■■あなたの居る場所 2■■



―――――日曜日。
私は白いコートを羽織って、家を出た。
景ちゃんじゃない人とデートするために…
日曜はいつも一緒に過ごしているのに、今日は友達と遊ぶからと言ったら、
彼はなんの疑いもなく「ああ、そうなんだ」と言った。
心がチクチク痛む。
ごめんね、景ちゃん。今日だけだから…
私は大きく溜息をついた。

ヒカルさんが指定した西多摩川公園前の駅で下車し、改札に向かうと、
遠目でもそれと判るほど、神々しいオーラを出したヒカルさんが黒のコートに
身を包み立っていた。
なんて、艶やかな人なんだ。
夜だから?フェロモン全開っていう感じ
その様子に怖じ気づいて、もう帰っちゃおうかなとか思ったりした。
「よぉ」
改札の向こうに居る私に気が付いてヒカルさんは手を振ってきた。
闇に輝くパープルアイを隠すように、黒のフレームにオレンジのレンズの
サングラスをかけている。
髪は勿論結んでいない。
さらさらの金髪が風になびいている。
「…どうしてホストバージョンなのよ。学校に居るときと同じ感じでいいじゃ
ない」
「君の為にばっちりきめて来たのに気に入らないの?」
私の文句にふふふとヒカルさんは笑う。
ふわっと香水の香り。
大学にいるときはつけていなかったのに…
ああ、本物のヒカルさんだ。と私は、ばかみたいに思った。
「腹減ってるだろ?喰いに行こうぜ」
「あー、うん…」
「なんか喰いたい物ある?なければ僕のお勧めの所へ行っちゃうけど」
「それでいいよ」
「そうあからさまに乗り気じゃないって顔しないでくれる?」
「だって、乗り気じゃないもん」
「おやまぁ」
それでも彼は余裕たっぷりに笑って私の手を掴んだ。
「ちょっと…なにをするの?」
「デートなんだから手ぐらい繋ぐだろ?」
「デートって言ったって、別に他意があるわけじゃあるまいし!」
「僕にはあるよ」
「あのねぇ、私には景ちゃんというちゃんとした彼が居るんですからね」
「そうだったっけ?」
「帰ろうかな」
「今更」
この件で思ったって言うのもあるけど、すれ違う女の人達が、私達…というか
ヒカルさんをいちいち振り返って見るので、恥ずかしくて帰りたくなった。
フェイクタウンNO.1ホスト、ヒカルここに有りって感じ。
背も高いから余計に目立つのよね…
「その白いコート可愛いね。君に良く似合ってる」
私はお気に入りのコートを誉められて気分を良くした。
「え?本当?このコートね、ずっと欲しくて狙っていたんだけど、プロパーだ
と高くて手が出ないなぁって感じだったんだけど、バーゲンに出てて、やっと
ゲット出来たのよ」
「ふぅん。バーゲンで買ったとは思えないね。君は買い物上手なんだな」
「そうかな」
「お金は上手に使うべきだね。僕が言うのもなんだけど」
「あははっ本当だよ」
「君はホスト稼業をどう思っている?」
「うーん、私には無関係の世界かな」
「おやおや」
「だってそうじゃない…私はもうフェイクに行く気ないし」
「フェイクで使うお金は無駄金だと?」
「無駄とは思わないけど、私にはそういう事に使えるお金がないし」
「まぁ、そうだろうね」
「…だから、私を勧誘しても無駄だからね」
そう私が言うと、ククッとヒカルさんが笑う。
「君をお客にするつもりはないよ。君みたいな子にはホスト遊びは向いてない」
「だったら、この時間は無駄だと思わない?ご贔屓のお客さんのご機嫌取りを
している方がよっぽど自分の為にならない?」
ちらりと、パープルアイを私に向けてくる。
「年がら年中、お客を取ることを考えて必死になるのもみっともないと思わな
い?」
「…それは、そうかもしれないけど」
「お客取りに必死になる奴なんて結局そこそこで、NO.1になんてなれない
のさ。客は取るもんじゃない。寄ってくるもんだ」
「それは今ヒカルさんがNO.1だから言えることで、ヒカルさんだって初め
