■■その愛の名を教えて 2■■


うーっ
ごしごしっ
私は目を擦る。
眠いよぉ。
結局あの後、透也はもう一度したのだ。
透也には遠慮とか加減とか言う言葉は無いのだろうか。
このままだと壊れちゃうよ。
お店の前の掃き掃除をしながら溜息を吐いた。

私の目の前をカップルが通り過ぎる。
綺麗な女の人と、背が高く、肩まで伸びたスモーキーグレイの髪の男の人。
男の人は女の人の腰を抱いて歩いている。
何の気無しに二人を見ると、男性の方が私を見てウィンクをした。
な、何??変な人!
おまけに「フッ」って笑った。
な…なによっ。

それから一時間ほど経った頃、私が店内でお花の不要な葉っぱを取る作業をし
ていると、さっきのスモーキーグレイの人がやってくる。
「こんにちは」
「…いらっしゃいませ」
「この子、最近入った子?前まで見かけなかったよね」
…と、私を指さしながらオーナーさんに話しかけている。
「ええ、そうですね」
と、オーナーさんが答えると「へぇ」と言いながら私をジロジロ見る。
「君、可愛いねぇ。名前、何て言うの?」
「…月嶋です」
「月嶋なに子ちゃん?」
「…なんで私が貴方に名前を教えなければいけないんですか?」
「俺ねぇ、”レンヤ”って言うの」
「…あぁ、そうなんですか?」
彼はコートの内ポケットに手を忍ばせる。
そして名刺入れから名刺を一枚取り出す。
「こういう者です」
それを受け取ると”ホストクラブ イージー・レンヤ”と書かれていた。
「…ホストさんですか」
「そうホストさん。この界隈じゃ結構有名よ、俺」
「…フェイクタウンのヒカルさんよりも?」
と、私が言うと、彼の口元がぴくっと動いた。
「何、フェイクのヒカルは知っているのに俺の事は知らないの?」
知らないってば。
「君、ヒカルの客?」
「違います」
「ああ、そう、それは良かった。ココが終わったら俺の店に来ない?ココ8時
までだろ?その時間に迎えに来るから同伴しない?」
「そんなお金ありません」
「掛けでいいよ」
掛けってなに?こっちが判らない言葉を使わないでよっ
「それも嫌?うーんだったら今日の君の飲み代、俺が出してもいいぜ」
「ホストクラブって興味有りませんから」
その私の言葉に、彼の目がぎらっと光る。
「フェイクのヒカルを知っているのにホストクラブに興味がないって言うのは
変じゃない?」
「…一度だけ友達の誘いでフェイクに行った事があるんです。その時接客して
くれたのがヒカルさんだったんです」
「ヒカルに接客して貰ったのに、後日また店に行こうとは思わなかったの?」
彼は何故か嬉しそうな表情をして言う。
「…」
店に行くどころか元、同じ学部の生徒で、今や恋人なんだからその必要はない
わけで。
「奢ってやるから来いよ。店に」
「貴方に奢って貰う理由がありません」
「あんたの事気に入ったんだよね〜」
知るか。
「お花を買いに来たんじゃないなら帰って頂けます?営業妨害なので」
「つれないねぇ、こーんないい男が誘っているって言うのに」
彼はそう言ってスモーキーグレイの髪をかき上げる。
袖からブレスレットが覗いた。
…あ、あれ、透也も同じモノを持ってる。
私の視線に気が付いたのか、彼はブレスレットを見せてくる。
「いいでしょ。ブルガリ、客がよくくれるんだよねぇ」
透也もそんな事を言っていたような。
「はぁ、そうですか。良かったですね」
「じゃ、8時に迎えに来るよ」
「了承していません」
「いいじゃんただ酒が飲めるんだから」
「結構です、本当に営業妨害なので帰って下さい」
彼は腕を組んだ。
「じゃあ、そこの赤い薔薇貰える?」
「…何本ですか」
「バケツに入っている分、全部」
「…」
ホストの人ってなんでこう、大雑把な買い物の仕方をするんだろう…
50本近くある薔薇を花束にする。
「おリボンは何色にしますか」
「赤で」
「かしこまりました」
仕上げに赤いリボンを結びつけて彼に渡した。
「一万円になります」
「はいはい」
彼は一万円札を財布から出した。
「ちょうどお預かりします。有り難う御座いました」
「…て、わけで、はい」
「え?」
「君に」
「要りません」
「そう言わないで、お近づきのシルシ」
彼はばさっと私の身体に薔薇の花束を押しつけてきた。
「困ります」
「まぁまぁ。じゃあね、また来るよハニー」
要らないってば!
私の言葉を無視して彼は店を出て行ってしまった。
「あらら、レンヤさんに気に入られちゃったみたいね?」
オーナーさんや同じバイトの子達に笑われる。
…どうするのよぉ、この花束!!

