「…迷惑だったり、する?」 私が訊くと彼は首を振った。 「いや、迷惑ではないよ。ただ泊まりとか大丈夫なのかと思ってね」 「連絡入れれば大丈夫だよ」 「ふぅん」 「あの…じゃあ、電話しても良い?」 「あぁ、良いよ」 私は携帯を取り出して家に電話を掛ける。 「あ、お母さん?みのりだけど、今日お友達の家に泊まるね。うん それじゃあ」 携帯を切り、鞄に仕舞う。 「それだけ?」 「え?うん」 「…泊まりとか、しょっちゅうしてるの」 「しょっちゅうでもないよ」 「でも、してるんだ」 「たまにはね、するけど」 「…ふぅん」 「友達の家とか、景ちゃんの家とか」 「景ちゃんって?」 「幼馴染の子」 「……女?」 「男の子…だけど」 「…そう」 池上君がおもむろに立ち上がる。 見上げると彼は笑った。 「ずっと制服でいるわけにもいかないだろ?君が着られる何かを探 してくるよ」 「う、ん…ありがとう」 リビング横の扉を開けて隣の部屋に彼は入っていった。 彼の様子が不機嫌そうには見えないけど、機嫌が良い様にも見えな くて。 戻ってきた池上君に言う。 「あの…やっぱり、迷惑かな」 「何が?」 「私が泊まるの」 「全然、これTシャツとジャージね」 「あ、うん…ありがとう」 「向こうで着替えておいで、ベッドの上にハンガー置いてあるから それ使って良いよ」 彼は笑いながら言った。 「…うん、ありがとう…」 部屋に入ると大きめのベッドが置かれていて、その上に彼が言った 通りハンガーが置いてあったので、それに制服のスカートやブラウ スをかけた。 細身に見えても、彼のTシャツは大きく、ジャージの裾を折った。 着替え終わってリビングに戻ると、彼も着替えていた。 「夕飯どうしようか、出前か…ピザとかになっちゃうけど」 「私は何でも良いよ」 「んー…」 彼はメニューを何枚か出して眺めている。 「みのりのリクエストは無いの?なんでも好きなの食べさせてあげ るよ」 「う、うん…じゃあ、パスタが良い」 「パスタね、どれにする?」 彼が渡してきたメニューを見る。 「カルボナーラが良いかな」 「ん」 電話を掛ける彼を見た後、窓の方に目をやる。 夕焼けの赤で空が染まっていた。 「この部屋は、外が良く見えるね」 電話を終えた彼に話しかけた。 「そう?」 「うん」 「…考えた事なかったけど、そうなのかな」 「ねぇ、ベランダに出てみても良いかなぁ?」 「どうぞ」 彼は立ち上がってベランダの大きな窓を開けてくれる。 温度の高い風が私の頬を撫でていく。 「景色が綺麗に見えるね」 「綺麗、かな。僕には判らないけど」 振り返って見ると彼は笑った。 「景色だとか、興味ないから」 「池上君はどんな事には興味を持つの?」 彼は私を一度見てから微笑んだ。 「興味を持つものなんてないよ」 「…そうなの?」 「興味というのは執着する事の始まりだろ、強い感情で何かを思う なんて事は僕には無理だ」 「どうして?」 私の問いに彼は少しだけ微笑んだ。 「思ったところで何も手に入らないと判っているからだよ」 彼の笑う顔はとても美しかったけれど、私の心は痛んだ。 願っても、叶わないと知ってしまっているから願う心すら持てずに いるの? 「何?変な顔して」 「…生まれつきです」 彼が笑った。 「部屋に戻りな、暑いだろ?」 「…うん」 穏やかな顔をして、笑っている様に見えるけど、本当は笑っていな いのかな。 辛いとか、寂しいとかをいつも抱えているのかな。 ―――――たった一人で。 「美味しくなかったか?」 デリバリーのパスタを食べながら彼が言う。 「え?あ、ううん、美味しいよ」 「そう?好みじゃないのかと思った、難しい顔してるからさ」 「ううん、美味しい」 「それならいいんだけど…」 言いながら彼は私の前にあるグラスにミネラルウォーターを継ぎ足 してくれた。 「あ、ありがとう」 「どういたしまして」 「…あの…ね、池上君」 「何?」 「花火しない?」 「花火?」 「うん、出来るところないかなぁ」 「そうだな…マンションの前とかでなら出来るかな」 「じゃあ、ご飯食べたら花火買ってきてやろうよ」 「判った」 彼はふっと笑う。 私も笑顔を返した。 彼と一緒に居て嬉しいのは私の方。 彼と一緒に居て楽しいのは私だけ。 私が”何か”と考えても結局それは私が楽しいだけだと判っている。 小さな思い出の積み重ねも彼にとっては無駄な事かも知れなかった。 だけど。 今一緒に居るという時間は大事にしたかった。 ****** 「家で花火をやるなんて初めてだな」 コンビニで買ってきた小さな花火セットの封を開けながら彼が言っ た。 「夏は花火って感じがするよ」 「そういうものか?」 「うん、花火とかお祭りとか夏っぽい」 「ふぅん…そういう季節の感じ方はしないから判らないけど」 アスファルトの上に立てた小さな蝋燭に火を灯す。 「じゃあ、はい、池上君」 最初の一本を彼に渡した。 花火の先端に火がつけられ、ぱちぱちと音を立て始める。 それを見て、私は自分も花火に火を点けた。 「綺麗だね」 「…君がそう思うのなら、そうかも知れないな」 彼が笑った。 「うん、綺麗」 「僕は少し、苦手だな」 「え?火がダメなの?」 「いや…”火”とか”花火”とか、そう言った物質的なものじゃな くて」 池上君が手に持つ花火の火が小さく消えていった。 「こういう時間が苦手」 「花火するの、イヤだった?ごめんね」 「花火の事じゃない」 彼は袋から一本花火を取り出し火をつける。 「終わりがやってくる時間が苦手なんだ」 「…終わりって?」 「この袋」 彼はちらっと花火の入った袋を見た。 「中身が無くなってしまえば、この時間は終わりだろ」 「うん…」 「それが、ちょっと…ね」 火が消えた花火を、水のはられた小さなバケツに入れて私は答えた。 「また、やれば良いと思う」 「―――――それは何時?」 「池上君がしたい時」 「ひとりでか?」 「ううん、一緒に」 私が笑うと彼も笑った。 「いつでも、何度でも、夏が終わってもしたい時にやれば良いと思 う。だから終わっても大丈夫…だよ?」 「…そうだと、良いな」 水の入ったバケツに花火を入れると、じゅっと音がした。 「フェイクタウンに行くのも、本当は苦手」 「どうして?」 「あそこは、僕の唯一の場所だから」 「…マスターがって事よね」 私の言葉に彼は苦笑いをした。 「無くなっては困ると思うものがあるのは苦痛なんだよ」 新しい花火に火を点けながら彼は言葉を続けた。 「いずれ無くなるのが、判っているから」 「…お店が無くなっても、マスターとの関係は無くならないでしょ う?」 「どうして無くならないなんて言える?最も不確かなものだろ」 きっぱりとそう彼が言い切るから、私はそれ以上何か言う事が出来 なくなる。 「ごめん、君を責めたいわけじゃない」 「ううん判ったような事を言うのは良くないね、私の方こそごめん なさい」 一本、また一本と花火の数が減っていった。 そして最後の一本となった線香花火の火を私達は黙って見ていた。 終わる事を名残り惜しむかの様に―――――。 -NEXT-