「!!」 柊吾は少女のそばに駆け寄り、声をかける。 「大丈夫か?」 ツインテールに白いリボンを付けた少女は、顔をしかめながらも柊吾を見上げた。 「由眞《ゆま》は大丈夫……」 ボール遊びをしていた子どもたちがやってくる。 「ご、ごめんね」 「ぶつけるつもりはなかったんだ」 口々に何かしらの言い訳をしている。 「この公園はボール遊び禁止だから、もうやったら駄目だよ」 柊吾が静かに言うと、子どもたちは頷いて、ボールを拾うと由眞に「ごめんね」と、もう一度言ってから立ち去っていった。 見ていたであろう大人は、少女の様子を誰も見にも来ない。 (……ったく、なんなんだよ) 柊吾は由眞のほうを向いた。 「……本当に大丈夫? 痛かっただろう?」 塩化ビニール製のボールとはいえ、蹴られたボールが当たれば、さぞかし痛かっただろう。 「うん、でも、大丈夫。由眞、強い子だから」 「一度家に帰って、お母さんかお父さんに病院に連れて行ってもらったほうが、いいと思うよ」 「おうち帰っても、由眞の家、誰もいないよ。パパもママもお仕事なの」 「え?」 幼い彼女は幼稚園の年長か、小学一年生ぐらいに見える。 それぐらいの年齢の子が、一人で遊んでいるのか? と、柊吾は複雑な思いを胸に抱いた。 「……いつも、ひとりで遊んでいるの?」 「お友だちといっしょのときもあるよ」 由眞はそう言って、にっこり笑った。 「今日は、みんな忙しいみたい」 「……そうか」 「お兄ちゃんもひとりで遊んでいるの?」 「え? あ、僕は……遊んでいたわけではないんだけど……」 「そうなの? お兄ちゃんもひとりなら、一緒に遊ぼうと思ったのに」 「遊ぶのはかまわないよ? 僕でいいなら」 「本当?」 由眞は、ぱぁっと花が咲いたような、綺麗な笑顔を見せる。 可愛い少女だ。 「でも、本当に背中は大丈夫なのか?」 しゃがんでいる彼女と同じようにしゃがむと、由眞の首筋にあるホクロが目に入った。小さなハート型に見える、可愛らしい形のホクロが右の首筋にある。 「びっくりしたけど、大丈夫。由眞は強いもん」 「そう、強いなら、大丈夫かな」 あくまでも強いから大丈夫だと彼女が言い張るから、柊吾はそれ以上追求しなかった。 「今は何をして遊んでいたの?」 「シロツメクサを集めて、お花の冠を作ろうと思っていたところなの」 「じゃあ、花を摘んでくればいいかな?」 「うん、なるべくキレイに咲いているお花で、茎は長めに摘んで欲しいな」 由眞は笑った。笑顔が似合う、愛らしい子だなと柊吾は思った。 そして、誰かにお兄ちゃんと呼ばれることがなかったから、彼女にお兄ちゃんと呼ばれると、くすぐったい気持ちにさせられた。 (こんな風に僕が花摘みをするのも、最初で最後なんだろうな) 柊吾はそう考えながら、一本一本丁寧に花を摘んだ。 花を渡すと、由眞は器用に花を編み上げて冠の形を作っていく。 彼女の年齢くらいのときに、自分はこんなに手先が器用だったろうかと思う。 「器用なんだね」 「由眞ね、強いし、何でもできるの」 「……ふぅん」 彼女が言うとそんなに嫌味に感じなかったが、口癖なのだろうか? 強いから――――というのは。多めに見積もって、小学一年生ぐらいであろう女の子が、繰り返し言うセリフだろうか。 (まるで、自分に言い聞かせているようにも聞こえるな) 自分は強い、一人でも寂しくない。 なんでもできる、医者にだってなれる。なれないわけがない。 自分は強くて、何でもできる人間なのだから−−−−。 あぁ、まるで自分のようだと、柊吾は感じた。 「でっきた〜」 由眞の手の中でシロツメクサの花冠が出来上がっていて、彼女は嬉しそうだった。 「はいっ、お兄ちゃんにあげる」 ぽふっと唐突に、頭の上に花冠を乗せられた。 「……あ、ありがとう」 「由眞の秘密基地に、連れて行ってあげる」 彼女が先に立ち上がって、駆け出していった。 「足、早いな」 柊吾も急いで立ち上がって、由眞を追った。 由眞は公園内にある、木が生い茂るところに入り込んで行って、振り返り、手招きをしている。 「こっちだよ〜」 公園の林の中に何があるのだろうかと思っていると、一部木が変形して生えている場所があった。小さな部屋のようだ。と柊吾が思っていると、由眞が言う。 「飛行機の、コックピットみたいでしょ?」 「……コックピット?」 