******

ベッドでうつらうつらとしていると、透也が仕事を終えて帰ってきた。
「ただいま。みのり」
「んー…おかえりなさい」
透也がバケツの中に突っ込んである薔薇を指さして言う。
「あの薔薇、どうしたの?」
「なんというか…貰ったというか」
「お店から?」
透也は黒のジャケットを脱ぎながら薔薇の花を覗き込む。
「う、うー…ん」
彼が私を振り返る。
「違うの?」
「えーっと…透也…”イージー”のレンヤって人、知ってる?」
「イージーのレンヤ?知っているよ。ここ最近のイージーのNO.1ホストだ」
「え?あの人がNO.1なの?」
「”あの人が”っていう言い方をするという事は会った事があるの?」
透也がパープルアイを細める。
「今日…お店に来たの。なんだか常連さんっぽくって」
「…まさかとは思うけど…この薔薇って…」
「う、うん…レンヤさんに貰った」
「なんでレンヤが君に?」
透也が眉根を寄せる。
「なんだか判らないけど…」
「理由も無しにレンヤが君に薔薇を贈ったの?違うよね」
透也が私に近付いてくる。
「えーっと…」
ぎしっ
彼がベッドに腰掛ける。
「みのり、ちゃんと言いなさい」
「…私に店に遊びに来いって」
「…」
「私の事が気に入ったから、飲みに来いって。薔薇はお近づきのシルシなんだ
って」
「なんでそんな物受け取るの?」
「私だって好きで受け取ったんじゃないよ、要らないって言ったのに無理矢理
押しつけて行かれちゃったから…」
透也が口元に手を置いて溜息を吐く。
「…透也、”掛け”って何?」
「え?売り掛けの事?」
「わかんないけど」
「ツケで飲むって言う事だよ。それでお客に飛ばれちゃったりすると、担当し
たホストがその分を支払わなければいけないんだけどね」
「飛ぶって?」
「連絡が取れなくなっちゃう事、いなくなっちゃうって事だね。掛けがどうか
した?」
「お金無いですって言ったら、掛けで良いからって言われたの」
「初めての客なのに掛け?何を考えているんだ」
「最終的には奢るから来いって言われたんだけど…」
「…奢り…」
透也は額に手を置いて、大きく溜息を吐いた。
「君…花屋を辞める気は無いよね?」
「え、や…やだよ、折角慣れて来た所なのに」
「僕は、正直言って君が働く事には反対なんだよね」
「どうして?」
「景ちゃんと同じ。君を温室の花にしておきたいから」
「…私、透也におんぶに抱っこするのは嫌だよ」
「だけどね…」
「学生じゃない以上働かないと駄目だもん」
「専業主婦っていう言葉があるじゃない」
「私、主婦じゃないもん」
「じゃあ結婚する?」
「…」
「君を危険な目に遭わせたくない」
「別に、危険じゃないよ。レンヤさんとふたりきりになるわけじゃあるまいし」
「君はかつて初対面のヒカルに対して危機感を覚えた事はあったのか?」
「…」
「まんまと口車に乗って、酔わされた挙げ句、ホテルに連れ込まれてやられち
ゃった事を忘れたの?」
「わ…忘れて…ない…けどぉ…」
「レンヤがどんな手段を用いて君を陥れようとするか判らないだろ?」
「レンヤさんにはくっついて行かないよ。イージーにも行かないし」
「とても信用出来ない…」
透也は顔を覆って溜息を吐いた。
「レンヤは女好きで有名だ。枕営業もやる。ただし、気に入った客とだけだけ
どね」
「そういえば、朝、綺麗な女の人と一緒に歩いて店の前を通ったなぁ」
「…ホテルの帰りなんじゃないの?」
あー成る程ね。
カップルだと思っていたけど、ホストとお客さんだったんだ。
「でも、その連れていた女の人、モデルさんみたいにスタイルも良くて美人だ
ったよ?そういう人を相手にする人だよ?私なんかを相手にするわけないじゃ
ない」
「…みのりさん」
「…は、はい」
「君は僕を侮辱しているの?」
「なんで?」
「箸にも棒にもかからない様な女を、この僕が相手にしていると言いたいの?
君は」
「そんな事、言われても…」
「君は自分の価値を過小評価し過ぎているんじゃないのか?」
「透也が過大評価しているんだと思うんだけど」
「そういう所が心配だって言うの。君は自分の正当な価値を認めて自己防衛出
来ない子だろう?」
「うー…」
「”うー”じゃないの。何か遭ってからでは遅いだろ?」
「でもお花屋さんは辞めないもん!」
透也は、はぁと溜息をついた。
「君が僕の傍に居たのであれば、花屋に勤める事なんて許さなかったのに…ま
してやネオン街の傍の花屋だなんて…」
「…」
「それを許した君のお兄さんを僕は恨むよ」
「子供じゃないんだもん、いちいちお兄ちゃんに了承なんか得なかったよ」
「こんな時だけ大人ぶって」
透也が非難がましい目で私を見る。
「とにかく!私は仕事を辞めませんから!」
彼は大きく溜息をついた。

