■■蒼の扉 7■■


僕のこの腕にある彼女の重みに安堵する想いはなんなのだろうか。
彼女を抱きかかえながら僕はそんな事を考えていた。

******

駅から家までの道のりを引き返して、僕とさくらは再び僕の部屋に戻ってきた。
彼女の足の汚れを落とす為にバスルームへと進んだ。
「…少し切れているな…あまり、無茶な真似はしないでくれ」
ボディーソープでさくらの足を洗いながら僕が言うと、彼女は頷いた。
それからぽつりとさくらが言う。
「…今日、お泊まりしたい」
「…」
「帰りたくない」
「…良いよ、泊まっていって」
返事をしながら彼女を見上げると、さくらは笑うでも無しに目元を手で擦った。
僕はシャワーの蛇口をひねり、お湯を出すと彼女の足についている泡を洗い流
す。
「消毒もしなければな」
そう言ってさくらを見ると彼女はまだ目元を擦っている。
―――――泣いているのだと、気が付くのが僕は遅かった。
「さくら」
立ち上がって、伸ばしかけた腕を止めた。
この伸ばした腕を僕は一体どうするつもりで?抱きしめるとでも?
僕は手を握り締めた。
何の権利があって彼女を抱きしめるというのだろうか。
だけど収まりのつかない自身の感情に僕は息をついた。
さくらがこんなにも近くに居るというのに、そして泣いているというのに僕は
何をすべきか探り当てられずにただ黙っている事しか出来なくて。
こんな時でさえ、僕は何も出来なくて。

だけどさくらが泣いているのに僕はただ黙っているのか?

