■■コイノトチュウ  5.逢いたくて■■


凄く美人な女の先生がいる。
美人なのに可愛いっていうか、可愛いのに美人というか、
どうとも形容しがたいのだけれど、とにかく綺麗な人で、
男子生徒には勿論、女子生徒にも人気があった。
先生がつけている香水はたちどころに女子の間で広まって、
どの子も似たような香りを漂わせていた。
「私も香水つけようかなぁ」
私がそういう風に言うと、コロッケパンを食べていたヒロ先輩が、
憮然とした表情をする。
「香水?要らないよ」
ばっさりと一網打尽にされた。
「えー、なんでぇ?」
「真雪の自然な香りが好きだから」
…自然って言うか、それってシャンプーの匂いでしょ?
「でも、ほら、水本先生って知ってます?
あの先生がつけてる香水を友達が少し分けてくれるって言ってるし。
あの香りっていい匂いじゃないですか」
「水本先生がどんな香水をつけてるかなんて知らねぇよ。
ともかく、真雪に香水は必要なし。って言うか駄目」
「どうしてですか?」
「男は匂いに釣られるところがあるから」
「はぁ?」
「真雪に男が寄ってくると困るから、香水は駄目」
「…ありえない」
と、私がぽつっと言うとヒロ先輩に睨まれた。
「俺ね、真雪のそういう無防備なところ、良くないと思う」
「無防備って言うか、先輩が気にしすぎなんだと思うんですけど」
「気にしすぎなんて事ねぇよ。このところ、和也先輩やタカ先輩が
君のことをやたら可愛い可愛いって言うんだぜ」
「…それは、なんていうか、
からかわれているんじゃないかと思うんですけど」
「からかう?なんで」
「ヒロ先輩が過剰に反応するから、面白がられているんですよ
…きっと」
私がそう言うと、ヒロ先輩は難しそうな顔をした。
「そうかな?」
「そうですよ。私が和也先輩のお目にとまるわけないじゃないですか」
「私が〜わけないじゃないですかっていう考え方、改めた方がいいぜ」
「はぁ…」
「だって、真雪は………可愛いし」
わわわ…
言った本人も赤くなって横を向いてしまった。
「ヒロ先輩って、親ばかだと思います。ひいき目にみるのも程がありますよ?」
…親じゃないけど
「違う、違う。なんでわかんねぇのかな」
判んないんじゃなくて、自分のことだからよく判っているというか…

ここのところ、痛烈に思うことがある。
それは、ヒロ先輩ってばすっごいやきもちやきだってこと。
髪の毛の一件から、やたら口うるさくなったような…
多分、私の知らないところで先輩方にからかわれているせいもあるのかも

そうそう、あの一件があってから、私達はお昼休みを一緒に過ごすように
なったのだ。
先輩がそうしたいと言ってきてくれた。

今日は中庭のベンチに腰掛けてお昼をしている。
他のベンチにも同じ様な人がいっぱいだった。
なんだか彼氏がいますーって感じが凄くして、私は嬉しかった。

「真雪ってお弁当自分で作ってんの?」
ヒロ先輩はくりっとした瞳を私のお弁当箱の中にむけて言った。
「あ、はい」
「卵焼き、喰いたい。頂戴」
「いいですよ」
私はお箸で卵焼きをひょいと摘んで、ヒロ先輩に食べさせてあげた。
うーん。彼氏彼女って感じ。
…というか夫婦?
なんてね
「美味い」
「本当ですか?良かった」
「砂糖は入れねぇんだな」
「うちは砂糖は入れないんです。甘い方が好きですか?」
「うーん、まぁどっちでも」
「ヒロ先輩の家は甘い卵焼きなんですか?」
「うん。うちはね」
「ふぅん…」
私はもっと彼氏彼女っぽいことを思いつく。
「お弁当、先輩の分も作ってきましょうか?」
「え?あ…いいよ悪いから」
「一個も二個も変わらないですよ」
「…そう?」
ヒロ先輩がほわっと嬉しそうに笑った。
私、この人のこういう顔好きだな。
「じゃあ、明日から作ってきますね」
「うん、嬉しいなぁ」
ヒロ先輩はずっとご機嫌良さそうに笑っていた。



