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● 熱情の薔薇を抱いて --- ACT.14 ●

  

******

その翌日。

思ってもいなかった出来事が起きた。


直行直帰だったから、俺はその日は一度も会社には顔を出さなかっ
た。
クライアントとの商談が終わり、系列の会社に顔を出してから帰宅
した。

コーヒーを飲んでぼんやりとしていた時、沙英からの電話が掛かっ
てきた。
定刻になればビデオチャットをする筈なのに電話だなんてどうした
と言うのだろう。
胸騒ぎがする。
そして俺のそれは大概当たってしまうのだ。

「沙英ちゃん?どうした」
電話口がやたらと騒がしい感じがする。
サイレンの音?
「沙英ちゃん?」
『…うち、が…火事、なんです』
呟く様に小さな声で彼女がそう言った。

どくん、と大きく心臓が跳ねた感じがした。

サイレンの音。

”思い出さない様にしている記憶”が思い出される。

激しい炎の熱。
痛み、色んなものが今起きた事の様に思い出されて俺を苦しくさせ
た。


「それで?おまえは無事なのか」
無事だからこそ彼女自ら電話を掛けて来たのだったが、その時の俺
は混乱していた。
『大丈夫、です…』
「すぐ迎えに行く、コンビニの前で待っていろ、良いね?」

心臓と、左肩が痛い。

心臓が痛いのは真実のそれだったが、左肩が痛いと感じるのは錯覚
だ。
痛む筈が無いのだから。

焼かれる、痛み。

そんなの、今感じている筈が無い。

過去の痛みの筈なのに。


―――――火事が、あの火事が無ければ。

車のハンドルに額を押しつけた。

紅蓮の炎、未だに忘れられない。
火に包まれた恐怖が昨日の事の様に思い出される。

こんな記憶、早く消し去りたいのにいつまでも残っている。

”思い出さない様にしなければ”思い出してしまう忌々しい記憶。

「記憶の容量が多いのも、問題なんだよ…沙英」

全部覚えてしまっているから。

大きく深呼吸をし、車のエンジンをかけて彼女が待つ川崎の家へと
車を飛ばした。


******


沙英を俺の自宅へと連れ帰る。

火事のショックで呆然としている彼女の身体をブランケットでくる
み、そうした上で俺は沙英を抱き締めた。
彼女を落ち着かせる為というよりは、俺がそうしていなければ自分
を保てなかったからだ。

火事で大事なものを無くすのはもうたくさんだ。



しばらくの間、俺は沙英を抱き締め続けた。
彼女は嫌がるでもなくされるがままになっていた。

小さな沙英の身体。
強く抱けばそれこそ壊れてしまいそうで…。

浅い呼吸を彼女は何度も繰り返していた。

「もう、大丈夫だからね」

俺が小さく呟くと、彼女が応えた。

「家…が、燃えてしまいました…」
ようやく正気が戻ってきたのだろうか。
「…君が、無事なら…それでいい」
そう思う気持ちが強すぎて、声が震えてしまった事に沙英は気づい
ただろうか。
彼女は俺を見上げて、それから何の抵抗もなく俺の胸に顔を埋めて
きた。
そんな様子が一層俺の心を震えさせる。
「君が家に居る時でなくて良かったよ」
思わず遠慮のない力で抱き締めてしまった。
沙英は少しだけ苦しそうに息を漏らす。
「でも、でも…全部、燃えて」
「命あっての、物でしょう?」
どんな思い出の物だって生きていればこそ価値のある物だ。

命はなくなってしまえばそれで全てがお仕舞いだ。

―――――どうして俺だけが助かってしまったの。

小さく息を吐いてから、沙英に飲ませる為に用意しておいたホット
ミルクを彼女に渡した。

もうすっかりぬるくなっている頃だろうけど、彼女にとっては適温
かも知れない。

身体が震えて上手く飲めない様子の彼女を、俺はそっと撫でた。



もう、どうしようもないと思う程、沙英を手放せなくなってしまっ
ていた。
自分の見えない場所に、彼女を置いておきたくない。

沙英が望まないかも知れないから、なんて、そんな風に考える余裕
が無くなっていた。


二人で鳥鳥市場で呑んだ帰り。
あの日本当は、”俺は”彼女を家まで送っていきたかった。
アルコールの入った状態で、夜彼女を一人で帰すのは嫌だと俺は思
っていた。
だけど、それを貫けなかったのは、あの日無理に彼女を誘ってしま
った負い目の様なものがあったからだった。

駅で別れてから、貫けなかった意思をずっと後悔していた。

もし、彼女に何かあったら?と。

沙英からメールが来るまで気が気でなかった。



守れない場所に、彼女を置いておきたくない。

彼女の自由?そんなの、もう知らない。




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