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● 熱情の薔薇を抱いて --- ACT.19 ●

  

******

今年最後の出勤日。

会社近くのレストランを貸し切り、立食の慰労会が行われる。

俺は得意先を回ったりして最終日もあまり社内にいる事が出来ず、
慰労会に顔を出せたのも会が始まってからだいぶ経ってからだっ
た。

「あ、瀬能さん、お疲れ様です」
沙英の近くに行こうと足を向けると真っ先に生田さんが挨拶をして
きた。
沙英がぱっと顔を上げて俺の方を見る。
「ん、お疲れ様。来年も宜しくね」
「はい、こちらこそ宜しくお願いします。遅かったんですね」
「あぁ、外での仕事が長引いてしまってね。すっかり出遅れた感が
あるな。部課長は出来上がっていたし」
少し笑ってから沙英の方を見た。
何か言いたげに俺をじっと見るので、思わず笑みが零れる。
「沙英ちゃんもお疲れ様」
「…お疲れ様、です」
彼女はそれだけを言うと、きゅっと唇を結んでしまった。
どうかしたのだろうか?
「あー…、あの、瀬能さん何か食べますよね?取ってきましょうか」
近くのテーブルに自分の持っていたお皿を置いて生田さんが言った。
「あぁ、ありがとう。でも、立食って苦手だから料理はいいかな」
「じゃあ、ビールでも貰ってきますね」
「ありがとう、お願いできるかな」
さすがに生田さんは良く気がつく人だ。
彼女を目で追ってからすぐに沙英に視線を移す。
やっぱり、どこか元気が無い様に見える。
「沙英ちゃん、元気ないか?」
「そんな事はないです…それより、瀬能さんご飯…食べないんです
か?」
「食事はゆっくり摂りたい人だから、立食って駄目なんだよね」
出来れば、会がお開きになったら、沙英とゆっくり食事がしたい気
分なのだけど。
「沙英ちゃんはいっぱい食べた感じ?」
俺が聞くと彼女は首を振った。
「まだ、食べられるので、あとでちゃんとご飯を食べましょう?」
何かを察してくれたのか、彼女はそう答えてくれる。
「ん、ありがとう」
俺が礼を言うと沙英はにこっと笑った。
笑顔ではあるんだけど、やはり何か違う感じがする。
「だけど、本当に少し元気ないんじゃないか?」
沙英を覗き込む様にして見ると、彼女はちらっと俺を見た。
「…少し、だけ…寂しかったんです」
「寂しい?」
「瀬能さんが、居なかったから」
「…そうか」
思わず笑ってしまう。

俺が居なくて、寂しい、か。
可愛い事を言ってくれる。

彼女は赤く頬を染めた。
「すみません、変な事言って」
「変な事ねぇ」

少しも”変な事”ではないと思うけど、まぁ人の多いところで良か
ったよ。
俺の理性がより強固に感情をセーブしてくれるからさ。

でなければ、とっくに抱き締めている。


―――――抱き締めたい。

彼女をきつく抱いて腕の中でその存在を確かめたい。

胸の奥で疼く想いに苦笑いをした。



*******


会がお開きになった後、沙英を呼んで、まぁ当然だけど一緒に帰る
事にする。

「何食べて帰ろうか、リクエストがあれば聞くよ」
「いえ、瀬能さんが食べたいもので良いです」
「んー、食べたいものねぇ」
口元に手を置いてから少し首を傾げた。
沙英が居て、ゆっくり食べられるんだったら何でも良いんだけど。
「今日のレストランに置いてあったグラタンが結構美味しかったん
ですよ、瀬能さんが好きじゃないかなって思ったんですけど、食べ
ないって言われたんで…」
「そうなんだ」
俺の好きな物も把握してきているんだな。
良い傾向だね。
俺は微笑んで見せた。

「全然料理は食べなかったんですか?」
「うん、苦手だからね」
「相当お腹が空いたんじゃないですか?何も食べてないんじゃ」
「空いてるかもしれないけど、最悪食べなくても良いと思う人間だ
から苦にはなってないよ」
「そういうものですか?」
「うん」
心配とかしてくれてるのかな?
だとしたら嬉しいんだけど。

「ありがとう」
「何が、ですか?」
「なんだかね、色々俺の事考えたんだなぁって思えたから」
「か、考えるっていうか…」
沙英の頬が赤く染まる。
可愛いなぁ。
「そういうの、凄く嬉しいよ」
指先で少しだけ沙英の頬に触れる。
熱くなったその場所。
沙英の温度は、ほんの少しの接点だって心地良かった。

「瀬能さん、あの…生田さんから私の事いろいろ聞きだしていたん
ですね」
「聞き出すとは人聞きが悪いね、例えば何の事?」
「蝶が好きとか、ロクシタンが好きだとかそういう事です」
俺はその言葉に笑った。
「たまたま生田さんが喋ってくれただけの事で、聞き出したって程
のものじゃない」
あ、こんな言い方をするとまた違う様に捉えるかな。
「なんて言ったら、冷たく聞こえるかな。でも沙英ちゃんに関し
ては何だって聞きたいという事には変わりはないんだけどね」
少しだけ触れていた指先を彼女の頬に滑らせる。
それから掌を沙英の頬に置いた。

そうすると彼女は瞳をゆっくりと閉じる。

「どんなに小さな事だって、君の事なら知りたい」
沙英の頬に置いていた手の上から彼女の手がそっと添えられる。
”愛おしそう”にそうしている様に見えてしまうから俺も重症だな。

彼女はじっとそうしている。

今、この時、何を考えているのだろうか?

