■■その愛の名を教えて 16■■


ゆっくりとした時間の流れの中、私と透也の時間は重なり合っている。
私が彼の世界に存在し、私の世界には彼が居た。

貴方を愛しています。

その言葉ひとつで全てを許し合えれば良いのに。
多分仕方のない事なんだ。
透也が人間を…私を信じられないと言うのには彼が育ってきた環境に関係して
いて、それが判っているから無理に話を聞き出すという事は出来なかった。
だからと言って気にしていないわけではない。
透也の事は何でも知りたい。
喜びだけではなくて苦しみも分け合いたい。
対でいるという事はそういうものなのだと思う。
苦しいのなら、私が半分でも1/3でも代わりに背負ってあげたい。

透也、貴方を愛してる。
苦しくて切なくて、だけど柔らかくて温かい。
そんな想い。
大きな感情が私を包み込んでいる。

透也、どうか私と一緒に生きて下さい。

******

「わー、みのり!久し振り」
同窓会の会場になっているレストランに行くと、懐かしい顔ばかりでなんだか
ほっとする。
「キョーコちゃん、久し振りだね」
小学校の時に仲が良かった友達。
久し振りの再会に喜び合った。
「みのりは今何やってるの?」
「ついこの間までは大学生だったんだけど中退しちゃった」
「そっかぁそれで今は?働いているの」
「…ううん、何もしてない、キョーコちゃんは?」
「ふつーのOL。高校を出てからすぐに就職したの」
「働いているんだ、凄いね」
「みのりは働きに出たりしないの?」
「んー…働きたい気持ちはあるんだけど…」
「就職先がない?」
「そうじゃなくって、働くのは駄目って言われているから」
「え?誰に」
「…うん…彼に」
「へーえ、じゃあ親元で家事手伝い?」
「…彼と一緒に住んでいるの」
「わぁ、同棲しているんだ」
「…同棲…」
ああ、そうか、他の人から見ればそう映るんだ。
同棲だなんていう風には考えた事も無かったな…。
透也は家族以上の人だから、一緒に居るのが当たり前で、普通で、自然。
…不思議ね。
他人をこんな風に思えるなんて。
家族の愛とは違う質の愛を与えてくれる透也。
私は透也の家族になりたいそして恋人で居たい。
いつまでもシンクロし続けたい。
貴方と…。
「どーも」
男性が私とキョーコちゃんの間を割って入る様にしてやって来た。
「あー、青沼君久し振り今カメラマンやってるんだって?聞いたよー」
キョーコちゃんがそう言うと青沼君は、にこっと笑った。
「まぁ、まだまだ卵だけどね」
青沼君と目が合う。
青沼君ってどんな子だったっけ…。
「月嶋でしょ?大分変わったね」
「え?あ…それはそうだよ何年経っていると思ってるの?」
私が笑うと彼も笑った。
「それもそうだな…綺麗になったよ月嶋は」
「青沼君、駄目よこの子はねー同棲している彼が居るんだから」
「ふぅん、そっかぁ」
青沼君がまた私を見る。
「残念、今日逢えたら告白するつもりだったのに」
さらっとそう言って彼は笑った。
「え?」
思わずきょとんとしてしまう。
あまりにも突然で、ストレートだったから。
「月嶋はねぇ、俺の初恋の人なの」
「へーえ…青沼君がみのりを好きだなんて全然気が付かなかったわ」
「うん、あの時は人がそういう気持ちを抱えるなんて思いもしなかったからね
そんな素振りの見せようもないでしょ」
ちらっと青沼君は私を見る。
「同棲している彼って、伊勢崎?」
「ううん、違う人よ」
私は笑って答えた。
景ちゃんの名前が出てきて少しだけ胸が痛かったけれども。
「…伊勢崎と同じ大学に行っているんだったよね?」
「詳しいんだね、大学は中退したの」
「中退…そう…」
彼は少しだけ瞳に影を落としている様に見えた。
「伊勢崎から月嶋を奪える奴なんて…居たんだな」
「え?」
「月嶋にとって伊勢崎は絶対的に信頼を置いている人間…っていう風に見えて
いたから」
信頼…その言葉は心に痛かった。
景ちゃんは私にとって居なくてはいけない人だった。
だけど手放した。
私は私を信じてくれていた人を裏切り、別の人の所へ行った。
また胸がツンと痛んだ。

