床には私達の洋服が脱ぎ散らかされていた。 私はベッドの中でごそごそと動いて、少し気怠くなった身体を透也にくっつける。 彼の手が私を包んだ。 「…透也」 透也の唇が私の額に押しつけられる。 長い間、そのままで それから私の頭を抱きかかえる。 どうしようもなく彼が愛しくて 見つめられて、口付けされる 優しい彼の唇。 私はそれを確かめる様に何度も自分の唇でなぞった。 「透也…私を愛してくれる?」 「愛しているよ」 「嫌いになったりしない?」 「しないよ」 「私を守ってくれる?」 「どんな事からも、守ってあげる」 私は透也の胸に顔を寄せた。 「僕は生涯君だけを愛するから…」 透也の声は私を酔わせてくれる。 そしてそれはうつらうつらと夢を見ている様で何が本当かを判らなくしていく。 何が本当なんだろう 私が彼を愛しいと思う気持ち。 それは私の”本当”なのか。 「透也、愛してる」 言葉に出して言えば、それが紛れもない真実の証になる様な気がして私は口を 開く。 愛してる それが私の真実? 透也が自分のキーケースから鍵をひとつ外して、今日買った私用のキーケース にそれをかちりとはめる。 「これは僕の家の鍵だよ」 私が見上げると彼は微笑む。 「いつでも来て良いから。僕が居る時でも、居ない時でも」 ****** 「なんかおまえ、持ち物派手になってねぇ?」 月曜日の朝、景ちゃんは私に会うなりそう言って鞄を持つ私の右手を掴み上げ た。 「これ、ブランド物だろ?それに見た事ない指輪」 私は震えそうになったけれど、堪える。 「昨日は買い物に行くって、言ったじゃない」 「こんなもんが買える金なんてどこに持ってんだよ」 「あは…本物そっくりでしょ?実は露店で買った偽物なの。指輪も安物だよ、 なんと500円」 そう私が言うと景ちゃんは眉をひそめた。 「おまえ馬鹿じゃねーの?露店なんかでそんなの買って」 「…」 「そこまでしてブランド物を持ってるふりしたいかねー」 「…うん…持ちたいよ」 「…いつから?」 「え?」 「いつから、そんなモン欲しくなったんだよ」 「いつからって…だいぶ前から…」 「おまえそんなん欲しいなんて一言も俺に話してねぇじゃん」 「だって…」 「欲しいなら欲しいって話してくれても良かったんじゃねーの?そんなコピー なんて買う前にさぁ、なんか…俺が甲斐性ねぇみてーじゃん」 「…」 「言ってくれたら、バイトの金貯めて買ってやったのに」 景ちゃんが、はぁと溜息をついた。 「今すぐは無理だけど、俺が本物買ってやるから、そんなの使うな。みっとも ねぇよ」 私は鞄の取っ手をぎゅっと握る。 「やだ」 「はぁ?」 「欲しくて買った物だもん…使う。私はこれでいいし」 「馬鹿か?みっともねぇって言ってんの」 「みっともなくていいもん!」 これは透也が私の為に買ってくれたものだ。 すぐに喜んであげられなかった分、大事に使いたい。 ありがとうって笑う事が出来なかった分、使いたい。 そうやって彼の気持ちに報いたい。 「大体……大学に持って来るようなサイズじゃねぇんじゃん?」 「……」 透也に買って貰った鞄は小さくて、お財布やポーチだとかペンケース位しか入ら ない。私は教科書やノートは別の鞄に入れて持っていた。 「そこまでして見栄を張りたいか?しかも本物ならまだしも偽物持ってさぁ、恥 ずかしいよ」 「…本物か偽物かなんて判らないくせに」 「あァ?」 「なんでもないよ」 「とにかく、ソレ俺の前では使わないでくれる?不愉快だから」 「…判ったよ」 「あーあ、何考えてんだかなぁ」 景ちゃんは私を一瞥すると、教室に向かって歩き出した。 でも、景ちゃんの気持ちが鞄に向いてくれたお陰で指輪を守る事は出来た。 これを外せって言われたら…どうしていいか判らなかったから。 