******

翌日。
今日はレンヤさんは来ない。
昨日のは気まぐれな物なのだと解釈していると、PM7時を過ぎた頃、透也が
お店にやって来た。
あれ?朝と髪型が違う。
今まではストンとしたストレートヘアで金髪だったんだけど、毛先がくるんっ
と跳ねている。なんだかゴージャス感が増している様な…。
”透也”と言いかけて言葉を飲み込む。
バイトの子達が「フェイクのヒカルさんだ」「本物を見たの初めて!」と、こ
そこそ話しているのが耳に入ったからだ。
そうそう、この街では透也は”ヒカル”なんだ。
本名呼ばないように気を付けないと…。
ところで透也、お店はどうしたの?もう営業時間始まっているのに。
私が彼を見ると、透也はフッと笑った。
「みのりさん、隣の喫茶店で待っていますから」
「え?」
「今日、同伴の約束していましたよね」
彼は、にーっこりと笑う。
え?えっ??
「待っていますから。いいですね?」
「とう…ひ、ヒカルさ…こま…」
困ると言いかけた時、透也がその紫色の瞳を細めた。
うっ。
口答えするなって事だ。
「じゃあ、8時に」
立ち去ろうとする彼に私は言った。
「閉店作業があるから、8時ぴったりには終わりません」
透也が肩越しに私を見る。
「何分過ぎても構いませんよ。僕は待ちますから」
そう言って彼は立ち去って行った。
バイトの子達が興奮気味に私に話しかけてくる。
「何よぉ月嶋さん、ホストには興味ないって言っておきながら、ヒカルさんと
同伴だなんて」
「や…あの…それは…」
「噂に違(たが)わず、ビスクドールの様に綺麗な人だったわぁ。いいなぁ私
もフェイクに行っちゃおうかしら」
と、店内は騒然とする。
その後すぐ、まるで入れ替わるようにしてレンヤさんがやって来た。
「こんばんは月嶋さん」
「いらっしゃいませ。今日は何をお探しですか?」
「今日も花をプレゼントして欲しいの?」
「結構です」
「今夜こそは君を店に招待しようと思ってね」
「…無理です」
「素っ気ないねぇ」
彼は大袈裟に手を広げて見せる。
「今日は…その、フェイクに行くので」
「は?」
レンヤさんは目を見開く。
「フェイクに何しに行くの?」
「何しにって」
「君、昨日ホストに興味ないって言ったよね?」
「そうなんですけど…ヒカルさんに誘われたので」
私がそう言うと、レンヤさんはムッとした表情を見せた。
「俺の誘いは断るのに、ヒカルの誘いには乗るわけか?」
なんだかこう…メラメラしたものをレンヤさんから感じるんですけど…。
この人ってもしかして透也をライバル視してる??
「上等だぜ。絶対あんたを俺の客にしてやる」
「…すっごい迷惑なんですけど」
「また来る」
レンヤさんはそう言うと大股でお店を出ていった。
「…怒らせちゃったんじゃない?」
バイトの小林さんがそう言って話しかけてきた。
「ほら、あの人もNO.1じゃない?だからメンツに関わるって言うか…さ」
「メンツ…ですか」
あんまりしつこくされると本当に透也にバイトを辞めさせられちゃうから困る。
私は溜息を吐いた。

