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恋にならない 2-9

 ******
  
  安らげる場所なんてどこにもない。
  ────みなみさんの傍以外には……。


「今日は、彼女は休みなんですか?」
 昼過ぎにいつもやってくるスーツ姿の男性がオーダーを取りに来た俺にそう
やって聞いてきた。
「……誰のことでしょうか?」
「んーっと、垣内さん」
 やけにみなみさんに馴れ馴れしくしていると思ったら、この男、彼女狙いだ
ったのかと思い、不愉快な気持ちにさせられた。
「今日はお休みです」
「そうか、残念だな」
「……」



「ああ、あのお客さんね、昨日みなみさんに名刺を渡していたぜ」
 昨日、昼のシフトが入っていた青木を捕まえて、男性客のことを聞くとそん
なふうに答えた。
「俺らのアイドルに手を出そうなんて百万年早い。と、言いたい所なんだけど
みなみさんもまんざらでもなさそうな感じだったんだよなぁ。やっぱ、年上の
ほうがいいのかね、女ってさ」
「……みなみさん……が?」

 奪われたくないと思っているのに、そうなるときはあっさりと奪われるもの
なのかもしれないと考えたら、胸が苦しくなった。
  
  みなみさんの傍にいたい。
  優しい時間を過ごしたい。
  だけど、同時に彼女のことを考えると襲い来る胸の痛みに暴れたくもなった。
  どんな人と一緒にいても、思い通りになったことなんてなかったけれど、み
なみさん相手だと空回りの部分が多すぎて、それを顕著に感じさせられる。
 
 ────好きだ。
  
  命じられて口にし続けてきた言葉を、声に出さずに心の中で繰り返す。
  
  あなたは何のために、俺にその言葉を教えたの?
  知らなければ知らないままで過ごしていけたかもしれなかったのに、その言
葉に引き摺られるようにして感情が揺れ動いた。
  
  どんなふうに責められるよりも辛く苦しいものであるのに、俺はその感情を
捨ててしまいたいとは思えなかった。
  みなみさんに執着し、やがて彼女に向ける感情にも執着し始め、俺は一体ど
こに向かっているのだろうか?
  我慢し、じっと耐えることも、諦めることも得意だった筈なのに、今はその
どれも出来そうにはなかった。
  彼女を奪われたくない。
  もともと俺のものではないことは百も承知の上で、俺は仕事が終わると急い
でみなみさんの家へと向かった。
  
  
  何度も来たことがある彼女の家。
  インターフォンを押す手が少しだけ震えた。
  
『はい』
「俺です」

 みなみさんは突然の俺の来訪に驚いたのかしばらく絶句していた。
「みなみさん、開けて下さい」
 俺の声に、彼女は応じるようにして玄関の扉を開ける。
「どうしたの? 急に」
「……急に来たら都合の悪いことでもあるんですか」
「驚くでしょう」
「中に入れてよ」
「……今日は雨の日じゃないでしょ」
 素っ気なく言う彼女に苛立ちが強まった。
「誰かいるの?」
「誰もいないわよ」
「じゃあ、入れてよ」
 ひく気がない俺に、みなみさんは根負けしたのか、扉を開けて中に入れてく
れる。
  中に入ってしまうと、居ても立ってもいられなくなった。
「……紅茶でも、飲……」
 何か言いかけるみなみさんを壁に押さえつけるようにして抱きしめた。
 驚いた表情で見上げてくる彼女を俺はじっと見下ろす。
「あなたを誰にも渡さない」
「え??」
 貪るようにしてみなみさんの唇に自分の唇を重ね合わせた。
  欲しいと思う温度がそこにあるのかと思うと我慢出来なくなってしまう。
  奪われたくない。
  この温もりは俺だけのものだと叫びたくなった。
 藻掻くみなみさんを構うことなく強く抱きしめ続ける。
「あ、絢樹?」
「渡さないですよ、みなみさん」
「何を言ってるの?」
「あなた、あの常連の男に言い寄られたんですってね?」
「え?」
「とぼけないで下さい、昼の時間を少し過ぎたぐらいにいつも来るスーツの男
ですよ」
「あ……ど、どうして、それを」
「あなたが今日はいないのかって聞かれました。不審に思って昨日シフト入っ
てた青木にそれとなく聞いたら、あの男があなたに名刺を渡していたと聞きま
した。本当ですか?」
「……それは、本当だけど」
「その名刺はまだ持っているの?」
「鞄の中に……」
「何故捨てないの」
「そ、それは……って言うか、私がどうしようと私の勝手でしょう? 何故絢
樹に口出しされなければいけないの」
「ええ、何をしようとあなたの勝手。だけど、俺がそんなのは嫌なんですよ、
みなみさん。あなたの腕が他の男を抱くのも、あなたが他の男の腕に抱かれる
のも、どちらも到底我慢出来ない」
「束縛する自由まで与えたつもりはないけど?」
 
  みなみさんの言葉にふつりと糸が切れる感じがした。
  束縛する自由が俺にはない。
  ────判っている。
  だけど。
  
「あなたが誰かのものになるのを黙って見ていなければいけないぐらいなら、
俺はもうペットでなんかいられない」
 彼女の身体を床に倒し、俺はその身体の上にのしかかる。
「あ、絢樹……」
「面白半分に人形に言葉を教えたことを、後悔するといいですよ」

 ただの人形には、もう戻れなかった。



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