貴方が私を見ている。 それを本気だと、自惚れてもいいんですか? 講義の途中で帰ってしまった事を景ちゃんに追及されたけど私はまた体調が悪 かったからと嘘をついた。 私どんどん景ちゃんに嘘ついて彼を騙してる。 透也を好きだと思っても、後ろめたい気持ちには変わりがなかった。 ****** 透也が私にピンク色の携帯電話を買い与えてきた。 電話帳には透也のプライベートナンバーがメモリーされていた。 この携帯は私と透也を繋ぐもの。 初めてカタチになったふたりの絆。 私がその携帯をぼんやりと見つめていると、携帯が鳴る。 どきっとした。 「は、はい」 『どうも』 「…うん」 『今、何処?』 「自分の家だよ」 『ひとり?』 「うん、ひとり」 『何をしていた』 「別に…ぼーっとしてた」 私がそう答えると、透也がふっと笑った。 『なんだ、暇しているなら誘えば良かったかな。僕も今日は出勤時間まではフ リーだ』 「あの…ね?火曜日と木曜日は…景ちゃん、バイトなの」 『ふぅん、その日は君を自由にしていいって事?』 「……」 『おや?答えないんだ』 「……その…」 『じゃあ、僕も火曜と木曜は同伴やアフターを入れないようにしておくよ』 「ドウハンって?」 『店の営業前にお客と会って一緒に店に行く事だよ。ちなみにアフターは営業 終了後に一緒に店を出る事だ』 「……」 『ふっ、なにかやらしい事を想像している?』 「…だって…」 『言っておくけど、僕は枕営業はしない主義だよ』 「枕営業って?」 『お客と寝る事』 「…本当にしないの?」 『疑い深いね』 「だって、ホストなのに」 『ホストだからって、易々と寝てくれると思ったら大きな間違いだよ』 「でも、凄いお得意様から…誘われたりしたら…」 『100万積まれてもご免だね』 言葉の語尾のほうが何か銜えて喋っている様な感じに聞こえた。 その後、カチッという音が聞こえる。 透也が大きく息を吐いた。 「煙草吸ってる?」 『吸ってるよ』 「透也って、私の前では吸った事無いよね」 『レディの前で吸うのは失礼だと思っているからね』 と言って透也はクスクス笑う。 「別に吸っても構わないのに」 『煙草の煙って、直接吸っている人間より間接的に吸う人間の方が害があるっ て言うぜ?』 「そんな事気にしてるの?」 『君には僕より長生きして貰いたいからね』 ククッと透也は笑った。 この人の発言は何処まで本気で何処まで冗談なのか判らない。 「私が煙草を吸う人間だとは思っていないのね」 『君が、煙草?ふふっ』 「なんで笑うのよ」 『君が煙草を吸う事に、景ちゃんが反対しないとは思えない』 「……」 『彼は自分が吸っていても、女が吸うのを良しとしない属性の人間の様に見受 けるが?』 …そうかも知れない。やってみた事はなかったけど… 「透也って、何を吸っているの?」 景ちゃんはキャビンマイルドだ。 『カールトン。知ってる?』 あれ?香穂も確か… 「緑色のパッケージのやつ?」 『当たり』 「香穂も多分、同じやつ吸ってたと思う」 『そうだね。香穂さんもカールトンだね』 「…偶然?」 『いや、僕が吸っているのを見て変えたらしいね』 「香穂の前では吸うの?」 『吸うよ』 「どうして?」 『香穂さんが吸う人なのに、なんで僕が吸うのを我慢しなければいけない?』 「…あ、そうか…」 …… 「…お店では、煙草吸わないよね?」 『接客中はね』 「いつ香穂の前で煙草を吸ったの?」 『ふっ、妬いてるの?』 「答えてよ」 『そんなに怖い声を出さないの。同伴とかアフターの時だよ』 「香穂とも同伴とかアフターとか、するんだ」 『君も知っている様に、香穂さんはお得意様だからね』 「そんなにしょっちゅう?」 『誤解のない様に言っておくけど、お得意様って言っても香穂さんだけが僕の お得意様ではないからね?』 「…あー…うん…」 『香穂さんが同伴やアフターを求めてきても、僕の身体が空いていなければそ れには応じられないし、ああ、身体って言っても変な意味じゃないからね?予 定が合わないって事。他のお客と約束をしてて』 「うん」 『逆に同伴の約束をしていても香穂さんの仕事の都合でフイになる事もあるし』 「ふーん」 『ん?