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契約結婚 一年後には捕まえます! Dolphin Riderとの激らぶ婚 2-7



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 チュンチュンと鳥の鳴き声が、遠くで聞こえている。
 ふかふかのお布団からは、嗅ぎ慣れない洗剤の香りがした。
(ん? んんん?)
 グリーンの遮光カーテンの隙間から、光が薄っすらと差し込んできている。
(……グリーンのカーテン?)
 自分の家のカーテンは、オレンジ色だ。
「え……ここ、どこ?」
 頭の中がぼんやりして、状況が把握できない。
 コンコンコン、とドアが三回ノックされる。
「は、はい」
  由眞が返事をすると扉が開き、柊吾が入ってきた。
「起きていたんだね? 具合はどう?」
「ぐ、具合とは……」
「昨日は盛大に、吐いてたから」
「う、そ……すみません、ご、ご迷惑をおかけしてしまって」
 由眞はガバッと布団から飛び出て、正座をすると深々と頭をさげた。
「いや、全然、大丈夫だよ。由眞ちゃんの洋服以外は」
「ひぃっ」
 そういえば、今自分が着ているのはダブダブのシャツだった。
 おそらく、柊吾のシャツだ。
「あぁ、その表情のときはそういう声を、心の中で出していたんだね」
 柊吾はにーっこりと笑った。
 笑顔が怖い、なんか怖い!
「お、怒ってますよね……」
「どうして?」
「馬鹿みたいに呑んで、粗相して……ご迷惑おかけして」
「由眞ちゃんが呑むのを止めなかったのは僕だし、僕の責任でもあるよね」
「そ、そういうものでしょうか?」
「そうだよ」
 柊吾は頷いた。
「ところで」
「はい」
「昨日のことは覚えている?」
「も、もちろんです。弘貴のために三千万円のご寄付、本当にありがとうございました」
 由眞は、再び深々と頭を下げる。
「うーん。ソコじゃないんだよね」
「け、契約結婚のことも、ちゃんと覚えています。一年だけ、結婚生活をするんですよね? 上官の娘さんとの結婚回避のために」
「そうそう。良かった、覚えておいてくれて」
 柊吾の綺麗な顔が、目の前に迫ってくる。
「一年だけの契約結婚について、細かい条件とか、全然話す暇がなかったけど……」
「す、すみません」
 そんなに謝らなくてもいいって、と彼は言って笑う。
「生活費なんかの金銭面は、全額僕が出すから安心して"あの弟"にも渡米費以外にお金がかかるようなら、言ってくれればすぐに用意するから」
 事もなげに彼は言った。
 "あの弟"の言い方に、刺々しさを感じたのは――――多分気のせいだ。と由眞は思うようにした。
「……す、すみません……」
「気にしないで、少なくてもあの病院のバカ息子よりは、お金を持っている自信はあるから。だから何かあったら遠慮したり、悩まないで、すぐ僕に言って。ああいうのにつけいれられるの、本当に腹立つから」
「は、はい」
「うん」
 ふわりと彼は包み込むように、由眞を抱きしめてきた。
「……君は、僕のものだ」
 小さな声で柊吾は呟いた。
 由眞はひぃっと心の中で叫んで、身体を硬くする。
 ボクノモノ。
 ――――どういう意味で??
 聞かされた由眞は、身体をこわばらせたまま、どう返事して良いのかわからなかった。
(この一年の間だけは……って、ことよね?)
 ふっと彼の腕の力が抜ける。
「そうだ、卵雑炊でも食べる? 昨日は呑んでばかりだったから、お腹空いているんじゃない?」
 確かに、昨夜はビールばかり呑んでいて、食べ物はシラスと大葉のピザを一切れと、きゅうりの味噌和えを一口食べた程度だった。
 ぐぅ、とお腹が鳴る。
「……お腹、空きました。でも自分でやります――――ところで、ここはどこなんですか?」
「僕のマンションだよ」
「えっ! 赤坂さんって、基地内の宿舎に住んでいるんじゃなかったんですか?」
「普段はそうなんだけど。昨日は特別だったから、予め外泊届けも出しといたし」
「トクベツ?」
「うん。運が良ければ、由眞ちゃんをここに連れて来られるかなぁとか、思っていたから」
「運って……どういう意味ですか?」
 柊吾は魅惑的な笑みを、浮かべる。
「誰にも邪魔されず、ふたりきりの夜を過ごしたいじゃない?」
「ふたりきりって、わ、わ、私と、ですか?」
「そう。あの状況で他に誰がいるのさ」
「なんの――――ためにですか?」
 柊吾は首を傾げる。
「それを聞くの?」
 彼の言葉と視線の熱っぽさにあてられて、なんだかお腹の奥のほうが痛くなった。
(何? この痛み)
「色々話したいこともあったんだけど、それはまた今度かな……」
「……話したいことっていうのは、今後のことですか?」
「そっちはご飯食べながらでも、話そうか?」
 彼はにっこりと笑った。

