■■コイノトチュウ  2.君からのキス■■


「いつも待っててもらって悪いなぁ」
暁大学付属高校の制服である、白い学ランの中に着ているTシャツの
首の部分をぱたぱたとひっぱって仰ぎながらヒロ先輩が言った。
「ううん、大丈夫です。私、待つの平気だし、
ヒロ先輩がサッカーをやっているところを見ているのも面白いですし」
「そう?いやぁ、そう言って貰えると嬉しいな」
「うん!先輩格好いい」
「うわ…嬉しすぎ」
ヒロ先輩は感激したような顔をしている。
…まぁ、ヒロ先輩が格好いいっていうのも嘘じゃないんだけど、
サッカー部の、特にレギュラー陣は、いい男揃いで良い目の保養になるのだ。
なーんて言ったらヒロ先輩、拗ねちゃうかな。
ま、そのお陰で友人達が放課後、
サッカー部見学に付き合ってくれているのだけれど。
あの人が格好いいこの人が格好いいで盛り上がるので退屈はしない。
今、一番人気なのは、三年生の堀川和也(ほりかわ かずや)先輩。
三年生というのは二年生とはまた違った大人な雰囲気を醸し出しているもので、
その大人〜な雰囲気にメロメロになっている。
…あ、友達が…だけど。
あくまでも友達が…ね。
「ね?真雪ちゃん。駅前の”ちゃあしゅう屋”でラーメン喰っていかねぇ?
待ってて貰ったお礼がてらおごるよ」
「わ!ラーメン大好き!」
「ほんと?良かった。ちゃあしゅう屋のラーメンはめちゃめちゃうまいんだぜぇ」
「そうなんだ。楽しみ」
駅前にあるちゃあしゅう屋、実はずっと気になっていたのだ。
いつも暁の男子学生でひしめいていて、よほど安いのか、よほど美味しいのか
どちらかなのだろうとは思っていたのだ。
でも、店内から漂うスープの良い香りを嗅いで、美味しい方なんだろうなぁと
思っていた。
「サッカー部の連中はいっつも部の帰りに食べて帰るんだぜ」
「うん…男子生徒でごったがえしているよね」
…おかげで女子は入りにくいのだが。

ちゃあしゅう屋の店内に入ると、案の定サッカー部の人たちが居た。
堀川先輩も居る。
一年生と思われる部員達がヒロ先輩に挨拶をした。
ヒロ先輩は一年には手をあげて挨拶に応え、三年には頭を下げて挨拶をしている。
”真ん中”の学年というのは大変なのかもしれない…。
「和也先輩、ちわっす」
ヒロ先輩は私をひっぱって、堀川先輩の隣に立った。
「あぁ、その子がヒロが言ってた彼女か」
堀川先輩は薄く微笑むとそう言った。
ヒロ先輩は、きゅっと私の手を強めに握って嬉しそうに微笑んだ。
「はい。俺の彼女です。一年の川瀬真雪ちゃん」
「おっ、ヒロの彼女かぁ」
堀川先輩の隣に座っていた別の先輩が、私をじろじろと見るので、
私は恥ずかしい気持ちになった。
その先輩だけじゃなくて、店内中のサッカー部員の注目の的になっていた。
「そういや、ヒロに彼女を紹介されるのってこれが初めてだな」
「一年の時は部活でいっぱいいっぱいでしたから」
「二年になって、レギュラーになって、少しは落ち着いたって事か?」
堀川先輩の静かな声が響く。
この人、こんな声をしていたんだ。
耳に心地よい低音で、なんだか軽い痺れを感じる…
「まぁ、そうなんですかね」
照れたように笑うヒロ先輩を尻目に、堀川先輩は私を見た。
切れ長の瞳が綺麗な人だ。遠目で見るよりもどきどきさせられてしまう。
「良い奴だから、…ヒロをよろしくな」
自分に向けられた言葉に対して、私は頷いた。
「隣、良いですか?」
ヒロ先輩が堀川先輩にそう言うと、彼は静かに頷いて、席に座るように促す。
「真雪ちゃん、何にする?おすすめはチャーシュー麺だけど」
「えっと…じゃあ、それにしようかな」
「おじさんチャーシュー二つね」
「はいよ」

