■■その愛の名を教えて 8■■


昨晩の彼女を思い出して僕は、彼女の事を初めて発情期になった仔猫みたいだ
と思った。
イイ声で啼いて僕を誘う。
僕はさながら牡猫だ。

牡猫の習性…か。

僕は溜息をついた。
彼女を乱暴に扱った事を僕は後悔していた。
逃れようとする彼女を押さえつけ、パジャマを枷(かせ)代わりにして動けな
くさせた。
牡猫が雌猫の首を噛んで押さえつけて交尾するかの様に、僕は彼女を犯した。
何度も、何度も…
すすり泣く声が聞こえていなかったわけではない。
だけど、僕は自分を止める事が出来なかった。
押さえなければいけなかったのに、僕はあの衝動を止められなかった。

「ヒカル、休憩か?」
裏で煙草を吸っていた僕に社長が話し掛けてきた。
「…指名、入ったんですか?」
僕は煙草の煙を唇の端から吐き出して、煙草を消した。
「あーいやいや、違う」
「はい?」
「今夜、不夜城で暁君のバースデーイベントがあるから身体を空けておけ」
「…暁さん今日が誕生日なんですか」
そういえばみのりの誕生日っていつなんだろうかと僕は思った。
「おまえさんの時も来て貰ったからな。行かないわけにはいくまい?」
「判りました」
僕は煙草を一本取りだして火を付ける。
社長がまだそこに居る。
「…まだ何か?」
「いや…最近おまえさん変わったなと思ってね」
「そうですか?」
「あぁ、随分と穏やかな顔をする様になった」
「…そうですかねぇ」
「私生活が変わったか?」
「…ノーコメントで」
「つれないねぇ」
社長も煙草を銜えるので、僕は火を付けた。
「…最近どうよ?チチオヤの方は」
「別に、変わりないですよ。特に連絡も無いですし」
「おふくろさんの方は」
「相変わらず消息不明…って、居場所が判れば貴方にも知れる所なんじゃない
ですか?貴方は池上の縁(ゆかり)の人なんですし」
「遠縁だからねぇ、赤の他人と同じっつーかね」
「でも、”まりあ”の事はご存知なんでしょう?」
「…まりあ…まりあね、あれはとびきりの美人だった」
ふぅっと社長は煙草の煙を吐き出した。
「今、何処で何をしてるんだか…幸せでいるのか…或いは、囚われの身の上か」
「…」
「人が多すぎてなぁ、たったひとりが見つけられねぇ…アイツは、勿論居場所
を知っているんだろうけどよ」
「アイツって、西園寺(チチオヤ)の事ですか」
「それしかないだろ?」
「…」
社長は何かを考える様な表情をしてそれから口を開いた。
「…おまえさんが尋ねたら…或いは…」
「え?」
「いや、なんでもねぇよ。そういう事で今晩宜しくな」
社長はそう言って煙草を消すとフロアに戻って行った。

…僕が、居所を尋ねたら、西園寺(チチオヤ)は、口を割るのだろうか?

僕は煙草から立ち上る白い煙を黙って見つめた。

まりあ。
彼女に逢いたいのか、逢いたくないのか、僕の中で答えが出ていなかった。

営業終了後、僕はみのりの携帯に電話を掛けた。
…寝ているかな
数コール後、みのりが出る。
『はぁい』
「悪い、寝ていた?」
『うん…ちょっとうとうとしてた』
「…今、何処に居る?」
少しだけ疑心に駆られて僕は訊いた。
『ん?ベッドの上』
「…僕の家の?」
『決まってるじゃない』
「そうだな」
『どうしたの?電話してくるなんて』
「あぁ、今晩不夜城で誕生日イベントがあって、それに顔を出すから帰るのが
明け方になると思う」
『…』
彼女が電話口で息を飲んでいるのが判った。
なんだ?
「…だから、寝ていて良いからね」
『う、うん。判った』
「それだけ」
『うん…』
「…ところでさ」
『うん?』
「みのりの誕生日っていつなの?」
『あ、もう終わった』
「え?」
『二月だったの。あはっ私、透也より少しだけお姉さんだね』
…なんて彼女は軽く笑って言った。
二月と言えば僕達が離ればなれだった時期だ。
―――――僕は、最愛の人の誕生日も祝えずに…
『お兄ちゃんがね、ケーキをホールで買ってきてくれたんだよ』
「そ、それは…良かったね」
『うん!』
「じゃあ…切るから、おやすみ」
『うん、あんまり飲み過ぎないようにね』
彼女はそう言うと電話を切った。
僕は溜息をつく。
さすがに今更誕生日おめでとうなんて言えなかった。

