☆ ☆ ☆ ☆ ☆ その夜。 (確かに、私も皆子伯母さんのタンシチューは好きだけど……) 由眞は、隣に座っている柊吾の存在が気になって仕方がない。 なんで自分の隣に座っているのか、とか、皆子の家で上機嫌にタンシチューを食べているのか、とか、色々と気になってしまう。 いくら基地内のレストラン経営をしているからといって、ここまで自衛官と個人的な付き合いをするものだろうか? (それもそうだけど……自衛官って門限ってないのかしら?) 時間は二十一時を過ぎていた。 「柊吾くん、一杯付き合わない?」 皆子にビールを勧められても、彼は断った。 「すみません。僕はお酒が弱いんですよ。それに車で来ていますし」 と、笑っている。すると、皆子は「酔わせてみたいわぁ」などと言っていた。 (よ、酔わせてどうする気!?) まさか、皆子は柊吾を狙っているのだろうか。 話は飛躍するようだが、皆子は継彦が三歳のときから、女手ひとつで育ててきた。 再婚話があっても、おかしくはない――――とは思うけれども。 (……この人が……柊吾くんの、お義父さんになるの?) ちらっと由眞は柊吾を覗き見た。 (自衛官だから……体は丈夫だろうし、食うに困らない生活は送れるだろうけど……) なにぶん、継彦は二十三歳で、柊吾がいくつかはわからなかったけれど、親子と言うには歳が近すぎるような気がした。 (……って、何を考えているのよ、私……) とにかく、自分は自衛官には関わってはいけない。 再びその気持ちを強くする。 皆子と柊吾が結婚しても――――いやいや、結婚してから、対応を考えよう。と由眞は思った。 (岩谷おじさんのときも、山口くんのときも……辛い思いをしたのだから。あんな思いはもうしたくない。絶対に) 山口にいたっては、怪我をしたのも退官したのも人づてにしか話を聞いていなくて、車椅子でも飲食できるお店を幹事が用意したというのに、同窓会には来なかった。 スポーツ万能で、性格は明るくて、クラスの中心にいたような男の子で、そんな彼に由眞は淡い恋心を抱いたのだった。 だから、余計に彼は車椅子の自分を見られたくなかったのかもしれない……。 「食がすすんでないね? お腹空いてなかった?」 柊吾が話しかけてくる。 由眞はふっと現実に戻された。 「そ、そんなことないです……私はいつもこんなペースで……」 と、由眞が言いかけると、継彦が話に割り込んできた。 「またまたぁ。いつも早食いでご飯茶碗二杯は軽く食うくせに。今日は柊吾さんがいるから、猫かぶってんのか?」 「……猫かぶるってどういう意味?」 ややテンションを落とし気味に、由眞はからかう継彦を睨みつけながら言う。 「だって、柊吾さんって芸能人並みに男前じゃん」 「――――私、自衛官の人には興味ないって、継彦くんも知ってるでしょ」 一瞬冷えた空気がその場に流れた。 「……まだ、気にしているの? 岩谷さんのこと」 皆子が由眞を気遣うように言う。 「皆子伯母さんは、気にしてないの?」 「……由眞ちゃん……」 「……ごめん、変な空気になっちゃったね。ごちそうさま。私、もう寝るわね」 由眞は立ち上がり、皆子が貸してくれた部屋に向かって歩き出した。 「ごめんなさいね、柊吾くん。本当……あの子ったら……」 柊吾は由眞の背中を見送ってから、皆子の方を見る。 「岩谷さんっていうのは、由眞ちゃんにとってどういう人なんですか?」 「由眞ちゃんが小さいときに、よく面倒を見てくれた自衛官だった人なのよ。ただ、訓練中の怪我で退官することになってしまって……」 「あぁ、あと初恋の相手も、訓練中に怪我して退官したって聞いたよ」 ――――と、継彦が言う。 「え? 由眞ちゃんの初恋? 誰から聞いたのよ、継彦」 「本人だよ。やたら落ち込んでるときがあったからさぁ――――聞いてみたら、そんなこと言ってた」 初恋と聞いて、柊吾は渋い顔をした。 それを違うように解釈した皆子が言う。 由眞が自衛官を本気で嫌っていると、柊吾が思ったのかと彼女は考えた。 「たまたま知り合いが、怪我したのが重なっちゃったのよね。あんまり気にしないで。本来はあんなツンケンした子じゃないから」 「……でも、自衛官は怪我が多いっていうのは本当ですからね」 柊吾が言うと、礼子が小さく頷く。 「まぁ……それは、そうね」 「ごちそうさまでした。美味しかったです。そろそろ帰りますね」 柊吾はタンシチューを食べ終えると、立ち上がった。 「気をつけて帰ってね」 「はい。