■■あなたの居る場所 1■■


その人との出会いは、高校時代からの友人、戸枝香穂に連れて行かれた
ホストクラブ「フェイク・タウン」での事だった。
ホストクラブになんて初めて行った私は、そのきらびやかな空間に自分の身の
置き所が無い気がしていた。
「そんなに緊張しなくてもいいのよー」
そう言って香穂は、シガレットケースから煙草を一本取り出して指の間に挟んだ。
すると、傍に居た男の人がライターを取り出して、そっと火を付ける。
「ねぇ、朔ちゃん。ヒカルはまだなの?」
火を付けてくれた男性に向かって香穂は言う。
朔ちゃんと呼ばれたその人は、少し困ったような表情をして見せた。
「すみません。もう来ると思うんですけど…他にも指名が入っていて…」
「朔ちゃんも可愛くて好きだけど、やっぱりヒカルが来ないと始まらないわ」
と、香穂は言うと煙草の煙をふぅっと吐き出して私を見た。
「ヒカルってね、ここのNO.1ホストなのよ」
「…へぇ」
「いい男で、見たらびっくりしちゃうわよ」
そう言って香穂は自分の宝物を自慢する子供の様な表情をした。
私は朔さんを見た。
…この人だって、結構格好が良いと思う。
大手の男の子ばかりの芸能プロダクションにでもいそうな感じだ。
聞くところによると、朔さんは最近入ったばかりの新人らしい。
歳は私達と同じ20歳だそうで…でも、香穂のお気に入りのヒカルさんも
20歳だって話だ。
「次、何を飲まれますか?」
朔さんが私の空いたグラスを見ながらそう問いかけてきた。
「えっと…じゃあ、モスコミュールを」
そう私が言ったとき、人が歩いてくる気配がしたので顔を上げた。
その人はすらりとした長身で肩まである金色の髪を揺らし、私達のテーブルの
前で立ち止まる。
「お待たせ。香穂さん」
パープルに甘く輝く瞳が香穂をとらえている。
「ヒカル!遅いわよ」
香穂は少し拗ねたような声を出して彼を叱った。
ヒカルさんはその形の良い唇を少しだけ上げて微笑む。
綺麗な笑顔で、その微笑みを向けられていない私でも、どきどきしてしまう。
「ごめんね、これでも急いだつもり。そちらの方は?初めてだね」
「”みのり”私の高校時代からの友人よ」
話題の矛先が私に向いて、私は慌てて頭を下げた。
「月嶋みのりです」
「ヒカルです。どうも」
そう言って彼は長い前髪をかき上げて微笑んだ。
さすがにNO.1と言われるだけあって、その様子には風格があるというか
なんというか、朔さんとは違うオーラを感じる。
「間、失礼」
ヒカルさんは私と香穂の間に座る。
…あ、なんだか良い香りがする。香水かな?
「香穂さんが誰かを連れてくるなんて、初めてじゃない?」
「ふふっ、私のヒカルを誰かに自慢したくなったの」
香穂はそう言うと、ヒカルさんの腕に絡みついた。
”私のヒカル”かぁ…
香穂ってばだいぶここにはまっているみたい。
「自慢されるほどの造作の持ち主でもないけどね。ねぇ?みのりさん」
と、ヒカルさんが私の方に顔を向ける。
パープルの瞳が間近にあってどきっとした。
…造作の持ち主じゃないって…
切れ長のすっきりした一重の瞳に長い睫毛、鼻筋はすっと通っていて、
唇の形もとっても綺麗。
眉も綺麗に整えられている。
その顔は、金色の髪に良く合っていた。
ブリーチしているであろう髪なのに艶やかに輝いていて、私の髪よりよっぽど
綺麗という感じがした。日頃の手入れをしっかりしているんだろうな…
「そんなに見つめないで」
ヒカルさんは、ふっと笑う。
私は自分がヒカルさんをまじまじと見て観察していたことに気が付く。
「あっ、ご…ごめんなさい」
「見とれちゃうほどいい男でしょ」
香穂は相変わらずヒカルさんの腕に絡みついたままそう言って得意そうに笑う。
「ねぇ、香穂さん。ボトルがそろそろ空きそうなんだけど、今度は何を入れる?」
香穂の髪を肩からそっとはらうように触りながらヒカルさんが言う。
「そうねぇ…今度は何を入れて欲しい?」
上目遣いで彼を見ながら香穂が言い返す。
なんだかひととき、ふたりだけの世界のような空気を作っていて、私はなんだか
そんなふたりを見ていて照れてしまった。
暑くなって、先程来たモスコミュールを口に付けた。
…うん。美味しいモスコミュールだ。
「ねぇヒカル、これ食べさせて」
香穂はフルーツの盛り合わせの中にある苺を指さして言った。
「はい、どうぞ」
長い指先で、ひとつ摘むと、ヒカルさんはそれを香穂の口元に持っていく。
「いやだ、口でやって」
香穂がそう言うと、ヒカルさんは笑った。
「困ったお姫様だ」
と、言いながらも、苺のへたを取るとそれを口に銜えて…香穂の口元へと…
うっ…うわっ、何をしているんだ、この人達は!
香穂ってこういう子だった??
「ヒカルさん。みのりさんが驚いていますよ」
朔さんが笑いながらそう言うと、ヒカルさんが私を見た。
「お嬢様にも食べさせてあげようか?」
「え、遠慮しておきます!」
「遠慮することないのに」
と、言いながらヒカルさんが苺をひとつ取りあげた。
「いえっ、ほ…本当に…」
「はい、あーん」
へたを取ると、ヒカルさんはそれをそのまま私の口元に持ってくる。
び、びっくりした。口でやられるのかと思った。
私が口を開けると、苺をそっと私の口の中に放りこむ。
「みのりさんは学生さん?」
ヒカルさんがそういう風に私に問いかけてくる。
「あ…はい。大学生です」
「そう、こういうお店は初めて?」
「はい、初めてです」
「以後、お見知り置きを」
営業スマイルを作って、ヒカルさんは名刺を私に渡してきた。
フェイク・タウン ヒカルと書かれていて、携帯の番号が書かれている。
「いつでもどうぞ」
「朔ちゃんも名刺あるんでしょ?渡しておけばぁ?」
香穂がそう言うと、朔さんは慌ててスーツの内ポケットから名刺を取り出してきた。
「貰って頂けますか?」
両手で差し出してくる朔さんの様子が慣れていないのを浮き彫りにしていて
可笑しくて私は思わず笑ってしまう。
「はい…でも、私は学生だから香穂みたいには来られませんけど」
香穂は週に2回通っているらしい。
「いいです。たまにでも来ていただければ」
「そうそう、他店には行かないでね?」
ヒカルさんがにっこりと笑った。
他に行くほど、ホスト遊びをしたいとは思わないし出来ないと思う。

