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それでも賽を投げる事をぐずぐず躊躇っていた。
今日はいつもより長く社内に居たというのに沙英にお土産を渡す事
が出来なかった。
彼女がフロアを出て行く時に、生田さんがちらりと俺を見た気がし
たのは気のせいではないと思う。
何て言うかこれだけ俺が夢中になってしまうのは初めてだったし、
大概俺が好きになったら相手も知らないうちに好きになってくれる
パターンばかりだったから、今回の様なレアケースにはどう対応し
て良い物かと悩む。
１００の感情剥き出しで接するべきなのか、１０の感情を小出しに
していくのが良いのか。
いや、そのどちらでも失敗に終わったら？
沙英が俺を好きになってくれなかったら？
踏み出せない。
なんて、臆病なんだろうか。
―――――絶対、家族の輪に入ってみせる。家族になってみせる。
あの日まだ小さかった俺の方が、勇気ある人間だったな。
ふっとエントランスを見ると、良く見知った後ろ姿が目に入る。
沙英だ。
手に傘を持っていない所を見ると、傘が無くて困っているのだろう
と思えた。
心の中でぱちんと何かが弾ける。
（踏み出す時、か）
少し苦笑いをしてから、進む方向を彼女に変えた。
これは千載一遇のチャンスなのだ。
直感で俺はそれを感じていた。
ここで躊躇うはただのうつけ者だ。
彼女に声を掛ける。
「…沙英ちゃん」
彼女からの返事は無い。
聞こえているのか聞こえていないのかさえ判らない。
何度か呼んでも同様で参る。
だけどここで諦める気はさらさら無かった。
「さーえーちゃん！おーい」
大きめに呼んで初めて彼女は振り返った。
ああ、やっと振り返ったか。
「何か、考え事してた？さっきからずっと呼んでたんだけど」
「え？わ、たしですか？」
何故自分が呼ばれたか判らないと言った表情を彼女はしている。
「うん、そう」
沙英がおどおどした表情をしているから、俺は笑って見せた。
何かを考える様なそぶりをして、彼女はまた俺を見上げた。
俺は笑って、鞄から彼女の為に買ってきたお土産を取り出す。
「これ、ロスに出張に行ったときのお土産」
「え？私にも？」
凄く驚いた様に彼女は言った。
生田さんは彼女の分も有るとは言っていなかったんだな。
「もちろんだよ？開けてみてよ」
沙英は怖々開封している。
いや、そこまで警戒しなくても、と思う程だ。
ところが、中身を取り出した途端にぱっと表情が明るくなった。
「う、わ。可愛い」
鏡をじっと見て、見た事もない様な笑顔でいる。
すぐに気に入って貰えたのだと思えて、俺はほっとした。
「もしかしたら、持ってるかな、とも思ったんだけどね」
「いえ、持ってないです。ありがとうございます！嬉しいです」
顔を上げて、初めて俺をじっと見てきた。
そんなに嬉しかったのか、と思えると、俺も嬉しくなってしまう。
「そう？良かった喜んでもらえて。どういうのを喜ぶかなって思い
ながら選んだから」
「…瀬能さんって、えらいんですね」
「え？」
唐突に彼女はそう言って、なんだかキラキラした目で俺を見ている。
「たくさん女子社員いるのに、そのうえ私たち派遣社員にもお土産
買ってきてくれて、更にどんなものを喜ぶかなんて一人一人のこと
を考えながらセレクトするだなんて」
やや興奮した様に彼女は早口にそう言った。
え？感動するのそっち？
自分に買ってきてくれた事への喜びじゃないわけ？
なんだか可笑しくて俺は思わず笑ってしまった。
「そ？俺ってえらいんだ」
「あ、き、気に障ったならすみませんでした。えらいっていうか、
すごいなぁって」
「まぁ、そんなのどうでもいいんだけど」
どうでも、と俺が言うと彼女はきょとんとした顔をした。
あぁ、そんな顔も堪らなく可愛い。
ここでみすみす何もしないで帰す程、俺も甘くない。
「傘ないの？」
「え？」
「帰らないで、ぼーっとしているから、傘がないのかと思ってね」
「…えーっと、傘は、ないんですけど…」
「ないんだけど、何？」
「そのうち、やむんじゃないかなって」
「ふぅん？夜中まで降ってるって予報らしいけど」
のらりくらりとしゃべる彼女だったが、遠回しに誘われる事を拒ん
でいるのかとも取れた。
だが、そんなの知った事ではない。
俺は携帯を開いて、ヤフー天気を表示させる。
「まぁ、情報元はヤフー天気だけどね」
彼女に表示されている画面を見せた。
沙英はそれを見ながら「ホントですねぇ」とのんきな声を上げる。
「送ってあげようか？」
俺が携帯を閉じてそう言うと、彼女は俺の鞄を見たりしている。
