■■あなたの居る場所 16■■



言葉だけじゃ全然足りなくて、身体だけじゃ全然足りなくて、
私は溶けて透也と同化してしまいたいと思った。
もう永遠に私が貴方と離れなくて良い様に、
もう永遠に貴方が私から離れていかない様に

私本当に、透也と一緒なら死んでも構わないって思った。
そうして愛が永遠の物になるのなら―――――と。

******

俯き加減でいる私を、景ちゃんが覗き込んできた。
「どうした?なんか元気なくねぇ?」
「…うん」
「具合でも悪いのか?」
「ううん」
私は勇気を振り絞って景ちゃんを見上げた。
「景ちゃん、今日の講義が終わったら…話があるの」
「何?話って」
「…後で…」
「なんだよ。今話せない事か?」
「うん…後のほうが良い」
「変な奴。判ったよ」

大学の講義が終わった後。
私達は近くの喫茶店に入った。
「ちょっと腹減ったな。なんか喰うか?」
景ちゃんがそう聞いてくる。
普段と変わらない優しい声の彼に、私の心が痛んで堪らない。
「何も…アイスティーだけで良い」
「飯は後で喰うって事?」
景ちゃんはメニューを置いて店員さんを呼ぶ。
「アイスティーとアイスコーヒーね」
「かしこまりました」
注文した飲み物はすぐに持ってこられて私達の目の前に置かれる。
私は紅色の紅茶に浮かぶ氷を黙って眺めた。
「んで?話って何?」
景ちゃんはアイスコーヒーにガムシロップを入れてストローでかき混ぜる。
カランという氷とグラスがぶつかり合う音が聞こえた。
私はポケットの中に入れて置いた景ちゃんから貰った金色の指輪をテーブルの
上に置いた。
「…何?」
景ちゃんはその指輪を見、そして私を見た。
「これ…返す」
「何、どういう事?」
「私、もう景ちゃんとは付き合えない」
「え?何言ってんの?おまえ」
「私は景ちゃんとは付き合えない」
私が言葉を繰り返すと、景ちゃんは息をのみこんだ。
一瞬の沈黙。
「な、なんで?」
「…」
「俺が結婚の話をしたからか?そんなにおまえには重荷だったのか?」
「…ごめんなさい」
「ちょ…待ってくれよ、そんな急に…んなこと言われても…俺」
景ちゃんは困った様な表情をした。
「悪かったよ。もう結婚の話はしない。おまえを煽る様な事も言わねぇから、
別れるなんて言わないでくれよ」
「…」
「な?みのり」
「…景ちゃん…」
「…この話はこれで終わり、な?」
景ちゃんは何事も無かった様な顔をしてアイスコーヒーに口を付けた。
できれば景ちゃんを傷つけないで終わりたい。
そう思う私はエゴイストなのだろうか。
彼が傷つく姿を見て、自分の罪の深さを知るのが怖い。
今まで私を愛してくれた人を裏切った罪。
景ちゃんはにっこりと微笑んで、私の指に指輪を戻した。

「今日は出前でも取るか、おまえが好きな寿司とか」
景ちゃんの家。
景ちゃんはそう言いながら出前のメニューを眺めている。
俯いている私を見て、彼は近付いてくる。
「…みのり…愛しているんだ」
彼はそう言って私を抱きしめた。
「今までずっと愛してた。これからだってずっとだ」
「景ちゃん…」
「別れるなんて言うな」
「…景ちゃん、ごめん」
私は景ちゃんの胸をそっと押した。
「みのり」
「私…私ね…」
私は震えそうになる身体を抱きかかえて言葉を繋ぐ。
「私…他に、好きな人…が、居るの」
「え?」
「好きな人が居るの」
「う…そ、冗談だろ?」
「嘘じゃないの」
「好きな奴って…誰?」
「同じ学部の人…」
「…」
「…」
景ちゃんが迷う様な表情をする。
「そいつも、おまえが好き…なのか?」
「う…ん…」
「おまえはそいつに好きだって言ったのか?」
私は頷いた。
「嘘だろ?だっておまえ全然そんな素振り…なかったじゃねぇかよ」
「…」
「普通に、変わりなく、俺に抱かれていたじゃねぇかよ」
景ちゃんは私の肩を掴んだ。
「好きな奴が出来たなんて嘘だろ?…ただ、ちょっと俺が結婚って煩くしちま
ったから鬱陶しくなっちまっただけなんだろ?倦怠期とかじゃねぇのかよ?」
「違うの…本当に、私、好きな人が出来たの」
「俺より…も?」
「…」
「俺よりも好きなのか?ずっとおまえだけを見てきた俺よりもそいつのほうが
好きなのか?」
「景ちゃん、ごめん…ね」
「嫌だ。別れるなんて嫌だ。そんな事は認められねぇよ」
景ちゃんは私をぎゅっと抱きしめた。
「嫌だ…おまえを誰かに渡すなんて」
「景ちゃん…」
「ずっとおまえを守るから。今までそうして来た様にこれからだって」
「…ごめんなさい…許してなんて言えないけど、でも、私は…」
「嫌だ!嫌だ嫌だ!」
景ちゃんはそう言って私を押し倒した。
「け…景ちゃん…」
「誰にも、おまえを渡さない…誰かに渡す位なら…」
「景ちゃん?景ちゃん…やめて」
「…おまえは、俺と結婚して、俺の子供を生むんだよ」
景ちゃんの手が私のスカートの中に入り込んでくる。
「やっ…やめて…」
「おまえは、ずっとずっと俺のものだ!」
「景…ちゃ…やっ…」

