目が覚めた時、隣に人の気配を感じなくて身体を起こした。 「…透也?」 「―――――起きたの?」 遠いところから声がする。 目を向けると透也がソファーに座っていた。 「透也…」 私は目を擦りながら彼の傍に近寄る。 「まだ寝ていれば?起きるには早いよ」 時計を見るとAM6時だった。 「透也は?寝ないの?」 「隣に僕が居ないと寝られないの?」 ふっと彼が笑う。 「透也は何時から起きてるの?」 「君が起きる少し前だよ」 透也が立ち上がって私の傍に来ると、ふわっと私を抱きしめた。 「時間になったら起こしてあげる。それから君を送っていくよ」 「…時間が経つの、あっという間…もう透也と離れなきゃいけないんだ…」 「名残惜しい?」 「…うん」 ちゅっと短く透也がキスをしてきた。 「素直でイイ子」 本当に離れがたい気持ちだった。 もうずっとずっとこうして居られればいいのに。 透也の腕の中だけで生きられればいいのに。 ****** 日曜日は高校の友人の結婚式だった。 景ちゃんと私は披露宴にお招きされていたので会場のホテルへと向かう。 「みのりー」 ドレスアップした香穂が私と景ちゃんの傍に寄ってくる。 「お久し振り、伊勢崎くん。高校卒業以来ね」 香穂がそうやって景ちゃんに話しかけた。 「どーも。戸枝、おまえなんかケバくなってねぇ?」 「綺麗になったと言いなさいよ。これだから一般の男はやぁね」 「なんだよ一般の男って」 「これがヒカルだったら”今日は花の様に綺麗ですね”って言ってくれるわよ」 ヒカルの名前が出てきて、私はどきっとする。 「はぁ?ヒカルって?」 「私の愛しのお方よ。ねっみのり」 「え?あー…うん」 「知ってんの?」 景ちゃんが私を見下ろす。 「あのー…えーっと、まぁ」 「なんだ?戸枝の男かぁ?」 「あんなに素敵な人が恋人だったら速攻で結婚するわよ」 「はぁ?意味わかんねー」 「ところでおふたりさんはいつ頃式の予定?」 ふふっと笑いながら香穂が言う。 「ま、大学卒業してからだな」 「け…景ちゃん…」 「へぇ、ま、あなた方の式にも呼んでよね。楽しみにしてるわ」 「こういう所で披露宴するのってどんぐらいかかるんだろうな?」 「後でこっそり聞いてみればぁ?まぁ、ホテルだし?3〜400万位はかかっ てるんじゃないの?」 「げっ、そんなにかかるのかよ」 「結婚式は一生に一度の女の晴れ舞台よ?みのりの為に頑張りなさい、伊勢崎 くん」 「はぁ、結婚式ってやらなきゃいけねーのかね」 「ケチくさい事言ってんじゃないわよ。ねぇみのり?みのりも結婚式とか披露 宴とかちゃんとやりたいわよねぇ?」 「えー…あー…うん…」 「ほら、みのりもこう言ってる事だし」 「はー、大変」 景ちゃんはそう言って頭を掻いた。 披露宴が始まって、新郎新婦が入場してくる。 どちらも私達の高校時代の友人で、高校生の時からふたりは付き合っていた。 披露宴は何事もなく順調に進行していく。 「幸せそー」 香穂はビールを飲みながらそう言う。 「いいなぁ私も結婚したいなぁ」 「香穂もいい人見つけないと…」 「ヒカルに、はまっているうちはダメね。どーんな男もイモに見えるもん」 「…」 「ヒカルがああいう職業じゃなかったらなぁ…普通に出会っていたら…」 「香穂…」 「なーんてね。普通に出会っていたら私なんて見向きもされてないわ」 香穂は煙草に火を付けて、ふぅっと煙を吐き出した。 透也と同じ煙草の銘柄。 煙草を変えたのは、少しでも彼に近付きたいという気持ちからなのか。 「…ヒカルに逢いたくなっちゃった」 ぽつっと香穂が言った。 「あー疲れた疲れた」 景ちゃんはそう言って引き出物が入った紙袋を床に置き、スーツの上着を脱い だ。 