■■その愛の名を教えて 20■■


「貴方の顔なんて見たくなかった、触れたくもなかった、だから貴方が生まれ
てすぐに西園寺に渡したのよ」
「…そう」
返事をした僕に、まりあは訊いて来る。
「…どうして私を責めないの?」
「責められたいの?」
「……」
「あなたが悪いわけではない、当然の感情だと思う」
僕の言葉を受けてか、彼女は力を無くす様にぺたりと座り込んだ。
「あなたが僕をその身体で育て、産んでくれた。どうして産んでくれたのかと
思った時期もあった。でも今は…まりあ、産んでくれてありがとう…そう言い
たい」
彼女は俯いてしゃくり上げる。
「私は貴方を育てる事を放棄した人間で、唯一与えた名前にさえ呪う言葉を籠
めたのよ、それでも礼が言えると言うの?」
「そうする事で、あなたが楽になれたのなら構わない」
自然とそんな言葉が僕の口から出た。
「僕を否定する事で、あなたが安らかになれるのであればそれで良い」
「だけど貴方には何の罪も無いじゃない」
まりあは俯いたままそう言う。
僕は黙って彼女を見下ろした。
「育てる自信が無かったのに、殺す勇気も無くて…私は」
「自分を責めているのなら止めて、僕はそんな事を少しも望んでいないよ」
座り込んでいる彼女の手を取った。
「西園寺の事も、僕の事も、もう忘れてしまって…これから先はどうしたら自
分が幸せになれるのかだけを考えて生きて」
まりあは僕を見て、その薄茶色の瞳から涙を零した。
「そんな事…無理よ…私は…毎日毎日、悔やんできた、なんでもっと希望を籠
めた名前にしてあげなかったんだろう、なんで抱きしめてあげなかったんだろ
うと…自分で手放しておきながら、考える事はそんな事ばかりだった」
「まりあ…」
「透也、ごめんね…お母さんになってあげられなくて」
大粒の涙がいくつも落ちていく。
彼女もまた、長い間苦しんでいたのだ。
「もういいんだよ」
「酷い事をしてごめんね」
「うん…良いよ、大丈夫だから、僕はあなたの全てを許すから」

だからどうかこれから先は幸せになって。

まりあは顔を上げて僕を見つめた。
力なく、小さく微笑む。
「赤ちゃんの時は判らなかった…でも今なら判る…貴方は…そっくりね」
「あなたに?」
僕の言葉に彼女は首を振った。
「透也の…父親によ」
「西園寺に似ていると言われるのはさすがに気分が良くないな」
苦笑いすると、まりあはまた首を振る。
「お腹の中に居る貴方が、間違いなく西園寺の子供だったら…私は堕ろしてい
たわ」
「…どういう…意味?」
まりあは苦く笑った。
「貴方は多分、西園寺の子供ではないわ」
「他にも心当たりがあるという事か?」
彼女は頷いた。
「…誰?」
「貴方の知らない人よ」

コツン
扉が叩かれる音がした。
背後に人の気配を感じたので僕は振り返り、まりあは動揺の色を見せた。
戸口に社長が居る。
「…社長…」
「まりあが名付けた”透也”という名前の意味は薄々勘付いてはいたよ。だか
ら俺は”ヒカル”という名前をおまえに与えた。透明だけれども光り輝く人物
になって欲しいという願いを籠めて」
「光源氏のヒカルではなかったのか」
「それは嘘だ」
「……貴方が、どうして…」
まりあが小さく言った。
「真ちゃんが…貴方の…本当の、父親だから…」
その言葉に僕は振り返って彼女を見た。
「僕が社長の子供?嘘だ…彼は今までに一度だってそんな事は言わなかった」
「でも…透也の傍に、居たのね?彼は…居てくれたのね?」
「……」
堪え切れなくなったのか、まりあは幼い子供の様に声を上げて泣いた。

僕は記憶を辿った。

…六歳の冬。
ある日突然まりあの遠縁だと言って彼は僕の前に現れた。
『クリスマスプレゼントに何か欲しい物はあるか?』
僕は迷う事なく返事をする。
『…おかあさん…』
そう答えた僕に彼は少しだけ困った様な顔をした。
『そうか…じゃあ…君は西園寺の息子で居た方がいいな』
それがどういう意味だったかなんてその時の僕が判る筈もなく、そして今の僕
がその意味を理解しようとはこれまで一度も思わなくて。

