(ち、違うのに) 自分も、柊吾も、何か想いがあってのことじゃないと、声高に主張したかったが諦めて、玄関の扉を開けた。 すると、青い車が皆子の家に横付けされていて、ライトが二度光った。 運転席には柊吾が乗っている。 圧倒的な美形だなぁとひとときぼんやりして、ハッとして慌てて助手席のドアを開けた。 「すみません、お待たせしました」 「全然待ってないよ。これくらいの時間なんてことないさ。髪の毛、上げてるんだね」 「私、ちょっとくせ毛で……まっすぐにする時間は……さすがに悪いと思ったので」 「いくらでも待てたけど、ポニーテールも可愛いね」 柊吾はにっこりと笑って、そんなことを言う。 「あの……可愛いとかそういうこと、あんまり軽々しく言うのはどうかと思います」 「え? 軽々しく言っているように、聞こえているの?」 柊吾は車を走らせた。 ちりん、と鈴の音が鳴る。昼間に由眞が祖母を助けてくれたお礼にとプレゼントしたキーホルダーが、車の鍵につけられていた。 (い、いや、ちょっと……確かに、使って欲しくてプレゼントはしたけれども! でも、ちょっと……これは、恥ずかしい!) 由眞が赤くなっていることに気づいているのかいないのか、柊吾は普通に話を始める。 「お礼をさ、考えたんだけど」 「え? お、お礼って?」 「由眞ちゃんには色々貰っているから、いい加減何か返さないとバチが当たるなぁって」 「五百八十円のキーホルダーひとつで、バチなんかあたりませんよ! そんなのでバチが当たるなら、三億円の宝くじが当たっちゃったら、いったい人生どうなるのか……」 「面白いこと言うなぁ」 くくっと彼が笑う。見惚れるぐらい、綺麗な笑顔だと由眞は思ってしまい、慌てて視線を窓の外に移した。 満天の星空。確かに都会の空では、高層ビルの明かりが邪魔をして見られないものだった。 「あぁ、星が綺麗。昔、お爺ちゃんやお婆ちゃんと一緒に花火しながら、星空を見たなぁ」 「――――そのとき、ご家族はいなかったの?」 「ええ、いなかったです。夏休みとか、お正月とか、学校の長いお休みのときは決まって松島のお爺ちゃん家に預けられていたから……親は、昔は仕事が忙しくって」 「……ひとりだけ? "弘貴"くんは、いなかったの?」 「弘貴は、心臓に重い病を抱えてて、生まれた時から入退院を繰り返してるんです。今も入院してて――――だから、お母さんはお婆ちゃんを少し見舞っただけで帰っちゃったんですよ……弘貴の病室の窓からじゃ、こんな星空、見えないな……」 「……なんか、悪いこと聞いちゃったかな?」 「あぁ、いいえ。本当のことですし、別に弘貴のことは隠したいことでもないので」 「そう? ならよかったけど。話変わるけど、この辺詳しいなら、小高い丘にある公園は知っているかな?」 「昔、お爺ちゃんに連れていってもらったことがあります」 「そうか、今は、そこに向かっているよ」 「……うわぁ、久しぶり……」 思い出の場所。 小さい頃、レストランが休みの日は決まってその公園に遊びに連れて行ってくれていた。祖父特製のサンドイッチを持って、ピクニック気分だった。 あの頃は、両親と離れて少し寂しいという気持ちもあったけれど、今よりはずっと寂しくはなかった。 弘貴が生まれて両親はそちらにつきっきりになり、祖父が亡くなって、祖母がレストラン経営に忙しいと聞けば、邪魔にならないようにと、松島にも来られなくなった。 時間の流れと共に、失ったものが多すぎて、由眞の心は喜びも悲しみも、あまり感じないようになっていった。 (邪魔だなんて思わずに、手伝いに来ていればよかった) 由眞が後悔の念を抱き始めた頃、車が停まった。 「着いたよ」 公園の駐車場に車を停めて、柊吾はサイドブレーキを引き、エンジンを止めた。 柊吾が運転席から外に出るのを見て、由眞も助手席から出た。 頬を撫でる風が心地良い。 「うわぁ、すっごい……ここからの景色は最高です」 「よかった。寒くはない?」 「あ、はい。そうだ! コーヒーでも飲みます? 連れてきてもらったお礼に奢りますよ」 彼女が言うと、柊吾は笑う。 「いや、これは、僕のお礼で……」 「ブラックですか? それとも、カフェオレ?」 自動販売機の前に、彼女はタタタッと走っていく。 彼も後から着いていった。 由眞がショルダーバッグからお財布を取り出したとき、ちりんと鈴の音がした。 「……人の話を……あぁ、由眞ちゃんも買ったって言ってたね」 彼女はお財布のファスナー部に、ブルーインパルスのキーホルダーを付けていたのだった。 「こ、これは、その……可愛いから……買っただけで」 「うん、それは聞いたよ?」 柊吾は首を傾げる。さらりと彼の前髪が揺れた。前髪の奥にある綺麗な瞳がこちらに向けられていると意識してしまえば、由眞はあたふたしてしまう。 「えっと、カフェオレでいいですか? いいですよね?」 チャリンチャリンと小銭を自動販売機に入れて、由眞はカフェオレのボタンを押した。 ――――たまたま、スロット付きの自動販売機だったため、見事、数字が揃った。 