傘持ってないよね？と顔に書いてあった。
「俺、今日車で来てるから」
そう言った瞬間彼女の表情が明るくなる。
あれ？この子車好きなのかな。
飛行機駄目だけど車はＯＫなのか？
どちらにしてもこっちとしては好都合なのだけど。
俺が歩き出すと彼女も慌てて着いてくる。
「でも、あの、瀬能さん、悪いからいいです」
「何が悪いの？」
「何がって、だから…お手間を取らせるのは申し訳ないです」
「別に？手間じゃないし、まして誘ったのは俺だし」
「いや、でも…」
「はい、どーぞ」
車の助手席のドアを開けて彼女に乗る様に促すと、また沙英はキラ
キラした目をした。
「わぁ、綺麗な車ですね」
え？車が綺麗？
どういう意味か判らず聞いてしまう。
「綺麗に洗車されてますねぇって意味？」
「いえ、色合いがなんとなく」
「普通に紺色だと思うけど」
「そうですか？なんかちょっとキラキラしていますよね」
「キラキラかな。メタリックカラーではあるけど」
「紺色っていうより綺麗な色ですよね」
彼女はキラキラモードのまま、俺の車の正面に回りしげしげと見て
いる。
「アビサルブルーって言うんだけどね。そんなに車好きなのか？」
「好きというより憧れは凄くあります。車のこと自体は全然知らな
いんですけど」
へーえ、そんな事より、熱心に見るのは車じゃなくて”俺”を見て
欲しいんだけどね。
彼女はそんな俺の気持ちを余所にエンブレムを見つめている。
「瀬能さん、この車はなんていう車なんですか？」
「プジョーだよ」
「ふぅん、このマーク可愛いですね」
「可愛い、かな？よく判らないけど。ともかく乗れば？」
沙英は俺を見上げた。
”乗ってみたい”と顔に書いてある。
驚く位に判りやすく。
「乗ってみたいなぁとか、思っているんでしょう？」
「だって、この車、可愛いから」
「なんで言い訳してるんだか判らないけど、俺が乗っても良いって
言ってるんだから乗ったら？」
「…じゃあ…」
そう言ってからも、もじもじしている。
さすがにいきなり車に乗る事には抵抗があるんだろう。
うん、まぁその位の方が好感は持てる。
好感は持てるんだけど―――――。
「いいから早く乗りなさいっての」
「は、はい」
ようやく彼女が助手席側に回って乗り込もうとしたから、俺は沙英
がドアの入り口に頭をぶつけたら良くないと思い、ぶつけそうな場
所に手を置いてカバーをした。
そうすると、今度はその俺の行動が気になったのか、沙英は俺を見
上げてきた。
「何？」
「いえ、なんで手を置いてるのかなぁって思ったので」
「…頭ぶつけたらいけないでしょう」
「あぁ、車に傷がついちゃいますからね」
すごくすごく、納得した。という表情を沙英はする。
いやいや…。
思わず彼女の頭をはたいてしまう。
「違うでしょ。まったく…ぶつけたら君の頭が痛いだろ、だからだ
よ」
こんなの恥ずかしいから説明させないでくれ。
「そうなんですか？瀬能さんって優しいんですね！」
何に感動したのか判らない彼女が、またキラキラした目で俺を見て
いる。
「い・い・か・ら、早く乗りなさい」
俺は半ば無理矢理、彼女を助手席に押し込んだ。
そうしないと長くなりそうだったからだ。
「シートベルトしてね。で、最寄り駅はどこ」
エンジンをかけてカーナビを操作しながら俺は彼女に言った。
勿論、彼女を自宅まで送り届けるつもりだったのだけど。
「え？最寄り駅って品川…」
「会社の最寄り駅は俺でも知ってる。沙英ちゃんの家の最寄り駅に
決まってるだろう」
「うちですか！！まさか家まで送ってくれるとかそんなんじゃない
ですよね！？」
「そのまさか。うちまで送るんですよ」
「遠いですよ、川崎なんで」
「いいよ、別に。川崎だろうが栃木だろうが茨城だろうが」
「でも」
「”でも”が多すぎ。俺が良いって言ってるのだから良いの」
ようやく彼女から自宅の最寄り駅を聞き出してカーナビに入力する
事が出来た。
所要時間何分だ！
「あぁ、やーーーーっと走り出す事ができた」
「すみません…」
「いいけど」
「帰国したばかりで、お疲れのところなのに」
「別に。疲れてないし、疲れてたら誘わないから」
沙英は俺を見たり、外の景色を見たり、そうしていたかと思えば
また俺を見る。
放っておくとそれの繰り返しで、警戒している猫みたいで可笑しか
った。
慣れて貰うのには時間がかかりそうだと思ったけれど、押しに弱い
事を知った俺はその後自分の良い様に彼女を誘った。
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