■■コイノトチュウ  4.ヤキモチ■■


朝の通勤通学ラッシュ。電車の中はすし詰め状態だった。
酸素が薄くて嫌になる。
暁大学付属高校の最寄り駅がアナウンスされて扉が開かれる。
私は人の流れにそって歩いた。
今日も一日が始まる。

「真雪ちゃん?」
誰かが私を呼ぶ声がしたので振り返ると、そこには和也先輩が居た。
「あ、和也先輩。おはようございます」
「うん、おはよう。似たような後ろ姿だと思っていたけど
…同じ電車だったんだね」
「奇遇ですねぇ」
「俺は毎朝この時間の電車だけどね」
「そうなんですか?私はいつもより一本早いかな?」
「ふぅん」
和也先輩が前髪をかき上げる。
でも癖のない髪なのですぐにさらりと落ちてくる。
その様子がなんとも言えずセクシーな感じだった。
二学年違うとこんなにも大人っぽくなるものなのだろうか。
それとも和也先輩が特別なのかな?
私は友達同士の間でよく話題になっていることを彼に聞いてみることにした。
「和也先輩って彼女とかいらっしゃるんですか?」
「今はいないよ」
「えーそうなんですか?いそうなのに」
「そう?」
「そうですよ」
「ま…いまのところ、サッカーで忙しいかな…なんてね」
「部活ってそんなに忙しいんですか?」
「冗談だよ。そんなに忙しいわけじゃない。
ただ今は好きな子がいないってだけ」
「ああ…なるほど」
「ヒロとは上手くいってるの?」
和也先輩の言葉にどきりとした。
上手くいってるもなにも…ついこの間キスしちゃった仲なわけで…
しかも頬とかじゃなく、口だったりするわけで…
「は、はい、おかげさまで順風満帆です」
「そう。それは良かったね」
和也先輩は薄い唇の端を少しだけあげて微笑んだ。
「サッカー部のほうでは、ヒロ先輩ってどうなんですか?
レギュラー争いとか、大変なんですよね、やっぱり…」
「うん、まぁね。でもあいつはムードメーカー的存在だから貴重だよ
技術的にも優れているし、怪我とかしない限り、
レギュラーから外されることは、ないんじゃないかな?」
「そうなんですか」
「真雪ちゃんと付き合い始めてからいっそう練習も
頑張っているって感じだな。いつも真雪ちゃんが見ているからかな?
わかりやすいよなあいつって。誉めて伸びるタイプだから、ヒロのこと、
沢山誉めてやってくれないかな」
「あ、はい。判りました。私なんかでよかったら」
「真雪ちゃんだから、効き目があるんだよ」
「そうですか?」
「ああ、そうだよ」
「でも誉めるって言っても、私サッカーのこと
あんまり詳しくないですし…」
「格好いいとか言っておいてくれればいいんだよ」
「そういうのでいいんですか?」
「ああ」
「判りました。和也先輩もそういう風に彼女に言われたりすると
がんばっちゃうタイプですか?」
「うーん、俺はどうかな。まぁ、言われないよりは言われた方が
いいって程度かな」
「へぇ」
私は、ヒロ先輩と和也先輩は仲が良いんだろうなぁと思った。
結構いろんなこと話合っているみたいだし。
…と、いうことは、ヒロ先輩の昔好きだった人の事も、
知っていたりするのかな?
「ヒロ先輩って一年の時、同級生の人のことが好きだったんですよねぇ」
「ああ、今西さんね」
あ、やっぱり知ってた。
「どんな感じの人なんですか?今西さんって」
「どんなって…」
和也先輩は少し考えるような表情をしてから答えてくる。
「ヒロから聞いてないなら、俺の口からは言えないよ」
…うー、残念
「でも、真雪ちゃんのほうが可愛いかな」
「うわ、ありがとうございます」
そんなこと言われると照れちゃうんですけど…
「ふわふわにウェーブされた髪が綺麗だよね。パーマ?」
「いえ、天然です」
「へぇ、天然なんだ。綺麗に手入れされているから
てっきりパーマだと思っていたよ」
「天然なの気にしてるから誉められると嬉しいです」
「…本当に綺麗だね。触ってみてもいいかな」
「あ、どうぞ、こんな髪でよければ」
和也先輩の長い指先が髪の毛先をくるんと巻き込んだ。
毎日トリートメントしておいて良かった。
「柔らかくて触り心地がいいね」
「そうですか?」
「ああ。とっても」
「私、和也先輩みたいにさらさらのストレートヘアに憧れているんですよ
縮毛矯正っていうのをやってみたいと思っているんです」
「えー、勿体ないよ。こんなに綺麗なウェーブなのに」
「やですよ、あんまり誉めないで下さい。
嬉しくなっちゃうじゃないですか」
「誉めるって言うか…本当にそう思うから言っているんだけど」
髪の毛を誉められる事ってあまりないから私は凄く嬉しい気分になった。
「あ、それじゃあ、俺はここで」
「はい、それじゃあ失礼します」
私達は昇降口の所で別れた。
…ヒロ先輩の好きだった人って、今西さんって言うんだ。
私は見てみたいという好奇心に駆られた。
いったいどんなひとなんだろう?


