■■その愛の名を教えて 12■■


タクシーに乗ってから、透也の顔色がひどく悪い事に気が付いた。
表情自体は無表情で一見平静そうに見えるのだが、私の手を握る彼の手が小さ
く震えていた。

「…透也、大丈夫?」
「…」
「とう…や?」

問いかけに透也は応えずに、煙草を灰皿に押しつけて消した。

タクシーが家の前に着いて降りた後も透也はずっと無言だった。
だけど、タクシーの中でよりも、もっと顔色が悪くなっている様な気がした。
光の加減なのだろうか?
白い彼の肌がいっそう白く見える。
鍵を開けて私達は部屋の中に入ったが、透也はその手を離そうとしない。

手を繋いだままリビングに入ると、透也は立ち止まった。
だけど、言葉は無くて…

…透也から聞き出すまでもなく、あの人が透也と関係していたという事は判っ
ていた。
その事実以上に彼に聞きたい事なんてあるの?
多分、透也は言いたくないと思っている。
彼が彼女に優しくしたのであれば妬きもするが、透也はばっさりと切り捨てた。
彼の口振りで、過去においても彼女に”好きだ”とか言った事が無いと言うの
も判った。
触れないでおいた方が良い…
私はそう思った。

「あ…え…っと、お風呂…入ろうかな、お湯を入れてくるね」
手を離そうとする私の手を透也が強く握った。
「行かないで…何処にも…」
小さな声で透也が言う。
「何処にも行かないよ、お風呂場に行くだけ」
「…」
「透也、手…離して?」
「嫌だ」
切羽詰まった様な声で彼が言う。
「…ん…えーっと…じゃあ、一緒にお風呂場に来て」
私は彼を引っ張る。
透也は私の声に従って、後に付いてくる。

浴槽に栓をして、コントロールパネルの自動運転ボタンを押す。
こうすると勝手にお湯が出てきて、ほどよい水位になるとお湯が止まって保温
してくれるのだ。さすが透也の家のお風呂は違う。私が前に住んでいた所のお
風呂は追い炊き機能すらついていなかったのだから。

透也を振り返った。
一切の感情を打ち消した様な表情をしている。
だけど、私には泣き出すのを必死に堪えている小さな子供の様にも見えた。
繋いでいない方の手も握った。
「デザート、食べ損ねちゃったね」
「…ごめん」
「今度、ホテルのデザートビュッフェに行きたいな」
「あ、あぁ…」
「約束ね」
私が微笑むと、透也が抱き締めてきた。
「…ごめんね…透也に、恥ずかしい思いをさせちゃって…」
「…」
「ほら…なんていうかさ…私達って…」
言いかけて、涙がぼろぼろと落ちてきた。
「つ…釣り合い、が…とれてないから…」
そう言う私を透也は強く抱き締めた。
「君に相応しくないのは、僕の方だ」
「とう…や」
「君が引け目に思う事は何一つ無い、存在を恥ずべきなのは僕だ。僕は本当に
君には相応しくない男で…だけど君が居なければ、僕は…」
透也は私の頭を抱えて震えた。
「お願い…傍に、居て」
私の瞳を見て、それから躊躇う様にして彼は私の唇の上に自分の唇を重ねた。
「誰よりも尊い君…愚者である僕を赦し、その清らかな魂の傍に僕を置く事を
許して」
「…透也…」
透也は私の手をぎゅっと握り、その甲に唇を寄せてきた。
「お願いだ…許すと言って…」
「傍に、居るよ」
彼は小さく息を吐いてそれからゆっくりと告げた。
「僕の心も身体も、未来永劫、君に捧げる」
「…」
「例えこの身が滅びても、魂は永遠に君の物だ」
透也が私の手を自分の心臓の辺りに置く。
「僕の全てを、君に」
「透也…」
「……」
透也の身体がぐらりと揺れて、そのまま倒れた。
「と、透也!!」
私は彼を抱える。
「透也?透也!!」
透也は私の声に応じず、その身をぐったりとさせた。
…ど、どうしよう…
救急車を呼んだ方がいい?それとも誰か呼ぶ?誰かって、誰を??
透也のジャケットの内ポケットから彼の携帯を取り出す。
電話帳を開くと、一人だけ登録されていた。
織原真司(おりはら しんじ)。
誰?判らない。
だけど、この人が透也のライフラインの様な気がして私はこの人のナンバーに
電話をした。

