■■その愛の名を教えて 6■■


あの夜から、私と透也はぎくしゃくとした関係を続けていた。
一緒に寝ていても、透也は私に触れてこなくなった。
私をあんな風に抱いた事を後悔しているのだろうか?
彼が悔やむ事など、何一つ無いと言うのに。
彼にそうさせたのは私だ。
だけど私はそれを言い出せなかった。
私は、私を綺麗なまま彼に見ていて欲しかったから。

******

「ね、みのりちゃん、今晩飲みに行かない?」
オーナーの仁科さんが閉店作業中の私を誘ってきた。
「飲みに、ですか?」
たまには良いかもしれない。
自分が招いた事とは言え、仲直り出来ない透也との関係に少し疲れていたので
憂さ晴らしがしたかった。
「良いですね。行きます」
他のバイトの小林さんや井上さんらと共に私達は飲みに行く事になった。
居酒屋で飲み、二次会はカラオケボックス。
時計を見ると12時近かった。
「仁科さん、そろそろ終電が無くなるので、私はこの辺で…」
と、言いかけると、彼女に肩を組まれた。
「何言ってるのよ〜夜はこれからでしょ!」
だいぶご機嫌な様子だった。
「でも、あの…」
「帰りのタクシー代、出してあげるから、もう一軒行こう、ね?」
仁科さんはぐいぐいと私を引っ張る。
「で、でも」
「仁科さん、例の所に行くんですかぁ?」
小林さんが言う。
例の所って?
「はーい!今夜はホスト遊びをしまぁす!」
「ほ、ホスト遊び、ですか?」
私が後込みしていると、小林さんが背中を押してくる。
「月嶋さん、この界隈フェイクタウンだけがホストクラブじゃないのよ」
私はふたりに引っ張られて目的の場所へと連れて行かれる。

”不夜城”という看板が見えた。

―――――不夜城?

私達四人はホストクラブ・不夜城の中へと入っていった。

テーブルに着くと、仁科さんが言った。
「暁ちゃん指名でね」
その名前にどきっとした。
やっぱり、ここ、雪乃さんのお店だ。
指名してからしばらく経った頃、雪乃さんがやってくる。
「仁科さん、お久し振りですね。いらっしゃらないから寂しかったですよ」
にっこりと微笑んで雪乃さんが言った。
「この子、ウチの新顔」
仁科さんが私を指してそう言う。
雪乃さんがちらりと私を見た。
彼は、私を覚えているだろうか。
「あ…あの…月嶋です…」
「初めまして、暁雪乃です」
彼はにっこりと笑った。
…あ、覚えていないんだ。
私は少し残念に思え、胸がちくっとした。

それから他愛もない話で盛り上がったりして時間が過ぎていった。
空になった私のグラスを取って「また水割りで良い?」と雪乃さんが聞いてき
たので私は頷いた。
マドラーでウイスキーと割り物の水をかき混ぜる彼の指を見て綺麗な指先だな
と私は思った。
雪乃さんはグラスに付いた水滴をハンカチで拭き取ると私に渡して来た。
「…ありがとうございます」
時計をふと見ると、1時を過ぎていた。
あ、まずい。
透也よりも先に家に帰らないと…。
顔を上げると雪乃さんと目が合った。
「どうかした?」
「そろそろ、私帰らないといけないので」
「えーまだいいじゃないー」と言う仁科さんを尻目に、雪乃さんが立ち上がっ
た。
「下まで送ります」
そう言って私を上手く逃がしてくれ、エスコートをしてくれた。