見慣れた景ちゃんの部屋の天井が、ぐにゃりと歪んで見えた。

******

「ヒカルー、今日アフターしてよぉ」
客の一人が僕にそう言ってきた。
「ごめんね?また今度にして貰える?」
「何〜先約があるのぉ?」
僕は客の頬に短くキスをした。そして甘い声で囁く。
「また今度…ね?」
「あーん、もうつれないんだからぁ」
と、言いながらも客は上機嫌に微笑んだ。
そろそろ店の営業終了時間だ。
社長が僕の所にマイクを持ってくる。
「ヒカル、ラストソングだ」
その日の売り上げNO.1の人間が、営業終了時間に歌を歌うシステムになっ
ている。僕は彼の手からマイクを受け取った。
「リクエストは?」
「ヒカルーGLAY歌ってぇ!」
「OK」
店内にGLAYのバラードが流れる。

そうして僕の一日が終わっていくのだ。

タクシーに乗り、僕は息を吐いた。
窓の外を見ると、まだ人の流れがある。
フェイクは余所の店に比べて営業の始まり時間が早く、終了時間も早い。
そう、ちょうどフェイクが終わる時間に開店する店のほうがこの世界は圧倒的
に多いのだ。
深夜一時に始まり、客が居なくなるまでエンドレスという店もある様で、大学
に通っている僕には到底勤められないと思う。
それでもフェイクはこの界隈では売り上げを上げている方なので大した物だと
思えた。

…なんだろう…
胸がもやもやとする。
得体の知れない物が僕に何かを警告しているようで、嫌な感じがする。
第六感と言うべき物なのだろうか?
僕がこれを感じる時、大概嫌な予感は的中する。
早く…早く帰らなければいけない。
何かが僕を煽っていた。

