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秘め恋 〜その手が奪うもの〜   1

 


 他人なんて信じられない。
 どんなに信じたいと思っていても、結局は裏切られる。
 だったらもう、ひとりでいるほうが楽だと思えるのに、人に惹かれてしまうのは、自分が普通でありたいと願うからなのだろうか……。


 ******


 連日の残業にため息をつきながらも、溜まった伝票の入力を終えると桃花《ももか》はパソコンの前で大きく伸びをした。
「お疲れさま」
 ふいに机の上に置かれたカフェオレに彼女が見上げると、そこには宮間《みやま》が立っていた。彼は隣の部署に所属している男性社員で、桃花が残業をしているといつも飲み物の差し入れをしてくれる。
「ありがとうございます、宮間さん」
「うん、もう帰れそうなの?」
 彼は缶コーヒーを開けながら彼女に聞いてくる。
「そうですね、今日はこのくらいにしておこうかなって思ってます」
 気がつけば、フロアには桃花と宮間しかいない状況になっていた。
「みんな帰るの早いですよね……」
「っていうか、友枝《ともえだ》さんが遅いんだと思うんだけど」
「え、あ、ごっ、ごめんなさい、仕事遅くて」
 桃花が慌てて頭を下げると、彼は笑った。
「そういう意味じゃなく、ちょっとオーバーワークぎみなんじゃないかなって」
「……仕方ないです。今のご時世仕事あるだけでもありがたいんですから」
 彼女の言葉に宮間は苦笑いをした。
「たしかにそうかもしれないけど、仕事を抱え込みすぎても君がつぶれちゃうだけだからね?」
「……はい」
 身体を気遣ってくれているのだろうかと桃花は思い、少しだけ心の中がくすぐったいような感じにさせられた。
 高校から大学まで女子ばかりの学校に通っていた桃花は少しだけ男性に免疫がなかった。新卒採用でこの会社に入社してみたものの多忙な日々を過ごし、会社と家の往復だけという生活に陥っていた。そんな中での宮間の存在は彼女にとって癒しでもあった。
 黒いフレームの眼鏡の奥で輝く双眸は涼しげで、艶やかさも兼ね備えているその瞳で静かに見つめられると心臓が激しく音を立てる。
 彼がいるから、残業も辛くはないのだと思えていた。
(宮間さん、カノジョとかいるのかな)
 社内でも目を引く位の容姿を持つ彼だから女性に不自由などしていないだろうということは容易に想像が出来た。
 宮間のような彼を持つには一体どんな努力をすればいいのだろうかと考える。流行りのジェルネイルをしてみたり、つけ睫毛をつけてみたりすればいいのだろうか? そういえば同期入社の吉永《よしなが》はそんな感じのメイクをして服装も流行りのものを組み合わせて着ている。
「宮間さんってどんな感じの女性が好みなんですか?」
 飲んでいたカフェオレの缶を机に置いて桃花が聞くと宮間は不思議そうな表情で彼女を見た。
「え? 俺の好み?」
「はい、色々参考にさせていただこうかと思いまして」
「何の参考?」
 くくっと彼は笑った。
「えっと……彼氏を作るときの参考、です」
「……友枝さんって男いないの?」
「み、宮間さん、直球ですね、いないんですよ」
 年齢イコール彼氏いない歴とはさすがに言えなかった。
「フーン、いるのかと思ってた。可愛いから」
「かっ、可愛くはないですよ」
「なんで否定?」
 ふっと彼は笑う。
「私のことはともかく、ですよ」
「……俺の好みは参考にはならないと思うよ」
「どうしてですか?」
「偏食家だから」
 宮間はそう言ってネクタイを少しだけ緩める仕草をした。そんな何気ない彼の行動にも桃花はどきりとさせられる。
「例えば、どんなふうに偏食家なんですか」
「聞いてどうするの? 俺狙いってわけでもないでしょ」
「……あー……えっと、そう……です、けど」
 否定の言葉を口にしながらも、顔が熱くなっているのが自分でも判るぐらいになっていて、どう取り繕えばよいかと彼女はしどろもどろになっていた。
「顔、赤い。可愛いね」
 にこりと笑いながら宮間が言うものだから余計に桃花の顔が赤くなってしまった。
「も、申し訳ないです、もうこの話はやめましょう」
「逆に」
「え?」
「友枝さんの好みってどんな男なの?」
 同じ質問を返されて彼女は戸惑った。
「え、えっと……優しい……人でしょうか」
「優しければどんな外見でもいいの」
「……出来れば格好が良いほうが」
「どんな男を格好良いと思うのかな」
「う、うーん……ちょっと細身で、背が高くて、すっきりとした顔立ちの人……かな」
 そう言いながらも彼女が頭に思い浮かべている人物は宮間だった。うっかり眼鏡をかけている人と言わなかっただけでも桃花は自分を褒めたい気分になっていた。
「ふぅん、優しい男なんてつまらないと思うけどね」
 意外な言葉が彼の口から出て彼女は驚いた。
「つまらない?」
「多少振り回されるぐらいのほうが面白いってことだよ。それは女にも言えるけど」
「宮間さんは振り回されたいんですか?」
「振り回されたいというより、俺を振り回そうとするぐらいの女のほうが楽しそうかなって思うだけ」
「すごーく、ハードルが高そうですね……宮間さんの好みの対象になるには」
「そんなことはないよ?」
 にこっと彼は笑った。
「さて、そろそろ帰ろうか」

 牽制だろうかとも思えた。
 桃花から見た宮間はどこまでも優しく、気遣いの出来る人物に見えていたから『自分のようにつまらない男はやめておけ』と暗に言われているような気がしていた。そして自分が彼を“楽しく”させるなんて難しいと思った。
  
  

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