私がコートを脱いで席に着くと、景ちゃんが目を細めた。 「何、服も買ったのか」 「…いいじゃん、別に」 「…」 私はふいっと横を向いた。 ****** 今日一日の私の講義が終了して、私は隣に座っている景ちゃんを無視して立ち 上がった。 「おい、みのり」 「…」 私が教室を出ると、彼が慌てて追ってくる。 「おい、待てって」 大学の廊下で景ちゃんが私の腕を掴んでくる。 私が景ちゃんの顔を見ないで横を向いていると、景ちゃんが溜息をついた。 「悪かった…朝は、言い過ぎた」 「…」 「ごめんな」 「…もう、いい」 「そんな怒った顔するなって」 「…」 「ちょっと、衝撃的だったからついカッとなっちまった」 「…」 「ごめん」 「…」 「服、似合ってるよ。可愛いから」 「…」 「悪かったって」 景ちゃんが、ぽんぽんと私の頭を撫でた。 「…私、今日はひとりになりたいの」 「みのり…」 「生理だから、体調悪いの」 「あぁ、そうかそういえばそろそろだったな」 「じゃーね。景ちゃん」 「気を付けて帰れよ」 「…うん」 私は足早に彼と別れて歩き出した。 生理だからというのもあるかもしれないけど、景ちゃんに侮蔑された事が少し 癇(かん)に障っていた。 私越しに透也を侮辱された様で 鍵…もらったばかりで、家に行ったら迷惑かな… そう思いながらも私は透也の家に向かっていた。 エントランスで彼の部屋番号のボタンを押してインターフォンを鳴らしたが、 透也は不在の様で応答がなかった。 私はキーケースを取りだして鍵穴に鍵を差し込みロックを解除する。 透也の部屋の前で、私はもう一度インターフォンを鳴らしたが、やはり応答は 無かった。 私は少し迷い、それから鍵穴に鍵を差し込んだ。 かちりと鍵の開く音が聞こえ、私はそっと扉を開ける。 主の居ない部屋。 上がり込むのはやっぱり悪い気がして私は玄関で立ちすくんだ。 「…とーや…?」 返事が無いと判っていて私は彼を呼ぶ。 笑顔で、出てきてくれそうで。 温かく私を迎えてくれそうで。 そしてその腕で私を閉じこめてくれそうで。 涙が溢れる。 私、透也に優しくされたい。 包み込んで欲しい。 …私やっぱりズルイ 自分の都合のいい時だけ透也を求めて。 がちゃがちゃ 私の背で鍵が差し込まれる音がする。 もう鍵は開いているので、すぐに引き抜かれる。 扉が開かれて透也が帰ってきた。 「…っと、驚いた…どうしたの?こんな所で立っていないで中に入っていれば 良かったのに」 背中から聞こえる優しい声に、私は堪らずに振り返って透也に抱きついた。 「みのり?」 「…透也ぁ…」 「…泣いているの?」 透也が私を抱きしめてくれる。 その腕に私は安堵した。 「何かあった?」 降り落ちてくる言葉に、私は首を振った。 景ちゃんに言われた事は、透也に言うべきではないと思った。 「ただ透也に逢いたくて…」 「泣く程?昨日逢ったばかりなのに」 「透也は私に逢いたくなかった?迷惑だった?」 「まさか…僕だって君に逢いたかったよ」 ふっと笑いながら透也が言う。 「来てくれて嬉しい…」 透也がそっと私の頬に口付ける。 「服も着てくれてありがとう。良く似合っていて可愛いよ」 透也の賛辞に私は涙を零す。 「景ちゃんの前で着る事は勇気が要ったろ?…ごめんな」 彼が謝る事なんて何一つ無いのに、透也はそう言って目を細めた。 「彼に何か言われたんだろう?喧嘩でもした?」 私の両頬に手を添えて透也が言う。 彼はひどく気遣わしげに私を見ている。 「透也…」 「傷ついた顔をしている…僕がそうさせてしまったんだな」 「…」 「半分判っていた。君の持ち物が変われば彼がどう反応を示すのか」 私は首を振った。 「透也の事は知られてないよ」 「何て言われた?彼にどんな風に傷つけられた?」 「…私は傷ついていない。ただ、透也を悪く言われたみたいで…」 「僕?」 