☆ ☆ ☆ ☆ ☆ その頃、柊吾も上官から呼び出されて団長室にいた。 第四航空団長、品川聡《しながわ さとし》が柊吾の目の前にいる。 「昼休みの貴重な時間に、呼び出して済まなかったな」 「いいえ。用事とはなんでしょうか?」 品川団長はコホンと咳払いを一つして、目の前に置いてあった、いかにも見合い写真であるといった風の台紙を、柊吾に差し出した。 「これは……?」 「私の愛娘の見合い写真だ。ぜひ君に見てもらおうと思ってね」 「……私に、ですか?」 その仰々しい台紙を開く前に、柊吾は言う。 「品川団長のお言葉ですので、拝見させていただきますが、僕には結婚を約束した恋人がいます」 そう告げてから、ぱらりと写真台紙を開いた。 けばけばしいくらいの化粧をした女性が写っている。 美しくないとは言わないが、圧倒的に好みではない。 「君に恋人がいるだなんて初耳だが?」 「今、初めて言いましたので。あまり言いふらすことでもないと考えておりましたから。勿論正式に結婚が決まれば、ご報告に伺うつもりでしたが」 「ふむ……なるほど」 柊吾は写真を品川団長に返す。品川団長は訝しげに柊吾を見た。 「我が娘との結婚は嫌か? 悪くない話だと思うが」 「恋人がいなければ、すぐにでもお受けしたいくらいの素晴らしいお話だと思うのですが、私は自分の出世のために、恋人を捨てるような人間にはなりたくはないのです」 柊吾のセリフは全部ウソだった。 だけど、まるで本当のことのようにスラスラと口から出てくる。 それは、恋人という人間を"由眞"と仮定して話しているからだった。 だが品川団長は疑いの眼差しを、柊吾に向けている。 「その話が本当であるなら、上官として、ぜひ、お会いしておきたいものだな。来週の日曜はどうだ? 何か旨いものでもご馳走するから、君の恋人をお披露目してはくれんか?」 「……勿論です。品川団長」 柊吾はにっこりと微笑んだ。 団長室を出ると、柊吾は急いで人気のない場所へと向かった。 由眞に連絡するためだった。 (昼休みの終わりまで後少しか……くそっ) あの狸爺。自分にわがまま放題の娘を押し付けて来るとは、柊吾は思ってもいなかった。 (わがままだろうがなんだろうが、僕が思うのは昔からただ一人だ) Line通話で電話をかけると、2コールほどで由眞が出た。 「……ごめん、昼休みの最中に、今、ちょっとだけいいかな」 『……私も、赤坂さんに話しておかなければいけないことがあったので、ちょうどよかったです』 力なく由眞が言う。 「え? どうしたの? 何かあった?」 『……今はちょっと……今夜、空いてますか?』 同じことを柊吾は言おうと思っていたので、驚きながらも承諾すると、由眞は硬い口調のままで『どこかお話のできるところ、ご存知ですか?』と聞いてくるから、由眞の家の近くにあるカフェバーを提案した。 『では、そこで、十九時くらいになっても大丈夫ですか?』 「大丈夫だよ。車で由眞ちゃんの病院近くまで迎えに行くよ。それでもいい?」 『……いつもすみません』 そういう喋り方でもなかったのだが、彼女が今にも泣き出しそうだと彼は直感的に感じてしまった。 一体何があったというのだろう? 「由眞ちゃん、何があった?」 『……今はちょっと……もう昼休みも終わりますし、今夜お会いしたときに』 「あ、ああ。わかった……それじゃあ今夜、病院の裏口で待っていて、迎えに行くから」 『よろしくお願いいたします』 「ああ、じゃあ、あとでね」 『はい。あ、あの……そんなことはないとは思いますが、私なんかを気にして訓練でミスしたり……怪我されたりしないでくださいね』 「大丈夫だよ」 『……それでは、また後で』 「ああ」 由眞との通話が終わって、なんとも言えない感情が湧き上がってくる。 (なんで、今、僕は彼女の傍にいないんだ?) それがどうか手遅れにならないようにと、今の柊吾は祈るしかなかった。 彼女が長い間、弟のこと、母親のこと、その他諸々のことで打ちひしがれていたときに、自分は彼女の傍にいられなかった。 ――――今は、彼女の手を取り、傍にいたかった。それができない今の自分が悔しかった。