しゅるっとネクタイを首から外す。 私は景ちゃんの家に居た。 「引き出物なにかな…あ、お皿のセットとバームクーヘンだ」 「そういう物にもお金かかるんだろうなぁ、ま、がんばらねーとな」 「…」 私は景ちゃんを見た。 「景ちゃん…あの…私、結婚とかそういうの…」 「ん?」 「結婚とか…まだ…考えられないから…」 「俺じゃあ不服って事か?」 「不服とかそう言うんじゃなくて…」 景ちゃんが私を抱きしめてくる。 「俺が一生おまえを守ってやるから。今までそうしてきたように」 「…」 「おまえは何も心配しないで俺についてくればいい」 彼が私の頭を撫でる。 それから顔が近付いてきて、キスされる。 軽いキス やがてそれが深いものになっていく。 「け…景ちゃん、待って」 「…なに?」 「私、その…まだ生理終わってないの」 「え?マジで?今回長くね?」 「でも、まだ少し出血しているから」 「そっか、それじゃあ出来ねぇな」 景ちゃんはそう言うと私を解放した。 私は、ほっとする。 嘘、だ。 生理が終わっていないなんて嘘。本当はもう終わっている。 だけど今日は景ちゃんに抱かれたくなくて… 私は息を吐いた。 結婚なんて出来ない。 純白のウェディングドレスなんて、私には相応しくない気がした。 ****** 火曜日の夕方。 透也から貰ったピンクの携帯が鳴った。 「はい」 『どうも』 「うん」 『これからドライブにでも行かない?』 「え?ドライブ?」 『そう、ドライブ』 「だって透也、仕事があるじゃない」 『オフにして貰った』 「え?大丈夫なの?」 『罰金ものだね』 「罰金って…」 『まぁそんなのはどうだっていいんだよ。行くの?行かないの?』 「行きたい」 『イイお返事。じゃあ支度して出てきてよ。僕はもう君の家の前に居るから』 「えっ!」 玄関の扉を開けると、家の前の道路には深いブルーのBMWが停まっていた。 「く、来るなら来るで、家を出る時とかに電話してきてよ」 『気が急(せ)いてしまってね』 「うー、もうっ」 『まぁ、ゆっくり準備してくると良いよ。僕のこの後の時間は君の物なんだし』 ふっと透也が笑う。 「…なるべく急いで準備するから、じゃあね」 『ああ』 私は通話終了ボタンを押す。 透也に逢える。 そう考えたら自然と顔が綻(ほころ)んだ。 私は部屋着から着替えて、髪の毛を梳かし、お化粧をしてそれから家を出た。 「お待たせ」 「…ん、早かったね」 そう言って透也は吸っていた煙草を灰皿に押しつけた。 まだ火を付けたばかりの感じがした。 「煙草、吸っても良いんだよ?」 「君の方に煙が行くからね」 「そんなの気にしないで良いよ、我慢とかして貰いたくないし、それに煙草を 吸う男の人って私嫌いじゃないし」 「ふぅん」 「本当だよ」 「じゃあ、遠慮なく吸わせて貰おうかな?」 透也は煙草を一本取り出すとそれを口に銜えた。 ライターでかちっと火を付ける。 吸い込む時に、彼は少し目を細めた。 あ、瞳…パープルアイじゃない。 「今日もノーカラーのコンタクトなんだね」 私がそう言うと、透也はちらりと私を見た。 「仕事をするわけじゃないからね」 「…」 「どの辺行きたい?僕の気分としては湾岸道路を飛ばして海に行きたいって感 じなんだけど」 「それで良いよ」 「OK、じゃあ行こうか」 透也がギアを入れ替えてアクセルを踏んだ。 透也が隣に居る。 そう感じただけで胸がどきどきした。 香水じゃない、ふわっとした彼の香りがして胸がきゅんとする。 どうしようもない胸の高鳴りを感じてしまう。 とくんとくん 心臓の音がやけに大きく聞こえた。 車が海の見える場所で停められる。 遠くに灯台の明かりが見えた。 他に車の通りも無くて、静かだった。 