■■あなたの居る場所 10■■



金曜日の夜。
透也の様な仕事の人たちは今夜はきっと忙しいんだろうな。
私は野菜炒めをフライパンからお皿に移しながらそんな事をぽつっと考えた。

「はい、おまたせー」
私はコタツの上に料理を運んだ。
そこには景ちゃんが居る。
「いっただっきまーす」
そう言って景ちゃんが箸を持った。
「んー、おまえさぁ」
「何?」
「そろそろ、料理のレパートリー増やした方がいいぜ?三回に一回は野菜炒め
だろ?」
「あ…ご、ごめん。気に入らなかった?」
「いや、まぁ作って貰ってるわけだから、文句は言わねぇけど…まぁ、そろそ
ろ…な」
そろそろ…何?
私はぼんやりと景ちゃんを眺めた。
「美味いんだけどな」
「…うん、本とか買ってきて、勉強するね」
「おぉ」
私達は向き合いながら、黙々と御飯を食べた。
こうして景ちゃんと御飯を食べるのは何回目位だろう。
もう数え切れない位だ。
二年の歳月―――――。
ふと、景ちゃんに別れようと言ったら彼は何て答えるだろう?と思った。
きっと、どうして?って聞いてくる。
好きな人が出来たから。
俺よりも?
…
俺よりも好きか?
…
私は答えられない。

透也と世界を共有したいと思いながらも、もう片方では景ちゃんとの世界を守
りたいと思ってる。

ズルイ

判ってる。

その夜―――――。

私は景ちゃんに抱かれる。
頭の片隅には透也が居た。
透也
今夜景ちゃんに抱かれた事を知ったら、私をどう思うだろうか?
ううん、彼は知ってる。
私が抱かれ続けている事を。
知ってて止めろとは言わない。
私が自分で考えて、判断して、自分で止める事を求めてる。
流れ流される私を駄目だと思っているのだ。

だけどどうして景ちゃんに止めてって言える?
だって私達は恋人同士だ。
恋人同士として当たり前の行為をしてるだけ。

じゃあ透也とのそれは?

答えの出ない問いを何度も自分にする。

「景ちゃん…」
「んー?」
ベッドから降りて煙草を吸っている景ちゃんに話しかける。
「今度の日曜日、ひとりで買い物に行きたいんだけど」
「買い物?なんだ?」
「え…っと…下着、とか」
「ふーん、そっか。行ってくれば?」
「うん」