それから、香穂はヒカルさんにべったりでまるで恋人同士のようで、
私の相手は朔さんがしてくれた。
朔さんは一生懸命で好感が持てた。
でも毎晩お酒を飲まなきゃいけない仕事って大変そう。
朔さん大丈夫なのかな?…という感じがした。
「まだ不慣れですけどね。こういう生活にもすぐ馴染めると思います」
可愛らしく朔さんが笑う。
「期待の新人だからね」
ヒカルさんがそういう風に言うと、彼は照れたような顔をした。


そうして私の初ホストクラブ体験の夜は過ぎていった。
楽しかったけど、多分もう二度と関わり合うことはないだろうな…
と、思っていたのだけれど。


******

「うーっ週の真ん中で飲むっていうのは辛い」
大学で机に突っ伏しながら言うと、呆れた様な声が頭の上に降ってきた。
「戸枝と飲みに行っていたんだろ?何時まで飲んでたんだよ」
声の持ち主は伊勢崎 景(いせざき けい)
幼馴染みで、二年前から付き合い始めた私の彼だ。
「日が変わるまでには帰ったよ」
「まったく…久し振りだからって飲み過ぎなんだよ。戸枝の奴元気だったか?」
「うん。元気だったよ」
ホスト遊びをするぐらいになっていたとは口が裂けても言えない。
勿論、私が昨晩ホストクラブに行ったって事は景ちゃんにはナイショだ。
「今日休めば良かったかな、寝不足」
「講義中寝るなよ」
「自信ないなぁ」
「おいおい」
こつんと景ちゃんに頭を小突かれる。
本気で自信ない。
私はあくびをした。
これで香穂は真面目に会社に行っているんだろうな…
ホストクラブに行くにはお金がかかるから会社は休めないって言ってたから。
そこまではまっちゃうっていうのはなんでなんだろ?
社会人ってストレス溜まるのかな。
それとも、あのヒカルさんと出会ってしまったから?
まるで夢の中の住人のような彼。
綺麗な人だったな。