からNO.1だったわけじゃないでしょ?朔さんみたいに下積み時代があった
わけで、それを支えてくれたお客さんだっているわけなんだから、そういう人
の為に時間を使ったら?」
「君はどうあっても僕を遠ざけたいみたいだな」
「ヒカルさんと私じゃ住んでる世界が違うもの」
「そんなことはないよ」
「そんなことあるよ」
ヒカルさんはクッと笑った。
「ああ言えばこう言う」
「だってそうじゃない?フェイクタウンのヒカルさん」
「池上透也(いけがみ とうや)」
「え?」
「僕の名前。以降”透也”と呼ぶようにみのりさん」
「え…えっと…」
「君はお客じゃないんだから僕を源氏名で呼ぶ必要は無いだろ?」
ヒカルが本名で無いことぐらい判っていたけれど、急に本名で呼んでくれと
言われても…
「じゃあ、池上さん」
「透也でいいって」
「名前で呼ぶほど私達親しくないし」
「全く、ガードが固いね君は」
「本当のことだもん」
「…あ、着いたよ。ここ」
そう言って、池上さんはビルの地下に続く階段を降りていく。
「段差、気を付けてね」
「大丈夫」
「イタリアンなんだ。平気?」
「あぁ、私イタリアン大好きよ」
「それは良かった」
池上さんは扉を開けて私に入るように促す。
「…ありがとう」
「どういたしまして」
ウエイターの人が寄ってきた。
「いらっしゃいませ」
「予約していた池上だけど」
「…池上様ですね。お待ちしていました、こちらへどうぞ」
灯りが少し落とされていて、大人っぽい雰囲気のお店だ。
私達は案内されるがままにウエイターさんに付いていき、ドレープなカーテン
で仕切られてちょっとした個室状態になっている所に通される。
なんだか高級そうな所…
「そんなにきょろきょろしないの」
「…だ、だって、こういう感じの所初めて来るんだもの。イタリアンって言う
からもっとカジュアルな感じだと思ったのに」
「カジュアルでどうぞ。そんなに気を張ることもない」
すました顔をして池上さんはメニューを開いた。
…貴方はこういう場所に来慣れているからいいでしょうけど
と、メニューを見て驚く。
値段が、た…高い!庶民的じゃない!
「本日のお勧めコースでいいんじゃない?」
コース料理?冗談!
「私は、パスタにしようかな」
「どうして?コースの中にもパスタはあるよ」
サングラスを外しながら彼が言う。
コース料理を頼むと財布が寒くなっちゃうの!
「何を気にしているの?値段?だったら心配することはないよ。僕が誘ったの
だから君に出させるまねはしない」
「…そういうの無駄遣いって言わない?私、池上さんに奢って貰う理由ないも
ん」
「…”池上さん”…ねぇ」
池上さんは斜めに私を見ながら顎に手を置く
「な、何よ」
「そのガードの固さ、彼氏に躾られたのかな?」
「何、躾って言い方」
「そうかと思えば、ホストクラブに遊びに行っちゃう悪い子さん」
「アレは、香穂に誘われたから…」
「…で、今回はその香穂さんの為に僕とデート。香穂さんとはそんなに仲が
良いの?」
「…そんなにって程でもないけど…たまに電話したり会ったりはするけど」
「その香穂さんの為に、君は今ホストくんと遊んじゃったりしてるわけ?人が
良いねぇ」
「だって、香穂は貴方の事好きみたいだったから」
「ふーん」
「ちょっと、ちゃんと香穂ともデートしてあげてよ?」
「うーん、どうしようかな」
「約束が違うじゃない」
「約束なんてしたかな?」
「卑怯者!」
フフッと池上さんは笑う。
「冗談、冗談。ちゃんと香穂さんのお誘いにものるよ」
「…もうっ」
「だから君も、もっと”今”を楽しんで?その為に誘ったんだし」
「…」
パープルアイを瞬かせて彼は私を見つめる。
ちょっと、そういう瞳には弱いかも…
「―――――と、言うわけで、本日のお勧めをふたつね」
いつの間にか立っていたウエイターさんに向かって池上さんはそう言った。
「あっ!ちょっと!」
「気にしない気にしない」
…ウィンク、されてもっ