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 十九時。 裏口から由眞が周りの様子を伺いながら、恐る恐る出てくる。 由眞の傍には見知らぬ女性がいたが、由眞が柊吾の車を見つけると、女性は由眞に手を振って職員用の駐車場に向かっていった。 「すみません、お疲れのところ、急に呼び出してしまって」 「大丈夫だよ」 彼女の不安感が、柊吾にも伝わってくる。とにかく早く病院から離れたほうが良さそうだと感じて、目的の場所へと車を走らせた。 「さっきの女性は同じ部署の人?」 「あ、そうです。佐野さんという方でとても良くしてくださるんですよ。お昼も一緒に食べていて」 「じゃあ、今日は邪魔してしまったね」 「いいえ、私の方からも、連絡をしたかったので、ちょうど良かったです。赤坂さんって超能力者みたいですよね」 と、由眞が言うので、柊吾は思わず笑ってしまった。 「僕が超能力者かぁ」 「私が困っているときは助けてくださるし……それに、なんでもできるし、何より、ブルーのパイロットで、五番機に乗ってらっしゃるし……」 「敬語はいいよ、普通に喋って」 「あ……はい」 「……僕は初めから、ブルーインパルスのパイロットになりたいって思っていたわけじゃなかったんだよ」 「え? そうなんですか?」 「……家が、医者の家系で当時兄二人も医者を目指していてね。だから当然自分も医者になるつもりでいたんだけど、何故か母は僕だけには"好きな仕事に就きなさい"なんて言ってきて。凄い悩んだよ、どういう意味なんだろうって、僕は医者には不向きなのかなとか色々悩んだりして――――」 「……そうだったんですね」 柊吾はあのときのことを言うか悩んだ。 「……由眞ちゃんは、今でも、自衛官は苦手?」 彼の質問に、由眞は困った顔をした。 「……すみません……自衛官の赤坂さんには、とてもよくして頂いているんですが……もし、何かあったらと思うと不安になってしまうので……小さい頃は自衛官の皆さんにとても良くしていただいたのに、薄情ですよね……私」 「……薄情ではないと思うよ。由眞ちゃんが心配になる気持ちはわかるし……良くして貰っていたのなら、尚更だよ」 嬉しそうに笑っていた、幼い頃の彼女の姿が脳裏に蘇る。 『すっごいカッコイイんだよ。由眞ね、飛行機大好き』 (あぁ、あの頃の由眞ちゃんは可愛かったな……今も、可愛いけど) ただ、あの時のような弾ける笑顔は見せてくれない。 それが少し寂しく、哀しかった。 (君がブルーインパルスを好きだと言ったから、僕は……) パイロットの訓練は、並大抵のものではなかった。 肉体的にも精神的にも辛かったが、由眞の笑顔があったから、どんな訓練にも耐えてこられたというのに。 (残酷だな) 再会してみれば、彼女は自衛官に対して苦手意識を持っており、そして遠い昔のことは忘れてしまっている。 せめてあのとき名前ぐらい、名乗っておけばよかったと後悔している。 「着いた、ここだよ」 「あ、本当にうちの近くなんですね」 「料理も酒も最高に旨いんだよ。僕は……今夜は呑めないけどね」 「す、すみません……じゃあ、私もソフトドリンクで……」 「ソフトドリンクって気分なら、どうぞ? 僕に合わせることはないよ」 カフェバー近くにある駐車場に車を停めて、ふたりは目的地を目指す。 「……すみません……本当は、凄く飲みたい気分なんです」 「正直だな。好きなだけ呑めばいいよ。ここは奢るから」 「お、奢りなんて駄目です。私が誘ったのに」 「――――ん……まぁ、僕の話を聞いたら、奢り程度じゃ足りないって君は思うよ」 「……あ、そういえば……赤坂さんも何か話があるって仰ってましたね」 カフェバーの扉を開けると大きな水槽が真ん中にあって、熱帯魚が泳いでいた。 「わぁ、綺麗」 オレンジやブルーの小さな魚が、水槽の中を気持ちよさそうに泳いでいる。 「予約していた赤坂ですけど」 「赤坂様、お待ちしておりました。こちらへ」 店員に案内されて通されたのは半個室のテーブル席だった。 ここにも小さな水槽が置いてあって、熱帯魚が泳いでいる。 