タクシー乗り場の列に、雪乃さんが一緒に並んでくれる。
「あの…もう大丈夫ですから、お店の方に戻って下さい」
「ちゃんと最後まで送らせて貰いますよ、”みのり”さん」
そう言って彼は笑った。
「…私の事、覚えていたんですか?」
「忘れないよ」
にこっと笑う表情が可愛らしかった。
「俺の予感は大概当たるんだけど、もう逢わないと思っていたのに逢ったね」
「…」
「嬉しいよ」
どういう意味で?
私は彼を見上げた。
雪乃さんはまた微笑んで、ジャケットの内ポケットから携帯電話を取り出す。
なにやら操作をして、私に声を掛けてくる。
「みのりさん、携帯持ってる?」
「え?持っていますよ」
「見せて」
「はい…」
私が鞄からピンクの携帯電話を取り出すと、雪乃さんはそれを取りあげて何か
操作をし、自分の携帯電話の赤外線ポートを私の携帯の同じ部分に向けてぴっ
とボタンを押した。
「送信完了」
にこっと雪乃さんは笑った。
「え?」
「俺の電話帳データ、君の携帯に送っておいたから」
「えぇ!」
「あなたのも送り返して欲しい所だけど、今日は止めておこうかな」
そう言って雪乃さんは、ぱちんっと二つ折りの黒い携帯を閉じて内ポケットに
しまった。
「誰かと話がしたいと思った時、俺の事を思い出して。いつでも電話待ってい
るから」
「…それは、営業ですか?だったら私は…」
「違うよ」
また彼はにこっと笑う。
「俺の名前は工藤晃(くどう あきら)、晃って呼んでくれても構わないし雪乃
でもどっちでも」
「…あの…」
「君とは他意なく、友人関係を持ちたいかなって言ったら信じてくれる?」
マロンブラウンの前髪から、綺麗な漆黒の瞳が覗く。
「何か困った事があったら俺を思い出して」
タクシー待ちの順番が回って来て、雪乃さんがそっと私の腰を押した。
私はタクシーに乗り込む。
「電話してきて。待ってるから」
雪乃さんは後部座席を覗き込むようにして私にそう言って来た。
「…はい…」
「じゃあね、また」
彼は屈めていた背を伸ばし、ひらひらと私に手を振った。
私も手を振り返して、それから携帯の住所録を見ると”工藤晃子”という名前
で登録されていて思わず笑ってしまった。

******

家に着くと、透也はまだ帰宅していなくて、ほっとした。
伸びをひとつして、お風呂に入ろうかな…と思い、浴槽にお湯を入れた。

私は携帯を開いて、また雪乃さんのアドレスを見た。
消してしまえればいいのに、何故か消してしまう事は躊躇われた。
話したい事
無い事はない。
多分、さほど知り合っていない人物だから、聞いてみたいのかも知れない。
”私”と言う人間を、雪乃さんから見てどんな風に見えるのかを。
そして私のアブノーマルな部分を知ってどんな風に感じるのかを。
透也に聞けない事を雪乃さんに聞いてみたかった。
私を否定する?
肯定する?

何か言葉が欲しかった。

湯船に入って、ほっと一息ついていると、不意に磨りガラスの扉が開いた。
開ける人間は一人しか居ないのだけど、私はびっくりして慌てて身体を隠す。
「なんでこんな時間にお風呂に入っているの?」
透也が私を見つめながら言う。
ああ、そうか透也よりも先に帰ってきても、彼に疑わせる様な事をしてはいけ
なかったんだと、私は彼の言葉で初めて気が付く。
いつもなら、お風呂はとっくに済ませてる。
「えっと…オーナーさん達と…飲みに行ってたから」
隠し立てするよりも素直に言ってしまった方が良いと私は思い、そう言うと
透也が目を細めた。
「ちなみに聞くけど何時に帰ってきたの?」
「…つい、さっき」
「君が出歩いて良い様な時間ではないと思うけど?しかも僕に断りも無しにだ
よね?黙っていられるのなら黙っていようと思っていたわけ?」
「…う、うん」
「今、”うん”って言った?」
「…うん」
透也がきゅっと唇を噛みしめた。
「だ、だって…飲みに行く位、いいじゃない。女の人とだけで行ったんだし」
「やましい事が無いのなら、どうして僕に一言無かったの?」
「だって、透也、仕事中だったし」
「留守電にメッセージを残すなり、メールでも出来ただろ?」
「じゃあ、次からそうする」
私がそう言うと、透也が溜息をついた。
「”次”は駄目。こんな時間まで飲んでいるなんて良いわけないだろう」
「…」
「返事は?」
「…うん…」
透也は息を吐くと、扉を閉めて行ってしまった。
ああ…また険悪な感じになっちゃった。
私は湯船に身を沈めた。