2限目、景ちゃんとは別れての講義だ。
…寝てしまいそう。
ぼんやりとしていると、声をかけられる。
「隣、いいかな」
え?他にも座席空いてるのに?
私は不審そうに声の主を見上げた。
眼鏡をかけて金色の髪をひとつに束ねた背の高い男の人。
「…いいですけど」
突っぱねるほど度胸のない私
「どうも」
そう言って彼は私の隣に腰を下ろした。
なんなんだろうこの人。
ちらりと彼を盗み見ると、見られていることに素早く気が付いた彼は
唇の端を少しだけ上げて見せた。
「マ・ジ・メ」
「はぁ?」
「今日は休むかと思ってた。昨日は結構飲んでいたみたいだから」
「は?」
「ふふっ」
ひとりで喋ってひとりで笑ってる。
何、この人。
「判らないかなぁ」
彼は私を覗き込んでくる。
「あのっ、あんまり近付かないでくれます?」
色素が薄めの茶色の瞳を彼は瞬かせた。
「僕ってそんなに印象薄いかな?それとも僕よりも朔のほうに気持ちが向い
ちゃった?」
「朔…朔って…」
「朔の事も忘れちゃった?あんなに一生懸命接客していたのに」
「お…覚えている、けど…なんで貴方が朔さんの事を知ってるの?」
「そこまで言うと白々しすぎるかな」
「白々って…私は貴方の事なんて知らないわよ」
「本気で?」
眼鏡を少しずらして彼は私を見た。
「え?」
「どうも、フェイクタウンのヒカルでーす」
「う、嘘だぁ」
「嘘ついてどうするの」
眼鏡をかけ直して彼はふふっと笑った。
「…だって全然違う」
昨晩見た彼は、もっと神々しかったというか、フェロモン全開だったというか。
「あ、ソレひどいね」
「だ、大学生だったの?」
「ああ、昼は学生、夜はホスト」
「…」
「僕は前から君が同じ学部の生徒だって事知ってたけどね」
「えっ!そうなの?」
「ホスト遊びしそうには見えてなかったけど」
「だから、それは昨日も言ったけどホストクラブに行ったのは本当に初めてで…」
「君が僕のお客の友人とはねぇ」
「…香穂は貴方が学生だって事知ってるの?」
「客にそんな事喋るわけないだろ?あ、彼女には大学同じなんて言うなよ」
ヒカルさんは人差し指を唇の前に立ててそう言った。
「どうして?香穂は貴方に夢中…」
「彼女はお客だぜ?」
「…は」
「プライベート空間にまで踏み込んで欲しくないと言うかな」
「ひっど…昨日はあんなに優しくしていたくせに」
「仕事ですから」
「…悪魔」
「どうとでも」
「…それでなんで私に話しかけてきたの?私はフェイクのお客になるつもりも
貴方のお得意様になる気もないわよ」
「そうだろうね、君からは”飢え”を感じない。あの男から愛情をたっぷり
注がれているからかな」
「あの男って…景ちゃんの事を言っているの?」
「景って言うのか奴は」
そう言ってヒカルさんは面白そうに笑う。
なんの笑い??
「なんか…馬鹿にしてる?もしかして」
「いいや、そんなことはないよ」
「じゃあ何よ、変な笑い方しないで」
「そんなつもりは無かったけど?」
「すっごく嫌な笑い方をしたわ」
「そう?」
「…だから、なんで私に話しかけてきたの?」
「単純に、興味があったから」
「興味って…」
「君って美味しそう」
ヒカルさんは唇の端を少し上げて微笑む。
「な…何言ってるの?バカじゃない?」
「あ、どういう意味で言ったか判った?鈍そうなのに勘がいいね」
「バッカじゃない?変態!エロ!」
「エロで結構。エロじゃなきゃこんな職業やってられないからね」
「そうやって何人の女の子を泣かせてきてるわけ?貴方って」
「泣かす真似はしないよ。そこまで深入りしないし」
「でも、お客と、ね…寝たり、とか、するんでしょ?」
香穂とだって…
「あっはー、そういう話、聞きたい?興味あるわけ?」
「…貴方って本当バカ」
「バカバカってひどいねぇ」
「貴方に惚れ込んでる香穂が可哀想だわ」
「いいんじゃね?夢見るのは自由だろ」
「…」
「僕らって夢の世界の住人だから」