「真雪、はいこれ」
放課後、私は友人の奈美にアトマイザーを渡される。
「あ…これ…」
「水本先生とお揃いの香水。欲しがってたでしょ?」
「うん、ありがとう。でもヒロ先輩に香水禁止令を出されちゃったんだよなぁ」
「えー、なにそれ?」
「えーっと…先輩、香水嫌いなんだって」
流石に私に男が寄ってくるから反対されたとは言えなかった。
「そう?それってどぎつい香りの香水のイメージがあるからじゃないの?
これだったら大丈夫よ。爽やかなグリーンテイストだから」
そう言って奈美は、ぷしゅっと私の首筋に香水を吹き付ける。
「うひゃっ駄目だったら!」
「いいじゃん!これでヒロ先輩もイチコロだよ」
…イチコロって…
うーん、またヒロ先輩に怒られちゃうかな。
でも良い香り。
「水本先生の今日つけてた口紅、フィッセの新色だよ
CMで井上さやかがつけてたのと一緒」
「へぇそうなんだ」
「私も欲しくなっちゃったなぁ」
奈美は本当に水本先生が好きらしく、彼女をやたらと真似たがる。
でも、本当に綺麗な人だから、真似して少しでもお近づきになれるなら
そうしたい。
さらりと肩で揺れるストレートヘアは私がもっとも憧れるところだ。
羨ましいな、ストレートヘア。
私は自分のくりくりの癖毛を弄った。
「真雪もお化粧したら?今時の女子高生はリップぐらいはつけてないと」
「うーんやっぱりそうかな?でもお小遣いが少ないからなぁ」
「コンビニの化粧品は安いよ?値段安い割に結構いいし」
「そっか、じゃあ見てみる」
「綺麗にしておかないと、ヒロ先輩もてるんだから
誰かにとられちゃうよ」
「…そうだよねぇ」
これは付き合っているひいき目とかでもなんでもなくて、
ヒロ先輩はもてる
一年でも結構先輩のファンの子は多いのだ。
…ということは二年のお姉さま方にもきっと人気があるだろうと推測できる。

せっかく付き合うようになったんだもん
離れていかないようにしないと駄目だよね。
先輩にもっと可愛いって思われたい。
もっと好きになってもらいたい。


『二年A組の今西さん。二年A組の今西さん。生徒会室に来て下さい』

呼び出しの放送がかかる。
今西?
私は聞き覚えのある名前に反応した。
「真雪、どうした?」
「うん…ちょっと…私、生徒会室に行ってくる」
「は?生徒会室?なんで?」
「説明は後で」
私は急いで教室を出た。
生徒会室付近の廊下で待っていれば、今西さんが見られると思ったからだ。
私は生徒会室へと続く渡り廊下の付近で立ち止まった。
間に合ったかな?
それとも、もう行っちゃった?

ぱたぱたぱた

足音が聞こえた。
ふと視線をそちらにやると、二年生のカラーである
つま先から底にかけてのゴムの色が紺の上履きを履いた女子生徒が歩いてきた。
上履きには”今西”と書かれている。
―――――この人が今西さんだ。
私は高鳴る胸を押さえて、怪しまれないように彼女を視界の中に入れた。

あぁ、とっても綺麗な人。
茶色のストレートヘアが腰まで伸びていて、彼女が歩くたびにさらりと揺れる。
大人びた表情、唇は淡い紅色をしている。
快活そうな瞳は真っ直ぐに正面を向いていて、だけれどもこんな場所に
ぼーっと立っている私を少し怪しむように視線を一瞬こちらに向けながら、
今西さんは通り過ぎて行ってしまった。

