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恋にならない ACT.1

 垣内みなみ(かきうち みなみ)のバイト先であるカフェには、彼女よりひ
とつ年下の藤絢樹(ふじ あやき)も働いていた。
 彼は専門学校に通いながらバイトをしているとみなみは前に聞いた事があった。
 絢樹は驚くほどの美形で、一瞬女性と見間違えてしまいそうな顔立ちなのに
身長はやたらと高く肩幅も広い。
 身体と顔つきのアンバランスさが逆にその美しさを妖しく際立たせているよ
うな気にさせられた。
 そんな容貌を持つ彼の事をみなみは少なからず気にかけていた。あの意志の
強そうな瞳の奥では何を感じ、考えているのだろうかと想像してしまうから。
  
 ……だけど、絢樹には付き合っている女性がいる事もみなみは知っていた。
 世の中、そんなものだ。欲しいものは欲しいと思ったところですんなりと手
に入るものではない。 
 ムリに諦めるという感情ではなく、自分と彼では例え同じバイト先で働いて
いても世界が違うと無意識のうちに感じていた。
 姿勢の良い彼の後姿をみつめる。
 白いシャツやギャルソンエプロンがよく似合っていて、絢樹は常連客にとて
もうけが良かった。
 黙っていると冷たい印象をもってしまいそうな顔立ちではあったが、彼は表
情が豊かで接客態度も良く、オーナーにも気に入られていた。
  
「雨が降ってきましたね」
 絢樹はグラスを片付けていたみなみに声を掛けてきた。
「え、本当? じゃあ、傘を入れるビニール袋出しておかないと」
 グラスを置いてその場を動こうとする彼女を彼が制した。
「傘袋スタンドはもう出しておいたから大丈夫です」
「あ、ありがとう」
「嫌ですね、雨って」
「藤君にも嫌いなものがあるんだ」
「そりゃあ、ありますよ」
 形良い、少し厚みのある唇の端を上げて彼が笑った。
「いろいろ嫌いなものはあるけど、雨はとくにダメ」
「まぁ、湿気とか……気持ち悪いなぁとかは思ったりするけど。あと傘を持つ
のが面倒だなとか」
「みなみさんって面白いですよね」
「……え? 変だった?」
「いいえ」
 絢樹は人懐っこい笑顔を彼女に向けた。
「じゃあ、藤君はどうして雨が嫌いなの?」
「言うとみなみさんが俺を嫌いになるから言わない」
 内緒だと言わんばかりに、長い人差し指を唇の前で立てた。つられるように
して見てしまった彼の唇。なんて官能的なのだろうか。ふとみなみはそんな風
に思ってしまい、また、そう感じてしまった自分が恥ずかしくなり顔を伏せた。
「みなみさん、顔赤い?」
 180センチを越えている彼が少しだけ屈んで小柄なみなみを覗き込んでくる。
  綺麗な二重の瞳と視線がぶつかり、彼女はいっそう顔を赤らめる。そんな彼
女の様子を知ってか知らずか、絢樹は微笑んで無邪気に言う。
「みなみさんって可愛いですよね、ちっちゃくて」
「可愛いとか言ってからかわないの」
 少しだけ唇を尖らせる彼女を見て彼が微笑んだ。
「え? からかってないですよ、みんなそう言ってます。野郎共はみなみさん
のファンなんですよ、エプロン姿とか超可愛いって」
「……エプロン……ねぇ」
「みなみさんは来週はどのぐらいシフト入っているんですか?」
「あ、うーんと、水曜から金曜は夜で日曜日は昼からのシフトを入れてるよ」
「あー、残念だな。俺、木金はシフト入ってない」
「そうなんだ? 藤君居ないのは寂しいね」
「そう思ってもらえるんですか?」
 首を少しだけ傾けて、彼は嬉しそうに微笑んだ。
 本当に、彼は驚くほどの美形だというのに愛らしい表情も簡単にして見せる
から困る。とみなみは思った。
  
 
 絢樹の居ない金曜日。
 その日は朝から雨だった。強い雨が、アスファルトに叩きつけられている。
その雨を見ながら絢樹は何故、雨が嫌いなのだろうかとみなみはぼんやりと考
えた。
(嫌われるかもと言ってしまうぐらいの理由って、逆に気になる)
 彼が居ないフロアを眺めながら、みなみは小さく溜息をついた。
  やはり絢樹が居るのと居ないのとではフロアの明るささえも違う気がした。

(木金はシフト入ってないって言ってたけど、土曜は入ってるのかな)
 仕事を終えたみなみは、ビニール傘を開いてカフェを後にする。
 味気ないビニール傘に打ち付ける雨音。歩くたびに跳ね上がるアスファルト
に落ちた雨は確かに愉快なものではなかったけれども、嫌いとはっきりと言っ
てしまえるものでもなかった。
 見知った人影が目に入りふいに足が止まる。
 カフェの近くにある公園で傘もささずにベンチで腰を下ろしている人物がい
た。それが絢樹だと認識すると彼女は慌てて駆け寄った。
「藤君!? どうしたの、こんな所で」
 無駄だと思いながらも頭からずぶ濡れになっている絢樹に傘を傾ける。
「ああ、みなみさん」
 見上げてくる彼の前髪から、雨の雫がいくつもぽたりぽたりと落ちていく。
「風邪ひくわよ、いつからここにいるの」
 みなみは自分のトートバッグからハンドタオルを取り出して、雨が滴る彼の
髪を拭いた。
「……俺、ふられちゃった」
「え??」
「カノジョにふられた」
「……そ、そうなんだ?」
「でも、みなみさんに会えたからいいか」
 彼はそう言って小さく笑った。
「いいとか、そういう問題じゃ……こんなにずぶ濡れになって」
「うん、いいの」
 絢樹は、すっと立ち上がる。
 傘を差し出そうとするみなみを手で払う仕種をみせた。
「あなたが濡れるから、要らない。じゃあね、みなみさん」
「ふ、藤君」
 歩き出す彼の腕を彼女が掴んだ。
「これからどうするの?」
「歩いて帰る、この状態じゃ電車には乗れないしね」
「だったら、その……うちに寄っていきなよ、乾燥機あるし服ぐらいなら乾か
せるから」
 絢樹はゆっくりと振り返った。
「みなみさんの家?」
 何故? と、問うような彼の瞳が見下ろしてくる。心配だからだとか色んな
理由を言おうとしたけれど結局は声にならないまま、無言で彼の腕を引っ張り
みなみは自分の家を目指した。


 


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