「もうすぐ、由眞ちゃんの誕生日だね。何か欲しい物ある?」 翌朝、明るい声で柊吾が聞いてくる。 由眞はお疲れ気味だ。 それでも、朝食にトーストと目玉焼きを焼いた自分を、褒めて欲しいと由眞は思っていた。 「……私、物欲ないので、物はいらないです」 「ブルーインパルスのキーホルダーには、あんなに食いついていたのに?」 ブルーインパルスのキーホルダーの話をされると、アレはアレで、むず痒い気持ちにさせられる。 彼の前でうっかりはしゃいだことも、彼にキーホルダーをプレゼントしてしまったことも、全てが恥ずかしい。 今現在、ペアで持っているから、顔から火が出そうだ。 「ブルーは特別なんです。とにかく、私の誕生日のこともお気遣いなくです。今まで祝ってもらったことなんてないんで、慣れないことをされると、恥ずかしいです」 「――――え? 一度も?」 「そうですけど……あ、ほら、急がないと遅刻しますよ」 「あぁ、本当だ。ごちそうさま」 「お皿はそのままでいいですよ」 「ありがとう、悪いね」 出勤時間が早い柊吾を見送って、由眞は食器の後片付けを済ませると、自分のお昼ご飯のお弁当を作り始めた。 柊吾にはお弁当は作らない。 彼には食堂か、祖母のレストランで食べてもらうほうがいいと思うからだ。 (私のお弁当は、冷凍食品が主だし……せいぜいウインナーを焼く程度のものだもの) 今日はレンジでチンするミートボールでも入れていこうか……などと、由眞は考えていた。 「え、由眞ちゃんせっかく自分用のお弁当作っているのに、赤坂さんには持たせてないの?」 佐野が驚いたように言う。 「だって、こんなお弁当より、食堂とかレストランで好きなもの食べたほうが、よくないですか?」 由眞は佐野に、自分のお弁当の中身を見せた。 「うーん……それは、好き好きだと思うけど、お弁当作っているとき、ついでに自分のも作って欲しいとか言われないの?」 「赤坂さんが出勤後に、お弁当を作ってますから」 「え……そうまでして赤坂さんのお弁当作りたくないの?」 「作りたくないんじゃなくて……なんか、こんなお弁当じゃ申し訳ないんで」 「申し訳ないって……」 「せめて有名ブロガーさんが作るみたいな、キャラ弁が作れるくらいにならないと……」 由眞の言葉に、佐野が箸を落としそうになった。 「え……っと、冗談、よね?」 「本気ですけど?」 「赤坂さんがキャラ弁……」 「……お弁当って、開けたら楽しくなるような感じがよくないですか? 私は子供の頃から、お弁当は自分で作っていたんで、キャラ弁の同級生が羨ましかったんですよね」 「……そういう理由ね。でも、赤坂さんも皆でお昼食べるだろうから、キャラ弁だとからかわれそうね」 佐野の言葉で、由眞はハッとした。 「そ、そうですよね……隊長とご飯食べているみたいだから……ありがとうございます佐野さん、赤坂さんに恥をかかせるところでした」 「まぁでも、本人に聞いてみたら?」 「いいえ、赤坂さん、断りベタなので、こんなお弁当でも我慢して食べてくれると思うんです。それはやっぱり、申し訳ないです」 (あらあら……我慢して食べてくれるって、ノロケかな? でもワケアリでここに来たばかりの頃はどこか影があったけど、今は楽しそうで、本当、良かったわ) 佐野は由眞を見ながら、そんなことを考えていた。 「ねぇ、結婚生活とフルタイム勤務の両立って大変じゃない? あと、お休みの日は基地のレストランで働いているんでしょう? こっちをパートに変えてもらってシフト制にしたら? そしたら、レストランでも多く働けるじゃない?」 「……それは、そうなんですけど……」 由眞が一気に暗い表情になったので、佐野は慌ててフォローする。 「由眞ちゃんがいてくれる方がもちろん助かるのよ? でも、働き詰めなのが心配なのよ。赤坂さんってここの病院の本院の院長のご子息なんだし、お金には困ってないでしょう?」 「……でも、いつ離婚するか、わからないですよね」 いつ、というか九ヶ月後だ。由眞は遠い目をした。 「新婚なのにもう離婚のことを考えてるの? あなたたちって不思議ねぇ。ラブラブにしか見えないんだけど」 佐野が驚いたように言う。 「……ら、ラブラブなんてことはないですよっ」 多分由眞がキャラ弁を作れるようになる頃には、離婚しているだろう。 (来年の今頃には、柊吾さんはもういない。ブルーインパルスの任務も終わって、松島からもいなくなるんだわ……) そんなことを考えると胸が苦しくなる。 『また、いつか会えるよ』 彼の言葉を思い出した。 (次は、またいつか−−−−なんて、もうないわね) 冷凍食品ばかりのお弁当が美味しくなく感じて、やっぱり柊吾にお弁当を作るのは無理だな、と由眞は思った。 「由眞ちゃんってさ、お昼はお弁当持っていっているの?」 帰宅した柊吾がそんなことを言った。 「え? 超能力者ですか?」 