あまり熱弁をふるうと言い訳っぽく聞こえる?』 「ううん、なんか大変なんだなーと思って」 『何が?』 「働く事って」 『そう思う?』 「うん…私、バイトとかもあまりした事がなくて…年末の郵便局のハガキの仕 分け位しか」 『クッ…郵便局…』 透也が笑う。 「なっ…なんで笑うのよぉ」 『そういうの以外は景ちゃんが許してくれなかったからだろ?』 「許してくれなかったって言うか…コンビニは接客が結構大変だからやめとけ とか、本屋は万引きが多いから無理だとか、あ、ファミレスはスカートが短い って言われた気がする」 『君って本当に温室の花なんだな』 言い返す言葉が見つからない。 「学校卒業して、ちゃんと就職して働けるのか心配…」 『無理に働かなくてもいいんじゃない?君の事は僕が一生喰わせてあげるから』 「え?」 『…二度も言わせる気?』 え、だ…だって、一生喰わせてあげるからって…どういう意味で言っているの? 「あ…そ、そろそろお風呂、入ろうかな…」 『スルーするんだ、へぇ』 「…だ、だって…」 私は思わず座り直して正座する。 『景ちゃんとは将来の約束をしているの?』 「そ…そんなの、全然…だって、私達知り合ってからは長いけど、ちゃんと付 き合いだしたのってここ二年位の話だし、まだ、そんな…」 『年月の長さってそんなに重要?』 「重要っていうか…その…」 『君は僕に言ったよね?彼の居ない生活は考えられないと、それなのに結婚は 別なの?変わっているね』 「だって…私が奥さんになるなんて…」 『ふぅん?君って小学校の卒業文集とかに将来の夢はお嫁さんって書いてそう なタイプだと思っていたけど?』 「そんな事書かないよっ」 『結婚願望ってないの?』 「透也はあるの?」 『戸籍を入れるだとか、そういう形式ばった事には興味がない。生涯に渡って 君が僕の傍に居てくれるかどうかだよ。だけど君が僕の姓を名乗る事によって 君を縛る事が出来るのなら、手段としては有効だと思うけどね』 「…」 『…』 「…」 『何?この沈黙は』 「透也が、そんな事まで考えてるなんて思っても見なかったから」 『あぁそう?』 「だって私達って、知り合ってからいくらも経ってないのに」 『”私は景ちゃんのものなのに”って?』 胸がどきんっとした。 私、透也を好きって思った。 だけど、それと引き替えに景ちゃんを嫌いになったわけでもない。 追及されると私は答えられない。 『今度の日曜日は空いてるの?』 透也が話題を別の所に差し替えるようにして聞いてくる。 私は少し、ほっとした。 「え?あ…空けられる…と、思う」 『じゃ、予約ね』 「う、うん」 『10時に迎えに行くから。早い?』 「10時って、朝の?夜の?」 『朝だよ』 「あー、うん判った」 『じゃあそのつもりでいて、都合が悪くなったら電話してきて』 「…絶対に予定を空けておけとは言わないの?誘いは断るなって言ったじゃな い」 『君は僕がそういう風に言わなければ出来ない子なの?まだ僕にそんな言わせ 方をさせる気なの?』 静かな、とても静かな声で彼に言われて、私の肩がぴくんっとした。 「…ごめん…なさい…」 『そろそろ切るよ』 「うん、じゃあね」 『おやすみ』 「うん、おやすみなさい」 『…』 「…」 『…』 「あの…どうして切らないの?」 『本来、かけた方の人間が先に切るのが礼儀なんだろうけど、僕は電話の切れ た後の音が嫌いでね…なにか物悲しい気持ちにならない?』 「?だったら切ればいいのに」 『君にそういう思いをさせたくないんだよ』 透也はそう言ってふっと笑った。 こういう彼の言い回しは上手だなって思う。 嫌でも、胸がときめく。 「じゃ…じゃあ…切る…ね?」 『あぁ、じゃあね』 「うん」 私は通話終了のボタンを押した。 彼と繋がっていた世界が途切れる。 そしてもう一度携帯電話を耳に当てた。 沈黙の世界。 もう彼の声は聞こえない。 私が寂しいと思うように、透也も寂しいと思ってくれるの? 彼と世界を共有したい。 そう思う私はズルイ女。 私は携帯を抱きしめて寝ころんだ―――――。 |