ときめき 6

	
「…ん。じゃあ、本当に帰るか」
彼は身体をゆっくりと起こしながら言った。
「……」
「みのり」
「…う、ん」
身体の痺れたような感じが残っていて自由が利かない気がした。
それでも私は少し重くなった身体を無理に起こした。
「僕、マンションを持っていてね、今日は寮に帰らずそっちに行こ
うって思ってるんだけど、みのりも来るか」
彼はいつものように微笑んでそう言った。
「え?あ、う、ん…」
「桃買って帰るかな、材料があれば僕にでもソイスムージーは作れ
るし」
「……」
「飲みたいんだろ?」
「う、うん…作って…くれるの?池上君が」
「良いよ」
「レシピは知っているの?」
「あぁ、おっさんに聞いてある」
「そうなんだ」
「君が気に入った様子だったからね、さ、行こう」
彼は私の分の鞄も手に持ち、それから私を机から降ろして立たせた。
「大丈夫?歩ける?」
「う、うん」
「頬が真っ赤で可愛いね」
くすっと彼は笑った。
「だ、だって…」
「だって、何?」
涼しそうな瞳で彼は私を見下ろす。
「…何でも…ない」
私はこんなに身体がふらふらになっているのに一方の彼は何ともな
さそう。
「じゃあ行くか」
「あの、鞄…」
「これぐらい持ってあげるよ」

そう言って彼が歩き出したから私も慌てて追った。



******


「美味しい桃だと良いね」

彼のマンションは1LDK。

やたらと広いリビングに通される。
キッチンは対面式でおしゃれな内観だった

「学校にも近くてこんなに広い家があるのに、池上君が寮に住んで
いるのはどうして?寮の部屋はそんなに広いの?」
「いや、広くはないよここのリビングの半分ぐらいの部屋だけど、
逆にこんなに広い所でひとり暮らしだと精神的に参ってしまうから
ね」
「そういうものなの?」
「そうだよ。僕は物心ついた時からここでほぼひとりの生活してた
からね、だから余計に出たかったのかな」
「あの…」
「なに?」
「う、ううん何でもない」

なんとなく。
聞いてはいけないような気がして私は口をつぐんだ。

―――――彼の家族の事。

『だってさ、仕方ないだろ、愛された事ないんだし』

あの時の彼の言葉が胸に響いた。



「さ、出来たよ」

カウンターに桃のソイスムージーが置かれ、私はそれをリビングに
あるテーブルまで運んだ。

「美味しそうだね」
「飲んで見て」

促されて飲んで見ると前に飲んだものと同じぐらい美味しかった。

「美味しい」
「おっさんが作ったのとどちらが美味い?」

池上君はテーブルに肘をつき頬杖をしながら私を見た。

「…同じぐらい、かな。でも池上君が作ってくれた事は倍以上嬉し
いよ」
「そう」
彼は、にっこりと笑ってくれた。


…皆から愛されていそうな彼なのに、愛された事がないと言う。


愛って何?

愛されているという実感はなくても、誰からも愛されてないと感じ
た事はない。

池上君もマスターと仲が良さそうだったのに、彼はマスターを好き
だとは思ってなくてマスターからも愛されてないと思ってる。

どういうカタチのものが愛っていうの?

ううん。
どんなカタチをした愛を彼は欲しがっているの?
彼を”好きだ”という女の子はいっぱいいる筈だ。

でも、その言葉も、想いも、池上君には届いていない。

「どうした?」
「え?」
「なんか、難しい顔してるからさ」
「ううん、何もないよ」
「そう?」
「うん」
「でも、変な顔」
「……変な顔、なのは生まれつきだから」
「造作の話じゃなくてさ、なんか考えてるのかなって」
「…桃」
「ん?」
「美味しいです」
「そう、良かったな」

彼は笑う。

あぁ。

私は、幸せなのに。
愛されていなくても、彼が笑うだけで心が温まって嬉しいのに。

字が下手でも、絵が下手でも、何か人に誇れるものを持っていなく
ても、私の得意な事が彼を喜ばせる事だったら良かったのに。

なにかひとつだけ特技を持たせてやるって言われたら、私はそれを
望みたい。

いつでも彼には笑っていて欲しい。
寂しい顔をさせたくないよ。

「…今日って」
「ん?」
「私が帰った後って誰か来るの?」
「―――――誰かって何、どういう意味?」
池上君の表情がすっと変わったような感じがした。
口元は笑っているけど、目が笑っていないような…。
「う、うん、ここで一人暮らしは精神的に参るってさっき言ってい
たから、私が帰った後一人になるんだったら大丈夫なのかなぁって
…思ったんだけど、余計な事…だったね」
「あー…あぁ、そういう事か」
彼は、ふっといつもの様に笑った。
「一日ぐらいなら、別に」
「そっか」
「大丈夫だよ」
「……う、うん」


コノヒトハ―――――。
大丈夫じゃない時にちゃんと大丈夫じゃないって言える人なのかな。


『池上君はどうして図書室で勉強するの?』
『ほどよく雑音がしてるから、かな』
『雑音?』
『あぁ。部活動の声とか、生徒の声とかそういうの。寮だと静か過
ぎるんだよね』

寮内の静けささえも嫌う彼。

それなのに、こんな完全防音タイプのマンションで、一人で本当に
大丈夫なんだろうか?

私が気にしすぎるだけ??

「何?そんな事気にしているの?」
彼は笑った。
「だ、だって」
「気にする事はない、例え僕が寂しくしたとしても、君が寂しいわ
けじゃないんだからさ」
私は池上君をじっと見詰めた。
「そうだろ?」
「確かに、同じ様に寂しいとは感じないけど、だけど…池上君が寂
しいのはイヤだと思うよ」
「ふぅん?”イヤだと思う”の意味が判らないけど」
「だから、その…心配するっていうか」
「心配ねぇ」
彼はふっと笑った。
「…ごめん、余計な事だね」
「いや、じゃあ僕が寂しいと言ったら君は何をしてくれるの?」
「……」
「言えば何かしてくれるのか」
彼は少し首を傾げながら私の方を見た。
「してあげられる事は何もないかも知れないけど、でも、一緒にい
る事は出来るよ」
「ふぅん」
「池上君が、それで寂しくなくなるんだったらの話だけど」
「じゃあ、今日は泊まっていってくれるって事?」
「え?」
「僕が寂しくないように、一緒に居てくれるのだろ?」
「……」
「自分で言っておいてそれは無理とか言わないよね」
彼が笑った。
「泊まっていっても良いの?」
「―――――え?あ、あぁ」
「じゃあ、お泊りする」
私が笑うと、彼は少し困った様な顔で笑っていた。



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