隷属の寵愛 17
偽りの花嫁であっても、構わない。
彼がバンフィールド家に渡してくれた金銭のおかげで、姉たちは綺麗なドレスを仕立てることも可能だろう。もともと美しい彼女たちだから、その美しさに磨きをかければ良縁に恵まれるだろう。
キースが夫婦らしくすることを求めていないのなら、無理し続ける必要はない。
夫婦らしく、伯爵夫人らしくしなければならないという重圧がなければ、いくらか気持ちは楽になる。
もともと部屋に閉じこもって、刺繍をしたり、本を読んだり、誰と喋るわけでもなく過ごすのは得意であったから、もしかしたら彼はそういった自分の生活を知っていたから結婚をしたのではないかと思えてくる。
気負わなくていいから少し楽になるけれど、どうしてだろう――寂しいと感じるのは……。
そして、今日もたくさんのフルーツのなかに葡萄があった。
この葡萄も、もしかしたらキースの思い人の好物なのではないかと考えてしまう。
葡萄を凝視しているリディアに、普段は冷静な黒髪の執事が少しだけ戸惑う様子でいた。
「……お取りしても、よろしいでしょうか?」
リディアが視線を動かせば、いつもであれば了承を得ることなく給仕するのに、わざわざ訊いてくる彼に、食事の最初に葡萄を食べるのはよくないのかと感じる。
「ごめんなさい、今は葡萄が食べたい気分なの」
「謝ることはない。いいんだよ、好きな物から食べれば」
同席しているキースが微笑みながら告げた。
「ありがとうございます、キース様」
執事は一度頭をさげてから、リディアの前に葡萄を持ってくる。
瑞々しいその葡萄は甘さや酸味のバランスがよく、とても美味しいと思えた。
一房たいらげてから、パンケーキ、ベリーのタルトレット、クリームのかかったシフォンを黙々と食べ続ける彼女を見て、キースが笑う。
「すまなかったね、本当にお腹が空いていたようだな」
彼の問いかけに、リディアはにっこりと微笑む。
「……あの、キース様にお願いがあります」
「ん? 何」
「私、本が欲しいんです」
「本? ああ、いいよ。だったら町へ出かけようか」
「ありがとうございます。嬉しいです」
彼女が再び微笑むと、キースは何の疑いをかける様子もなく微笑み返した。
******
その後――。
キースが目を通さなければいけない書類がある為、出かけるのは午後になった。
リディアの部屋からキースの部屋へは扉一つで繋がっているが、今、彼は部屋にいない。
伯爵としての仕事があるときは、来客の対応も出来る部屋を使っているとメイドが彼女に説明をする。
別に彼がどこにいても、構わなかった。
だから、彼女はメイドにキースがどこにいるのか説明はいらないと告げる。
そういった説明を必要とすれば、彼が愛する人のところへ行くとき“嘘”をつかなければならなくなる。
嘘をつかれるのは嫌だが、本当のことも言われたくなかったから、彼女はメイドの説明を断った。
バンフィールド家から持ってきた荷物から、編みかけのレースを取り出す。
テーブルクロスになる予定のものだ。
これを編み始めたときは、まさか結婚するとは思いもしなかったと考えながら、リディアは淡々とレースを編み続けていた。
彼女がその手を止めるのは、執事が紅茶を淹れたときくらいで、誰もそうし続けることに文句を言わない。
伯爵夫人としての知識や教養を身につけさせる為に、何かさせられることも家庭教師がやってくることもなく自由だと思えたが、その反面キースが自分に妻としての役割を何一つ求めていないのかと感じさせられた。