カフェバーを出ると、彼女は軽い足取りで自動販売機の前に向かった。 「何か買っていくの?」 「はい、お水を」 「それなら家に−−−−」 あるよと言い終わる前に、由眞はミネラルウォーターのボタンを押していた。 ――――またしてもスロットの付いた自動販売機だったので、妙な音楽と共に数字が揃った。5が四つだ。 「やったぁ、凄くないですか? 5って言ったら赤坂さんの番号ですよ!」 「僕の番号?」 「五番機、ブルーの機体ですよ」 トクンと心臓が跳ねた。ばかみたいに、気分が高揚した。 ただ彼女が自分の機体番号を覚えてくれていたというだけで、泣きたくなるくらい切なくなった。 「……由眞ちゃん、ブラックコーヒーをもらってもいい?」 「どうぞ〜」 ブラックコーヒーのボタンを押して、取り出し口からふたつ飲み物を取り出した。 「お水は今飲むの?」 「はい」 「じゃあ」 ペットボトルの蓋を緩めてから、柊吾は由眞に渡した。彼女は嬉しそうに笑っている。 「ありがとうございます、嬉しいな」 彼女は蓋をとって、水をゴクゴクと飲んだ。由眞の白い喉が動く。 「スロットが揃ったから、嬉しいの?」 「ううん、赤坂さんが私に優しいから!」 以前プルタブを開けて渡したときは過保護だと、由眞は言った。 (こっちが、本当の彼女なのかな) 「あっかさっかさん」 「ん、何?」 「お手々、繋いで」 由眞は手を差し出してきた。 あぁ、これは甘えたいんだな、と彼は思った。 手を繋ぐと彼女は嬉しそうに笑って、鼻歌を歌っている。 (何の歌だろう?) 聞き覚えのある、最近の流行りの歌だと思えた。それが何かまでは柊吾にはわからなかったけれども。 柊吾の家に入っても、由眞は機嫌良さそうに鼻歌を歌っていた。 「ソファに座ってて、んんっと……アイスでも食べる?」 冷凍庫にはハーゲンダッツのアイスが何個か入っていた。 「アイス? 食べたい」 とととっと、由眞が冷蔵庫の前に立っている柊吾に近寄ってきて、冷凍庫の中を覗いた。 「わぁ! ハーゲンダッツだぁ」 「好き?」 「うん、大好き」 「どれでも好きなの取っていいよ」 「じゃあ、バニラ」 彼女はバニラを取ると、大事そうに抱えて、ソファに向かった。 柊吾はストロベリーのアイスとスプーンを二本持って、由眞のところへ向かう。 「はい、スプーン。蓋は開けられる?」 「大丈夫です」 スプーンを受け取り、蓋を開け、由眞は美味しそうにアイスを食べた。 (用意しておいて良かったな) ここまで喜ぶとは思っていなかったけれど、彼女の幸せそうにアイスを食べる様子は本当に愛らしかった。 「赤坂さんはストロベリーにしたんですね」 「こっちも食べたい?」 「……うん」 「じゃあ、どうぞ」 柊吾がまるごと渡そうとすると、由眞はふるふると首を振る。 「一口だけ食べたい」 「じゃ、食べる分だけ取っていいよ」 「赤坂さんが食べさせて?」 「え」 「お母さんがね、弘貴にはよくそうしてあげてたの」 と言って由眞は口を小さく開けた。 可愛すぎて反則だと、柊吾は思いながらも銀のスプーンでアイスをひとすくいして彼女に食べさせた。 「んんん……美味しい」 彼女が満足そうに微笑むから、柊吾は結局、自分はアイスを一口も食べないまま、ふたつのアイスを由眞に食べさせた。 冷たいものばかり食べさせたから、温かいものをと考え、柊吾がキッチンに向かおうとすると、由眞の手が柊吾のシャツの袖を掴んだ。 「どこに行っちゃうの?」 「お茶でも淹れようと思っただけだよ」 「もう何もいらない……傍に居て」 何故彼女は、柊吾の琴線に触れるような言葉を言うのだろう。 抱きしめたい、キスをしたいと彼は思った。 「……由眞ちゃん、キスしてもいい?」 「うん」 返事はあっさり返ってきた。柊吾は再びソファに腰掛け、そっと由眞の頬にキスをして様子を見た。弘貴がお母さんに〜が始まると思ったらやっぱりそうだった。 「お母さん、弘貴にはほっぺにキスしたりするんだよ」 「……そうか」 「ね、もっと、チュッてして欲しい」 おねだりの仕方も可愛いと柊吾は思う。 「……うん……」 唇は避けて、額や頬に彼はキスをした。 「…………なんだろ、なんか、そうじゃない……」 由眞が不意に不満を口にした。 「でも、お母さんは弘貴に口付けはしないだろ?」 「……口付け、あ、うん、でも……しちゃ駄目?」 彼女の言葉が能動的に聞こえたから、柊吾はいいよ、と言って目を閉じた。 ふわりと由眞の香りがする。彼女は首筋に腕を回してきて、短い口付けをした。 「……男の人の唇って、柔らかいんですね」 「君もね」 「ぎゅってしてもいいですか」 「いいよ」 彼女は回してきた腕はそのままに、身体を密着させた。 そして柊吾の肩に頬を乗せて言う。 「……私……寂しい……ずっとずっと……寂しかった」 「弘貴のせいで?」 「……ううん、愛されないのは私のせいなの、私がいい子じゃないから」 「由眞ちゃんは、いい子だよ」 「ほんと?」 「うん」 「……私のこと、好き?」 「どういう意味で?」 「嫌いじゃない? って意味で」 「嫌いじゃない、好きだよ」 「……よかった」 彼女の声が涙で滲んだ。 「……寂しい……」 柔らかな彼女の肢体が直ぐ傍にあっても、柊吾はそれ以上のことはしなかった。その代わりに何度も彼女に「好きだ」と言った。 きっとひとつも伝わってはいないとは思えたが、何度も何度も、彼女が眠りにつくまで繰り返し言葉にした。 「好きだよ、由眞……」 手放せないと思うほどに。
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