私はゆらゆらと立ち上る煙草の白い煙をぼんやりと眺めた…

******

日曜日
10時を少し過ぎた頃、透也に貰った携帯電話が音を立てた。
「はい」
『おはよう』
「うん、おはよう」
『支度は出来ている?』
「うん出来てる」
『じゃあ、出ておいで。もう家の前に居るから』
「判った」
私が家を出ると、家の前の道路に一台のBMWが止まっている。
深いブルーのぴかぴかの車体。
まさかアレ?
階段を降りてその車に近寄ると、透也が出てきて助手席側の扉を開けた。
「どうぞ」
「う、うん」
外車だけど、右ハンドルなので私は左側に乗せられる。
「今日はショッピングをさせて貰うよ」
「あー、うん」
透也何か買うのかな?
本皮の座席に身体を沈める。
高級そう…
外車に乗るなんて初めてなので、私はぐるっと車内を見渡した。
「何か変?」
透也は薄茶色の瞳を私に向けてきた。
「や…なんか、なかなか結構な、お車で…」
何言ってるんだ?私。
「そう?」
謙遜というよりは、興味が無いといった風に彼が答える。
「だって、なんて言うか、高いんでしょう?やっぱり…BMWだし」
「どうだったかな」
「…まさか、貰い物?」
「いや、自分で買った物だよ。右ハンドルのオートマ車で適当にって言ったら
コレを勧められて…値段の事は覚えてないかな。確か600万を払ったらお釣
りが少し戻ってきた…かな?どうだったろう?」
「どっ…どういう買い物の仕方なの、それって!勧められたから買って600
万払ってお釣りが来たかなぁって呑気な」
その上お釣りが来たって事は即金って事?
「そうだね、600万以上の車を勧められてなくて良かったよ。でなければ要
らない恥をかくところだった。それしか手持ちが無かったから」
「そうじゃなくて、もっと…なんて言うか、ちゃんと気に入った物を買えば良
かったのに、そんな人任せじゃなくて」
「別に、本当に乗れれば何でも良かったし。コレもまぁ気に入らないでもない
よ。少しクセがあるけど、少しぐらいクセのある子の方が可愛いし」
「…はぁ」
私は息をついた。
透也って一体どれだけ稼いでいるんだろう…
「眼鏡、かけなくてもいいの?」
「ノーカラーのコンタクトを入れてる」
「そうなんだ」
「朝から金髪のパープルアイっていうのもどうかと思ったからね」
「まぁそうだね」
ちらっと透也を見ると左腕に丸いリング状の物がついた細い皮のブレスレット
を着けている。
透也ってアクセサリーが好きみたい。
左耳だけだけどピアスもあけているし。
「なにか?」
見られている事に気が付いた透也が言う。
「あ、うん、素敵なブレスレットだなぁって」
「ふっ、気に入ったのならペアで着ける?買ってあげるよ。みのりにも似合う
んじゃないかな」
ペアかぁ…なんだかちょっと心をくすぐられる。
ブレスレットをよく見ると、リングの部分にロゴが入ってる。
ブル…ガ…リ…
ブルガリ?
ブルガリ!!
「ブ、ブルガリのものなの?」
「ブルガリって書いてあるね」
「そんなに高いもの要らないっていうか貰えないよ」
「…高かったかな?」
「また値段覚えていないって言うんじゃないでしょうね?」
「たまたま寄った店で目についたから買ったけど、その日はあまり手持ちがな
くて、たしかカードで買ったから…でもまぁ、20万はしなかったんじゃなか
ったかな」
「透也、金銭感覚おかしい」
「そう?あぁ、それでコレを買った後で似たような物をお客から貰って…朔に
あげたなぁそういえば」
「え?でも、お客さんは透也にってくれたんでしょう?」
「うーんでもなぁ、ふたつあっても結局ひとつは着けないままになっちゃうか
らね、勿体ないだろ?それにブルガリってよく貰うからだぶるんだよ。貰うか
ら着ける、着けているから僕がこのブランドを好んでいると思われて、また貰
ってって繰り返し、まぁ嫌いじゃないからいいんだけど…香水もブルガリの物
をつけているし」
「……」
なんだか別世界…
「ねぇ?透也って、どうして左耳だけにピアスの穴をあけてるの?」
その私の質問に、透也はちらりと瞳だけ動かして私を見た。
一呼吸、間があく
「……右だとゲイって事になるから」
「え?そうなの?」
「ああ、僕はゲイでもなければバイでもないからね。誤解されると困る」
「バイって?」
「バイセクシャル、男の事も女の事も好きな人の事を言うんだよ」
「ふぅん…両耳あけなかったのはどうして?」
「右にもあけて欲しいの?ご希望ならあけようか?」
「や…そうじゃなくて」
「…特に理由なんて…無いよ」
「そっか…」

それから世間話をぽつぽつとしているうちに車がデパートの駐車場に入れられ
た。
透也はグレーのレンズのサングラスをかけて車を降りる。
「さて、どこから回ろうかな」
手を差し出してくるので、私の手は自然と彼の手を握った。
「どこに行くって決めていないの?」
「買う物は決めているんだけどね。洋服と、鞄とアクセサリーを少し」
「仕事用?普段用?」
私の問いに、透也は私を見下ろしてくる。
それから、ふっと笑った。
「僕のじゃない、君のだよ」
「え…え??」
「君の物を買ってあげようと思ってね」
「そんな、いいよ」
「ここまで来て要らないとか言わないでくれる?」
「だって、透也、そんな事一言も…」
「ショッピングするって言ったろ?」
「それは、透也が自分の物を買うんだとばかり思って」
「僕の物は、まぁ、目に付く様な物があれば買うかもしれないけど」
透也はエレベーターのボタンを押す。
「…あの…」
「まぁおとなしくついておいで」