見ちゃった。
あの人が、きっと、ヒロ先輩が好きだった人だ。
胸がどきどきしている。
A組っていうから…今も同じクラスなんだ。
私は溜息をついた。

なんだ全然私とはタイプが違うじゃない。
多分、ヒロ先輩の好きなタイプって今西さんのような人なんだろうなって
思った。
私は癖のある自分の髪の毛を引っ張って伸ばしてみた。
だけど手を離すと、すぐにくりくりになってしまう。
…ああ、やだ。
本当に、この髪の毛。

ばたばたばた

生徒会室の方から走ってくるような足音が聞こえた。
ぱっと顔を上げると、ユニフォーム姿の和也先輩だった。
目が合うと、先輩は明らかにがっかりしたような顔を見せる。
「…あ、真雪ちゃん…だったのか」
「え?あ…誰だと思ったんですか?」
「いや…その…真雪ちゃんはこんな所で何をしているの?
ここからじゃサッカー部の練習は見えないだろう?」
「和也先輩こそ」
「俺は、今日休んでるキャプテンの代わりに生徒会室に用事があってね」
「じゃあ、これから練習ですね」
「うん、そうだけど」
和也先輩は落ち着きのなさそうな表情をして私を見た。
「ここを誰かが通った?」
「誰かって?」
「…い、いや」
「今西さんは通りましたよ」
「…今西?あぁ、二年の…うん、その子とはさっきすれ違った」
じゃあ誰のことを言っているのだろう?
「あの、その今西さんって、”あの”今西さんですよね?」
私は確認の為に和也先輩に聞いた
「え?”あの”って?」
「ヒロ先輩が好きだった人ですよ」
「あ…あぁ、ヒロね」
和也先輩は心ここにあらずっていう感じで何かおかしかった。
「どうかしましたか?」
「…ううんどうもしないよ。じゃあ、俺は部活に行くから」
…う、返事して貰えてないんですけど
和也先輩は私の前を一旦通り過ぎて、それから振り返った。
「…なんだ、君だったのか」
「はい?」
「いや、その…良い香りがしたから」
「あ、わかります?友達に香水をつけて貰ったんです」
「そう…」
「良い香りですよね…これって、水本先生と同じ香水…」
言いかけた私を、和也先輩は引き寄せて抱きしめた。
「えっ、か、和也先輩?」
「………うん…本当、良い香りだ」
びっくりして押し返すのを忘れたのと同時に、
涙で滲んだような声音の和也先輩に、私は動けなくなってしまった。
「せ、先輩?どうしたんですか」
「ごめんね」
ぽつっと和也先輩が言う。
謝罪するわりには、私を解放してくれない。
「あの…」
「ごめん…どうかしてる…狂ってる」
「いえ…あの…」
狂ってるまで言われてしまうと抱きしめられている私の立場がないんですけど
「なにかあったんですか?」
「…うん」
そう言ってようやく和也先輩は私を解放してくれた。
「ごめん、急に変なことをした。ヒロに申し訳ない」
先輩は切羽詰まったような表情を隠すようにして右手で顔を覆った。
「本当に、どうかしたんですか?和也先輩苦しそう…」
「…そうだね。苦しくて、どうにかなってしまいそうだ」
「あの、私で聞けることがあれば、聞きますけど」
そう私が言うと、和也先輩は首を振った。
「本当に、ごめんね」
立ち去ろうとする和也先輩を私はユニフォームの端を掴んで引き留めた。
「そんな態度されたら、気になっちゃうじゃないですか
気になって、夜、寝られません」
「……」
「私には、先輩のその態度の理由を聞く権利があると思います。
だって急に抱きつくなんて、立派なセクハラですよ!」
「セクハラって…」
「それは、まぁ、冗談ですけど」
和也先輩は、ふっと笑った。
「だって和也先輩、本当に苦しそうなんだもの
もし、話して楽になるなら、話して欲しいです」
私の言葉に、和也先輩は大きく息をついた。
「誰にも…ヒロにも、言わないと誓える?」
「…誰にも、言いません」

秘密を分け合う決心をしたような瞳で和也先輩に見つめられて、
私の胸は高鳴っていった。

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