 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 
 
 結局、卵雑炊は柊吾が作り、由眞に食べさせる。
 食べさせると言っても今の彼女は平常運転なので、昨日のように口に運んであげたりはしない。
「んん……すっごい美味しいです」
「呑んだあくる日だからね」
「そういうんじゃなくて……もうっ」
 由眞が少しむくれた表情をすると、彼は嬉しそうな顔をする。
「そういう顔も可愛いねぇ」
「……そーいう冗談、やめてください。恥ずかしいので」
「え? 冗談じゃないよ」
「赤坂さんから見て、私みたいなのが、可愛いわけがないじゃないですか」
「なんで決めつけ?」
「顔の偏差値が、違いすぎるからです」
「……顔の偏差値って……でも、あの病院のクソ息子に気に入られて、危うく結婚させられるところだったじゃないか」
「……不思議な人ですよね。たいして逢ったこともなければ、話したこともないくせに、いきなり結婚しろだなんて」
 それは柊吾も同じなのだが。
「……由眞ちゃんが知らないだけで、君は人の心を、掴んで離さない魅力を持っている、ってことだと思うけど?」
「そんなもの、ありませんよ。両親の心も射止められないのに、他人の心を射止められるわけがないじゃないですか」
 自分で言っていて悲しくなる。
「子供は親を選べないから……大丈夫、その分、僕が大事にしてあげるから」
「……一年だけ、ですよね?」
「……とりあえずこのあと、服と指輪を買いに行って、来週は品川団長と食事会、再来週は早速だけど、うちの親に逢って欲しいんだ。由眞ちゃんを紹介したい」
 由眞は食べていた卵雑炊を、吹き出しそうになった。
「え? も、もうご両親とお逢いするんですか?」
「こういうのは早いほうが良いと思って。式の予定もあるし」
「えぇ! 結婚式、するおつもりなんですか?」
「――――するおつもりだけど?」
「必要なくないですか? 一年間だけの契約結婚なんですし」
「結婚式も挙げられない甲斐性なしとか、同僚たちに思われたくないんだよねぇ」
「……そ、それは……そうなのかもしれないんですけど……一年だけの契約結婚なのに、結婚式だなんてちょっと大げさすぎじゃないですか?」
「……僕は、したいよ」
「でも……」
「さっきはあんな言い方したけど、本当は二人きりだっていい。君がダイヤのティアラの代わりに、シロツメクサの花冠を被って、ウエディングドレスを着て、僕の隣にいてくれれば、それ以上望むものなんて、何もないよ」
(シロツメクサの花冠……)
 大好きだったあの公園。
 少しでも弘貴が入院している病院の近いところに−−−−と、親が勝手に決めて引っ越してしまってから、一度も行っていない。
「シロツメクサの花冠、素敵ですね」
 思わず滲んだ涙を、由眞は拭った。
 あのお兄ちゃんとも、結局再会出来ていない。
 一度しか逢っていないけれど、優しくしてくれたあの男の子。
 約束なんて叶わないものなんだ――――結局のところ。
 逢いたいと願い続ければ、逢えるほど日本は狭くない。
 偶然の再会なんてありえない。
(……泣かないで。由眞)
 彼女の涙を、違うように捉えた柊吾だった。
 由眞は柊吾との結婚を良しとはしていない――――彼は今、そう感じていた。