******

フェイクタウンのホスト一行が不夜城に着いた頃、不夜城は開店して間も無い
というのに盛り上がっていた。
不夜城のフロアは暁さん宛の花で埋め尽くされている。
ドンペリコールが絶えない。
暁さんもプレゼント攻撃にあっていて、腰を落ち着ける暇もなさそうだった。
グラスを積み上げてシャンパンタワーを作ったりしている。
「豪華豪華」
社長が煙草を吸いながら笑っている。
「ヒカル、レミーマルタンでも飲むか?」
「13世?」
僕が彼を見ると、彼はにやっと笑った。
「それ位入れてやらねぇとな」
13世とはレミーマルタン・ルイ13世の事で、高価なブランデーの事だ。
フェイクでは80万で出している。
「暁さんがお気に入りなんですねぇ」
と、僕が言うと、社長が笑う。
「おまえさんのときはここの社長がドンペリのプラチナを入れてくれただろ?」
「はっ、見栄っ張り」
プラチナは、フェイクでは75万の品だ。
価格的にはルイ13世のほうが上と言うわけだ。
僕が煙草を一本取り出すと、不夜城のヘルプホストが火を付けてくれる。
勿論、僕は自分でライターを出すつもりなど無かった。
こういう所では、自分で火を付けるなんて野暮な事だからだ。
煙草の煙をふうっと吐き出して僕は言う。
「じゃあ、僕はドンペリのロゼでも入れようか」
暁さんが僕のバースデーイベントの時にロゼを入れてくれたので同等で。
ルイとロゼがテーブルにやってきた頃、暁さんもようやく僕達のテーブルにや
ってきた。
「すみません、遅くなって…皆さん、花をありがとうございます」
フェイクの名前で胡蝶蘭の鉢植えを暁さんに贈っていた。
暁さんがマイクを持ったので、僕はコールを丁重にお断りをした。
いい加減聞き飽きる。
「雪乃君、座れるのかね?」
社長が尋ねると、暁さんが椅子に座った。
「勿論」
暁さんが人なつっこい笑顔を見せる。
「フェイクは売り上げ上々の様ですね」
「お陰さんでな」
「ヒカル君が入店してからでしょ?売り上げが伸び始めたのって」
暁さんはにこっと僕に微笑みを向けてきた。
「おお、ウチはヒカル様々だ」
社長が肩を叩いてくる。
「ヒカル君の存在は俺らにとって脅威ですよ。いつお客を持っていかれるかっ
て冷や冷やしてる」
「よく言いますよ。持ち上げても、もう何も入れませんよ」
僕が笑うと、暁さんが肩をすくめた。
「最近、俺、可愛い仔猫を見つけたんですよ」
”仔猫”と言うのが女を指している事はすぐにピンときた。
他のホストが興味ありげに暁さんに話し掛ける。
「へぇ?どんな」
「真っ白で、すんごいキュート」
「飼っているんですか?」
「それがねぇ、飼い猫なんだよね」
「ふぅん」
「ご主人様にだいぶ可愛がられている様子なんだよねぇ」
周りが盛り上がっているなか僕が黙って煙草を吸っていると、話を振られる。
「ヒカル君ならどうする?」
「え?僕ですか?」
「取っちゃう?」
「…」
僕は灰皿のふちで煙草を叩いて灰を落とす。
「…どうですかね。でも、他人の猫なんでしょう?」
「君なら他人の猫なら諦めちゃう?」
「…」
「可愛い仔猫ちゃんは大概飼い猫だったりするよ?」
「…可愛がられていた仔猫は元主人と別れる時に相当苦しい思いをしますよ?
それでも我を通したいと思うのならお好きにされればいいんじゃないですかね」
暁さんが笑う
「お、なんかリアルなご意見だね」
「そうですか?」
「まるでそうした事があるみたい」
「どうですかね」
「ヒカル君は猫を飼っているの?」
「…ノーコメントで」
「…そうだね、あんまり突っ込むのも失礼だね」
暁さんはそう言うとドンペリのロゼを一気飲みをしてボトルを空ける。
「ゴチです」
「いえ」
「すみません、ちょっと失礼します」
暁さんがそう言って席を立つと、社長が声を掛けた。
「君もこれからも頑張って」
「ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げて、彼は他のテーブルに回った。