どうして良いのか判らなければ、何もしないで許されるのか?
僕は一度は下ろした手を再び上げてさくらを抱き寄せた。
「俺は何をすればいい?」
そう言う僕を、さくらは大きな瞳で見上げた。
「俺に何か求めているから俺の所へ来たのだと思うのは、考え違いだろうか。
それとも初めにさくらが言った様に他に行く所が無かったからここへ来たのか?
…それならそれでも…構わないのだが」
彼女が瞬きをすると瞳から涙が落ちる。
「本当は…逢いたかった…の」
一言発するのが精一杯だという様子で、さくらはそれだけ言うと僕をぎゅっと
抱きしめた。
「…俺に?」
ウンと言う様に彼女は頭だけを動かした。
「だったら…先程も言ったが、連絡をくれたらすぐに帰ってきたのに」
「逢いたくないって…言われる…って…思っ…」
さくらの声が涙で濡れた。
「…さくら」
心細い思いをしていたのは僕だけではなかったのだと思って良いのだろうか?
抱きしめて頭を撫でた。
「でも、逢いたくて」
「そんなに俺に逢いたかった、のか」
「…」
言葉を返す代わりにさくらは僕を抱く腕を強めた。
さくらが僕に逢いたがっていた。
その彼女の言葉が心の琴線に触れる。
「…さく…ら、さくら」
僕はさくらを浴室の壁に押しつけ、上を向かせて唇を重ねた。
何度も何度も重ね合わせて、それでも足りなくて僕は初めてさくらの口腔内に
自分の舌を押し入れる。
さくらの少しの抵抗も構わずに、僕は彼女の舌に自分のそれを絡め合わせた。
「ん…ぁ、塩…く…」
身体が震える程に熱く高まった。
さくらが欲しい。
気持ちが振り切れてしまいそうになる位に激しい感情が僕を支配する。
おかしくなる。
自分を保てなくなっていく。
それがはっきりと判った。
判っているのに押さえる術(すべ)を見つけられないまま、僕はさくらを抱き
上げた。
ベッドに彼女の身体を沈めると、さくらが少し怯えた瞳で僕を見る。
「俺が、怖いのか」
「…」
さくらは首を振った。
「…さくら…」
僕は強く彼女を抱きしめる。
心の深い場所にあった筈の感情が沸き上がって溢れていきそうで、それが耐え
難く苦しかった。
切なくて苦しい。
「さくら…」
彼女の名を呼ぶ声が震えた。
「…塩瀬君が…欲しい、よ」
さくらが小さく言った。
僕は閉じていた瞳を開けて彼女を見る。
僕だって、君が―――――。
自分の感情が強すぎて痛いと感じる程に僕はさくらを求めていた。
「俺だってさくらが欲しい」
抱きしめ合って互いの存在を重ね合わせた。
指を絡め合わせて僕達は手を繋ぎ、唇で温度を確かめ合った。
何度も、何度も。
深い口付けをすると、さくらが少しの抵抗を見せる。
「…こういうのは…嫌…か?」
僕の言葉に彼女は首を振る。
「気持ち悪いと思うのなら、もう、しない」
「ち、違うよ、ど…うしていいか、判らないだけで…気持ち悪いなんて思わな
い」
僕が抵抗と感じたのは、彼女の戸惑いだったのか。
「…したいようにする…そういうものではないのか?」
そうして僕は再びさくらに口付けて、少し開かれた唇の間から舌を差し入れる。
絡め合わせると今度は応えてきた。
快楽を感じる様な器官では無い筈なのに、身体が熱に浮かされる。
「さくら…ん…」
僕は口付けを続けながら、彼女の柔らかな胸に触れる。
ぴく、とさくらが震えた。
「ん、ぁ…ん」
ゆったりと両手で揉む動作を繰り返す。
女の…さくらの胸は柔らかくて触り心地が良かった。
やがて衣服越しにでも先端部が何処なのか判る様になってくる。
「し…しお…く、ん…」
「…舐めて…欲しい?」
「…っ」
さくらが頬を朱に染めて俯いた。
「言って…望んで、俺にどうされたいのか、どうして欲しいのか」
僕はそう言いながら先端部を指でそっと摘んだ。
「あ…ぅ、ンっ」
さくらが僕の身体の下で震える。
「俺はもう嫌なんだ…俺だけが…求めるのは」
「…塩…瀬、君…?」
「俺に逢いたかったと言ってくれた様に、もっと俺を望んでくれないか」
硬くなっている先端部を指の腹でそっと撫で回す。
「あんっ…」
「それとも…舐めて欲しいのは、もっと別の場所?」
服の上から唇で先端部をそっと挟み込みながら僕は手を下に持っていく。
指を滑らせてスカートの中に忍ばせる。
さくらの太股に手を置いた。
「あっ…や…」
もう少し指を進めると、指先に下着の生地の感触が伝わってきた。
唇をきゅっと結んで彼女の先端部に刺激を与える。
「っ…」
「どうされたいの…」
「し、塩瀬君の好きな様に…」
「それでは嫌なのだと、先程言ったよね」
「でも…だって…」
僕はさくらが着ているコットンのキャミソールを胸の上までたくし上げ、背中
に手を回して下着のホックを外した。肩ひもの付いていないそれは易々と彼女
の身体から落ちた。
白い肌の膨らみの上にある淡い色の実は先程からの刺激で硬く張り詰めている。
女の胸を生で見るのはさくらが初めてだが、彼女の胸の形は綺麗だと思えた。
「…さくらの胸は、良いね…形も…大きさも」
僕の言葉に、彼女はぎゅっと目を瞑って涙を流した。
「誉めている、何故泣くのか?」
「恥ずかしいよ…もう…やめて…」
「やめる?そうか…」
僕はそう言うとたくし上げていた彼女のキャミソールを元に戻した。
さくらが瞬きをして僕を見つめてくる。
「…望み通り、今日は…もうしない」
彼女の耳元でそっと言葉を落とした。
「え…?」
「さくらがやめろと、望んだ」
「違…私…」
さくらは身体を起こして僕をじっと見つめた。小さく身体を震わせながら。
「ど…して…今までと違う様な事言うの?」
「何?」
彼女は小さな薄紅色の唇をきゅっと噛みしめて何かを考える様な表情をしてか
ら、意を決した様に僕のベルトを外しにかかってくる。
「さくら?」
少しもたつきながらもベルトを外した彼女は僕のズボンの前をくつろがせ、僕
のそれに触れてくる。
思わず息を飲んだ。
トランクスのボタンを外しそれを引き出すとさくらは頭を下げる。
「さ、さくら」
彼女の唇が僕を包む。
予想もしていなかった快感に息を漏らしてしまう。
濡れた柔らかい感触が上下に擦れる。
一気に身体が膨らみ硬くなった。
ちゅ…と、音を立てながらさくらが唇を離す。
それから僕を見上げてきた。
「…し…てないよね?」
「え?」
「誰とも、してないよね?」
縋るような瞳で僕を見るさくらの問い掛けてきている事に見当がつかない。
黙っている僕にさくらは瞳を潤ませて俯いた。
「きょ…う、本当は誰と一緒だったの?」
「何?」
「私と、逢っていない間…他の人と…」
「…」
さくらが急に、わっと泣き始めた。
「さくら?」
「ふ…ぇ…うぅ…」
「何だ?何を言っているんだ?」
さくらが声を上げて泣く。
「今日は、姉と一緒だったと言っただろう?」
「お姉さんに逢うのにそんな格好するわけないもん!」
またさくらはスーツの事を言ってくる。
「塩瀬君、他の人が出来たんでしょう?だから、私を抱いてくれなくなって…
連絡も…」
「抱いてくれないって…」
僕が彼女を初めてこの部屋に呼んだ時の事を言っているのか?
「俺は抱きたくなくておまえを抱かなかったのではない」
「抱けなくなったから抱かなかったの?約束、破ったから」
「何を言っているんだ」
「しなくなったら私達の関係って何にも意味が無いじゃない!」
「…そんな風に、言うのかおまえは」
「だって、私の事どうとも思っていないって言ったじゃない」
「な、何?」
「どうとも思わないって言ったすぐ後に私を抱いたじゃない身体目的以外で何
かあるなんてどうして思えるの!私がっ」
僕がした紛れもない事実を彼女に告げられて、僕は二の句が告げられなかった。
「だけど私は…私は、ずっと前から…」
「…さくら」
彼女は顔を上げて僕を見つめた。
「もう、約束なんてどうだっていいから…何番目でも、遊びでも構わないから
お願いだから…やめようって言わないで」
「さくら、俺は…」
「いや、やだぁっ離れたくないよっ」
「…聞いて」
僕は彼女を引き寄せて抱きしめる。
「すまなかった、俺の軽率な行為が、おまえを傷つけて…」
「いや、聞きたくない」
さくらは僕を見上げた。
「なんでもするから、塩瀬君の言う事聞くから、お願い傍に置いて」
「さくら」
「…う…っう…」
僕は彼女を抱きしめて息を吐く。