俺の事を考えてくれているのか?
今、君の心の中は俺だけになっている?

ふっと衝動に駆られる。

「沙英ちゃん」
両手で彼女の頬を包み込み、額同士を付け合せた。
キスしたい。
どうしようもないぐらい、俺はそう思った。
沙英の唇を、自分の唇で感じたい。
その温度や柔らかさを感じたい。

「時々、どうしようもない位の感情に流されそうになる時がある。
今がそうなんだけどね」
沙英はじっと俺を見つめ、やがて瞳を潤ませる。
俺は苦笑いをした。
「そんな瞳で見ないで、俺だってそんなに我慢強くはないよ」
ずっとずっと、奪えるものならそうしたいと思っているのだから、
そんな目で見られてしまっては理性では押さえ切れなくなる。
「心が苦しいです…どうして、こんなに苦しくて辛いって思うのか、
判らないのも苦しくて、でも…」
「……でも、何?」
何を言おうとしているの?
言うなら全部言いなよ。

聞きたいと思うのに、彼女はその先を言わない。

「止めないでちゃんと言いなさい」
「苦しいけど、でも、そんな風に感じるのは嫌ではないと思えるん
です」
「そう」
ちらりと沙英は俺を見てから、視線を外した。
「まだ何か言葉が続くなら言いなよ」
「苦しいと思う事が何故なのかは判らないです…でも」
「”でも”何?」

そこまで言いかけているのに沙英は拒否する様に首を振った。

「言わずに済むと思っているの?」
俺はなるべくいつもと変わらない風を装う様にして笑ったが、彼女
は首を振る。
言えば俺が怒るとか、嫌いになるとか、またそんな事を考えている
のだろうか?
「俺の言葉をまだ、信じてないの?嫌いにはならないって言ってる。
なんでそんなに怯えた顔をするのかな、怯えさせない様に努力して
るつもりなんだけどね」
俺は笑った。
「どんな風にしたって君が怯えた様な顔をするんだったら、俺は努
力するのを止めるよ?」
沙英に顔を近付ける。
「努力…って?」
「…本当は全部、判ってるんじゃないの?」
俺がどれだけ君を欲しているかとか、今キスしたいとか思っている
とか、そういうの。
沙英は小さく首を振る。
俺は息を吐いた。

うん、判っているさ。
彼女がそんなの判ってないって事ぐらい。

「まぁ、計算高い人間の方が余程扱いやすい…か。君がそうではな
い人間だから、手を焼いているわけなんだし」
俺の言葉に沙英はびくりとした。
何の気なしに言ったつもりだったのだけど、彼女はまた深読みした
様だった。
「私は、瀬能さんを困らせているんですか、私が居るのは迷惑です
か」
「そんなのあるわけないでしょう?困ってるのは困っているけどそ
れは違う意味でだし、君は、ほんっとそういう気にしなくてもいい
事を掘り下げて気にするよね」
「だ、だって…き、嫌われたく…ないんです」
沙英は小さく震えている。
「瀬能さんに、嫌われたくないんです」
「なんでそうなるのかな」
「困らせたいわけじゃないんです」

沙英の瞳から涙が零れた。
泣きそうな顔をする事は何度もあったけれど、涙を零すのは初めて
だったので、それ程までに俺に嫌われたくないのかと思ったら、も
う堪らなくなってしまった。

「沙英ちゃん…」
俺は彼女を強く抱き締めた。
「泣かないで、泣かせたいわけじゃない」
確かに君の泣き顔は可愛かったけれど、俺が与えたいのは悲しみだ
とか辛さではない。
「嫌わないで」
彼女はそう言った。

言ってから、激しく首を振る。

「お願い、嫌いにならないで」
「大丈夫だから」
「嫌わないで、私を、嫌わないで」
沙英の声が震えている。
身体も、だ。
「沙英ちゃん、落ち着いて、ね?俺の言う事をちゃんと聞いて」
彼女は大きく首を振り、抱いている俺を突き放す様な仕草を見せる。
「い…や、聞きたくない、何も聞きたくない」

何か混乱している様子だという事はすぐに判った。

車の中での時の様にまた何かのスイッチが入ってしまったのだろう
か?

俺は彼女を逃すまいとして強く抱き締めた。

「沙英」
「…いや」
カタカタ震えながら首を振る沙英をぎゅっと抱き締めながら俺は笑
った。
「全く、どれだけマイナス思考なの。俺が君を嫌いになる事は無い
って言ってるのにね」
片手ではしっかりと彼女を拘束し、もう片方の手で、その流れ落ち
る涙を拭った。

沙英は濡れた瞳で俺を見つめてくる。

嫌いになんてなれないよ。
何度も言っている。

それ以上の言葉を沙英が求めているとはやっぱり思えず、俺は言葉
を飲み込んだ。


「取り敢えず、一旦家に帰ろうか」

小さく震える彼女の唇を見つめながら俺はそう言った―――――。





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