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秘め恋 〜その手が奪うもの〜   2

 

 エレベーターに乗り込むと、宮間が身を屈め彼女を覗き込んでくる。
「お腹空かない? 何か食べて帰ろうか」
「え?」
「俺はペコペコなんだよね」
「あ、そうなんですね……じゃあ、駅前の定食屋に寄って帰ります? あそこだったらご飯おかわり自由で……」
「あそこじゃないほうがいいかな」
「え、えっと……じゃあ」
「軽く飲もうよ」
「あ……はい、だったら、駅前の居酒屋はどうですか? 一品三百円で安くて美味しい……」
「いや、あそこじゃなくて」
 ことごとく却下されて桃花は恐縮する。
「せっかくだから、もうちょっとお洒落な店に行こうよ」
「お洒落……ですか?」
「うん」
「ごめんなさい、私、お洒落なお店とか知らなくて……」
 桃花の言葉に宮間は笑った。
「君に決めてもらおうだなんて思ってないから安心して。駅ビルの中にワインが飲めるダイニングバーがあったと思うんだよね、そこでいいかな」
「構わないです」
「うん」
 彼女の返事に彼は微笑んだ。その笑顔は優しく柔らかいものだったけれど桃花は少しだけ戸惑う。今まで食事に誘われたことなんてなかったのに────と。


 駅ビルの中には宮間が言ったように、ワインが飲めるダイニングバーが入っていた。中に足を踏み入れると照明が落とされムードのある店内で、ふたりが通された席は半個室になっているテーブル席だった。
 テーブルの上でゆらゆらと揺れているキャンドルが、空間の雰囲気作りを手伝っていて桃花は少しだけ落ち着かない気持ちにさせられた。単なる食事の筈なのにデートのようでもあって。
「宮間さんはいつもこういうお洒落なところで食事をするんですか?」
「いつもってわけじゃないよ、せっかく友枝さんと食事をするのなら定食屋ではないほうがいいかなって思ったんだよね」
「な、なんだかそんなふうに言われてしまうと照れくさい感じがしてしまいますね」
「そう?」
「……はい」
 宮間の眼鏡の奥の瞳が甘く輝いているように見えて、見つめるのも見つめられるのも恥ずかしさが伴った。
 彼はテーブルの上で頬杖をつき笑う。
「今日は奢ってあげるから、好きなものを食べるといいよ。残業頑張ってるご褒美」
「ご、ご褒美ってそんな、宮間さんの仕事をしているわけでもないのに」
「いいじゃないの、男が奢るって言っているんだから“ありがとうございます”って笑っておきなさい」
「……そういうものなんですか?」
 桃花がそう言って彼の顔を見つめると宮間は笑った。
「そういうもんだよ。割り勘なんてケチなまねを俺にさせないで」
「え、あ、ご、ごめんなさい」
 思わず彼女が恐縮した様子を見せると彼は柔らかい笑みを浮かべる。
「謝らなくてもいいよ」
「はい……」
「本当、君って可愛いね」
「か、かわ……いいとか、ないですから」
 耳まで赤くなった桃花を見て、宮間は薄く笑う。
 その様子がまた艶めかしい感じがして、変わり始める空気を壊すように彼女は声を上げた。
「ほ、ほら、私の同期の吉永さん、ああいう子はお洒落だし、可愛いと思いますけど」
「吉永なんて子、いたっけ?」
 頬杖をしたままそんなふうに言う彼に戸惑う。
「え、えっと、営業三課の吉永実佳……さんですけど」
「女子社員も多いから、覚えられないんだよねぇ」
 くくっと彼は笑うが、桃花は困惑の色を深めた。
(同じフロアなのに)
 そんな彼女の考えを表情から読み取ったのか宮間が言う。
「流行どおりに動いている人ってみんな同じ顔に見えるんだよね」
「そうなんですか?」
「化粧の仕方だとか、髪型だとか、似たり寄ったりだと覚えられないんです。俺って記憶力ないから」
「……宮間さんが記憶力ないっていうのは嘘だと思いますけど」
 営業成績が良く、社長賞をとったこともある彼なのにと彼女は思った。
「嘘ではないよ、記憶に残る行動をしてくれないと、俺は君のことだって覚えておけないし?」
 少しだけ意地の悪そうな表情を浮かべて彼が笑った。
「え、あ……私も、忘れられちゃうんですか」
「うん、忘れちゃうね」
 メニューを彼女に渡しながら宮間は楽しそうに微笑む。
 困ったような表情を桃花がするから尚更彼は楽しそうだった。
「そんなに困った顔をしなくても。俺になんて忘れられても痛くも痒くもないでしょう?」
「そんなことないですよ、宮間さんに……誰だっけとか……言われるのは嫌ですよ」
「ふぅん、そうなんだ。なんで?」
「な、なんで……って」
 気になっている人だからだとうっかり口を滑らせてしまいそうになり、桃花は慌てて言葉を飲み込んだ。
「俺みたいに面白くもおかしくもない人間には忘れられても別にいいんじゃない?」
「宮間さんが面白おかしい人かどうかは判りませんが、忘れられてもいいっていうふうには思えません」
「ふーん?」
 彼はメニューを開き、ぱらぱらとページを捲っていた。
 宮間が興味の失せたような表情になってしまっていたので、今の受け答えは失敗だったのだろうかと彼女は思った。
「あ、あの」
「ねぇ」
 桃花が口を開くのと同時に彼が喋ったので、彼女は慌てた。
「あっ、は、はい、なんでしょうか」
「隣に来てよ」
「え?」
 桃花は彼の正面に座っていた。
「正面だと、一緒にメニュー見にくいし、ね?」
 にこりと笑う宮間の表情につられて、彼女が席を移動すると彼は機嫌良さそうに微笑んだ。
 座席はベンチシートになっていて、二人で座れなくもないが若干狭く、寄り添わないといけないような状況になった。
 彼の体温が判るような距離感に、彼女の胸がどきどきと音を立てている。それを知ってか知らずか宮間はいっそう距離を詰めた。
  
  
  

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