****** (私の、超バカ) 一度だけでもいいからと覚悟を決めた筈なのに、機会を逃してしまったことを桃花は激しく後悔していた。 そしてあの日以降残業することも無くなり、部署が違う宮間とは自然と疎遠になる。残業が続いて辛いとは思っていたけれど、たとえ定時で帰ることが出来ても今の状況のほうが精神的に辛いと思えた。 「宮間さんって、良いよね」 桃花がトイレの個室に入っていると外からそんな声が聞こえた。 声の主は彼女と同期の吉永実佳だ。 「この前残業した帰りにご飯食べて帰っちゃった」 「へぇー、宮間さん狙いだったんだ? 実佳って」 「そういうわけじゃなかったけど、なんとなく脈がありそうだし、イケメンだからいいかなって」 「あれ、でも実佳ってカレいなかったっけ」 「宮間さんのほうがいい男だし? 将来性あるから乗り換えちゃおうかな」 「計算高いのねぇ」 「だってさ、見た? 宮間さんの腕時計。あれ、何十万もするやつよ。鞄もそうだけどさ、ブランドもの」 「よく見てるのね」 クスクスと笑い声が聞こえ、桃花は溜息をついた。 宮間がどんな腕時計をしていて、どんな鞄を持っているか気にかけたこともなかった。世間の人はそんなことを気にして見ているのかと彼女は思い、だとしたら宮間もまたそういうふうに見ているのだろうと考え、あまり高いとは言えない鞄や腕時計を持っている自分がなんだかみすぼらしく思えた。 自分が恋をするのも、そのハードルは高すぎるような気にさせられていた────。 定時で退社し、駅前にあるデパートのショーウインドーの前で桃花は足を止めた。 皆が持っている高級ブランドのバッグ。 興味を持ったことがなかったが、こういう物を持ったりするのも個人の価値なのだろうかと考える。 (いくらぐらいするのかな……貯金をおろせば買える値段なのかな) 気安く店内に入れない自分に桃花は溜息をついた。 「その鞄が欲しいの?」 ふいに後ろから声が聞こえて驚いて振り返ると、そこには宮間が立っていた。 「み、宮間……さんっ、いつからそこに」 「君が立ち止まって見始めたときからずっと」 「声をかけて下さい……恥ずかしいじゃないですか」 「熱心に見ているようだったから、声をかけそびれた」 店に入れずにいる自分の姿を彼に見られ、泣きたい気持ちにさせられた。 恋をする機会に恵まれないまま大人になって、周りはスキルをあげているのに自分は振る舞いから何から子供のままで恥ずかしくて堪らなかった。 「店に入らないの?」 「……今日は、あの……下見に来ただけで」 「下見だったら中に入らないと下見にならないんじゃないの?」 宮間はそう言って笑い、桃花の腕を引っ張り店内へと入っていった。 ずらりと並ぶ高級バッグと黒い服を着た店員に圧倒され、足を踏み入れた瞬間あまりの場違いな感じに彼女は外に出たくなった。 「どんなの買おうかなって思ってるの?」 宮間は落ち着いた様子で店内を眺めている。 「え……えっと、会社に持っていけるような」 「今持っているようなトートバッグタイプってこと?」 「……そ、そうですね」 おどおどと適当な返事をしている間に宮間は店員にバッグを持ってこさせた。 見たことのあるようなデザイン。 そういえば吉永が同じタイプのものを会社に持ってきていたような気がすると桃花は思っていた。そしてそれがどれぐらいの値段のものなのか知りたかったが、ステーションビルで売っているようなバッグとは違い正札がつけられていない。 落ち着いて棚に目を向けると、商品の前には小さなプライスプレートが置かれていて店員が持ってきたバッグの一回り小さいサイズでも、桃花が今、肩から下げているものが余裕で十個は買えるような金額だった。 みんなそれぐらいのお金をかけてお洒落をしているのかと溜息が漏れそうになる。 「思ったより良くなかった?」 くすっと笑いながら言う彼が、自分を馬鹿にしているのかそうでないのか判断出来ずに桃花は俯いてしまう。 「正直ここのブランドって桃ちゃんのイメージじゃないんだよねぇ」 似合わないという意味だろうかと考えてしまい、返事が出来なかった。 「まだ見る?」 「……もう、いいです」 「そう」 彼はバッグを店員に返すと素っ気なく店を出ていくから、桃花は慌ててそれを追った。 「この後、時間あるの?」 「あ……は、い」 「うん、じゃあ、もう一軒行こうか」 彼はにっこりと微笑み、デパートの正面にそびえ立つ商業ビルに向かう。宮間が向かった先は、可愛らしいデザインのバッグが並ぶ店でショップの規模は小さいものの、テレビでCM放映されていたり雑誌で特集を組まれたりしているようなブランドだった。 「こういうもののほうが桃ちゃんには似合うと思うな」 「……可愛い、ですね」 プライスの面でも、彼女の手に届きやすいランクではあったけれど同期の吉永がさきほどのブランドのバッグを持っているということを考えたらなんともいえない気持ちにさせられた。 「トートタイプだったら、こういうのは?」 「……ハートの金具が可愛いですね」 「だよねぇ、色はどんなのがいい?」 「え? あ……その、ボルドーが可愛い……かな」 「うん、いいよね。それ、桃ちゃんに似合う」 宮間は近くにいた店員に目配せし、近付いてきた女性に言った。 「これを」 「プレゼント用ですか?」 「うん、そうだね」 「在庫を出してきますので、しばらくお待ち下さい」 店員が奥の扉に消えていくのを見て、桃花は顔を上げる。 「え、あ、宮間さん、あの」 「別のもののほうが良かった?」 「い、いえ」 「さっきのところのも買ってあげてもいいんだけど……桃ちゃんあまり欲しそうにしてなかったし」 「買ってもらう理由がないです」 困った表情をしている桃花に彼は微笑んだ。 「理由? 俺が買ってあげたいからだよ。それ以上にどんな理由がいるの」 さらりと言う宮間に桃花は困惑していた。 あまりにも安物ばかり身につけている自分を哀れに思ったのだろうかとも思えて────。
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