「…じゃあ、俺らは先に行くから」
「あ、和也先輩お疲れさまです」
「うん、じゃあ、ごゆっくり」
”ごゆっくり”の言葉の所で堀川先輩は私を見て微笑んだ。
うわ…魅惑的な微笑みだ
店内から堀川先輩が居なくなるのを見届けてから、ヒロ先輩は私を見た。
「今の人、三年の堀川和也先輩」
「うん。知ってます」
「あ、知ってるんだ?先輩有名人だなぁ」
ヒロ先輩は妙に感心したようにして言う。
そういうヒロ先輩だって結構一年で知られてるよ?
「俺の憧れの先輩なんだ。プレイとか落ち着いてるし、
あんな風になりてぇなって思う」
「ふぅん…そうなんですね」
でも、堀川先輩とヒロ先輩じゃ、キャラが随分と違うような気が…
なんて口に出すと失礼な気がしたので私は心の中で思うだけにした。
「格好良いですもんね」
私がそう言うと、ヒロ先輩は複雑そうな表情をして私を見る。
「え?」
「…真雪ちゃんが、和也先輩を誉めてくれるのって嬉しいけど…なんだかなぁ」
「あー…えっと…」
「…うっそ、わり…狭いこと言ったな、俺」
「…」
ヒロ先輩は肘をついて私の方をじぃっと見ている。
「ヒロ…先輩?」
「…真雪ちゃんってさぁ…」
「は…はい?」

「チャーシュー麺二つおまちどおさま」
どんっと二つ、チャーシュー麺が私達の前に置かれる。
「あ、きたきた。喰うか」
「う、うん…」
えっと…ヒロ先輩、何を言いかけたんだろう。