透也がサイドブレーキを引く。 「静かだね」 「…あぁ」 透也がハンドルの下の方を拳で、とんっと叩いた。 「…君」 「うん?」 「結婚するんだってね?」 「え?」 「大学を卒業したら、彼と結婚するんだってね」 「え??」 透也は煙草を一本取り出し、口に銜えた。火を付けて、息をひとつ吐く。 「月曜日、香穂さんが店に来て、その様に言っていた」 「か、香穂が?」 「男の方はやたら乗り気で披露宴にいくらかかるか気にしていたそうだね?」 「そ…それは景ちゃんが勝手に…」 「君は僕に彼とは将来の約束をしていないと言ったよね?」 「あの時は…そうだったんだけど」 透也が私を斜めに見た。 「何?状況が変わったって事?」 「その…景ちゃんが、ウェディングドレスを売っているブティックの前でショ ーウィンドウを見ながら私にコレを俺の為に着て欲しい…大学卒業して就職し たら一緒になろうって…言ったの」 「それで?君は何て答えたの?」 「結婚なんてまだ考えられないって」 「でも男はその気だ」 「…う…ん…」 透也は息を吐いた。 「…」 「…」 沈黙が車内を包む。 「僕が今日、何故海を選んだか判る?」 「え?う、ううん…」 透也はシートに身を沈め正面に広がる海をじっと見つめた。 「君が誰かのものになるのを見る位なら、このまま、車ごと海に突っ込んでし まおうかと考えている」 「えっ?」 「…」 透也は煙草の煙を吐き出した。 「言っておくけど本気だよ?」 正面を向いたまま透也は目を細めた。 その口元は笑っていない。 「助手席側のロックは運転席側でロックをしているから君は逃げ出せない。完 全に籠の鳥だ」 淡々と彼はそう語る。 このまま…車ごと海に? …透也と一緒に? 透也と… 胸がきゅっとした。 私はシートに身を沈める。 「…透也が一緒だったら、私、それでいいかなぁ…」 透也が私を見る。 「透也と一緒に死ねるなら、私それで良いかも知れない」 「みのり…」 「そうしたら…透也はずっと私のものだもの」 「…」 「透也が私に飽きて、離れていく時の事を考えたら、このまま死んだ方がマシ かも知れない」 私は透也を見た。 「…透也…私と一緒に死んで?」 涙が溢れて零れ落ちた。 透也が私を抱きしめる。 私も彼を抱きしめた。 「透也が居ないの、嫌なの…」 「僕は永遠に君のものだよ」 「透也が私を好きって言ってくれるの信じられないの、私は何の取り柄もなく て、綺麗じゃないし、優れた所なんて何一つ無いのそんな私を愛してくれてい るなんてとても信じられないの」 「優劣なんてどうでも良い。ただ君という存在が僕に君を求めさせるんだよ」 「…透也」 「僕が君を捨てるなんて事は有り得ない、だって、僕は君が居なければ生きて いけないんだから」 「私も透也が居なければ…」 私を抱きしめてくれているこの腕が無くなったら、もう世界なんてどうだって いい。 「私に愛していると言って、嘘じゃない本当だって言って」 「みのりを愛している…それが僕の全てだ」 「透也」 彼の唇が私の唇の上に重なる。 何度も何度も重ね合わせた。 私、透也を愛してる。 それが私の真実。 この人と一緒に居たい。 願わくば、私の生涯が閉じられるその日まで。 「透也と一緒に居る、ずっと」 私は左手の薬指にあった指輪を外した。 「私…景ちゃん…と、別れ…る」 身体が震えた。 景ちゃんが居る安定した世界を私は捨てる。 透也がぎゅうっと私を抱きしめた。 「怖がらなくていい…僕が君を守るから」 「と…や…」 「これから先は、僕が君を守る」 涙が溢れて止まらなかった。 喜びの涙なのか、悲しみの涙か、判らなかったけれど… さようなら 景ちゃんの指輪をぎゅっと握りしめた。 |