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沙英が来年成人式だと知り、俺は彼女に似合う振り袖を購入した。
いろいろな振り袖を試着させたが、どの着物を着ても沙英は最高に
可愛くて本当に困る。
値段が値段なので、彼女は購入する事を躊躇っていた様だが、そん
なのはどうでも良い。
俺が彼女に買ってやりたいのだから、沙英の意思はこの際どうでも
良いのだ。
呉服屋を出てからそれなりに天気も良さそうだし、沙英は車が好き
な様だったので、俺は彼女にドライブを提案した。
「気晴らしに、少しドライブでもするか？」
俺がそう言うと沙英は凄く困った様な表情をするので、俺は少し残
念に思った。
雨の日の、最初の時の様に輝いた表情をしてくれると思っていたか
らだ。
「いえ、いいです。折角の休日なんですから瀬能さんの時間を有意
義に使って下さい」
「沙英ちゃんと居れば十分有意義なんだけどね」
そして、君が喜んだ顔をしてくれればそれ以上言う事も望む物も有
りはしない。
すると、沙英はまた困った様な顔をする。
「…さらっとそういう事言わないで下さい」
「どうして？」
「…どうしてもです」
「沙英ちゃんは、俺と一緒に居たくはないの？一緒に過ごしたいと
は思わないの？」
”折角の休日”と言うのなら、一緒に楽しく過ごしたいと望むのは
駄目なのか？
俺は彼女をのぞき込んだ。
迷惑と思われているのか、そうでないのかが判りづらい。
「どうなの？」
「ど、どう、って…」
答えに困られると、本当、切なくなるんだけどね。
俺はちょっとだけ笑った。
「俺ってそんなに魅力に欠ける男かな」
「み、魅力…的ではあるとは思いますけど」
ふぅん？
魅力的って本当に思っているのかな。
空気悪くなるから言ってみたとかだったら、すごく嫌だよね。
「思うけど、何？」
「距離、近すぎです」
彼女はそう言ってわずかに下がる様な仕草を見せる。
それには思わず笑ってしまった。
いや、笑うしかなかった。
「近い場所に居たいとも思ってくれないんだ」
沙英は、何か苦しそうな表情をして俺から視線をそらす。
「沙英ちゃん、こっち見て。ちゃんと俺を見てよ」
ちゃんと目を見て話してよ。
違う所を見ていられたら、君の感情が読み取りづらい。
そっと彼女の頬に指を滑らせると、沙英はびくっとして俺の方を見
た。
「俺はいつだって、君と一緒に居たいって思っているのにな」
もうずっと前からだ。
その思いも、願いも。
沙英が居たら本当に何も欲しく無いだなんて、偏った考え方が出来
てしまえるぐらいに。
「…そう言って頂けるのは嬉しいですけど…」
「”けど”何？」
沙英は上目遣いに俺を見てくる。
もっとちゃんと俺を見てよって、いい加減焦れてくる。
だけど、そういう事を彼女に無理強いするのが良くない事だと言う
のは判っている。
だから、俺の理性が感情をきつく制御していた。
沙英は視線を外す。
「どうして俺をちゃんと見ないの」
笑いながら言うと、彼女は少し怒った様な口調になる。
「見てます、ちゃんと、瀬能さんが男前なのも理解してます」
「へーえ、俺が男前ねぇ」
素敵、とか「瞳の色が黒瑪瑙」とかそんな風には言うくせに、俺を
ちゃんと見ないのは何なのだろう？
「何を根拠に男前って言ってるんだか」
「…根拠は、無いかも知れませんけど」
「無いとか言うな」
思わず笑ってしまった。
沙英はふっと顔を上げて俺を見てくる。
「瀬能さんは、素敵な人だって思ってます」
彼女の大きな瞳が熱心に訴えかけてくる。
素敵な人、って繰り返すけど、沙英の素敵って何なのさ。
素敵な上司？
素敵の中に特別が含まれてないなら、その言葉だって悲しくなる。
「だけど、そんな風に言ってみた所で君の中ではただの通行人と同
じ扱いだろ」
「違います」
「違わない、すれ違ってしまっても、君は何とも思ってはくれない
だろう？」
「違います」
「どう違うって言うのさ」
「…判らないですけど…」
沙英はしゅんと俯いた。
踏み込みたい。
本当はもっと踏み込んで、沙英の心を裸にしたかった。
判らないって言うなら、丸ごと俺に見せてよ。
言えないなら、俺がそれを見て判断するから。
君が俺をどんな風に思っているのかを。
沙英が俺を必要としているのかどうかを。
だけど、そういった気持ちをぶつけるのも今の彼女には有効だとは
思えず、俺は諦めるしかなかった。
「ま、良いけど」
家に帰るか、と思い車のエンジンをかける。
夕飯は何を食べようかなとか考え始めた時に沙英は小さな声で言う。
「ご、めんなさい」
「え？」
「ごめんなさい…」
「なんで謝るの」
何の謝罪？
彼女が謝らなければならない事なんてあったか？
見当がつかず、笑うと彼女は震えながら俺を見つめてきた。
「嫌いに、ならないで、下さい」
暫く俺を見てから、沙英は俯いた。
苦しそうに小さく震えている。
時々彼女はこうなってしまうのだが、一体？
極端に嫌われる事を恐れている様で。
そりゃあ、誰だって嫌われるのは好まない事ではあると思うけど、
彼女は極端だと思えた。
過去に何かあったのだろうか、沙英をそうさせてしまう何かが。
「沙英ちゃん」
俺は彼女を呼んで、そっと頭を撫でた。
「ね、こっち見て」
そんな風に促すと、沙英はゆっくりと顔を上げて俺を見た。
目が合うのを待ってから、俺は微笑んで見せる。
「大丈夫って言っている。君を嫌いになったりはしないから」
「瀬能さん…」
「よしよし」
俺は彼女の頭を何度も撫でた。
撫でられるのは安心すると言った言葉はこんな時でも有効なのだろ
うか？
「君が何を思ったのかは、俺は沙英ちゃんじゃないから判らないけ
ど、俺は別に怒ったりとかしてないからね？」
「はい…」
「俺ってそんなに怒りっぽく見えているのかな」
彼女は首を振った。
「違います、ただ、そうだったら嫌だと思う気持ちが強いんだと
…思います」
「そんなに気の短い人間じゃないから、大丈夫だよ」
そう、そんな気の短い人間だったらもうとっくに次のステップを踏
むだろう。
俺はちょっとだけ溜息をついた。
わざとらしく。
「沙英ちゃんってそういう部分には敏感なのに、他の部分はひどく
鈍感なんだよねぇ」
「…え？」
「些細な事で俺が怒っているとかを気にするより、普段俺がどんな
気持ちで沙英ちゃんに接しているのかとか、そっちの方を考えてみ
てよ」
「…」
「ね？」
にっこりと笑って見せると、沙英は頷いた。
ねぇ、いつだって俺は、君に対しての感情を沢山でないにしても見
せているつもりなんだよ？
少しずつ渡している、気持ちの欠片もずいぶん溜まって来ている頃
なんじゃないのかな。
それとも、少し過ぎて気付かれずにどこかに落とされてしまってい
るのかな…。
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