 だが由眞が柊吾をどう思っていようと、けして手放さないという強い気持ちが彼にはあった。
 時間をかけて好きになってくれればいいと思っていても、涙を見てしまえば気が急いてしまう。
(一秒でも早く、君が僕を好きになってくれればいいのに)
 お酒に潰れた由眞は、ずっと泣いていた。寂しいと泣いていた。
 あの日、強いから大丈夫と笑っていたあの子が、自分の腕の中で泣いていた。
 細い腕が、柊吾の身体を抱いた。柔らかな彼女の肢体が、柊吾の劣情を煽ったが何もしなかった。
『君が好きだよ、由眞』
 数え切れないくらい伝えた言葉のひとつも、君は覚えてくれてはいなかったけれども、それでもいつか由眞の心に届けばいいと思っている。
 君がいるから、存在できている人間がいるってことを。
 ――――君に愛されたい人間が、いるってことを――――。
 由眞の手が完全に止まっていて、スプーンで卵雑炊をすくう様子が見られなくなった。
「由眞ちゃん、ご飯、冷めるよ? 美味しくなかった?」
「あ、いいえ……とても、美味しいんですけど。もうお腹がいっぱいで……」
「ごめんね、僕が浮かれたことを言ったから……由眞ちゃんが嫌なら、結婚式はやめよう」
 柊吾が言うと、由眞は大きく首を横に降った。
「い、いいえ。結婚式は……しましょう。私が、わがまま言える立場じゃないんですから」
「立場とか、そういうのはやめよう。この契約結婚は、僕がお願いしていることだ。お金のこととは切り離して考えてほしい」
「ごめんなさい……」
「謝らないで、変なお願いをしてしまったけれど――――契約結婚自体だって、由眞ちゃんが嫌だと思っているなら、やめたっていいんだ」
「でも、そうしたら、赤坂さんは上官の娘さんと、結婚させられるんですよね?」
「うまく逃げてみせるよ。大丈夫」
「だ、大丈夫じゃないです」
「――――え?」
「私が、赤坂さんが誰かとお見合いとか、結婚とか、そういうの、なんかモヤモヤするので、最初のお話通り、契約結婚しましょう」
「モヤモヤ? そう?」
「すみません……なんか色々、変なことばかり言ってしまって。私自身、いっぺんに色々あって、考えがまとまってないんです」
「いいよ、由眞ちゃんは思っていることを言ってくれる方が、僕はいい。君の気持ちを知りたいと思っているし、君の気持ちを最優先にしたい」
「ありがとうございます……」
 由眞は微笑んだ。
 ことが大げさになっていくのはたった一年の"契約結婚"であるから、気が引けた。
 だが、柊吾が誰かとお見合いするのも結婚するのも、凄く嫌だと思ってしまった。
 この気持ちはなんなのだろう。
 すっきりしない気持ちが、胸の中でくすぶっていた。
 ――――柊吾は、初対面のときから、なんだが少し距離の取り方が他の人とは違うと、由眞は思っていた。
 由眞が一歩二歩と下がれば下がるほど、追いかけてこようとする。
 それがいったいなんなのだろうか? と考えているうちに"契約結婚"を申し出てきた。
 三千万をポンと出せるくらいのお金持ちなら、他にもっと上手に立ち回れる女性を雇えばよかったのでは? と思ってしまう。
 自分がやると言い切ってしまったものの、未だに自信はない。
 彼の上官との食事会も、彼のご両親に会うのも−−−−。


 

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