そうして私は、普段気にしながらも足を踏み入れる事が出来なかったブランド
ショップに連れて行かれる。
「まずは、服…かな」
透也はぐるっと店内を見渡す。
「これと…これと…この辺りが君に似合うんじゃないかな」
そう言って透也は店員さんにワンピースやスーツなどを渡す。
「ご試着ですか?」
「ああ」
「それではこちらへ」
…と、店員さんは店の隅にあるフィッティングルームに私を案内する。
私が透也を振り返ると、「着てみて」と彼が笑った。
…困ったなぁ…
フィッティングルームに入って渡された商品に付いている値札をぴらっと見て
みると、普段私が買っている物が三枚も四枚も買える様な値段だった。
「ね…ねぇ透也ぁ…」
ドア越しに彼を呼ぶ。
「もう着たの?」
「ううん、そうじゃなくて…」
「…いいから着てみな」
「…」
私は困ってしまう。
こんな高いもの買って貰えない。
だけどそれを今言うと店員さんの手前、透也に恥をかかせる事になってしまう。
「あー…もう…」
私は取り敢えず着てみる事にした。
似合わなければ、購入する事もない。
…と、思ったのだけれど、流石に高級ブランドともあって服のデザインや裁断
技術や裁縫技術が優れているのか身体にフィットしてスタイル良く見せてくれ
る。マジックだ。
「どう?」
ドアの向こうから透也の声がする。
「う…うん、着てみたんだけど…」
扉を開けて私はその姿を彼に見せる。
「とても良くお似合いですね」
…と、店員さんのお決まりの賛辞に透也は笑った。
「それ、決まりね」
「あ…あの…」
そんな感じで洋服を全て試着させられ、店員さんは透也を上客と判断したのか
次々とスカートやらなにやらを勧めて来て、透也の方はと言えば彼のお眼鏡に
かなった物を私に渡して来るものだから私は一歩もフィッティングルームから
出られない。そして結局福袋でも買ったのか?って言う位に膨らんだショップ
の大きな袋を持ってお店を出ることになる。
会計の時にレジに打ち出た数字を見て私は眩暈がした。
「あ、あれ良いんじゃない?」
別のショップにも入ろうとする透也を私は止めた。
「透也、も…もういいから」
「どうして?」
「もう十分だから」
「そう?」
「うん」
「じゃあ、鞄を見に行くか」
と、彼は独り言の様に言うと場所を移動した。
鞄と言うから鞄売り場に行くのかと思えば、彼はこのデパートにテナントを構
えている超高級ブランドショップの中に平然と入っていく。
私が今肩から下げている鞄が10個は買える値段の店だ。
「透也、このブランドはちょっと…」
「好みじゃない?」
「いや、好きとか嫌いとかの問題じゃなくて…」
「モノグラムのバケツ型バッグ辺りが使い勝手もいいんじゃないかな」
「こんなに高いやつ持ち歩けないし、家にも置いておけないよっ」
私がそう言うと、透也がちらりと私を見る。
「けーちゃんに何か言われるから?」
「…う、うん…それも、そうだし…」
透也が薄く笑う。
「何か聞かれたらこう答えればいい。露店で売られていたコピー商品だ…とね
どうせ本物か偽物かなんて見分け付けられないよ」
「そ、そんな…」
透也は飾られている商品を指さす。
「あれがバケツ型バッグ。あっちがアルマ。その下にあるのがスピーディ、ど
れにする?どれも定番だからコピーと言っても疑われないと思うよ」
「あ、あの…」
「君が選べないなら僕が選んでしまうけど」
「だから、貰えないって…」
透也は私を無視して店員さんを呼ぶ。
「バケツの大きい方と、アルマとスピーディの25センチを貰える?」
「ちょっと!透也ってば!」
「あぁ、あとキーケースも必要だな」
「透也!駄目って!」
「じゃあ君がひとつ選んで?」
「貰えないってば」
透也は私から視線を外して傍に居た店員さんに言う。
「やっぱりその3つ貰える?キーケースとね」
まずい。このままでは本当に鞄を3つ買ってしまいそうな勢いだ。
「ち…小さいの、一番小さいのでいい!」
「スピーディの事?」
「う、うん」
「じゃ、スピーディとキーケースね」