パンパカパーンと変な音楽がなる。 (ひぃいいいいい、恥ずかしい!) 「音が鳴ってる最中にボタン押さないと、無効になっちゃうよ? 同じのでいい?」 動揺している彼女の後ろから、柊吾が腕を伸ばす。 「はっはいいいっ」 こうして由眞は百五十円でカフェオレをふたつ買うことが出来た。 「由眞ちゃんてさぁ」 「は、はい」 「くじ運いいほう?」 「……昔から、変なときだけ」 「変なとき」 ふふっと柊吾は笑って、カフェオレのプルタブを開けると、それを由眞に渡した。 「え?」 「プルタブで指を切ったらいけないから。はい、どーぞ」 「……赤坂さんって、もしかしてすっごい過保護だったりします?」 「そんなことはないよ。興味ない人間には塩対応だし……」 「はぁ……」 「……」 「……」 「……」 (ちょっ、ちょっと待って。今、なんて言った? コノヒト) 公園のベンチに腰掛けていた由眞は、スススッと隣に座っている柊吾から距離をとる。 「昼間も思ったんだけど、由眞ちゃんってときどき忍者みたいな動きをするよね」 「き、気のせいですよ、あは、あはは。っていうか、赤坂さんこそ、なんか……なんていうか……過保護って言うよりか、扱いに慣れすぎてますよねっ」 「扱いって?」 「…………じょ、女性に対する、扱いっていうか」 由眞がそう言うと、柊吾は切れ長だった瞳を丸くさせた。 「え? 僕、生まれてからずっと彼女なんていたことないけど」 「そんなこと聞いてません!」 「ははは、由眞ちゃんって面白いねぇ」 「ははは、じゃないですよっ」 「僕さ」 「……まだ何かあるんですか」 「今期が、ブルーのラストフライトの年なんだよね」 「え?」 「……知っていると思うけど、ブルーの任期は三年で、今年がちょうどその三年目なんだよ」 「そうだったんですか……」 「だから、一度くらいは見に来てよ。僕が飛んでいるところ」 「あ、は、はい」 「……うん。約束だよ」 あまり近づいてはいけないと思うのに、由眞は口を開いた。 「あの、赤坂さんって何番機に乗ってるんですか?」 「五番機だよ」 「え、本当ですか? 凄い! 五番機って言ったら、ソロ飛行もする機体じゃないですか」 柊吾は嬉しそうに微笑んでいる。 「由眞ちゃんはブルーの曲技飛行の中で、好きなものってある?」 「そうですね……やっぱり、キューピッドかな……それと、サクラ。あんまり激しいのはハラハラするから少し苦手」 「……岩谷さんのことがあったから?」 由眞は、ふっと顔をあげる。 「お婆ちゃんから聞いたんですか?」 「んー……皆子さんだったか、継彦くんだったか……誰だったかな……でも、昔は自衛官が好きだって聞いていたから、今は、逆なんでしょう?」 由眞は苦笑する。 「……だって、怖くないですか? 自分が大事に思っていた人が、訓練中に怪我しちゃうなんて……そもそも……」 「うん?」 「……有事がないとは言い切れないわけですし。そりゃあ、私たちは守ってもらう側ですけど……でも、大事な人が怪我をしたりするのは……嫌です」 「……そうだね」 「ごめんなさい。現役の方に言うことじゃないのは、わかっているんですけど」 「いいよ、僕に遠慮なんかしなくても」 柊吾はカフェオレを飲み干した。 「お礼のつもりがお礼にならなかったな。もし、なにか困ったことがあったら、まず僕を頼って欲しい。きっと役にたつよ」 「……いったい何のお礼かわかりませんけど……じゃあ、早速なんですけど」 「ん?」 「この辺の調剤薬局で、薬剤師の募集をしているのを知っていたりしませんか?」 「薬剤師?」 「……私、薬剤師なんですけど……お婆ちゃんが心配で……だから、こっちに引っ越してこようと思っているんです」 由眞の説明に、柊吾は微笑んだ。 「そういうことなら、薬局を当たってみるよ。いつからこっちに来られそう?」 「なるべく早く来たいんですけど、来月の後半にはなってしまうと思います」 「じゃあ、それまでには由眞ちゃんの就職先を見つけておくよ」 「……あ、でも、聞いておいてなんなんですけど……条件があって」 「なんだろう? 給与面?」 由眞は頷いた。 「……弘貴にかかる入院代とか諸々、お母さんに毎月渡さなくちゃいけなくて……お給料は……これくらいは必要で……」 由眞は指で数字を表す。 「最低限はその金額ってことだね。大丈夫だよ、僕に任せておいて。引越し業者は?」 「それもこれから探すんですけど……」 「格安でやってくれるところを知っているから、紹介するよ」 「本当ですか? すみません……ありがとうございます」 祖母を一人にしておけない(皆子がいるものの)その気持ちがずっとあって、由眞は松島に来るか悩んでいたが、柊吾が助けてくれることで一気に由眞の松島生活が現実のものになりそうだった。 彼が自衛官であるのに、薬剤師の仕事探しを引き受けてくれたことは、単に顔が利くんだなぁくらいにしか、このときの由眞は思っていなかった。
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