「赤坂さんって、熱帯魚が好きなんですか?」 「由眞ちゃんが喜ぶかなと、思って」 「わ、私……ですか?」 「小さいものとか、可愛いものとか好きそうだったから」 ちりんと、車のキーを彼は揺らした。 猫が乗っているブルーインパルスのキーホルダーだった。 「まだ使ってくださっているんですね」 由眞は照れくさそうに微笑んだ。 「まだもなにも、この前貰ったばかりじゃないか」 「……でも、考えてみたら、ブルーインパルスのパイロットが、ブルーインパルスのキーホルダー使ってるって、なんか変ですよね?」 「変じゃないと思うけど。みんなブルーを愛してやまないし。なんならグッズを集めまくってる隊員もいるくらいだよ」 「本当ですか? よかった」 由眞はほっとしたような表情をした。 「そんなことまで心配しなくていいのに」 「……だって、私のせいでもし、赤坂さんがからかわれでもしていたら、嫌だなって思ったんです」 「そんなことはないよ。全然」 柊吾が安心させるように言うと、彼女は微笑んだ。 「さて、何を呑む?」 注文用のタッチパネルの飲み物ページを彼女に見せながら、柊吾が言う。 「あ、生中がいいです」 「……本当に呑みたい気分なんだね」 「日本酒でも良いんですけど、喉も乾いているので」 「オッケー。食べ物はどうする? お腹空いてるんじゃない?」 「んんん……そうですね、このシラスと大葉のピザって気になります」 「気が合うね、僕も同じこと考えていたよ」 「お上手ですね」 「いや、本当に」 由眞の生中と、柊吾のウーロン茶がテーブルに置かれると、二人は乾杯した。 「おつかれさま」 「おつかれさまです」 カチンとグラスを合わせると、由眞は一気にビールを飲み干した。 「だ、大丈夫?」 その飲みっぷりに、柊吾は驚かされた。 「あ、いつもこんな感じなんで」 と、言いつつ彼女の頬は赤く上気している。 「えぇっと……おかわりは……するのかな?」 「そうですね。仕事の後のビールって本当最高ですね」 「おっさんみたいなことを言うんだな」 柊吾は思わず笑った。 「……なんて、言ってみたかったんですよ」 「え?」 「どこに行っても、おとなしい自分を演じなきゃいけないような気がして」 「どうしてそんなこと思うの?」 「弘貴のお姉ちゃんだからです」 彼女は寂しそうに俯いた。 「もういつからだったかなんて、思い出せないんですけど、弘貴を知らない人の前でも、私は弘貴の姉を演じるようになってしまって。だから心臓病の弟の姉が、ビール一気飲みしたり、仕事の後のビールは最高! 何て言ったりするの、おかしいかなって」 「そんなことはないよ、君は君なんだし」 「……母が……うるさいんですよね……あなたは弘貴の姉なんだから恥ずかしくない人間でいなさいって。弘貴の渡米のために協力してくれているボランティアの人の目もあったりするから、余計だと思うんですけど」 シラスと大葉のピザと、由眞のおかわりの生中がテーブルに置かれた。 「わぁ、おいしそう」 そう言って由眞は取皿にピザを一枚乗せると、柊吾に渡した。 「あ、ありがとう」 「私、シラスも好きですけど、大葉も好きなんですよ。お刺身と一緒に食べたりとか……」 「そうなんだ」 「いっただきまーす。んんっ、おいしい」 由眞は一口ピザを食べると、再びビールを一気に呑み干した。 「由眞ちゃん、ちょっとペース早いんじゃ……」 「赤坂さん」 「うん?」 「赤坂さんのお話ってなんですか?」 白い頬をいっそう赤くさせながら、由眞が言う。 「あ、う……ん」 柊吾の話は品川団長の件で、恋人の代役を由眞に頼もうとしていたのだが、当の本人はだいぶアルコールが回っていそうで、正しく話を聞ける状態なのかどうかあやしかった。 「……僕の話もだけど……由眞ちゃんの話ってなんだったの?」 「私ですか?」 へらっと彼女は笑った。 「私、結婚するんです!」 やけくそ、と言った感じで彼女が言った。 「え? け、結婚ってどういうこと?」 柊吾に大きな衝撃が走った。 「生中もう一杯貰っていいですか?」 「いや、ちゃんと話をしてからだよ、結婚って? 誰と?」 