****** 「みなみさん、今日仕事が終わったら、映画見に行きませんか?」 「え?」 絢樹の誘う言葉に、みなみは戸惑った。 雲のないよく晴れた日。 そんな天候での彼の誘いは彼女にとっては想定外の出来事だった。 「見たい映画があるんですよね」 絢樹はにっこりと微笑む。 「……」 「今日は用事があったりします?」 身長の低いみなみを覗き込むようにして絢樹が屈む。 「別に、ないけど……」 「じゃあ行きましょうよ、俺、奢りますから」 ちら、と彼女が彼を見上げると絢樹は微笑んだ。 「ね?」 もとより断りたいという気持ちはなかったから、みなみは静かに頷くしかな かった。 雨の日以外で彼から誘いがあるのは初めてだった。 この誘いをデートだと位置づけるのであるなら、それも初めてで、嬉しいと 思う反面、みなみは戸惑っていた。 主従関係で成り立っているようなふたりの関係だったが、手綱を握っている のはみなみではなく“ペット役”である彼のほうだったから。 彼女が会いたいと思っていても、それを絢樹に対して言うことはない。 彼が何を望み、何を望まないかが判らない。 今までの主人は、その辺りを上手にわきまえていたのだろうか? 普通の恋愛経験自体が多いというほどのものではなかっただけに、みなみは 少しだけ息を漏らした。 感情だけが強くなり、歩むべき道が迷路のようで急かされる気持ちがやたら と高まっているような気がしていた。 ****** 「あまり面白くなかったですか?」 上映後に、絢樹がみなみに声をかけてくる。 「ううん、面白かったわよ」 「そうですか? だったらいいんですけど」 手に持っていたジュースを飲み干し、彼は笑った。 「帰る前にトイレに行ってもいいですか?」 「あ、じゃあ私も行ってくるわ」 「ロビーで待ってますね」 人の流れに沿うようにして館内から出て化粧室へと向かう。 混雑している中で、化粧を直している女性に目が留まった。 すらりと背が高くモデルのような容貌の女性で、何か特別目立った行動をし ているわけでもないのに人目を惹きつけるものがあった。 群を抜いた美しさが備わっていれば、自分はもっと“らしく”なれたのだろ うかとみなみは思った。 絢樹を独占したいと思う気持ちはおそらく人一倍あるとは思えたが、どうに も今のポジションはしっくりくるものがない。 そうは言っても、こういった関係を彼が望む以上、他の関係は持てないのだ ろうけれど。 個室で用を済ませ、グロスを塗り直し、吐き出しそうになる溜息を無理矢理 飲み込んで、彼女は化粧室をあとにした。 人がまばらになったフロアで、みなみはすぐに絢樹を見つけることが出来た が、彼は話をしている様子だった。 相手は先ほど化粧室で見かけた背の高い女性。 どんな話をしているかは、距離的に聞き取れなかったが、ふつふつとした感 情がみなみの中で湧き上がった。 「絢樹」 距離を縮めないままにみなみが声を上げると、彼は彼女のほうを見てすぐさ ま駆け寄ってきた。 「帰るわよ」 「はい」 にっこり笑う愛しい絢樹が少しだけ憎らしくも思えてしまった。
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