…ど、どうしよう…
私は溜息をついた。
一番安そうな物、と指名した物もやっぱりそれなりの値段はした。

お店から出て、透也が口を開く。
「少し歩くよ」
「え?あ、うん」
5分程歩いて辿り着いた先はジュエリーショップ。
透也が中に入っていくと店員さんが「いらっしゃいませ」と声をかけて来た。
「池上だけど、頼んでおいたもの出来ているかな?」
「少々お待ち下さい」
頼んでおいたものって何?
店員さんが奧に引っ込んでそれからややあってから小箱を手に持って戻って
くる。
「こちらで御座いますね?」
透也の前で小箱を開けて見せる。
中には、ピンクの石が付いたやや小さめの銀色の指輪が入っていた。
「みのり、サイズが合うかどうか試してみて。ピンキーリングだから小指ね」
「あ…うん」
私は言われるがままに箱から指輪を取り出して右手の小指にはめてみる。
「ぴったり…みたい」
「そう、それは良かった。…ねぇ、ピンクダイヤのプラチナペンダントってあ
る?」
透也が店員さんにそう言うと、店員さんは「御座います」と言ってペンダント
を持ってくる。お花のモチーフの可愛らしい物だった。
「どう?」
透也が私に感想を求めてくる。
「あー…うー…ん」
可愛いんだけど…
コレって一体いくらするんだろう?
ペンダントが置いてあった辺りのショーケースを覗き込もうとしたら透也に視
界を遮られた。
「値段は見ちゃ、ダーメ。君、値段で決めるつもりだろ?僕はこれを気に入っ
たかどうか聞いてるの」
「値段の判らないものを欲しいとか欲しくないとか言えないよ」
「値段は気にしない」
「気にするよ」
「……じゃあ、指輪とペンダント貰える?」
透也はまたもや私を無視して店員さんにそう言う。
「透也!」
「僕が気に入ったから買う。君の意見を聞いていると本当、何も買えない」
何故か非難がましく言われる私。
まるで私が悪いみたい。
「でも!」
店員さんが困った様に私達を見ている。
「あの…どうされますか?」
「あ、いいよ会計して」
「透也ってば!」
「君、うるさいよ。お店の中では静かに…ね?」
透也は私をたしなめるようにそう言って私の唇に人差し指を立てる。
「ではお会計を…」
店員さんが言った金額に、私は息をのんだ。

「透也…指輪もペンダントもすっごい高いよ…」
「どっちの石もピンクダイヤだし、プラチナだからこれ位は相場なんじゃない
の?その上指輪はオーダーメイドだから」
お店を出て歩きながら会話する。
透也は相変わらず淡々としていた。
「値段知ってて私に勧めたの?」
「知らない、値段はいくらでも構わなかったし」
「構う!少しは気にして!」
「うーん、うるさい子だね。君のその口を僕の唇で塞がれたくなかったら黙っ
て」
「……」
「君が僕に悪いなって思うのなら、ちゃんと大事に使って。それだけの事だよ」
透也は私を斜めに見るとそう言った。
「だけど…私の為にこんなにお金使わないで。透也のお金は透也が夜、一生懸
命働いて稼いだものでしょう?」
「好きな女の為に自分のお金を使って何が悪い?」
「………」
「好きな女が相手だから男は稼いだお金を貢ぐんだろ?」
「で…も…」
「僕は僕が良しとする範囲内で使っているのだから別に無茶な使い方をしてい
るとも思わないし」
「…」
「”ありがとう”って言ってキスのひとつでもくれれば僕は満足なんだけど?
そんなに困った表情しないで貰える?」
「透也…」
「いいんじゃないの?稼いでる男を相手にしてるんだから貢がせておけば」

駐車場に辿り着き、透也は持っていた紙袋を後部座席に置いた。
私は助手席側の扉を開けて車に乗り込む。
透也もやや遅れて車に乗り込んできた。
サングラスを外して―――――不意に肩を抱かれて、透也が私にキスをしてく
る。合わせあうだけのキスじゃなくて、もっと濃厚なキス。
「ん…」
唇を少しだけ離して彼が囁く。
「もっと…喜んで…僕の気持ちも汲んでよ」
「とう…や」
「ね?」
「…う、ん…」
ちゅっともう一度短いキス。
そして名残惜しそうにもう一度。
それから透也は私から離れて、後部座席にあるジュエリーショップの紙袋を取
ると、そこから指輪の包みを取り出した。
綺麗にラッピングされてるそれをはがして、箱を開ける。
「手、出して」
私は右手を差し出す。
透也はその私の小指に指輪をはめた。
「この指輪は、いつ、どんな時でも外さないで」
「…え?」
「君が僕と逢う時に左手の薬指にはめられている指輪を外さない様に景ちゃん
と逢う時にもそれを外さないで」
私は思わず左手を隠してしまう。
…私の左手の薬指には、確かに彼が言う様に景ちゃんから貰った小さなダイヤ
が埋め込まれた18金の指輪がはめられている。
私の中で着けている事が当たり前になっている指輪が。
「返事は?」
「う…ん」
「これでもだいぶ譲歩しているつもりだよ、君が着けておきやすい様にピンキ
ーリングにしたんだから」
「…」
「景ちゃんに何か言われたら、鞄と同じ様にイミテーションとでも答えればい
いさ」
透也はそう言ってふっと笑った。
「気持ちは…イミテーションなんかじゃないけどね」

彼は瞳を伏せると、もう一度、唇を重ね合わせてきた―――――。

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