ああ、そうだ。
僕は確かに彼女に訊かれ、答えた。

『塩瀬君は、私の事、どう思う?』
『どうとも思わない』

何も考えず即答した。
考えるも何も事実、あの時の僕はさくらの事をどうだとも思っていなかった。
良くも悪くも思っていなかった。

悪く思っていなかったから抱いたと言うのは都合の良い言い訳にしかならない
が。
「すまない、本当に酷い事をした」
さくらは何度も首を振る。
「塩瀬君は何も悪い事ない」
「…」
「私は塩瀬君が私の事を何とも思っていないって知ってて抱かれたんだもの」
「さくら…」
「だから、その事で塩瀬君が…何か思う必要は無いの」
彼女は本当に優しい。
優しい彼女を傷つけていた事が痛かった。
僕は彼女を強く抱きしめた。
「さくら…俺は、おまえを大事に思っている…」
「…」
さくらが僕を見上げる。
唇に、小さく唇を触れ合わせた。
「大事に思っている、あの時と同じ気持ちのままではないよ」
「塩瀬…君…」
「俺はさくらを裏切る様な事はしていないし、この先もしない…だから」
彼女の頬に両手を置いて、僕は彼女の瞳に僕の姿を映させた。
「だから、傍に居てくれないか」
さくらのつぶらな瞳が滲む。
大きく何度も息をついた。
「傍に居てよ…さくら…」
「…う…ん、ウン」
涙を零してさくらは僕の胸に顔を埋めた。
「本当に…ご免…俺は足りない物が多すぎて、おまえを泣かせてばかりいる」
さくらは首を振ってもう一度僕を見上げた。
震える唇が、小さく動く。
僕は彼女に口付けてから言った。
「…もう一度、言って」
瞬きをしてからさくらはもう一度言った。
「…すき…」
彼女の言葉を聞いて、僕は自分の心から溢れ出ている感情の正体を知った。
さくらを想う僕の気持ち。
人を思う切なく痛い感情。
だけどそれは温かくて。
僕は、初めて他人を好きだと思う感情を知った。
「俺もさくらが好きだ」
それは相手を求める言葉であり、相手から求められる言葉だった。
好きだと僕は何度も繰り返した。