******

結局不本意ながらも奢られてしまった。
「…どうも、ごちそうさまでした」
「どういたしまして」
池上さんは、腕時計を眺める。
なんだか高そうな時計だなぁ
「そういう時計なんかもお客さんから貰ったりするものなの?」
池上さんがちらっと私を見る。
「貰ったりもするけど、この時計は僕がフェイクのNO.1になったときに
自分へのご褒美に買ったものなんだよ」
そう言って私に見せてくる。
あ、やっぱり、私でも知っているような有名ブランドの時計だ。
文字盤が淡いパープルで、ちょっと可愛い。
「池上さんって紫が好きなの?」
「うん。好きだね」
「だから瞳もパープルなの?」
「こういうの、嫌い?」
「好きとか嫌いじゃなくて、池上さんには似合っていると思う」
「どうも」
目を細めて艶っぽく微笑む。
止めて欲しい。いけないと判っていても、どきっとしちゃう。
「まだ時間平気?もう一軒行きたいんだけど」
「え?あ…うん…いいけど、奢りはもう嫌だ」
「うーん、おとなしく奢られていればいいのに」
「借りを作るみたいで、嫌なんだもん」
「ふぅん」
「だから、高級な所は駄目よ。安い所にして」
池上さんはクスッと笑う。
「OK。判ったよ」
そう言って彼が連れて行ってくれた所は、気軽に入れそうなカクテルバーで、
臨機応変に対応できる辺り、流石だなと思った。
メニューを見て、値段も良心的。
「君は何を飲む?」
「うーんと…ピーチフィズにしようかな。池上さんは?」
「僕はジンライム」
「ふーん。バーボンとかって言うかと思った」
しかもロックで。
「そう言うのはお店で飲んでるから」
「ホストさんがお店で飲んでいるお酒も、お客さんもちなんだよね?」
「そうだね」
「結構飲まされちゃったりするの?」
「一瓶空けることも、ままあるね」
「酔っちゃわないの?」
「酔ってトイレから出て来られなくなる奴もいるな」
「俺は違うぜって事?」
「僕はお酒に強い体質だから」
「そうなの?」
「そうでなければホストなんてやってられないよ。まぁ醜態さらしてもお客に
喜ばれる奴っていうのはいるけどそれは僕のキャラではないし」
「朔さんはそれが許せちゃうって感じ」
「おーや。やっぱり君は朔がお気に入りなの?妬けるな」
「お気に入りとか、そういうんじゃなくって、なんだか可愛いじゃない?朔さ
んって」
「母性本能をくすぐられるってヤツかい?」
「うーん…そうなのかな」
私は首を傾げてみる。
そう、なんだか憎めないタイプって感じ。同い年なのに。
「朔が聞いたらさぞかし喜ぶだろうね」
「その予定は、有りませんけど」
私は置かれたピーチフィズに口を付ける。
「あー、美味しい」
ふっと池上さんが笑う。
「お店に居たときも思っていたんだけど君ってお酒飲んでいるとき良い表情を
するよね」
「え?そう?」
「うん…だから、もっともっと飲ませたいと思ってしまうね」
「ふーん。お酒は、まぁ嫌いじゃないけど」
かと言って晩酌するほどでもないけど。
「じゃあ日本酒もイケルほう?ここ、良いお酒入っているんだよ。それとも
カクテル系専門?」
「日本酒も飲めるよ」
「だったら試してみれば?”月光”って言うんだけど」
「そんなにお勧めなの?」
「うん。ウチの店にも入れて貰おうかと考えるぐらい女性にお勧め」
「へぇ、じゃあそれを飲んでみようかな」
ピーチフィズのグラスを空けて私は言う。
すると、池上さんは月光をふたつ頼んだ。
月光は、透明に透き通っていて、フルーティな匂いがした。
「うん…美味しい」
「良かった」
「こんなに美味しい日本酒を飲むの初めてかも」
私はしげしげとグラスを見つめた。
「そんなに気に入った?」
「うん。とっても飲みやすいし」
ごくっと飲めてしまう喉越しの良さだ。
池上さんも口を付けて月光を飲んでいる。
何を飲んでいても様になる人だ。
生まれながらのホスト気質なのではないだろうか。
「池上さんってホストが天職だよね」
「そう?」
「うん…でも学校に行きながら夜ホストって辛くない?」
「身体は丈夫に出来ているから」
「ふぅん、池上さんはホストになってからどのくらい経つの?」
「八ヶ月ぐらいかな」
「えっ!そんなに短いの?」
「僕は君と同じ歳なんだよ?未成年じゃ働けないよ。少なくてもウチの店では
ね」
「あ、そうか…でも、そんな短期間でNO.1って、凄くない?」
「まずまずかな」
「そういうもの?」
「さぁて、どうかな?僕も他の店で働いたことがないから基準が判らないね」
「あぁ、そっか。でも…ふーん…そうなんだ。香穂が店に来始めたのはいつ位
から?」
「僕が入店してからすぐ位だったかな」
「じゃあ、すっごいお得意様なんじゃない」
「まぁ、そうだね。早いうちから僕を指名してくれた人だね」
「…あのねぇ、もうちょっと香穂を大事にしたほうがいいんじゃないの?」
「君がどういう風に見ているか判らないけど、僕は彼女を大事にしているよ」
「そうかな」
「無論、お客としてだけどね」
「…」
そりゃあ、まぁ…お客さんなのは間違いないんだろうけど。
でもそうもずばっと言われると、反論したくなっちゃうってもので。
私は溜息をついて月光を飲み干した。