お風呂から上がってリビングに行くと、透也は一人掛けのソファーの肘掛けに
肘をついて頬杖をしていた。
怒っているんだろうな、と言う事はありありと判った。
私は彼に近付く
「…透也、ごめん…ね」
「…僕だって、君が飲みに行く事位許そうと思う、未成年じゃないのだからね。
だけど、僕の居ない所で君に何か遭ったらと思うと容認する事が出来ない。ま
してや今日みたいに黙って行かれたりすると、僕は今後君を信用する事が出来
なくなる」
「…」
「僕が居ない時間、君が何をしているのか、気になって仕方がなくなる」
「ごめんなさい…」
透也がまた溜息をついた。
「…もういい。もう寝て、これ以上君と喋っていると僕は君に何をするか判ら
ない」
「…」
透也はするりと私の横をすり抜けて、バスルームへと消えていった。
また、仲直りが出来ない…
私は彼の言いつけ通りにベッドに潜り込んだ。

しばらくすると、透也がお風呂から出てきて台所の方で何かごそごそしていた。
お水を飲んでいる様子だった。
それからまたしばらくしてから、透也はベッドに入ってきた。
私に背中を向けて。
「…ねぇ、透也」
「……今、僕に何か言うの…止めて…明日まで覚えていられないから」
「え?」
「……」
私は身体を起こして透也を覗き込む。
透也は瞳を閉じていた。
「とう…や?」
私はそっと彼の身体に触れる。
透也からはなんの反応も無かった。
反応もしたくない位私に対して怒っているのかと思ったけれども透也は眠って
いる様子だった。
私、透也が眠っている所を見るのって初めてかもしれない。
一体彼の睡眠時間は何時間なのだと思う位、いつも透也は私よりも遅く寝て、
早く起きていたから。
透也の寝顔を見つめる。
愛おしくて堪らなくなって彼の白い頬をそっと撫でた。
「…透也…愛しているの…」
返事をしない彼に私はそう言って透也の唇に自分の唇を重ねた。
「透也、大好き…」
私は彼を抱きしめる。
久し振りの彼の体温に涙が出そうだった。
「…ねぇ…どんな私でも、愛していると言って…」
私はそう言ってもう一度、透也に口付けた。

