ときめき 9

	
頬に張り付いた髪を、彼がそっと払ってくれる。
腕枕をしてくれながら。

セックスが終わった後も、長い間抱き合ったままでいた。
彼の温もりが心地よく、仄かに香る身体の匂いは私を安心させてい
た。
何に対しての「安心」なのかは判らなかったけれど。

「喉、渇いてないか?」
「…ん、もう少しだけ…このままでいたい…ダメ?」
そっと見上げて彼を見ると、透也は笑った。
「そんな瞳で”ダメ?”なんて言われたら、駄目とは言えない」
「あ、ごめん…なさい」
身体を離そうとすると、彼は強く私を抱いた。
「駄目じゃないよ、みのり」
「う、うん」
「君は、可愛いな。何度でも抱きたくなってしまう」
「…透也が、望むんだったら」
「今日のところは我慢するよ」
ふっと、彼は魅惑的に微笑んだ。
薄茶色の瞳が甘い色をもって瞬く。
「本当はもっと、僕の身体を教え込みたいところなんだけど辛くさ
せたいわけでもないから」
優しく微笑む彼を見て、私の瞳に涙が滲む。
「なんで泣きそうになってるの」
「透也が、笑うから」
「…そんなの今までだって」
「うん、うん…判ってる」

その笑顔が特別なものとかではなくて、誰に向けても同じと判って
いても、優しさを交えた様な柔らかな微笑み方に胸を射抜かれた様
な感じがしてしまったのだ。


痛くても、なんでも、彼と繋がった事の喜びは大きかった。
彼にとってそれがさしたるものでなかったとしても。




******




彼と過ごす間の時間はその流れがゆっくりとしている様に思えた。
緩やかな時間。
他の誰かでは感じなかった。

彼は私の中で特別な存在になっていた。
ううん、特別よりも…もっと。

この時間が長く続いて欲しいと思ったら、私はどんな風に祈れば良
いの?



いつもの様に彼とお昼を共にする為に中庭へと続く渡り廊下を歩い
ていると、その行く手を阻まれた。
知った顔だ。

透也といつも一緒に歩いている女の子だったから。
制服には「三沢」とプラスチックの名札がつけられている。

艶やかな長い髪が風に揺れ、グロスの塗られた唇が動く。

「いい加減、あなた、目障りなのよ」
「……」
「いつまで透也の周りをウロチョロする気なの」
「…彼が、飽きるまで…」
私が言うと彼女は笑った。
「透也が嫌がってるの気付いてないわけ」
「え?」
「普通科のくせに」
彼女の蔑む様な視線に堪えかねて私は俯いた。
「あなた、鏡見た事はあるの」
言われて、二人分のお弁当が入った紙袋を持つ手が震えた。
「ソレで透也の傍に居て釣り合いが取れると思ってるの?あなたが
傍に居る事で彼が恥をかいてるってのも判らないの」
「え?恥…って」

特進クラスに初めて行った時の居たたまれない感情がよみがえって
くる。

「そんな事にも気付けないんだから頭の悪い人って扱い難いわね、
特進クラスの中で彼は笑いものになってるわよ、普通科の出来の悪
いのと一緒に居るってね。浮気以上にそれが許せない、特進の中で
もトップの成績を誇る彼があなたなんかに貶められているのがね」

―――――浮気。

その言葉にもずきっと胸が痛んだ。

愛されてない、好かれていない、一番ではない。
全部判っていた。
だけど、人に言われるのはひどく痛いものだった。

そして私の存在が彼を貶めているという事実が。

カサブランカの美しい大輪の花の様なあの人が。

「…ごめん、なさい」
私が言うと彼女は溜息をついた。
「これ以上、彼の名誉を傷つけるような真似はよして」

私は彼女に頭を下げて、今来た道を急いで戻った。



「あれ?みのり、どうしたの」
教室に戻ると香穂が声を掛けてくる。
「彼とランチタイムじゃなかったの」
「…香穂、私、高望みしてた」
「え?何が」
「釣り合わないの、最初から判ってたのに」

涙が溢れて止まらなくなる。

判ってた。

判っていたから、彼の目に私が映る事を怖がっていた。
だけど、幸せな気持ちがその感情を鈍らせてしまっていた。


私の姿かたちは最初の頃と何も変わっていないのに。

「傷つくの判っていたのに」

繰り返す私を香穂は抱き締めた。

「もう、言わなくて良いよ。ね?」


望んでも叶わない事があるくらい判ってる。
祈っても、願っても、届かない。
私が彼と同じ様に美しい花であれば良かったのに。



携帯が何度か鳴っていた。

だけど、私には真実に向き合える強さはなかった。
同じ事を彼に言われたら―――――。
それを受け止める強さはカケラもなかった。




******



「みのりは早退したから居ないわよ」
透也がみのりのクラスを訪ねると、香穂がそれに対応をした。
「早退って、具合が悪くなったのか」
「そんなの貴方が知らなくても良いんじゃないの?」
冷めた様に言う彼女を、透也は怪訝な表情で見詰めた。
「少しの権利は、あると思うが」
「どんな権利?」
「…それは…」
透也の迷う様な表情を見て香穂は唇を噛んだ。
「貴方が、みのりの彼だとでも言うのなら別だけど」
「それは違う」
即座に答えた彼に、香穂は悔しさを滲ませる。
「…サイテーね」
「どういう意味?」
「意味なんて、言葉そのままよ。綺麗で頭良くても人として駄目ね
貴方って」
彼女の言葉に、透也は目を細めた。
「みのりは貴方のおもちゃじゃないわよ」
「そんなの言われなくても判ってる」
「判ってない!だったら、貴方はみのりの何?彼じゃないって平気
で言えるくせに!説明してよ」
「―――――それは…」

ふたりが立つ廊下に張り詰めた空気が流れていた。



-NEXT-

Copyright 2010 yuu-sakuradate All rights reserved.


>>>>>>cm:



-Powered by HTML DWARF-