「いや、洗いかごにお弁当箱があるから」 「あー……片付け忘れてました」 「ん? 僕に知られたくなかったの? あの病院ってレストランあるし、近くに食べるとこたくさんあるよね? そういうところで食べていいよ。大変でしょう? 毎日お弁当作っていくの」 「佐野さんとお昼は一緒に食べてますし、あんまり贅沢に慣れてしまうのは、よろしくないと思うので、そのお話は丁重にお断りさせていただきます」 本当は夕飯のデリバリーも、どうかと思っているくらいだ。 この辺のスーパー事情を知るために、お弁当の割引時間をチェックしたいと由眞は考えていた。 ――――一日、一日の終わりが重たく感じる。次のことを考えなければいけない日が近づいてくるから。 「この際だから、言いますが……ご飯も別々に食べませんか?」 「あぁ……お腹空いて待っていられないなら、全然、先に食べてくれていいよ。朝ごはんも、作ってもらうの悪いなって思っていたし」 「朝ごはんはついでなので……よかったんですけど。夕飯が……毎日デリバリーなのは……」 「あぁ、飽きちゃった? でも夜は一人で外に出て欲しくないんだよね。暗い場所もあるし」 「えぇと……そうではなくて……贅沢に慣れたくないので、私は私で、スーパーでお弁当でも買って食べようかなと」 「ん? デリバリーとお弁当ってどう違うの?」 「スーパーのお弁当は割引があります」 「お金の心配はいらないよ、生活費を含めて全部僕が面倒を見るって言ったよね?」 「……一年……っていうか、あと九ヶ月の話ですよね。私はこの生活が終わった後のことを考えないといけないんで」 部屋の中が静かになる。 あぁ、ここは本当に防音が行き届いているな、などとどうでもいいことを考えて、由眞は気を紛らわせていた。 「じゃあ……ずっと、一緒にいようって言ったら、君はどうする?」 「そういう冗談はやめてください」 由眞は柊吾の言葉をはっきりと拒絶した。 (君はどうする? なんて……) 自分の意見を先に言わず、なんだか気持ちを弄ばれている気がしてしまった。 「柊吾さん――――最初に一年って言いましたよね」 由眞は淡々とそう告げた。 柊吾は息を呑んだ。 ――――と、その時、由眞のスマートフォンからLineの着信音がした。 「……こんな時間に、誰だろ」 着信メッセージを見ると、由眞の母、礼子からだった。 『渡米先でのお金が少し足りなくなりそうなの。柊吾さんに言って百万円ほど振り込んでもらって』 「……え」 百万も足りないってどういうこと? と由眞は思った。 血の気が引く思いだった。 どこまで迷惑をかけるつもりなのだろうか。 三千万の振込の後、結構な額を渡米用の餞別にと、柊吾が振り込んでいた筈だった。 「その……どうかした?」 「あ、あの……」 由眞が言いにくそうにしていると、柊吾が微笑む。 「何? 言って」 「あ、の……すみません……これ……」 口に出すのも嫌だったので、由眞はスマートフォンの画面を柊吾に見せた。 「ふぅん。百万円ね。別にそれはいいんだけど、ちょっと貸して」 柊吾は素早く入力をして、メッセージを送信した。 「これからは、由眞ちゃんのところにお義母《かあ》さんからお金の話が来ても、一切、対応しなくていいよ」 彼が礼子に送ったメッセージはこうだ。 『柊吾です。今後お金が必要なときは直接私のLineアカウントにメッセージしてください。今回は振り込みますが、これ以降は、なんのためにそれだけの金額が必要なのか、詳細をお知らせください。内容によっては、振込はいたしかねます。以上です』 「……うちの母がすみません……」 「お金って人を狂わせるからね。由眞ちゃんぐらいじゃないの? 何を買ってもいいって言っているのに、通常営業でいられる人は」 「だって、夫婦とはいえ、私のお金ではないですし、ましてや……契約結婚ですから。契約結婚のことを知らないとはいえ、こうも次から次へとお金を要求できる母の気がしれないです」 「それは、いいって。最初に多額のお金を渡してしまったから、それに慣れてしまったんだよ。そういう人は少なくないからね。由眞ちゃんが気にすることはないよ」 柊吾が由眞の頭を撫でてくる。 母のことはずっと不安要素だったが、柊吾はあっさり許してくれる。 (どうしてこの人はこんなに、優しいんだろう) 自分が何をしても無関心か、ヒステリックだった母。 それに対して、赤の他人である柊吾は、由眞にはどこまでも優しい。 『じゃあ……ずっと、一緒にいようって言ったら、君はどうする?』 (……本気なら、どうする? なんて聞かないで、一緒にいようって言うわよね……) 本気で言ってくれていたなら−−−−。 自分はなんて答えていただろうか? と由眞は思った。
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