明日また、穂村さんのところにお見舞いに行きます」 「忙しいのにありがとね」 皆子が笑うと、柊吾も笑った。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 満点の星空には、月がぽっかりと浮かんでいた。 三日月だ−−−−。 (せっかく、また逢えたのに……) 柊吾はため息をついた。 あの日、あのとき、満面の笑みを見せてくれた彼女はもういないのか? パイロットに憧れていた彼女はもう−−−−。 『飛行機のコックピットみたいでしょ?』 無邪気な笑顔でそう言った彼女。 (……あぁ……そういえば) 彼女が言っていた。 『自衛隊のね、お祭りのときに岩谷おじちゃんが見せてくれるの』 コックピットを見せてくれたという、岩谷が、由眞が慕っていた自衛官だったのだと柊吾は思った。 継彦が言っていた"初恋の人云々"は癪に触るが。 彼女の周りには自衛官が多いのは、由眞の祖母が関係しているからなのだろうか? カフェレストラン・ミラノ。柊吾が松島の基地に就任したときには既に由眞の祖母が経営者だった。 前年にもともとの経営者だった祖父が亡くなったと、先輩の隊員から聞いた。 『夏と正月に、けっこう可愛いお孫さんが遊びに来るんだよ。たしか由眞ちゃんって言ってたな』 ――――由眞。 先輩の隊員がそう言っていたが、あの由眞なのかどうか確認しようにも、この二年間彼女は忙しかったのか、自衛官から距離を置くと決めたせいなのか、由眞がカフェレストラン・ミラノに姿を見せることはなかった。 もしも、先輩が言う"由眞"が、あの"由眞"だったら、ブルーインパルスの飛行隊員になった柊吾を、どう褒めてくれるだろうかと期待をしていたが、淡い期待は塵と消えた。 ――――笑うしかない。 あんなに自衛官を尊敬していた彼女が、怪我が原因で退官した人たちのせいで自衛官と距離を置くようになるだなんて、夢にも思っていなかった。 せっかく再び出会えたのに、それを喜びあえないだなんて。 (彼女のことだけを心の拠り所にして、パイロットの辛い訓練にも耐えてきたのに。どうしてこんなことになってしまったんだろう) 由眞自身は、柊吾が想像するよりはるかに美しく成長していた。 ただ、どこか疲れていそうで、やつれていた。 (その原因が、自衛官のことだとは思えないけれど……) 由眞は、明日には帰ってしまう。 逢いたくて堪らなかった人物なのに、このまま何も言わないまま再び離れ離れになってしまうのかと思うと、胸が苦しくなる。 (……未練がましいな。彼女が距離をおきたがっているのは、わかっているのに) 自分が昔公園で遊んだ"お兄ちゃん"だよ。と話したところで、今の由眞が喜ぶとは到底思えなかったから、打ち明けられなかった。 (むしろ――――気味悪がって引くか) 今回の再会は、本当に偶然だったけれど、自衛官を好んでいない由眞からしたら、下手をすれば仕組んだことと思うかもしれなかった。 たまたま、それこそ、由眞のことを聞きたくてカフェミラノで明日の仕込みをしているであろう穂村を尋ねたら、厨房で彼女が倒れていたのだ。 (……それにしても、弘貴って誰だよ) 由眞の母親は、自分の母親そっちのけで、弘貴が待っているからと帰ってしまうし、更に奇妙なのは、由眞がまだ病室に戻ってきていないのに彼女を置いて帰ってしまったことだ。 (公園で遊んだときは――――弘貴の話はしてなかったな) 皆子たちも、あまり弘貴の話はしない。 これまでもそうだった。 もしかしたら以前から話していたのかもしれなかったが、記憶に残らないぐらい、弘貴の存在は柊吾にとって薄かった。 (由眞ちゃんは、松島の基地に来ていたのに、弘貴が来ていたという話は……聞かないな) ちりん。 鈴のついたブルーインパルスのキーホルダーを、柊吾はさっそく車の鍵に付けていた。 (今も、ブルーインパルスのことは、好きなんだね) お土産コーナーで無邪気に笑っていた彼女を思い出した。それだけが救いだった。 (……僕は……忘れられないよ) あのとき過ごした、かけがえのない時間。 相手に忘れられているということが、こんなにも胸が苦しくなるものだとは知らなかった。 (……君のこと) あまりにも長い時間、思い続けていたから、あっさりと忘れてなかったことはできそうになかった。
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