そして誘う様に香る花の部分に口をつけた。
舌を這わせる毎にとろりとした蜜が溢れてくる。

柔らかな身体への入口が、僕の侵入を待ち望むかの様に濡れていく。
僕の身体も、そこに入れる期待で大きく、硬く膨らんだ。

熱くなっているその部分にセカンドスキンをつけて、彼女の入口へと
あてがう。

「…みのり、抱くよ」
彼女は頷いてそれを了承する。
熱で溶けそうなくらいの甘ったるい光を放つ瞳で僕を見ている。
それもまた僕を興奮させた。

ゆっくりと、僕の身体は彼女の中に溶けていく。
包んでくれる内壁の感触が挿入している部分に快感を与えてきた。
動けば動くほど快感は大きくなり、僕の身体全部を支配していく。

彼女を支配したいと望んでも、支配されるのは僕のほうだ。

感じた事のない大きな快感。
渦に飲み込まれそうになる。

「…あぁ…みのり…っ」
「ん…透也、が…入ってる…」
「…入ってるよ、僕を感じるか?」
「う…ん、中…不思議な感じ…なの」
彼女がぎゅっと眉間に皺を寄せる。
「ごめん…痛いか」
「…熱い…の、中に入ってる透也が…」

溶かそうとして熱いのは僕ではなくみのりの方だ。
そう錯覚するぐらいの快感が与えられて身体が熱かった。

「透也…身体、あなたで…いっぱいになってる…」
「……もっと、感じて」

僕という存在を君の身体全部で。
彼女を強く抱き締めて抽送を繰り返した。


―――――僕を許して。
僕が君を想う事。
向ける想いが過ぎた想いだとしても、それを許して。
愛を語る資格が僕に無くても、望む自由を与えて。

「好きだよ、みのり…」
「…うん」
彼女の瞳がじわっと潤んだ。
「凄く嬉しい、透也ずっと傍に居て」
「傍に居るよ」
「昔みたいに、一番近くに居て」
「あぁ」
みのりは嬉しそうに微笑んだ。

なんだろう、この感覚は。
嬉しそうに、幸せそうに微笑む彼女に心がつられる。シンクロする。
彼女の喜びがまるで僕の喜びみたいに思えた。

それが泣きたくなるぐらいに嬉しいと思える。
他人と心が同じになるという事はこんなにも感情が震えるものだっ
たのか。

溶けるように心が重なり同調していく。

「みのり、愛している…本当に、もう、他には何も要らないと思え
るぐらいに…」

解き放たれていく想い。
優しく柔らかな感情に包まれて、その幸せと思える眩しい感情に眩
暈がした。

「とう…やっ」

今まで感じた事がないような快感が僕を襲い、彼女の中で頂点を迎
え身体の中にあったものを吐き出した。






******


からん。

飲み終えたラムネの中に入っているビー玉が、瓶に当たる音がする。

真っ青な空が広がっている下で、私と透也はラムネを飲んだ。

ラムネの瓶を空に翳すと反射してビー玉がきらきらと輝いた。

「飲み口ってこの部分?」
「そう、捻れば開くはずだ」

力を入れて捻ってみると、それはあっけなく外れ、中からビー玉を
取り出した。

「本当だ、簡単に取れるものだったんだね」
透也を見ると、彼はラムネの瓶を見ながら難しい顔をしていた。
「透也…どうかした?」
彼は笑って私と同じ様にしてラムネの瓶からビー玉を取り出し、そ
れを手のひらの上で転がした。
「方法を、知っていればもっと早く手に入れられたのにな」
「え?」
「割ろうかどうしようかと長く思い悩む事も無かった」
「う…ん、そうだね時間掛かったね」
私も笑って彼の手のひらの上にもうひとつビー玉を乗せた。
「でも、透也が教えてくれた」
「……」
「ちゃんと取れたね」
透也が見詰めてくるので私も真っ直ぐに彼を見詰めた。
「大事にするから」
「ビー玉を…か?」
私は微笑み、ビー玉の乗っている透也の手を両手で包む様にして握
った。
透也も静かに微笑んだ。
「愚問だったな」
「私ね、欲しい物は欲しいってちゃんと言うって決めたの。言って
も良いって透也が言ったから」
「今度は一体なに…」

夏の太陽の日差しの中、私は彼に口付けた。

そよぐ風が清涼な香りを運び私たちを包んでくれる。

「欲しいのは透也」
「…俺はもうおまえだけのモノだよ」
「私ね透也と違う様になっていくのが嫌だった、世界が別れていく
みたいで…だから私は透也と同じが良かった…でも、違っても一緒
に居られるなら、過ぎていく時間だってもう怖くない」

もう一度キスをする。
今度は透也から私に。



変わっていく明日を共に過ごせる喜びを分ち合っていく。

―――――そう、これからは。






-END-

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