「僕が…気が付けなかっただけなのか…」
注がれていた愛情が、当たり前のものだと思ってしまっていたから、見えず、
そして判ろうともしなかった。
「俺も、父親のつもりで接していたわけじゃねぇからな」
彼は少しだけ笑った。
「もしかしたらそうかもしれないと思いながら、真実を知る事を後回しにして
来たのは事実だし」
社長は僕に封筒を差し出してきた。
一枚の紙を取り出すと、それはDNA鑑定の結果報告書だった。
「池上透也が織原真二と親子関係である可能性は99.9%…」
僕は何度もその文字を目で追った。
「そういう事だ…だから、おまえも西園寺とは縁を切って自由になれば良い。
まりあが見つかった今、西園寺と繋がっている理由も無くなったわけだし」
「……」
「生きていけるだろう?西園寺の後ろ盾が無くても」
「そんなのは…とっくにそうなっている、それを教えたのは貴方だ」
社長は、ふっと笑った。
「透也が俺にありがとうと言った時、哀しくもないのに涙が出た。例え親子関
係が無かったとしても傍に居ようと思ったよ」
「社長…」
「随分、苦しい思いをさせた…なのに…まりあを許してくれた、ありがとう」
僕は唇を開いて問いかけた。
「…貴方達は愛し合っていたのですか?」

まりあと社長は顔を見合わせて、ややあってから微笑んだ。

「愛があったから、おまえさんが生まれて来たんだろうな」

******

鐘の音が鳴る。
僕は遠い場所でそれを聞いた。

「透也ー」
みのりが手を振りながら近付いてくる。
「式終わっちゃったよ」
「そう」
「折角のふたりの式なのに、参列しないなんて」
みのりが不満有り気にこちらを見た。
「僕が見届けなくても、誓いは立てられる」
「ドライだなぁ」
「こういうの…慣れて無いから…」
笑うと彼女が花嫁が持っていたであろうブーケを目の前に差し出してくる。
「…透也を…宜しくって」
「うん、宜しくされるよ」
みのりの身体を引き寄せて抱きしめた。
「永遠の愛を僕らも誓おうか」
「神様に?」
苦笑いをする。
「そうだね…少し意地悪な神だけれどね」
そう言って彼女に短くキスをした。
「…これから、どうするの?織原さん達と一緒に住むの?」
「まさか…新婚の人達と一緒に住むだなんて野暮な事しないよ、それに僕は君
と一緒に住んでいるのだし?」
「う、うん」
みのりがほっとした様に微笑む。
「何?僕が君を自宅に帰してあの人達と一緒に住むとでも思っていたの?」
「だって…やっと出来た家族なんだし」
「僕にとっては君も家族同然だよ」
「…うん…」
「むしろ、もっと近くて尊い存在かな」
「透也…」
「池上の名前はあげられなくなっちゃったけどね」
彼女は微笑んだ。
「織原の家に私も入れてね」
「ああ、必ず」

長く縛られていた物から開放されて清々しい気持ちだった。
こんなに穏やかな気持ちになれる日が来るだなんて少しも想像していなかった。

「まりあが僕の名前を変えたがってる」
「え?変えるの?」
「運気が変わると嫌だから、僕はこのままで良いと思ってるよ」
「…透也が運気だとかを気にするとは思わなかったな」
「そう?」
「だって、貴方は自分の力で色んな物を掴み取っていける人だもの」
「んー…そうかな」
みのりは僕を見上げた。
「でもね、私も…透也は透也で良いと思う」
彼女を見ると、みのりは笑った。
「…透明っていうのは空気の色だと思うの、誰の邪魔にもならないけど絶対に
無くてはいけない…そういうの」
「ポジティブだね」
「綺麗な名前だもの私は好きよ」
「色が無いのに綺麗?」
「濁っていないという事でしょう?ほら、披露パーティーが始まっちゃうよ、
行こう」
伸ばしてくる彼女の手を僕は握った。

君の存在が僕を変えた。
諦める事が当たり前で、望む事さえ忘れてしまっていたのを思い出させてくれ
た。
どんなに小さくても希望の光はあるのだと教えてくれた。

そしてその光の正体こそが愛なのだと、君が僕に教えてくれたね。
育てる程に大きくなっていくそれを僕は君と見守りたい。

この愛は永遠のものだと願いながら。

−END−

BACKTOP小説1目次