******

「このまんま寝かせときゃ大丈夫だよ」
電話で彼を呼ぶと、織原さんはすぐに家に来てくれた。
それから透也をベッドに運んでくれて、寝かせてくれた。
「本当に、大丈夫なんですか?」
心配して言うと、彼は笑った。
「最近では無くなってたけど、こいつは昔っからよく吐くわ倒れるわ暴れるわ
で大変なガキだったんだよ。メンタル面が弱くてな」
「透也がメンタル面が弱い?」
「支えになる人間が誰一人として居なかったからな。常にぴりぴりしてて精神
不安定状態だったよ」
織原さんはちらりと私を見た。
「ほら…母親居ないし、チチオヤも金は出すけどその役目はしねぇって奴だか
らさ。コイツには家族ってもんが無いんだよ。聞いてる?」
「なんとなくは…」
「フムフム。最近透也が変わったのはお嬢ちゃんのお陰ってわけだな」
織原さんはそう言うと笑った。
「えらく穏やかな顔をする様になったなーとは思っていたんだよ。本人はその
理由をノーコメントだなんてスカしてたけどな」
透也の顔を見下ろして、織原さんは微笑んだ。
「ようやく見つける事が出来たんだな。長かったな…」
「…」
「俺がコイツならもうとっくに狂ってる所だ。孤独ほど恐ろしいものはねぇか
らな、生きる為だけに生かされてて、可哀想な奴だったよ」

「…う…ん…」

ぴくんっと睫毛が揺れて、透也は瞳を開けた。
「透也…」
私が呼ぶと、透也は手を差し伸べてくる。私はその手を握った。
しばらく私を見つめてから、人の気配を感じたのか透也が織原さんを見た。
「…なんで居るんですか?」
「随分なご挨拶だな」
「私が呼んだの…透也が、倒れたから…」
「あぁ、成る程」
透也は瞳を閉じた。
「薬は?」
織原さんがそう言うと、透也は「後で」と応えた。
「んじゃ、気が付いたのなら俺は帰るかね」
彼は頭を掻きながらそう言う。
「明日は?出勤出来そうか」
彼の問いに透也は「出来ます」と答えた。
玄関の方にスタスタ歩いていく織原さんを私は追った。
「あの…今日は本当にありがとうございます」
「ああ。…まぁ、なんというか…そういう事だから、宜しく頼むわ」
彼は私の肩をポンと叩いて言った。
「…はい」
「じゃ、またなんかあったら電話しておいで」
「はい」
織原さんは扉を開けて出ていった。

私は透也の元に戻る。

「具合、大丈夫?」
「…ごめん、驚かせてしまって」
「ううん」
「…」
「あの…織原さんって…透也とどういう関係の人…なの?」
「池上の家の遠縁の人だ…ガキの頃から割と世話になってる人で、フェイクの
社長」
「えっ、あの人がフェイクの社長さんなの?まだ若そうなのに」
「若いったってもう40近いんじゃないかな」
「40って言っても…それでホストクラブを経営しているなんて凄いんじゃな
いの?」
「まぁ、やり手だからねあの人は。昔は彼もホストをやっていて…本当かどう
だか知らないけど、この界隈ではホスト界の皇帝とまで呼ばれていたらしい」
そこまで言って透也は、フッと笑った。
「嘘くせぇ…」
「でも、綺麗な人よね」
「いい歳したオヤジだ」
「あは…」
「…よく、あの人に電話したね」
「だって、透也の携帯には織原さんのアドレスしかなかったんだもの」
「うん…僕に何かあった時、君が連絡を取りやすい様にそうしておいた」
「…織原さんは、放っておけば大丈夫なんて言ってたけど、病院とか…行かな
くて大丈夫?」
「彼の言う通り、放っておけばいい」
「薬…は?」
「…後で飲む」
「あの…薬って…なんのお薬?」
「…それ、今答えなければいけないか」
「…」
「出来れば、また別の機会にして欲しい」
「わ…かった…」
「ごめん」
「ううん」
透也の肩に頭を乗せた。
彼が頭を撫でてくれる。
「私、ずっと透也の傍にいるからね…」
「…うん」
「私も…ずっとずっと透也のものだよ」
そう言って透也にそっと口付けた。
「貴方は私の大切な人なの」
私の言葉に透也は小さく微笑んだ。
「ずっと、ふたりで居よう…透也が望む限り私は傍に居るから」
「それじゃあ、死がふたりを分かつその時まで…」
透也はそう言って私の頬を撫でた。
「…だけど、僕の命は君が亡くなるその時までだけどね」
「透也…」
透也はゆっくりと瞬きをする。
「君の居ない世界に未練は無い」
私達はもう一度キスをした。
重なり合う温もりを永遠に感じる事が出来ればいいのにと私は思った。

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