PM8時過ぎ。
お店のシャッターを閉めて、閉店作業の後、私は花屋の隣の喫茶店に向かった。
透也が居る。
「ヒカル…さん」
「ああ、来たね」
透也は煙草を灰皿に押しつける。
「何を考えているの?私をお店に連れて行くなんて。第一、もう営業時間始ま
っているでしょ?こんな所でのんびりしてていいの?」
「同伴のときは21時半までに店に入ればいい仕組みになっているんだよ」
「…ふーん」
「レンヤ、来たね」
「見てたの?」
「当然」
「逆に怒らせちゃったみたいだよ。なんかあの人、ヒカルさんの事をライバル
視してるみたい」
「”ヒカル”でいいよ。さん付けは要らない」
透也は足を組んで笑う。
「ま、座れば?」
彼は私に座る事を勧めてくる。
私はおとなしくそれに従った。
「いらっしゃいませ」
お店の人が水を持ってきた。
「あ…えっと…アイスティーで」
「かしこまりました」
くるっと向きを変えて透也を見る。
「それにフェイクに行くなんて無理!香穂が来たらなんて言い訳すればいいの?
ヒカル指名で入った事が判ったら怒るよ、きっと」
「それは大丈夫」
彼はフッと笑う。魅惑的に。
「なにが大丈夫なのよ」
「君は一度しか来た事がないから知らないかも知れないけど、フェイクにはV
IPルームという個室があるんだよ」
「こっ…個室で一体どんな接客してるのよっ」
「また、やらしい想像して」
「するよっ、だ…だって、個室だなんて…」
「ともかく、そういう特別な部屋があるから、例え今日香穂さんが来ても彼女
の目に付く事はない」
「…」
「そんな膨れた顔しないの」
「…私、ヒカルのお客になるのは嫌」
「お客にするつもりはないよ。今日の飲み代は掛けにしておいて後で僕が払う
し」
「行きたくない」
「…君も知っての通り、フェイクの営業時間は19時からだ。今から出勤する
と僕は遅刻扱いになる。遅刻は罰金ものなんだよねぇ」
「え?あ…そうなの?」
「そうなの。だから君が一緒でないと困るわけ」
「…」
「いいじゃない。楽しませてあげるから」
透也はそう言って私の頬につつっと指先を滑らせていく。
彼の仕事ぶりがどんなのかっていうのには興味がある。
だけど知りたくないという気持ちもある。
泣きたくなるような切なさが胸に込み上げてくる。
嫉妬、なのだろうか。
彼が接客する見知らぬ女性達に。

アイスティーが運ばれてくる。
私はガムシロップを入れてミルクを入れる。

そんな私の様子を透也は微笑んで見つめていた。

「…ヒカル、髪型変えたんだね」
私はアイスティーを一口飲んでから言った。
「講義が休講になってね、時間が空いたから美容院に行ってきた」
「あ…そうなんだ」
「”あ、そうなんだ”って…それだけ?」
「え?」
「似合わない?この髪型。前の方が良かった?」
「あ、似合うと思うよ」
よりホストっぽくなったと言うか…
「君ってあんまり僕の事を誉めてくれないよね」
「え?そう?」
「あぁ。僕のナニの事は良く誉めてくれるけど…」
「こっ…こんな所で何を言うの!」
「だってそうじゃない」
透也はパープルアイを少し細めて、口を尖らせて見せる。
拗ねているのか?
「か…格好良いと思うよ」
「本当?」
透也がにこっとする。
「うん…本当」
「嬉しいよ」
彼はそう言って花の様な笑顔を私に向けてくる。
「…ヒカルなら散々誉められ慣れているんじゃないの?」
「僕は、君に誉めて貰いたいの」
「…そう?」
「君は僕が誉めるより、他の人間に誉められる方が嬉しいの?」
「そんな事ないよ、ヒカルに誉められるのが一番嬉しい…」
「僕だってそうだよ」
そう言って透也はご機嫌良さそうに、にこにこ笑っていた

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