『信じない』

透也の言葉が浮かんで消えた。
透也は私がどれだけ景ちゃんを愛していたか知っている。
どんな強さで結ばれていたか知っている。
あぁ…、だから私は信頼されていないんだと思えた。
景ちゃんを捨てて透也に走った様に、透也はきっと私がまた別の人間の所に行
くって思っているんだ。
そうだね。
どんな言葉でも取り繕えはしない。
私は愛していた人を捨てられる人間なのだから。
「ごめん、言っちゃいけなかったね」
青沼君はそう言って苦く笑った。
「ううん…私も…よく景ちゃんと別れられたなって思うから」
「余程の相手なんだな」
「……」
「でなければ月嶋が伊勢崎を捨てられる筈がない」
彼の言葉を受けて、私は言葉を返した。
「…運命の人なんだと…思ってる。今の恋が最後の恋になる、もしも私が心変
わりしてしまう事があったとしたらその時は…死んだほうがましなの」
透也を裏切って苦しめて哀しくさせて、そうまでして他の誰かの所になんて行
きたくない。
そしてそんな自分を私は決して許したりはしない。
「良い表情をするね、そいつと出逢ってしまう前に告っとけば良かったな」
「ごめん…青沼君だったら私は景ちゃんを裏切らなかったと思う」
「うわ、きついなそれは」
「ごめんね」
透也だから私は…。
あの人の直向(ひたむ)きな想いに触れたからその想いを受けて抱きしめよう
と思ったんだ。
透也の想いを抱きしめているから毎日が素敵なんだと、彼が居るから私は幸せ
なんだと思うの。
今育んでいるこの愛が、別の人とでも育てられるなんて思わない。
私は透也に想いを伝えきれていないんだ。
深い深いこの愛をどうすれば伝えられるの。
言葉なんかでは到底伝えきれない想いをそれでも私は彼に伝えたい。

生涯透也を愛し続ける。
誰よりも、何よりも透也を愛し続ける。

そして私が彼の家族になりたい。

血の繋がりよりも大事な物がきっとあると思うから、私が透也を受け止めて抱
きしめたい。

******

同窓会が終わり、二次会に行くかどうかを聞かれる。
私は首を振った。
「もう帰るね」
久し振りに逢った皆と過ごした時間は楽しかった。
だけど、透也はきっと私の帰りを待っていると思うから、彼を寂しくさせたく
ないから…。
「じゃあね」
キョーコちゃんと青沼君に手を振る。
地下にあるレストランを出て階段を登るとガードレールに腰を掛けている透也
が目に入った。
「透也」
「…ごめん」
彼はそれだけ言って黙った。
透也の傍に駆け寄って、彼を抱きしめる。
「…ごめんね…寂しくさせて、ごめん」
「…みのり…」
「私はずっとずっと透也の傍に居るからね」
「……うん」
彼も私を抱きしめてくる。
透也の体温と香りに包まれて、とても幸せだと感じる。
少し離れていただけなのに今この瞬間がひどく懐かしく感じた。