「夢から覚めた後の事は責任とらないと?」
「だから大人の遊びなんだろ?ホストってさ」
「…」
「なにか言い返すことありますか?」
しれっと言い返してくるヒカルさんがムカツク。
「言っておきますけど、私は貴方になんて興味ありませんから」
「ふぅん、景ちゃん一筋なんだ」
「そうです」
「へぇ」
ま…また嫌な笑い方をするっ
しかも私の膝の上に手を置いているし!
「ちょっと…手、置かないでよ」
「軽いスキンシップじゃない」
「私がなんで貴方とスキンシップをとらなきゃいけないわけ?」
「昨日は許してくれたのに今日は駄目なんだ」
「…え?」
「昨晩は、肩に触れるのも手に触れるのも許してくれたのにねぇ」
「きっ昨日は昨日!今日は今日ですっ」
またヒカルさんは、にやりと笑う。
「景ちゃんは知ってるの?君が昨日ホスト遊びをしたってこと」
「言うわけないじゃない」
「秘め事なんだ?」
「やらしい言い方しないでよ」
「…やらしいっていうのはこういうことを言うんだよ」
彼は、つつっと膝の上で指を滑らし、スカートの裾を少し捲った。
「ちょっ…止めてよ!エロ!」
「ねぇ」
「なによ」
「僕とレンアイしてみない?気持ち良い思いをさせてあげる」
「な、なに言っちゃってるの?頭おかしいんじゃない?」
「おかしくさせているのは君だよ?」
スカートの中に手を入れてくる。
私は膝で彼の手を挟んで侵入を拒む。
「やめてって」
「んー、温かいね、君の体温…ストッキング履いてないんだ。ラッキー、素足」
ふふっと彼が笑う。
不敵な笑みだ。
「変態っ変態っ」
「あんまり騒ぐと、まわりに知れちゃうよ?」
「手をどけなさいよっ」
「ねぇ、デートしない?僕と」
「嫌です。そんなにデートしたかったら香穂にサービスしなさいよお世話に
なっているんでしょ」
「それはそれ、これはこれ」
そう言いながら、ヒカルさんがもぞもぞと手を動かす。
この人の体温というか、皮膚っていうか…質感が、なんか…
「や、やめてよぉっ」
「…みのりさん」
「何よっ」
「足、開いてご覧」
ヒカルさんが真っ直ぐ正面を向いたままそんな事を言うので、私は思わず息を
のんでしまう。
「や…だ」
私がぎゅうっと足を強く閉じると、ヒカルさんは笑いを含んだ声で言った。
「そんなに強く挟まれちゃうと、手が抜けないよ?」
「え?」
思わず足の力を弱めてしまうと彼の手が更に奧に侵入してきた。
「ひっ…卑怯者…」
「抜けないよねぇとは言ったけど、抜くとは一言も言ってないぜ」
置かれている手の温度に”しっくり”くるものを感じてしまう私はどうかして
しまっているのか、それともこれもプロの為せる業なのか
「やめてってば」
あと数センチで、触れられてしまう。
私は彼の手を掴んだ。
「やめなさいってばっ」
「デートする?」
「だから、それは嫌だって…」
「香穂さんにデートに誘われているんだよねぇ、君の返答次第ではOKしても
いいかなって感じ?」
「なにそれ」
「君が嫌だって言うなら、香穂さんの誘いにものらない」
「…私は私、香穂は香穂でしょ?なんでそんなズルイ言い方するの?」
「だってこうでも言わなきゃ誘いにのってくれそうにないからさ。で、OK?」
「わ、判ったわよ」
「そうこなくっちゃ」
ヒカルさんはそう言って笑うと、私のスカートの中から手を引きだした。
緊張感から解放されて私は、ほぅっと息をつく。
「今度の日曜日、西多摩川公園前の駅に夜7時集合ね」
「え?」
「待ち合わせ場所だよ」
「…はいはい」
「彼には友達と遊びに行くとでも言っておけばいいさ」
「言われなくったって!…ちゃんと香穂ともデートしてよね?」
「はいはい」
ヒカルさんは頬杖をついて私を見、笑う。
…なんだかまんまとはめられた気がする…

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