******

次の日の昼休み。
私は喫茶店でピラフを食べながら、携帯を開いた。
雪乃さん…
今、電話したら迷惑かな…
不夜城は明け方まで営業をしているらしかったから多分昼間は寝ているだろう。
でもだったらいつ電話をすればいい?
夜は彼は仕事だし…
私はスプーンをお皿に置いて、雪乃さんのナンバーに電話をした。
コールされる。
二回、三回…五回…十回を超えた時、やっぱり寝ているのだと思い私は電話を
切ろうとした。
『はいはい〜どちら様?』
雪乃さんが軽快な声で電話に出た。
「あ、あの…」
『ストップ、君が誰だか当ててあげようか?』
「え?あ…」
『みのりさん、だろ?違う?』
「…そうです、みのりです」
『電話、かかってくると思ってた。なーんて言ったら図々しいと思うかい?』
「い、いいえ」
『電話越しに聞く声も、可愛いね』
ふふっと雪乃さんが笑った。
「雪乃さん、あの、私…可愛くなんてないんです」
『そう?可愛いと思うよ?』
私は、きゅっと唇を噛んだ。
「雪乃さんの私への評価は、”可愛い”…ですか?」
『綺麗だよって言われた方が嬉しい?』
「いえ…そうではなくて…」
『うん?』
「…」
『…』
「あの…私」
『何か悩み事の相談?』
雪乃さんの察しの良さに私はどきっとした。
「は…はい…」
『何?聞いてあげるよ。金銭関係以外ならね』
クスクスと雪乃さんが笑う。
「お金の事なんかじゃないです…でもそれ以上に相談しにくい事かもしれませ
ん」
『うーん…なんだろ?セックスの事とか?』
どきっとして私は押し黙ってしまう。
『アレ?当たっちゃった?』
「あ…あの…その…」
顔が一気に熱くなった。
『どんな事?彼が下手で困っているとか?』
「い、いえ…」
『私彼が居るのに毎日ひとりえっちしちゃうんですぅとか?』
「違います」
『うーん…範囲が広すぎて見当がつけられないね』
「あ…あの…」
私は声をひそめてぼそぼそと喋る。
「私…その…Mの気があるんです…」
『ああ、そうなの?俺はSだよ』
けろりと彼は言った。
『可愛い子を苛めるのダイスキ』
「雪乃さん、Sなんですか?」
『うん…まぁ俺の事はどうだっていいんだけど、Mだからどうかした?』
「私がMだって言うの、どう…思いますか?」
『君みたいに何も知らなさそうな子が実はMで苛められるのがダイスキ!って
言うのにはゾクゾクしちゃうね』
「それは、一般的な見解ですか?個人的な見解ですか?」
『うーん、男って割とSっ気があると思うけどねぇ』
「そうでしょうか」
『まぁ、M男も居るから女王様みたいな商売もあるんだけどね。君の彼はどち
らかというとどっちのタイプっぽい?』
「…判りません」
『苛められたりしない?』
「…たまに」
『じゃあ、Sっぽいんじゃない?』
「…」
『カミングアウト出来なくて困っているんだ』
「…その事で、彼とちょっとぎくしゃくしちゃっているんです」
『思い切って言っちゃえば?』
「だ…って…、私が変態なのを彼に知られたくない…」
『いまどきライトSMなんてどこのカップルもやってるんじゃないの?それと
ももっと激しいのがお好み?鞭で叩かれたり、蝋燭たらされたりとか、洗濯ば
さみで色んな所挟んで欲しいとか』
「そういうのは嫌です」
『だったら別に変態とまでは言わないんじゃないの?人それぞれ趣向があるわ
けだしさ』
「でも…」
『あー、君が俺の恋人だったら、色んな事してあげちゃうのにな』
ふふっと雪乃さんが笑った。
『彼も案外、色んな事を君にしてみたいと思っているかもよ?』
「…」
『ねぇ?今晩逢えない?』
「え?」
『変な事をしようとか言うんじゃなくて、君に良いものをあげようと思って。
それの受け渡しで一瞬だけ逢いたい』
「…一瞬だけでしたら…」
『じゃあねぇ、20時に花屋の隣の喫茶店で待ってるよ』
「閉店作業があるので20時ちょうどには上がれません」
『君が来るまで待ってるよ。夕飯食べがてら』
「じゃ…じゃあ、今晩…」
『うん。また後でね』
そう言って雪乃さんは通話を終わらせた。
…良いものって、なんだろう?

******

閉店作業終了後、私はフランシーを出て隣の喫茶店へと向かった。
中に入ると雪乃さんが居て、こちらに向かって手を振ってくる。
「すみません、お待たせしちゃって」
「21時から同伴入ってたからちょうどいい暇つぶしになったよ」
そう言って雪乃さんは鞄の中から小さな白い包みを取りだした。
「はい、これあげる」
「なんですか?」
「勇気の粉、かな」
「勇気の粉?」
「それを飲んだら、彼にカミングアウト出来ちゃうかもよ?」
雪乃さんはそう言ってウィンクをした。
「…言うのは…やっぱり、私…」
「今日、彼と逢う?」
「あ…はい、一緒に住んでいるので」
「じゃあ、彼と逢う少し前に水でもお茶でもなんでもいいからそれに溶いて飲
んでみて」
「はぁ…」
「カミングアウトはともかく、仲直りは出来るんじゃないかな」
そう言って雪乃さんは立ち上がった。
「試してみてね。それじゃあ、またね。結果報告してくれると嬉しい」
ぽんっと私の肩を叩いて、雪乃さんは喫茶店を後にした。
私は折角入ったので、夕飯をここで済ませていく事にする。

「…勇気の粉…??」

私は、雪乃さんから貰った白い小さな包みをしげしげと眺めた。


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