☆ ☆ ☆ ☆ ☆ それから、あっという間に一ヶ月が経ち、由眞は柊吾と共に松島で借りたマンションにいた。 本当は、由眞の祖母の家に居候させてもらおうと思っていたのだが、社宅という名目で柊吾がマンションを借りてしまったのだ。 「家賃とか、光熱費とか勿体ないですよ」 由眞が柊吾に言う。 「福利厚生充実している病院だからねぇ……使えるもんは使っておけばいいと思うけど。光熱費はさすがにでないけど。まだしばらく穂村さんは入院してなきゃいけないみたいだし、このマンションはセキュリティが万全だから。女の子の一人暮らしは何かと心配だし。僕は穂村さんから由眞ちゃんのことを任されているから」 「お、お婆ちゃんが私のことを赤坂さんに?」 「変な意味ではなくて由眞ちゃんの話をしているうちに、自然な流れで"うちの孫をよろしくお願いします"って感じになったってだけだよ」 ひぃいいいいいい。 すっごいお近付きな感じがする。と、由眞の背中に冷たい汗がつたっていった。 「あっ、あの……お婆ちゃんのことなんですけど、そんなに悪いんですか? って……家族が知らないことを、赤坂さんに聞いても仕方ないですよね……」 「まぁ、普通はそうなんだろうけど、穂村さんの主治医の宮前《みやまえ》医師は、僕の知り合いでもあるんだよね」 宮前医師は背がスラリと高い、美人の医師だった。 祖母にとても優しく、院内でも評判がいい医師らしい。 「お医者さんが知り合いだなんて、赤坂さんは交友関係が広いんですね……」 「僕がっていうか、親父が医者だからね……」 「え? そうだったんですか?」 「うん」 ――――なんとなく嫌な感じがして由眞は聞いた。 「あのぅ……もしかして、今回の私の就職先の"ツテ"って、赤坂さんのお父様だったりしますか?」 「……そうだよ」 ひぃっ。と心の中で叫ぶ。家族ぐるみでお世話になるとかありえない。 そんな青くなっている由眞の表情を見て、堪えきれなくなったのか、柊吾がブハッと笑った。 「そんなに気にしなくていいよ。僕は勿論、親父だって君に見返りは望んでないから」 「で、でもっ」 「……そんなに自衛官は嫌い?」 痛いところを突かれて、由眞はどきりとする。 一呼吸置いてから、言葉を発する。 「……いっそ嫌いになれればいいのにって、思うときはあります」 「それはどういう意味で?」 柊吾は面白いものを見るような瞳で、由眞を見てきた。 「え? どういうって……う〜ん……みんないい人過ぎて、キラキラしてるから……岩谷おじさんたちみたいに志半ばで、退官とかにはなって欲しくないから……。と、とにかく……なんかもう、キャパ超えなんですよ!」 突然由眞の理性がプツッと切れた。 急に彼女の声のトーンが大きくなって、柊吾は瞳を丸くさせた。 「子供の時から……みんなが可愛がってくれるから……松島が無性に恋しくなるんです。でも、みんな……三年でいなくなる。岩谷おじちゃんが、珍しく三年以上同じ場所で任務に就いてるなって思ってたら……訓練中に怪我して退官しちゃって……結局会えなくなるのは同じで」 「……そっか、そうだよね……僕らは三年で部署が変わるのが当たり前だと思っていたから、三年間隔で別の任務に就くことを悲しんでいる人のことを、考えたこともなかったな」 ぽんぽんっと、柊吾は由眞の頭を撫でるように軽く叩いた。 「離れ離れになっても、みんな、由眞ちゃんのことを忘れたりはしていないよ」 「……そうでしょうか?」 「そうだよ」 (でも君は忘れてしまったけどね) 柊吾は心のなかでポツリと呟いた。 「なんだか私、弱気ですね。明日から新しい職場での仕事だからかな。がらにもなく緊張しちゃっているのかも。はは」 空笑いをすると、柊吾が微笑む。 「大丈夫だよ。何かあったら冗談抜きにして、僕を頼って。僕の父のツテで入ることがわかっていて、君にちょっかい出してくるやつがいるなら、逆に見てみたいけど」 冗談っぽく柊吾は言ったが、彼が思うところ(いじめなど)とは別の部分で、由眞にちょっかいをだしてくる人間がいようとは、このときの柊吾には想像も出来ていなかった。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ いよいよ、由眞の松島大学病院での一日が始まった、 仕事の手順の違いは多少あるものの、仕事内容は以前いた調剤薬局と変わらない。 院内調剤課のメンバーも、由眞をコネで入ってきた人間というよう見て、冷遇することなく、仲良くしてくれた。 「野木さんは薬剤師歴何年なの?」 同じ薬剤師の佐野緑《さのみどり》が声をかけてくる。 佐野は院内調剤課では課長に継ぐ年長者で、三十五歳だった。 「今年で四年目です」 「おぉ、このスーパーエリート薬剤師、小出恭平《こいできょうへい》と同じではないか」 前髪にパーマをゆるくかけた、一風変わって見える人物――――小出恭平は、由眞と同い年だった。 最初の挨拶からスーパーエリート薬剤師と言っているので、そう呼んで欲しいのだろうか。 そんな彼が会話に割り込んでくる。 「スパエリ薬剤師、さっさと仕事する。あんたは喋りだすと手が止まるからね」 佐野が言うと、他の薬剤師の女の子たちがクスクスと笑った。 (ここの調剤薬局内は、みんな仲良しみたいね) 由眞はそう感じていた。 今日は仕事の後、皆が由眞の歓迎会を催してくれるそうだ。 (前の職場は新卒で入ってずっといたから、自分の歓迎会なんて……なんだか新鮮だわ) 新しい場所での仕事に対して、自分に勤まるか心配していたが、なんとか柊吾に恥をかかせることなくやっていけそうだ、と由眞は思っていた。 そんな由眞のことを院内調剤課の扉の外からじっと見つめている人物には、誰も気付けずにいた――――。
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