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秘め恋 〜その手が奪うもの〜   45

 

 のんびりと湯につかりながら、いったいどのタイミングでバスルームから出ればいいのだろうか、と少し悩んだ。
  邪魔にならないようにと風呂に入ったのに、もしもまだ電話中だったら?
(そういえば、明日のライブ……場所を伝えてなかったな)
 疲労もあってか、だんだん眠くなってくる。

「風呂の中で寝たら駄目だよ」

 ふいに声が聞こえて、はっとした。
  顔を上げるとそこには宮間が立っていて、バスタブの中にぽんっとピンク色の玉を投げ入れてきた。
  それが湯の中に入ると、しゅわっと溶けて良い香りがしてくる。
「蒼さん、これは……入浴剤ですか?」
「あぁ、バスボムだよ」
 バスボムが溶けるとその中からは薔薇の花びらが出てきて湯の中で広がった。
「わ、すごい」
「そういうの、桃花が好きなんじゃないかと思って」
「普段蒼さんが使っているものじゃないんですか?」
「まさか」
 着ていたシャツをばさりと脱ぎ捨てると、彼は桃花のいるバスタブの中に入ってきた。
「もう電話は済んだんですか?」
「え?」
「……さっき、かかってきた電話です。用事とかできたのなら帰りますよ」
 そんな桃花の言葉に、宮間の表情がくもる。
「今日はもともと桃花とデートの予定だったのに、なんでそういう話になるんだ?」
「……なんでっていうか……なんとなくなんですけど」
 彼女の返事に、宮間は露骨に面白くなさそうな表情を見せる。
「帰りたいわけ?」
「ち、違いますよ」
「……俺が君をさしおいて、あとからかかってきた電話一本の為にどこかに行っても、桃花はなんとも思わないんだ」
「どうしてそういう話になるんでしょうか……」
「ひどいよね」
 桃花の正面に座っている宮間は、ふっと視線を外す。ほんの少し憂いを見せる彼の表情はひどく美しいものではあったけれど――。
「ご、ごめんなさい、蒼さん」
「すっごい拗ねた」
「え? あ、拗ねる?」
 ちらりと視線を向けてくる彼に、桃花は思わず笑ってしまった。
(あぁ、なんだろう……)
 おそらくは宮間のご機嫌を損なってしまったと判るのに、彼女は彼が愛しくてたまらない気持ちにさせられた。
「やだな、蒼さん、すごく可愛くて、大好きです」
「はぁ? 何が……」
 ぱしゃりと薔薇の良い香りがする湯を跳ねさせ、桃花は宮間に抱きついた。
「……だったら、聞いてもいいでしょうか」
「いいよ」
 何を? と聞き返さない彼がやはり愛しいと感じてしまう。
  そして抱擁をしたまま、彼女は聞いた。
「電話は誰からで、どういった内容だったんですか?」
「かかってきたのは由乃から。内容は今夜ヘルプでこられないかって話」
 その言葉に、桃花は彼を見上げた。
「あ、やっぱり用事ができたんですね……」
「引き受けるわけないだろ。明日も行かなきゃいけないのに」
 わざわざ電話をかけてくるのであれば、店が忙しいのだろうかと彼女は思った。
「でも、忙しいんですよね? お店」
「逆。暇すぎるから来いって話だよ」
「……あぁ、そうなんですね」
「忙しいって言われても、断ってたけどな」
 じろりと宮間は何か言いたげに彼女を見た。
  暫くの沈黙の後、彼のほうから口を開く。
「明日は、会えないんだろう?」
「そこは覚えていてくれたんですね」
「……場所はもう判ったのか」
 彼の問いかけに、桃花はライブハウスの名前と場所を告げた。
「でも、日曜日は空いてないって先に言ったのは蒼さんですよね?」
「俺には行かない選択もある」
「ちゃんと行かないとダメですよ」
「……駄目とか」
 また彼は拗ねたのだろうかと思いながら、桃花は微笑みながら宮間に告げた。
「これからの日曜日は……そりゃあ、蒼さんが私の為に時間を作ってくれたら嬉しいなって思いますが、明日は約束をしているのですから行かないと。蒼さんのピアノを楽しみにしているお客様もいるかもしれないじゃないですか」
「新卒の新人に説教をされてるのか。俺は」
「蒼さんが大人げないことを言うからですよ?」
 宮間は、ふいっと横を向く。
  何かを考えるような表情をした後、ぽつりと呟く。
「誰も……楽しみになんてしてない」
「でも、私は聞きたいです」
「寂しそうとか辛そうとか感じてしまうのにか」
「はい。だって、蒼さんの心が見える感じがするので」
「“見える”?」
「演奏が寂しそうでも、蒼さんの隠れてる心が、ちょっとだけ見える感じがするから、何度でも聞きたいです」
「隠しているつもりはない。いちいち言わないだけだ」
 桃花はにこりと微笑む。
「ピアノを弾きたくないのであれば、もっと色々話をしてください。私は言葉以上の何かを感じることも読み取ることもできないので」
 彼女の言葉に、宮間は、ふぅっと息を吐いた。
「君は結構嫌なことを言うんだな」
「私と喋るのは嫌ですか?」
「そうじゃない」
 桃花は再び微笑んでから、ピンク色に染まったお湯を両手ですくった。
「……このバスボム。良い香りですね」
「そう?」
「はい、とても気に入りました。ありがとうございます、蒼さん」
「……あぁ、うん」
 宮間も微笑んだ。
「他にも、色々と買ってあるんだよ」
「いつの間に。でも、バスタイムが楽しみになりました」
 にっこりと微笑む桃花に、彼は隠しようがなくなってしまった零れるような笑顔を彼女に見せた。

 
 

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