昼休みを半分過ぎた頃、私はメールでヒロ先輩に呼び出された。
”これから会える?”って珍しい…今日は昼サッカーしないのかな?
私は指定された屋上へと向かった。
そういえば入学してから初めて屋上に行くかもしれない。
重い鉄製の扉をぎぃっと開けると、ヒロ先輩が既に待っていた。
「あ、ヒロ先輩こんにちは」
お昼に先輩に会える嬉しさから私がにこにこしながら彼に近付くと、
ヒロ先輩は気むずかしそうな表情をして私を見た。
「あの…なにか用事…だったりします?」
私がそう尋ねると、ヒロ先輩は、はぁと溜息をついた。
「あのね、俺、あんまりあれこれ言いたくはないんだけどね」
「はぁ…」
「真雪って、無防備なのか、なに考えてるのか、
俺には理解できねぇんだけど」
「なんのことですか?」
「そのうえ、俺に呼び出されてる理由に見当もついていないみたいだし」
「…うん…会いたいから…じゃ、ない…みたいですね?」
ヒロ先輩はもう一度、はぁと溜息をついた。
この人ってこんなに溜息をつく人だったかな…
「もう、なんでそうなの?君ってば」
先輩は金網に寄りかかって横を向いた。
どうやら怒っているみたい。
今日初めて会う人がなんで私に対してこんなに怒っているのか、
私には皆目見当もつかなかった。
「和也先輩と仲良くするななんて言わないよ。
だけど限度ってもんがあるんじゃねぇの?」
和也先輩と仲良く??
私がいつ和也先輩と仲良くしたのかわからない。
「…朝、一緒に登校したみてぇだけど?」
「あ、はい。同じ電車だったから」
「それは、まぁいいとしてもだ。なんで髪の毛を触らせたりする?」
「あぁ、髪ですか。それは誉めてくれたし、
和也先輩が触ってもいい?っていうから」
「だからといって触らせることないだろ?」
「え?でもだって…髪ですし、別に」
…と私が言葉を発した瞬間、ヒロ先輩は明らかに苛ついた表情をする。
「髪だって、君の一部なんじゃねぇの?」
「…あ、は…はい」
「そういうこと、させちゃうってのはさぁ…」
言いかけて先輩は唇を噛む。
瞳を伏せて言いたくないような仕種を見せた。
「相手が、和也先輩だからじゃねぇの?」
「えっ、ち、違いますよ」
「じゃあ、他の誰でも触らせて平気なんだ?真雪は」
誰でもいいのかって言われるとなんだか凄く嫌な気になる。
あのときは、和也先輩が私を誉めてくれて、上手に誘導してくれたから
触られてもいいかなっていう気持ちになったのだ。
”誰でも”っていうのにはやはり語弊がある気がする。
「それも、違います」
「ったく…なんでそういうこと、するのかなぁ
俺が和也先輩から、真雪の髪って柔らかくて触り心地が良いよね
なんて話を聞いたら、どういう気持ちになるかとか、考えねぇわけ?
それとも、俺がなんとも思わないとでも思っちゃってるわけ?」
「…ごめんなさい…私、そこまで考えてなかったです」
「…つまんねぇこと言う奴だなって思ってるだろ?
だったら、つまんねぇこと…言わすなよな」
「つまんないとか、思わない…本当に、ごめんなさい」
「真雪」
「は、はい」
「……いいや、もう」
ヒロ先輩はそう言うと、ぷいと横を向いて私の横をすり抜けて行く。
私はなんだか置いて行かれる様な気分になって堪らなくなった。
いいやもうって、私のこと、どうでも良くなっちゃったって事?
「やだ、先輩待って、行かないで」
「もういいって言ってるだろ」
「…ごめんなさい、ごめんなさい」
私は先輩の学ランの裾を掴んで彼を引き留めた。
「もうしません、だから、許して」
「…だから、もういいって、言ってんじゃん…」
ヒロ先輩はそう言って人なつっこい瞳を私に向けた。
「悪い、こんなことで、いちいち呼び出してさ」
「…」
ああ、”もういい”って”もういいよ”っていう意味だったんだ。
私はほっとして思わず涙ぐむ。
「泣くな。泣かせたいわけじゃないよ」
「ごめ…なさい…でも…勝手に出てきちゃう」
「…」
「私、もう許して貰えないのかと…」
「真雪」
ヒロ先輩の唇が私の唇に重なり合う。
「…ん…ふ」
深い口付けをされながら抱きしめられる。
唇が、私の唇の上を辿っていく。
この間の軽く触れるだけのキスとは異なるもの
閉じられた唇の間を、先輩の舌が割って入ろうとする
「せ、せんぱ…」
驚いて退こうとする私の身体を掴まえてヒロ先輩は唇を動かした。
「…唇、開いて…」
低く甘い声が鼓膜を震わせて、私はめまいを覚えた。
「んん…や…」
「嫌とか…言っちゃ駄目…」
「んぅ…ん!」
ヒロ先輩の舌先が私の舌に触れる。
少し触れただけで身体が痺れるようだった。
絡め取られた舌先を、私は抵抗するでも応えるでもなく、
ただヒロ先輩の動きにまかせていた。
ほどなくして先輩は私の舌を解放し、ぎゅうっと強く抱きしめた。
「真雪…君には、俺のことだけ見ていて欲しいんだ…」
「ヒロ先輩…」
私は言葉を返す代わりに、彼のことを抱きしめ返す。
激しいキスの余韻に浸って、私は彼の体温に縋った。
「怒ったりして、ごめん…もっと、大人でいたいのに、
俺って、狭いよな」
「でも…こうやって、お昼に先輩に会えたから」
そうやって私が言うと、ヒロ先輩は私の顔を覗き込んできた。
「俺に会えて、嬉しいと思う?」
「うん」
「俺も、真雪に会えて嬉しいよ」
額に、ちゅっとキスをされる。
くすぐったい気分になる。
「ヒロ先輩が嫌がること、しないように気を付けます」
「…うん」

もう一度、今度はくっつけるだけのキスを唇にした。

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