私は誓う、この恋が最後の恋だと。

「もしも…透也が死んだら、それでも私は透也を愛し続ける。死ぬまで貴方だ
けを愛し続ける」
透也が薄茶色の瞳を向けてくる。
「もう他の誰かなんて要らないの、私には透也だけ…」
「みのり…」
「ずっとずっと愛してる」
「有り難う」
彼が少しきつめに私を抱きしめる。
「…私、貴方のお嫁さんになる」
「え?」
「私を貴方のお嫁さんにして下さい」
「みのり…」
透也は少し驚いた顔をしている。
それもその筈、発言した自分自身でも驚いていたのだから。
だけど…。
「それで透也の不安が少しでも無くなるんだったら、そうしよう?」
「……」
「ずっと傍に居たいの、傍に居させて」
「…みのり…僕は…」
透也は迷う様な声を出す。
「私じゃ…要らない?」
「そんな事はない、凄く嬉しいよ…だけど…」
彼が何を迷っているのかが判らない。
判らないから私はどんどん不安になってくる。
勝手に透也には私が居ないとって思ったけれど彼はそうは思っていないのかも
しれない。
「…変な事言ってごめんね…もう言わないよ」
俯きかける私の顎を持ち上げて透也がキスをしてくる。
「僕も…君と結婚したいよ、だけど君は…」
言いかけて透也はまた言い淀む。
「…私が、何?」
「…君は…子供が欲しいんだよね…」
「それは…うん、将来的には」
「ごめん…精神的にも肉体的にも、子供は当面無理だと思う」
「…薬を飲んでいるから?」
「うん」
精神的にと言うのは、自分が愛されずに育ったから愛し方が判らないという意
味だろうか。
「透也が無理だと思っているのなら私も子供は望まないよ…沢山を求めたら大
事なものを取りこぼしちゃうもの」
「みのり…」
「透也だけが居てくれれば良いよ…それでも良い」
「ごめん…僕がこうだから、君に月並みの幸せも与えられない」
「例え月並みでなくても透也が与えてくれる幸せは他の何にも代えられないよ」
ぎゅっと透也を抱きしめる。
「透也、大好き…愛してる、ずっとずっと愛してる」
「……」
透也も強く私を抱きしめた。

******

家に入ってから透也は私を振り返った。
「僕は長年の間、他人と距離を置いていたから接し方が判らないんだ」
「…うん」
「君に対しての愛情の向け方もこれで良いのかといつも思ってる」
「それは悩まなくても良いよ…大丈夫だから」
「…病気の事も…」
言いかけて彼は下を向く。
「透也がどんな病気でも、私は貴方を捨てたりはしないよ」
透也に近寄って彼を抱きしめ、背中を撫でた。
「貴方の全てを受け入れるから…だから苦しみは半分こにしよう?」
「…みのり…」
「信じて、他の誰かにはそうしなくても良いから私だけは信じて」
「……」
「私達はふたりでひとつだって透也は言ったよね?」
彼を見上げると、辛そうな表情をしている。
「…織原さんを信じた様に私も信じて。私は貴方を裏切ったりしないから」
「織原さんを信用しているというのではないよ…あの人は、僕が発症した時か
ら傍に居た人だったから…」
「織原さんは透也が病気になっても見捨てたりはしなかったのでしょう?私だ
って同じだよ」
「みのり…僕は…」
「…貴方の全部を抱きしめるから」
「君は…本当に…」
透也は小さく笑って抱きしめてくる。
「どうしてそんなに温かいの…」
「透也を愛しているからだよ」
「本当に、ずっと僕の傍に居てくれるのか?」
「ずっと傍に居る…私、もう迷うのは止めるの透也の想いを疑う事も釣り合い
がとれないとかそういうのは考えるの止めて貴方を幸せにする事だけを考えて
生きていく事にした」
その言葉に、透也は驚いた様な顔をした。
私は微笑む。
「私が透也を幸せにするの」
「み、のり…」
「貴方の一番近くに私は居るから」
そっと彼の白い頬に触れる。
「これから先は私がずっと傍にいるからね…もう貴方を寂しくさせたりしない
絶対に独りにはしないから」
透也がそっと私の手に触れる。
「出逢うの、遅くなっちゃってごめんね」
彼は首を振る。
「貴方が嬉しい時や苦しい時、そして哀しい時、どんな瞬間にも私は傍に居る
から」
「みのり…」
「毎年一緒に誕生日のお祝いをしよう」
「…うん」
「一緒に歳をとっていこうね」
微笑んで透也を見つめた。
「透也、大好きだよ」
「…僕には君だけだ」
「私も貴方だけだからね」

