「こちら側も、なんだか変な気分になってくるな」 彼女の頭を撫でていた宮間がぽつりとそんなことを言う。 緩やかな感情の起伏。穏やかな感覚の波間に浮かべられているような錯覚。それらのものは今彼が感じているのではなく桃花の感覚ではあったけれど、見えている以上自分のそれと大差はない。 ゆらゆらと揺れるゆりかごの中で眠らされているような錯覚に陥る。 そんな居心地の良さの裏側には、性衝動にも似た燻る疼きがあるようで、その感覚は自分のものなのか桃花のものなのかが彼には判断出来なかった。 あまりにもすんなりと流れてくる感情。 だけどそれは昔のようにコントロールが出来なくて無理矢理に自分側に流れてくる感覚とは違い、濁流のような他人の感情に自身が流されそうになってしまうような恐怖はなかった。 やがては大きな川になっていくであろうものでも、その源では緩やかに静かに湧き出て、ゆっくりと流れ込んで来ている清流にいつまでも触れていたいと思った。 勿論、彼女の全てがただ美しいものだけで形成されているわけではない。 妬みやひがみといった醜い部分も持ち合わせているのにそこに触れても宮間を不快な気分にはさせなかった。 おそらくは根底の問題だと彼はうっすらと感じていた。 土台や形成されているものが彼女の感情や思想を汚すようなもので出来ていない。 汚れている川は流れてくる過程や行き着いた先で汚濁している。初めから汚れた水が流れ出てきているわけではない。どこかで汚れる要素に触れるから濁っていく。だけど彼女の中にはその汚れてしまう要素がないような気がした。 妬みやひがみといった部分は、土台が汚れていなければ綺麗なものだと彼は考えていた。土台が汚れている人間はその部分がすぐに恨みへと変わっていく。 恨みや憎しみ、圧倒的な負の感情。 他者を貶め蔑まなければ自分を維持出来ない種類の人間がまさにそれで。 他人がどんな感情を持ち合わせていようと、それはそれで宮間にとってどうでもよいことだった。それが自分に向けられていても気にしないようには出来る。 だけど見ることが出来てしまう人間にとって、見ないようにすることは容易くなく、難しいことでもあった。 鍵は左手。 そこに触れさえしなければ見なくて済む。 一見簡単そうなことなのに、気にし始めると触れてしまうかもしれない恐怖で身動きがとれなくなっていく。 気にしない。 世界には誰もいない。 自分ひとりしかいないから大丈夫だというおかしな自己暗示をかけて生活をしていた。 だから必要以上に他人のことは覚えられなかった。 覚えようと思えばすんなり覚えられるのに、極力それを減らしたのも自己暗示のひとつだった。 そこにその人が存在すると意識してしまえば、触れてしまうかもしれない恐怖が心を乱す。 個体にある名前を覚えてしまえば存在を認めてしまうことになる。 だから、覚えられない、覚えたくなかった。 特に彼は女性相手にはその感情が強かった。 祖母も女性であったけれども、母もまた女性だったからそうなってしまったのかもしれない。 祖母を清流に例えるならば宮間の母は濁流そのものだったから。 母を汚いと罵りたい感情は持ち合わせてはいなかった。生きていれば色んなものに汚されていくのは仕方のないことだと理解は出来る。 だけどやはり、人として形成されている土台が――――。 宮間は、ふっと息を吐き、自分の身体の上にある温もりを抱き締めた。 桃花に対しては、初めから触れたいと思う気持ちが強かった。 男性として、女性の身体に触れたいと思う気持ち。 能力者として、他者の心に触れたいと思う気持ち。 彼女に向ける欲望が今までになくやたらと大きいもので彼はそれを悩ましく思っていた。 触れたいと思ってはいても、触れたくないと考える気持ちもあったから。 だけど時として感情は理性を押し流す。欲しいと思う感情の静かな爆発。決壊した感情は元通りには出来なくなった。 彼女相手にただ眺めているだけなんて出来ないと、生まれて初めての強い感情を覚えた。 自分から行動を起こすことは初めてだった。 そもそも、出逢った初日に女性の名前を覚えたことも彼にとっては初めての出来事でそのときから彼には大きな期待があったのかもしれない。 桃花はきっと、自分の手を握る側の人間だろうという期待が。
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