結局僕達フェイクの一行は、不夜城の閉店時間まで居座った。

店を出ると夜は明けて、朝になっていた。
昇り始めた朝日が眩しい。

「ヒカル君!」

後ろから声がして僕は呼び止められる。
振り返ると暁さんが走って来ていた。
「…僕、何か忘れ物でもしましたか?」
「いやいや、君とアフターしようかと思ってね」
その彼の発言に、僕は苦笑いをした。

僕達は24時間営業のファミレスに入った。
ホットコーヒーをブラックで飲んで、味が薄いな…と思いながら顔を上げた。
「僕に何か話でも?」
「君はMの女の子をどう思う?」
「M?」
「SMのM」
「ああ、そのM」
僕はフッと笑った。
「なんだってそんな事を訊いてくるんです?」
「俺の可愛い仔猫ちゃんが自分がMだって悩んでいるみたいなんだよね」
「はぁ」
「自分の趣向をご主人様に知られたら嫌われると思っているらしい」
「…」
「俺はSだからMの子って大好物なんだけどね。君ならどう?」
「Mの程度にもよりますけど」
「自分の飼い猫がMだと知ったらどうする?」
僕は瞬きをしてから暁さんを見る。
「僕の飼い猫だったら、SでもMでも受け入れますよ」
「それって一般論?」
「どうですかね」
「…俺はいっその事、彼女がカミングアウトして彼に振られてくれないかねと
思ってる」
「暁さんは女は居ないんですか?」
「居たり、居なかったり、今はフリーの身の上。ホストなんてやってるとなか
なか本カノに信用して貰えなくてねぇ長続きしないんだよね」
「…」
「そんなんだから、仔猫ちゃんを奪うのも気が引ける。こんな世界に彼女を引
きこんで、壊しちゃわないかと思ってさ。彼女一般人だから」
「…」
「つまんない事で泣かしたくないじゃん?」
「そうですね」
「君の言う事は一理あると思ったよ」
「え?」
「彼から彼女を奪って、奪う方は熱に浮かされてるけど、奪われる方は苦しむ
だろうなぁって」
「…」
「無理に引き剥がさないで、自然に俺の方を向いてくれるのがベストなんだけ
どね」
「長期戦の構えですか」
「…まぁ、そうなるのかな」
「余程気が長くないと辛いと思いますけど」
「だよねぇ…」
暁さんは煙草に火を付けて息を吐いた。
「…一度目の出会いで、もう二度と逢いたくないと思ってた。二度逢えば欲し
くなっちゃいそうだったからさ」
「本気という事ですか」
「マジっていうか、彼女と一緒なら楽しいだろうなって思う」
「…」
「三回逢って、やっぱ欲しいって思ったよ」
「…僕は、どう答えれば良いですか?」
「あ、ごめん、ごめん、愚痴だから。誰かに聞いて貰いたくてさ」
「人選を間違えていると思いますよ?僕は気の利いた言葉は言えませんから」
「俺は誰にも浮かされたくないし、沈められたくもない。そういう時、君みた
いな人物が適任ってわけ」
「どういう意味ですか」
「他の連中なら、無責任に俺を調子づけちゃうだろうなって思うから。”奪っ
ちまえ”ってね」
「…」
「乗せられてなんとかなる問題じゃないから。相手あっての事だし」
「…」
「悪いね、付き合わせちゃって、それからドンペリ本当にありがとう」
「…いいえ」
彼はぬるくなったコーヒーを一気に飲み干した。
「出ようか」

―――――花薫る君

僕はみのりの事を頭に思い描いていた。

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