「…鞄、偽物を持つのはみっともなくて恥ずかしいからそんな物を持つなって 本物を買ってやるからって…鞄は偽物なんかじゃなくて、本物なのに…透也が 高いお金を払って買ってくれた物なのに…」 「君が負い目に感じる事はないよ。僕が君にそう言えと言ったのだから」 「だけど…これは持ち歩くのに恥ずかしい物なんかじゃないよ、それが…私は」 透也がフッと笑う。 「それは君だけが知っていればいい。君だけが大事に思ってくれていれば僕は それで良いのだから…ね?」 「…透也」 「僕の我が儘で君に哀しい思いをさせてしまった。ごめん」 彼が優しくしてくれるから、余計に涙が溢れた。 18時を過ぎた頃、ソファーで私の肩を抱いてくれていた透也が手を離した。 「…出来ればずっと傍に居てあげたいんだけど、仕事に行かなければいけない から」 「ううん…いいの、もう大丈夫だから」 透也が私の手を取り、そっとその手を自分の頬に触らせるようにして押しつけ た。 「今晩泊まっていくといいよ」 「…透也…」 「アフターは入れないから2時までには帰ってくる。仕事で疲れて帰ってきて そんな時、君が居てくれた方が安らぐよ」 「でも…」 「でも、何?」 「私…その…今日、せ…生理、なの」 景ちゃんに言い慣れていても透也には言い出しづらく、私はもごもごとそう言 った。 「そう、だったら抱かないから」 「それでもいいの?」 透也がフッと笑う。 「僕はセックスがしたくて君を傍に置いているんじゃないよ」 「…」 「今日、居てくれる?」 「うん…」 「ありがとう」 透也は、今まで見た事がない様な甘い微笑みを私に向けてきた。 胸が、とくんとした。 「でも…荷物を取りに一度家に戻るね?明日の準備とか、しておかないといけ ないし」 「うん、判った…」 透也が私にキスをしてくる。 柔らかで優しいキス。 何度も何度もそれを繰り返し、名残惜しそうに最後にひとつキスをして離れた。 それから透也は”ヒカル”になる為、ヒカルの香水をつけ、パープルのコンタ クトを入れ、ブランドのスーツに身を包み、出勤して行った。 私は彼を送り出した後、自分の家へと向かった。 ****** 自宅に戻り、旅行鞄にお泊まりの為に必要な物を詰め込んだ。 明日の講義に必要なもの、明日の洋服… パジャマが必要だと思って引き出しを開けた時、呼び鈴が鳴った。 誰だろう?と思って覗き穴から訪問者を確認すると…景ちゃんだった。 私はドアを開ける。 「何?どうしたの…私、今日はひとりになりたいよって言ったよね?」 「悪い、なんか後味の悪い別れ方しちまったから…気になって」 「別にもう…気にしてない」 「飯でも喰いに行かねぇか?まだだろ?」 「出掛けたくない。体調悪い…って、言ったよね?」 「じゃあ、弁当でも買ってきてやるよ」 「…今日は…」 景ちゃんは私の部屋の中を見た。 「…何?どっか行くのか?体調悪いって言いながら」 ベッドの上に置かれた旅行鞄を指さして彼は言う。 「…あれは…その…」 「…別に何処にも行かねぇよな?」 「行くわけ…ないじゃない…」 「そうだよな。弁当買ってくるよ、一緒に喰おうぜ、何がいい?」 「……」 その日、景ちゃんが私の家から帰る事は無かった。 私は軟禁状態になって、透也に電話をかける事すら叶わなくて… 隣で景ちゃんが寝ている横で私は時計を見上げた。 2時…過ぎた。 透也が家に帰っている時間だ。 私がベッドから抜け出ようとした時、景ちゃんが目を開けた。 「何処行く?」 「…お、起きてたの?驚かさないで、トイレだよ」 「ふーん」 …これじゃ電話が出来ない。 透也…家に居ない私を、今頃どう思っているだろうか。 ”ありがとう”と笑顔を向けてくれた彼の顔が思い出されて胸が痛んだ。 透也、ごめん、ごめんね―――――。 |