意外な言葉が彼女の口から出た。 「……そうだね」 小部屋っぽく見えると柊吾は思ったが、由眞にはコックピットに見えているようだった。 「コックピットを、見たことがあるの?」 柊吾が聞くと、由眞が頷く。 「自衛隊のね、お祭りのときに岩谷《いわたに》おじちゃんが見せてくれるの」 「え? 戦闘機のコックピットを見たことがあるの? 凄いな」 「お祭りのときはみんな見られるよ? お兄ちゃんは見たことないの?」 「うん。ないなぁ」 「すっごいカッコイイんだよ。由眞ね、飛行機大好き」 彼女は大きな瞳を、キラキラさせながらそう言った。 眩しい笑顔に、柊吾の心がトクンと脈打つ。 「とくにどの飛行機が好きとかあるの?」 「ある! ブルーインパルス。お爺ちゃんがね、松島の基地でお店やってるの。だから飛んでるところを、時々見られるの。岩谷おじちゃんの飛行機は、ブルーインパルスじゃないけど」 急に情報量が増えてきたな……と柊吾は思っていた。 岩谷おじちゃんとは、親戚のことなのだろうか? と、すると彼女の父親は…… 「由眞ちゃんのお父さんは、自衛官なの?」 「由眞のパパは、お薬屋さんだよ」 「お薬屋さん?」 夫婦で薬局でも経営しているのだろうか? と、話をよく聞いてみると、由眞の両親は薬剤師のようだった。 (両親は薬剤師、祖父は自衛隊基地内でカフェレストランの経営か……) 岩谷おじちゃんとは、血縁関係はなく、ただの年上の男性ってことらしかった。 「僕も、一度見に行ってみようかな、お祭りに」 「かっこいいよ! お兄ちゃんも絶対見に行ったほうがいいよ」 不意に、十六時を知らせる鐘の音が鳴る。 「もうこんな時間か……」 「由眞、お家に帰らなきゃ」 由眞は、座っていた木の根から立ち上がった。 「背中は、本当に大丈夫?」 柊吾がもう一度聞くと、由眞は笑った。 「大丈夫。今日は一日遊んでくれてありがとうお兄ちゃん」 「……こちらこそ」 名残惜しい、という気持ちを柊吾は初めて感じていた。 もう二度と、会えない子なのに。 「ねぇ、お兄ちゃん! 明日も会える?」 由眞が無邪気に聞いてきた。 「……お兄ちゃんね、中学校の寮に入るために、引っ越しするんだ。だからもう……」 「そうかぁ」 しゅんとする由眞に、柊吾は言った。 「また、いつか会えるよ」 「え?」 「……いつかは、わからないけど」 彼女が寂しそうな顔をしたし、自分も未練がましい気持ちがあったから、そう告げた。 言霊だ。言えば、叶う――――かもしれない。 「うん、じゃあ、またいつかね! お兄ちゃん」 由眞はまた駆け出した。ツインテールの髪の毛を大きく揺らして振り返る。 「またね! 今日はありがとう!」 彼女は大きく手を振っていた。 柊吾もつられて手を振る。 彼女が見えなくなるまでその場に立ち尽くして、それから気が付く。自分の頭の上にあるシロツメクサの花冠に。 「……なんだか、僕だけもらってばっかりだな」 思いがけず、空に旅客機が飛んでいた。 飛行機雲をつくるその機体を、柊吾は見えなくなるまで見続けた−−−−。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 「シロツメクサの君って穂村さんのお孫さんなんだろ? いっそ聞いてみれば?」 飲み会の席で、平野隊長が柊吾に問いかけてくる。 「……確証はないですよ」 「松島基地の民間レストランっていったら、あそこしかないだろ」 「……聞いたところで、別に……。まぁ、本当に穂村さんのお孫さんだったら、幸せにやっているかどうかは確認したいですね」 素っ気なく言う柊吾に対して、平野隊長は複雑そうな表情を浮かべた。 「俺が聞いてやろうか?」 「隊長にお願いするくらいなら、自分で聞きますよ」 「だったら、聞いてみなよ。下手したらもう結婚しているかもしれないぞ」 「下手って……それで、あの子が幸せだったらいいんですよ」 「本気で言っているのか?」 「……本気ですよ」 (じゃあ、なんでおまえはずっと、女っ気なしなんだよ) ――――という言葉は飲み込んで、平野隊長はすっかりこじらせてしまっている、ブルーインパルスのエースパイロットを不憫に思った。
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