「……なんて名前だったかな……忘れちゃった、松島大学病院の院長のご子息、です」 「なんで、君とあいつが結婚することになったの?」 「……お金、ですかねぇ」 きゅうりの味噌和えをひとくち食べて、由眞はポリポリと噛んだ。 「金って? どういうこと?」 「……弘貴の渡米代が足りなくて、それをあの人が出すって言うから……するんです。結婚したら、出してくれるって言うから」 「ちょ、ちょっと待って、だからって結婚って」 「……あの人、お婆ちゃんに言っちゃったんです。僕と結婚したら弘貴くんの渡米代は出すから、なんの心配もいりませんからねって……」 ははっと由眞は乾いた笑い方をした。 ――――冗談じゃないと柊吾は思った。そんな理由で彼女を奪われたくない。 「渡米代っていくら?」 「三千万です」 「僕がその三千万出す」 「え?」 「弘貴くんのクラウドファンディングに、三千万入金すればいい?」 「え、ちょ、何言ってるんですか?」 そうしている間にも、柊吾はスマホを操作している。 「はい」 柊吾はスマホの画面を、由眞の方に向けた。 三千万の寄付履歴が見えた。 「……どうして、ですか? 赤坂さんには……なんのメリットもないじゃないですか、しかもこんな大金……」 「……金額のことを気にしているなら、気に病まないで。僕が学生時代にデイトレで儲けた金のほんの一部だから。これで、結婚の話はなしでいいね?」 「……は、はい……多分」 「多分って何? 足りないなら、いくらでも寄付するけど?」 「い、いいえ、とんでもないです……でも……赤坂さん……怒って……ますよね?」 由眞がそろりと柊吾を見上げる。 彼が怒るのは当然のことだった。 彼女が告白してくれなければ、自分が紹介した病院のバカ息子と彼女が結婚するなんて、想像もしていなかったことが起きていたのだから。 「決める前に相談してよ」 「……本決まりではなかったんですけど……お婆ちゃんも反対してましたし……でも、他に方法がないと思ったので」 「……そうかもしれないけど」 「……あ、の……私、どうしたらいいですか?」 「病院のバカ息子との結婚は白紙だよ」 「……いえ、そっちではなくて……赤坂さんに、対して……どうすれば……」 「ノーリターンのクラウドファンディングなんだから、気にすることないよ」 「で、でも……」 由眞の困った表情を見ながら、柊吾は今夜彼女に何をお願いするんだったか思い出した。 ――――本当は、一日恋人のフリ、だったのだけれども。 「じゃあ、僕と一年間、結婚してくれないか?」 「あ、赤坂さんと結婚? ど、どうしてですか、あ、拒否権なんてないですよね、すみません」 「……どうしてもいやなら拒否してもいいよ。君が自衛官が駄目ってのは知っているし」 「……理由は、聞いちゃ駄目ですか」 「……実は上官の娘さんとの縁談話があってね、ただ"嫌だ"では済まなくって、結婚を決めている相手がいるって言ってしまったんだよ。そうしたら、会わせろ−−−−って」 「……それって私でいいんですか」 「穂村さんの孫だし、君が一番怪しまれない」 そんな理由は嘘だ――――君じゃないと駄目なんだ、と言いたいのを柊吾は堪えた。 「……怪しまれない……そういうものですか」 「会わせたら会わせたで、いつ結婚するんだってなると思う」 「そうですね……」 「だから、一年間だけ、契約結婚をして欲しい」 「契約、結婚ですか?」 「病院のバカ息子と同じようなことを言ってて、言っている僕も情けないんだけど……」 「あ……えっと……」 「今期、ラストフライトだって言ったよね?」 「はい」 「僕がブルーインパルスのパイロットでいる間だけ、妻として一緒に居てくれないか?」 「……あ、あの……」 じっと柊吾から見つめられてしまうと、まるで本気のプロポーズじゃないかと錯覚してしまう。由眞は大きく深呼吸してから、柊吾を見つめ返した。 「私で、よければ……その」 「由眞ちゃんがいいんだよ。だから今日、呼び出したんだから」 酔いの赤さとは違う、赤が由眞の頬を染める。 (深く考えちゃ駄目) だが、柊吾に選ばれたことが――――それがたとえ契約結婚だとしても、単に一番近くにいる"丁度いい相手"だったとしても、由眞の心はじわじわと温かくなっていった。 