だからどうか手を離さないでいて。

透也は私の頭を撫でる。
「一緒に…いれば、君に辛い思いをさせるかもしれない」
「うん」
「…それでも君は…」
「うん、それでも私は透也の傍に居る」
透也が小さく息をついた。
それから言う。
「僕…は、精神疾患を抱えてる」
「…うん」
「発症したのは、高校一年の夏頃だっただろうか…ストレスを長年溜め込んで
いた所為で神経をおかしくしてしまった。夜は眠れなくなり、そのくせ起き上
がる事が困難になっていった。どうして”そう”なるのかが判らなくて、それ
でも体調はいつでも悪くて、僕はどうしていいか判らなかった。そんな時…織
原さんが僕を知り合いの心療内科医の所へ連れて行ってくれた」
「うん…」
「それから今日まで良くならない代わりに悪くもならずに過ごしてきた」
「…今も、夜は眠れないの?」
「うん…薬を使わなければ…眠れない事の方が多い」
彼の胸に顔を埋めて、背中に手を回して撫でた。
「神経がおかしくなる程…辛かったんだね」
「……」
「もう何も我慢しなくて良いから…」
「…みのり…」
「私が貴方を受け止める」
「こんな…僕でも?」
「透也は変じゃないし、おかしくもないよ。貴方はとても強い人だって思う。
困難にまっすぐに立ち向かっていこうとする人だから辛いんだ。織原さんも言
っていたよ、自分が透也ならもうとっくに狂っているって」
「…あの人がそんな事を…」
「透也は独りじゃないよ…織原さんが居て、私も居る」
「みのり…」
「ね?」
微笑んで顔を上げると透也と視線がぶつかった。
「君は本当に慈悲深くて…優しいんだな」
「そんなんじゃないよ、私はごく当たり前の事を言っただけ」
「…僕が気味悪くはないのか?」
「どうして?気味悪いなんて事は全然無いよ」
私は微笑んだ。
「これからは一緒に、病気を治していこう…だから、私に隠れて薬を飲まなく
て良いからね」
「…うん…」
潤んだ瞳が瞬きをすると涙の雫が落ちていく。
私はそれを拭ってあげた。
「もう独りで、頑張らなくて良いんだよ」
そう言って彼を強く抱きしめた。

その日、私は透也が飲んでいる薬を初めて見せて貰った。
抗鬱薬が3種類、精神安定剤が1種類、睡眠薬が2種類、鎮痛剤が1種類、胃
薬が1種類。
「その時の僕の状態に合わせて処方が変わる時もあるけど、大体いつもこんな
感じだよ」
「いっぱい飲むんだね」
「…まぁ、そうだね、これでも少し減ったんだよ。精神安定剤は常用ではなく
て頓服だし」
「トンプクって?」
「具合が悪くなった時だけ飲むって事」
「へぇ」
「最近は全然飲んでいないから、処方から外して貰おうかと思ってる」
「飲まなくて大丈夫なの?」
「うん」
「少しは良くなっているって事?」
「ひどい時と比べるとだいぶ良いね」
「…そう」
「有り難う…みのり」
透也は柔らかい微笑みをこちらに向けてくれた。
「ううん、私の方こそ有り難う…話してくれて凄く嬉しい」
彼には申し訳ないのだけれど、私はほっとしていた。
精神疾患は大変なものだとは思う、だけどうんと悪い病気なんじゃないかって
不安に思っていたから良かったと思えた。
「此処に貴方が居ないと生きていけない女が居るんだから、死にたいとか…思
わないでね…」
「うん…」
「透也が言った…私を護ってくれるって、だからずっと護ってね」
「僕の全てをかけて君を護るよ」
彼の身体に自分の身体を寄せる。
温かい。
この温もりを離さない。
ずっと傍にいるから―――――。

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