マンションに辿り着き、僕は自分の部屋へと向かって歩く。
玄関の扉を開けると、小さな女物の靴があった。
…みのりが来ている…
僕は玄関を上がり硝子の扉を開けた。
明かりは点いているものの、彼女の姿が見えない。
ベッドにも人が寝ている気配は無かった。
「みのり?」
僕は声に出して彼女を呼んだ。
だけど部屋からは返事がない。
彼女は一体何処に?
耳を澄ます。
水の流れる音が聞こえる。
バスルームから??
僕はバスルームへと続く扉を開ける。
シャワーを使う音がした。
「みのり?」
僕は彼女に声をかける。
だけど返事がない。
僕は磨りガラスの扉を叩く。
「みのり?居るの?」
…返事がない。
「…開けるよ?」
僕は扉を開いた。
目に飛び込んできたのは洗い場で倒れている彼女。
「みのり!?」
僕はシャワーから流れる水を止める。
…そう、水を。
彼女はお湯を使わずに水を流していたのだ。冬だと言うのに。
「みのり!みのり!」
僕は彼女を抱きかかえ、彼女の名を呼んだ。
みのりは遠い意識の世界から目を覚ますように瞳を開ける。
「どうしたの?大丈夫か?具合悪いのか?」
朦朧と僕を見つめる彼女。
僕は救急車を呼ぶべきかどうか考えた。
「気持ち悪いのか?」
「とう…や…」
濡れた彼女の頬を涙が伝う。
「そうだよ、僕だよ。判る?」
「…」
彼女の瞳からぼろぼろと涙が零れ落ちる。
「どうしたの?」
みのりは僕の胸に顔を埋めた。
「流したの…一生懸命流したの…でもきっと身体に残ってる…」
彼女の小さな身体が震えていた。
「何を流したの?」
みのりはしゃくり上げる。
「みのり、泣いていたのでは判らないよ?話してご覧」
「…景ちゃんに…」
「…うん?」
「無理矢理、抱かれて…避妊、してくれなかったの…」
「…」
僕は聞き間違いかともう一度彼女に問い返しそうになった。
いや、だけど耳に入った言葉は聞き間違いなどではない。
避妊しなかった。
彼女は確かにそう言った。
流していたというのは、恐らく男の精液で…。
「…あ、赤ちゃん…出来ちゃうよ…」
みのりは身体を震わせて泣いていた。
僕は彼女を抱きしめる。
「大丈夫…大丈夫だよ…」
「だって、景ちゃんはそのつもりで私を…」
「とにかく服を着て…ね?」
僕はバスタオルで彼女をくるんだ。
「透也…」
「大丈夫だから」
「…大丈夫じゃないよぉ…」
「僕がなんとかするから」
「…どう…やって?」
「とにかく服を着て、自分で着られるね?」
みのりは震えながらも頷いた。
僕は濡れたコートを脱ぎながら携帯電話をポケットから取りだした。
かける先は、社長の所。
三回コールして彼は出た。
『よお、透也。今日はお疲れさん。今日も良い売り上げだったぜ』
「…お疲れさまです。ちょっと社長に頼みがあるんですけど」
『んー?おまえさんが頼みだなんて珍しいな。明日は雨か?いや雪だな』
「冗談は置いておいて、この時間に診てくれる産婦人科を紹介して欲しいんで
すよ」
『あぁ?産婦人科?おまえが産婦人科になんの用事だ?』
「…避妊に失敗したんで、ピルを処方して貰いたいんですよ」
『避妊に失敗した?誰が?』
「僕が」
『冗談だろ?ゴム無しでは女を抱かないおまえが』
「ゴムが破れた…と言えば気が済みますか?」
『第一、おまえさっき店を出たところだろ?』
「細かい事はどうだっていいじゃないですか。とにかく、紹介して欲しいんで
すよ。知り合いが居たはずですよね?」
『なんでそんな事知ってんだ?おまえ』
「一度店に来た事があったでしょう?社長の招きで」
『良く覚えてるなぁ』
「僕に接客させたでしょう?」
『そうだったか?』
「…深夜でも急患があるかもしれないから担当医が病院に居るはずですよね?」
『わかったわかった。聞いてみるよ』
「じゃあ折り返して下さい。待ってます」
『はいはい』
僕は通話終了のボタンを押して二つ折りの携帯を閉じた。
戸口にみのりが立っている。
青ざめた顔で。
「大丈夫だから」
僕はもう一度そう言って彼女を抱きしめた。
まだ身体の震えが止まっていない。
寒さからなのか精神的なものからなのか…。
後者だな、と僕は思い息を吐いた。
「君が望まない子供は作らせない」
「…透也…」
「…子供は望んで作るものだ」
そう
望んで、望んで、望まれた子供でなければならない。
要らないと、思う命を誕生させてはならないのだ。
望まれない子供は一生苦しむ。
一生救われない。
僕の様に。

携帯の着信音が鳴る。
社長からだ。
『特別に診てくれるってよ。良かったな』
「ありがとうございます。場所は?…あ、はい…判りました。感謝します」
僕はみのりを連れてタクシーに乗った。

ピルを二種類処方して貰う。
ひとつはアフターモーニングピルと言って避妊に失敗したときに飲むピル。
もうひとつは低用量ピル。経口避妊薬。今後の自衛の為の物だ。

「飲んで」
白い錠剤を二錠彼女に渡す。
みのりは恐る恐るそれを口に含んで飲んだ。
僕は時計を見る。
「12時間後にもう一度飲むからね?」
僕がそう言うとみのりは頷いた。
「この薬が、子供が出来るのを抑制してくれる筈だから」
彼女はまた頷いて涙を零した。
「ごめんね。僕が君に自衛の手段を教えておくべきだった」
結婚を望んでいる男が、避妊をしないと言う事は十分考えられた筈だった。
僕が彼を甘く見ていた。
誰よりも僕が気を付けるべきだったのに。
無防備なみのりを抱かせる事を静観していた僕が悪いのだ。
好きで静観していたわけでは無かったが。
「透也は、何も悪くない」
「…君も悪くないよ。だから自分を責めないでね」
「もう…透也以外に抱かれたくなかったのに…」
震える彼女を僕は抱きしめた。
「これでも…もし…赤ちゃんが出来ちゃったら…」
「…景ちゃんの思う通り、彼と結婚する?」
「そんな事出来ないよ…私、もう景ちゃんには抱かれたくない…誰にも…透也
以外は」
「だったら、もし、万が一にも子供が出来てしまったら、その子は堕ろしてあ
げて」
僕の言葉に、彼女がぴくりと震えた。
「中絶するの…怖いよね?だけど君が子供を望んでいない以上、子供は産むべ
きではないと思う。残酷な事を言う様だけど」
みのりは小さくこくりと頷いた。彼女は一体どんな風に今の僕の言葉を受け取
ったのだろうか?僕が冷酷な男だと、思っただろうか?だけど僕はそう言う風
にしか言えなかった。


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