問題点はたくさんある。 契約結婚なんてたとえ一年でも、うまくごまかし切れるのか? とか、なにより彼が自衛官である、ということ――――だけど、由眞に選択の余地はなかった。 桃谷と本当の結婚をして一生過ごすより、圧倒的に柊吾との契約結婚のほうがいい。 (赤坂さんが他の人と結婚しちゃうのも……なんだか、嫌だし……) それにお金ももう振込済みだ。 (私も困ってたけど……赤坂さんも、困ってたのよね?) 由眞はちらりと柊吾を見上げる。 「これから一年間、よろしくね」 彼は爽やかに微笑んだ。 「はっ、はい」 思わぬ展開ではあったけれど、由眞にとってそう悪くない方向に事態が動いて、ほっとした。 「桃谷の件については、僕の父経由で釘をさしておいてもらうから、安心して」 「え……でも桃谷さんは松島大学病院の院長の子息ですよ? 大丈夫なんですか?」 「その辺は大丈夫」 「……それなら、いいんですけど」 「さっそく来週の日曜日、品川団長と会うというミッションがあるんだけど」 「あ……来週なんですね」 「予定は大丈夫?」 「大丈夫です、お洋服ってどんなものを着れば……」 「んーそうだね、なんでも良いと思うけど、せっかくだから可愛いワンピースでも買いに行こうか。婚約指輪も欲しいし」 「こ、婚約指輪!?」 由眞が驚いていると、柊吾が微笑んだ。 「だって、僕の婚約者なんだし、婚約指輪じゃないにしても、指輪のひとつでもはめてないと、疑われちゃうよ」 「そ、そうですか……」 「さっそくなんだけど、明日空いてる?」 「あ、空いてます……けど」 「お金の心配はいらないからね」 彼はにっこりと微笑んだ。 「由眞ちゃんに似合う指輪を選んであげる」 ひぃっと、由眞は心の中で叫んだ。 「い、一番安いのでお願いします」 「そうはいかないよ。僕の婚約者なんだし」 なんだか【仮】がどこにもついていなさそうな、綺麗な笑顔を向けてくるから由眞は心底困ってしまう。 「あっ、あのぅ!」 「なに?」 「……生中、お代わりしてもいいですか……」 「好きなだけどうぞ」 整った綺麗な顔でキラキラした笑顔を向けられると、なんだか恥ずかしくて呑まなければやってられない! という気持ちに由眞はさせられていた。 だが、普段あまり呑んでいないアルコールを大量に摂取したため、彼女は大いに酔っ払ってしまった。 「……由眞ちゃん、大丈夫?」 「ん……らいじょうぶです。でもちょっと眠いです」 「できれば寝ないで欲しいんだけどな。烏龍茶か、お水、もらう?」 由眞はコクコクと頷いた。 「赤坂さんの烏龍茶、もらっていいですか?」 「え? あ……」 彼が了承する前に、由眞は柊吾の目の前にあった烏龍茶のグラスを取り、ゴクゴクと呑み干した。 「ふは、すっごい喉がカラカラだったんです」 「あ、そ、そう」 「でも、もう一杯頂いてもいいですか?」 「いいよ」 思わぬ間接キスに、柊吾は動揺した。 (バカだな、いい歳して……) それでも、顔が赤くなるのは止められず、由眞から視線を外して烏龍茶をふたつ注文した。 「烏龍茶飲んだら、出ようか」 「はぁい」 酔った彼女が可愛らしかったので、つい呑ませすぎてしまったと、柊吾は思った。 明日、今日約束したことを、彼女は覚えていてくれるだろうか。柊吾は不安になるのと同時に、まだ離れたくないとも思えた。 「あのさ、この後なんだけど、僕の家に……来る?」 「赤坂さんのお家って基地内の宿舎ですよね?」 「外にマンションも借りているんだ」 「あ、そうなんですね。お邪魔してもいいんですか?」 「言い出したのは、僕だよ?」 「んん……じゃあ、お邪魔しちゃおうかなぁ……赤坂さんのお家がどんなのか見てみたいな」 「普通のマンションだけどね」 何故彼女が自分の住んでいるところに興味を持ったのかわからなかったが、まだ一緒に居られると安堵した。それと同時に自分は安心安全な男だと思われているのかなと思えば、それはそれで複雑だった。
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