******

…さて、今何時ぐらいかな?
そう思って腕時計に目を落としかけたら、私の腕時計が池上さんの手で隠された。
「時間を気にするなんて野暮な事しないで」
「えっと…でも、今何時ぐらいかなぁって…」
「…そろそろ、出る?」
ふわぁっ、そうよね…なんだか私、眠たくなっちゃったのよね。
ちょうど良い頃合いかも知れない。
「うん、出よ」
カウンターの席からひょいっと立ち上がって、世界が回った。
「んっ…」
どさっと倒れて背中に池上さんの感触。
腕を掴まれた。
「平気?」
「平気、平気」
少しよろめいて私は自力で立った。
あれ…おかしいな…そんなに飲んでいないような気がするのに、なんでこんな
にぐらぐらするんだろ?
「歩ける?」
「うん」
「じゃあ外で待っていて。いいね?」
「うん」
私は池上さんに言われるがままにお店の扉を開けた。
そしてすぐ傍にある電信柱に寄りかかった。
冷たい空気が気持ちいい…
ふぅ
「大丈夫?」
少し遅れて池上さんがやってくる。
「うんー、大丈夫ー」
私は、はっとした。
「あっ!お会計っ」
「いいんだよ気にしなくて」
「だーめだってば!私の分、いくら?」
えっと、何杯ぐらい飲んだっけ?
えっと…月光って単価いくら??
私は財布を開けて迷って、一万円を掴んで池上さんに押しつけた。
「はいっ!私の分」
「こんなにかからなかったよ」
「じゃ…じゃあ、後のお釣りは、今日池上さんに付き合って貰ったチップって
事で」
安いチップだ。
フェイクのNO.1を連れて歩いてウン千円で済む筈がない。
「そんなの貰えない」
「たっ足りないって事?えと…じゃあ後はカード払いって事で」
私は意味不明なことを口走って、その場にへたり込んだ。
「何を言っているの」
「じぇーしーびーじゃ駄目って事??」
池上さんの腕が私を抱き起こす。
「…みのりさん」
「一括払いにするから…」
「ね?少しだけ歩ける?」
「…ふ…ん…ウン、うん」
なんだろ頭と舌が上手く回っていないような気がする。
池上さんがクイッっと私の肩を押して歩くように促してくる。
あぁ、そっちに歩けばいいわけね?
コツコツとヒールが音を立てた。

ええっと、駅ってそっちの方向だっけ?
よく判らない。
でも池上さんがそっちに歩いているんだから、こっちよね?

だけど―――――
背中の方から電車が走る音が聞こえるのはなんでだろう??

ああ、そうかタクシー、タクシーね
私、電車で帰れそうにもないもの。
でもさっき池上さんに一万円渡しちゃったから持ち合わせが少ないのよ
タクシーってカード使えたっけ?

「池上さん、待って。私お金無いよ」
「お金は僕が払うからいいよ」
「でも…」
「いいから、おいで…ね?僕の言うとおりに」

取り敢えず、仕方ないかと思った。
立て替えて貰って、後で払えばいいし…学校、同じなんだから

だけど、私はタクシーに乗せられることは無かった。

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