さくら。
柔らかな温かさを僕に与えてくれる君に、僕も想いを伝え、返したい。

彼女は小さく身じろぎをした。

「…まだ、痛い?苦痛か?」
繋がり合わせたふたつの身体をベッドに沈ませる。
彼女は僕の問いに首を振った。
「そう…か」
僕はさくらの瞳から零れる涙の雫を指で拭う。
「…俺は本当に、どうしようもない人間だな」
さくらは再び首を振る。
求められたいという感情の正体をもっと早くに気が付くべきだった。
「動くよ…」
ゆっくりと腰を動かすと、さくらは小さく仰け反った。
まだ痛みがあるのだろうか。
「痛いか」
僕が聞くと首を振る。
「我慢しなくて…構わないから」
また彼女は首を振った。
「…」
静かに退いて、ゆっくりとまた身体を進める。
「ふ…ぅ…んっ…」
小さく声を上げて、さくらは苦しげに顔を背けた。
「…すまない…」
彼女の耳元に唇を寄せると、さくらはまた首を振る。
内部が動いてじわりと僕を締め付けてきた。
僕は堪らずに腰を揺らした。
与えられる快感をもっと大きな物にしたくて。
「ああ…さくら…」
「ん…ん…」
大きく揺らすと彼女は手で顔を隠す様にした。
「痛いか…我慢、出来ない?」
さくらは潤んだ瞳で僕を見ると、やっぱり首を振る。
「痛いのなら…」
僕は最奧に身体を沈める。
「あああっ」
さくらがシーツを掴んで身体を反らした。
「…すまない…止めるか」
身体を動かす度に感情と欲望が高まってしまってどうにも動きを制御出来そう
に無かった。
「ちが…痛く…ない…と、思う」
「本当に?」
揺らすとさくらは声を上げる。
「ああんっ…」
その声が…何故だか甘く僕には聞こえて。
「っ…さくらっ」
堪えきれない欲望に、僕は激しく腰を使う。
さくらの内部が僕を包んで擦れ合う刺激に身体が痺れる。
「…はっ…あっ…ああ…さくら、好き、だ…」
甘い刺激が感情に絡みついてくる。
沸き上がる快感に引き上げられる様に気持ちも高まっていく。
「ん…んっ…あ…ああっ…」
「さくら…さくら…」
「んぅっ…塩瀬…く、ん…好き…」
「―――――っ」
僕はさくらの小さな身体をぎゅっと抱きしめる。
僕の中の感情が一色に染まっていく。
さくらを好きだという想いだけに染め上げられる。
強い想いに身体が燃える様に熱かった。
快感を与えてくる一部分が身体全部を支配する。
「ん…あっ…ああ…」
さくらが震え内壁が僕を圧迫してきた。
僕は内部をもっと感じたくなり身体を奧へ奧へと進める。
「ああ…ああっ…や…ぁ…あああんっ」
最奧で、僕は身体を小刻みに揺らす。
さくらの奧は気持ちが良くて堪らなかった。
彼女の腰を抱いて何度も何度も突き上げる。
深い快感に僕はそれを追わずにはいられない。
「あ…ふぅ…う…んっ…」
さくらがひくりとする。
そうするとまた一層内部が狭くなり僕を締め上げた。
「っ…ク…」
さくらを見ると頬を朱に染めて苦しそうに眉根を寄せている。
「…さくら…ごめ…」
言いかける僕に彼女は首を振る。
潤んだ瞳が何か訴えかける様に僕を見た。
「さくら?」
唇を少しだけ動かして、困った様な表情を彼女はする。
「…何?」
見上げてくる瞳がなんだか艶めかしくて僕は息を吐いた。
さくらが辛そうな表情をすると、内部がきつく僕を締める。
僕はまた堪えきれずに腰を揺らした。
「ああ…ん…ああ…塩瀬君…私…私…あっ…ああ」
「何?何だ?」
身体を揺らし続けながら僕は彼女を覗き込む。
「身体…熱…くて…おかしく…な…ちゃ…」
僕は瞬きをして息を飲む。
「……感じて…いるのか?」
さくらは口元を手で隠しながら、こくこくと頷く。
「俺の身体で…良くなってるのか」
僕がそう言うとさくらが一層瞳を潤ます。
「そ…いう事…言ったら…や…」
「すまない…悪気は、無い」
僕の身体が、僕が感じている様に彼女にも快楽を与えられているのかと思った
らとても嬉しくて、同じ物を共有しているのかと考えたら堪らない気持ちにな
った。
「さくら…感じて…俺を、もっともっと…」
彼女の柔らかな内壁と、僕の硬くなっているもの同士が何度も擦れ合いそこか
ら快感を生まれさせる。
さくらが気持ち良いと感じてくれている事が、僕は本当に嬉しかった。
「さくら、俺は…俺なりの方法でしか…出来ないけれども…」
一度深く口付けてから言葉を繋いだ。
「…おまえを…大事にするよ」
「…塩瀬君…」
「さくらが、俺の傍で…幸せと感じる事が出来る様になればいいと…思う」
落ちる涙を拭いながらさくらは微笑んだ。
「私は今までも、楽しかったし嬉しかったし、幸せだったよ」
「…さくら」
「色んな事、塩瀬君が私に話してくれるの、嬉しかった」
僕は彼女を抱きしめた。
「…苦しい思いをさせて…本当にすまなかった」
「嬉しい事の方が…多かったよ…ただ見ていただけの時よりも」
「…おまえは…とても優しくて、綺麗な人間だな」
自分でも変な言い方だなとは思った。
だけど彼女をどう形容していいか判らず、上手く言い表すことが出来なかった。

僕が好きなあの青い海の様に
太陽の光を反射させてきらきらと輝く海原の様に、彼女は美しくてそして透き
通った心をその身体に抱きしめていると思った。

「さくら…」
「っ…うぅ…ン」

もっと、僕は、さくらの心の声を聞き取れる人間になりたいと思った。
もっと彼女に敏感に。

僕の身体の下で彼女は小さな悲鳴を上げる。
放出される熱に僕はその身を預け欲望の全てを吐き出した。

「さくら…」

他人の存在が愛しいと、僕は初めて感じていた―――――。

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