それからヒロ先輩はずっと黙ったきりで、
私はちょっと困ってしまった。

「ラーメン、ごちそうさまです」
「うん」
電車に乗ってからも、ヒロ先輩は黙っている。
手は握っていてくれているから、怒っているとかではなさそうなんだけど…
「ヒロ先輩…」
「うん?」
「いつもみたいに何か喋って下さい。黙ってられると、私…困ります」
「あ、ごめん…和也先輩みたく、寡黙な男を演じてたつもりだったんだけど」
「え、なんですかそれ」
「だって、真雪ちゃん、和也先輩みたいなタイプ好きそうだからさぁ」
確かに、堀川先輩みたいなタイプ、
嫌いじゃないしどちらかというと好きかも知れないけど…
ヒロ先輩がじろりと私を見る。
「否定しないしぃ」
「あっ…や…私…その」
私が慌てた素振りを見せると、ヒロ先輩は不機嫌そうな表情をして見せた。
「やだなぁ…ったく」
ヒロ先輩が、ふぅ、と大きく溜息をつく。
「…そうそう、俺が一年のときに好きだった子も和也先輩のこと、
好きだったんだよなぁ」
「私、”好きだ”なんて言ってませんけど…」
「でも好きなタイプなんでしょ?」
「うー…好みかと聞かれると、そうかもって感じなんですけど…」
「ふーん、あっそお」
ヒロ先輩の口がへの字に曲がる。
そんな表情も、彼がすると何故か愛らしい
…なんて考えている場合じゃないんだけど
「お、怒らないで下さいよぉ」
「別に、怒ってないし」
「嘘だぁ」
「俺が怒ってるって思うのは、真雪ちゃんが俺を怒らせるようなことを言った
と思っているからだよね?」
「えっ?…だ、だって明らかに怒ってる顔してるし」
「俺は、怒ってない」
「嘘だもん…」
「ほい、次、真雪ちゃんの降りる駅だね、じゃあねぇばいばーい」
「…先輩」
「ばいばい」
「……う…あの」
「…」
「ごめん…なさい?」
「真雪ちゃん、なにか謝らなくちゃいけないようなことを俺にしたわけ?」
「う…うーん…どうかな」
「じゃあ別に謝らなくてもいいじゃん」
「でも…だって、先輩、怒ってるし」
「だからとりあえず謝っとけばいいやって?」
「…う」
「そんな形だけ謝られてもねぇ、それじゃあ許すも許さないもないってかんじ」
「私、喧嘩…とか、やだし」
「喧嘩なんてしてないんじゃん?」
「じゃあ、怒るの止めて下さい」
「…」
電車のスピードがゆっくりになって、やがてその動きが止まる
アナウンスが私の降りる駅名を告げた。
「…じゃあね」
「…」
私はヒロ先輩の腕を掴んで、私と一緒に下車させた。
ヒロ先輩は驚いたような顔をしている。
「なにするのさ」
「だって、あのまま別れるの、やだったんだもん」
「…」
ヒロ先輩は小さく息をつくと、スポーツバックを肩にかけ直した。
「許してあげてもいいけど」
「ほんとう?」
なんとなく、私が許しを乞う立場じゃないような
気がしないでもなかったのだけど、
彼のその言葉に藁にもすがる思いだった。
だって、喧嘩とか、そういうの気分悪い。
だけど、彼の口から出た交換条件は私を驚かせるものだった。
「え?」
「キスしてくれたら、許してあげても良いよ」
「ぇえ?」
彼は人差し指を頬に当てている。
頬にキスをせよという意味なのだろう。
手を繋ぐのにも了承を得るような人で、
断ったらそれを諦めてしまうような人が、キスをしろと言うか?
私はカチカチに固まってヒロ先輩の事を見上げた。
目が合うと、彼はその人なつっこい大きな瞳を細めて笑った。
「どう?」
「ど…ど、どうって…いや、その…」
「ちゅってするだけじゃん」
「それは、言葉で言うのは簡単ですけど」
「してよ」
「え…えー…」
「なんでまごまごするのかなぁ、したくないわけ?」
「したいとかしたくないとかじゃないくて、時とか場所とかそう言う問題で…」
「ばかだなぁ」
ヒロ先輩は口をへの字に曲げる。
ば…ばかって…
「こういう場所だからいいんじゃん。
下手にふたりっきりで静かなところでとかだったら、
俺、真雪ちゃんになにすっかわかんないぜぇ?」
「なっ…なにって」
「言わせたいの?」
「結構です!」
驚きの連続。
私、ヒロ先輩の事、甘く見ていたかも知れない。
ぽわんとしてて可愛くて犬っころみたいな人だと思っていたのに。
「するの?しないの?」
「…だって、こんなところじゃ、恥ずかしいし…」
電車が到着してからだいぶ時間が経過したので人の流れは少なくなっているが
次の電車を待っている人とかがぽつぽつといるわけで…
「じゃあ、もうちょっと端にでも移動する?」
彼はそう言って視線の先をホームの端に向けた。
あそこなら、ここよりは目立たないかもしれないけど…
「おいで」
ヒロ先輩は私の返事を待たずに歩き出すので私は慌てて彼の後を追った。
ホームの端に辿り着き、先輩はくるっと振り返って私を見る。
「はい、どうぞ」
屈んで私の顔の近くに顔をもってくる。
なんだか内緒話でもするみたいな格好だった。
…ためらっちゃ駄目だ。こういうのは勢いだ。
私は身体を近付けて、ヒロ先輩の頬にちゅっと短くキスをする。
「し…したよ。これで、いいですか?」
「ふむ…まぁいっか」
ヒロ先輩は私がキスしたところに手を置いてそう応えた。
「真雪ちゃんっていい香りがする」
彼はそう言って、ほわっと微笑んだ。
「手、繋ごう。しばらくそうしていたい」
「う、うん…」
差し出された手を私は素直を掴んだ。
だけど、私はキスをした恥ずかしさで俯いた。
そりゃあ、たかだか頬にキスだけど、私にとっては初めての体験だったわけで、
胸が異常にどきどきとした。
酸素が足りない
息苦しい。

そんなこんなで混乱していた私だけど、大事なことを聞き流していた。

『…そうそう、俺が一年のときに好きだった子も和也先輩のこと、
好きだったんだよなぁ』

ヒロ先輩が好きだった人って…?

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