****** 元旦。 本当は沙英と過ごしたい日ではあったけれど、俺は実家に戻った。 屋敷に入るなり、”姉”である理彩子(りさこ)が俺を迎えてくれ る。 「和瑳、久しぶりね」 綺麗に巻かれた髪を揺らしながら彼女はそう言った。 「あぁ、久しぶり、正月は帰国しないかと思っていたよ」 「年に何回かの集まりだし、無理してでも帰国するわよ」 「義兄さんは?」 「兄さん達ともう飲んでるわよ」 そう言って彼女はあきれた様に肩をすくめてみせた。 「うちの人は和瑳と違って世渡り上手じゃないから、飲まないとや ってられないんでしょうけど」 「ふぅん?」 理彩子は、はっとした顔をする。 「ごめん、変な意味じゃなくて…」 「いや、別に構わないけど」 「ごめんね」 「謝られると余計に」 俺が笑うと理彩子も笑った。 それから彼女は少し考えるような様子を見せてから口を開く。 「私ね、和瑳には感謝しているの」 ”感謝”の意味が判らず、俺は苦笑いしてしまう。 「何の事?」 「…うん、ちょっと、ね」 話の途中で理彩子は歩き始める。 彼女の歩く方へ着いて行くと庭に出た。 母である人の自慢の庭園だ。 色んな花が咲いている。 沙英が見れば「綺麗」と言って喜ぶのだろうなと思えた。 「和瑳が来るまでは、この家の人間はバラバラだったから」 庭を歩きながら彼女が言った。 「それは和瑳も感じていた事でしょう?」 理彩子は赤い薔薇の前で立ち止まった。 「…咲き遅れた薔薇ね」 ふっと笑い、彼女はその薔薇を撫でた。 「色んな色の薔薇があるけど、私は赤い薔薇が特に好き。薔薇らし いじゃない?」 「そう?」 「えぇ、綺麗だわ」 理彩子は笑った。 「和瑳が来てうちは家族らしくなったわ」 その言葉に返す言葉がなくて、俺は理彩子と同じように薔薇に目を 落とした。 「小さな、血の繋がらない弟に、最初は戸惑う事も多かったけど」 「無関心ではなくて?」 俺が笑うと彼女は振り返った。 「感情が出せない人たちばかりだったから、そう見えただけよ、ま してや和瑳は…」 「何?」 「いえ…」 「言いなよ、言いかけたんだから」 理彩子はふっと息を吐いた。 「和瑳は火事でご両親を亡くされた事情があったから、余計に接し 方が難しかったのよ」 「そう」 俺は左肩を気付かれない様に撫でた。 まただ。 痛いと感じてしまう。 火傷の傷跡でさえ、今ではすっかり綺麗に形成され無くなっている というのに。 「それの事で”感謝する”と言うなら俺の方だよ、身寄りのない俺 を、ただ両親と仲が良かったと言うだけで引き取ってくれたのだか ら」 「不憫に思ったというのも有るんでしょうけど、父や母は和瑳を気 に入っていたから引き取ったのだと思うわ。そうでなければ引き取 るわけがない」 「そうかな?でも、姉さんにそう言って貰えると嬉しい」 「みんな和瑳が好きよ。血の繋がりはないけど、本当の家族よ、私 たち」 「どうしたの?急にそんな風に言ってくるなんて」 俺は笑った。 本当に急で驚いてしまう。 今までただの一言だって理彩子を含め、言われた事などなかったか ら。 「別に、思ってる事は伝えておかなければって思っただけよ」 「そう、ありがとう。嬉しいよ」 「逆に…」 理彩子はまた薔薇の方を向いた。 「和瑳に、血が繋がってないから家族じゃないって…思われていた ら嫌だって…思っただけ」 「そんなの思ってない、姉さんは俺の姉さんだし、みんな家族だよ」 理彩子は頷いてから言った。 「ねぇ、この薔薇の名前知っている?」 「いや、判らない」 「”熱情”って言うの、赤い薔薇に相応しい名前よね」 彼女は笑った。 「…和瑳」 「何?」 「…いつか、和瑳が結婚して新しい家族が出来た時、その時も私た ちを家族と呼んでね」 「勿論だよ」 俺が答えると、理彩子は振り返って笑った。 「そろそろ、大広間に向かいましょう、みんな待っているわ」 「その事を言いたくて俺を玄関で待っていたの?」 「まぁね、あなたもいい加減お年頃だし」 「嫁にでも行く気分にさせられたよ」 「ばかね」 彼女は笑って俺の頭を撫でた。 その手の感触が、ひどく懐かしいと思えた。 5歳の時に、この屋敷に引き取られ、一番近い年でも当時16歳の 理彩子だった。 戸惑いの多い視線を送りながらも、理彩子は他の兄妹よりも積極的 に俺に接してくれた。 懐き様がなかったけれど、俺は理彩子に懐いている振りをした。 そうすると彼女は俺に優しくしてくれるからだった。 何かあると、今の様にして頭を撫でてくれていた―――――。 賢い理彩子の事だ、本当は俺が懐いていない事に気がついていたの かも知れない。 だから、今の様な事を言ってきたのか? だとしたら、俺は相当不出来な弟だな。 彼女を不安にさせて。 うん、まぁ、気付いていなかったわけじゃない。 成人のお祝いに、あんな豪勢な一軒家を家族みんなでプレゼントし てくれた意味に。 成人したら、俺が家族との付き合いをやめるとでも思ったのだろう。 それでも、家族の形をはっきりとした物で見せたかったから、あの 家をプレゼントしたのだろう。 知っているさ、家族みんなであの家を設計した事だって。 設計士に任せきりにした家ではない。 嫌われたくないと、小さかった俺が必死になった成果だとも思えた。 幸せであると、思っていなかったわけじゃない。 ―――――だけど。 亡くなった父や母の事を忘れた日が無いと言うのも事実なんだ。 あの火事さえなければ、父や母は死なずに済んだ。 父や母は亡くなったのに俺だけが助かってしまったという思いは、 今もある。 理彩子の背中を見ながら、俺は小さく息を吐いた。 もしかしたら、彼女はその事にも気が付いているのかもしれないな。 優しい人だから。 来年の正月は、沙英とふたりで過ごせそうだな。 俺はそんな風に思った。 …来年も、沙英が俺の傍に居ればの話だったけど。 ****** パーティーから解放されて、俺が以前使っていた部屋で休む頃には 夜遅くなってしまって いた。 沙英はもう寝てしまっているだろうか? それでも俺は彼女の声が聞きたくて、電話をかける。 何度目かのコールの後で彼女が出た。 「沙英、ごめんね寝ていた?」 『いえ、あの…起きてました』 「そうか夜更かしなんだね」 俺が笑うと沙英は電話口で少し黙る。 電話で黙られると困るよね。 『瀬能さんから…の電話を待っていたんです』 ぽつっと彼女はそう言った。 「あぁ、そうなんだ?ごめんね、遅くなっちゃって」 『良いんです、その…電話、頂けただけで』 「そう」 『瀬能さんの声を、聞けただけでも嬉しいです』 「…そうか」 『はい、あの…パーティーは終わったんですか?』 「うん、一応ね」 『また明日もあるんですよね?』 「そうだね、三が日はずっとだね」 『じゃあ、早く休まれた方が良いと思います』 俺はふっと笑った。 「今掛けたところなのにもう切る気なの」 『だ…って…』 「夕飯、食べたか?」 『あ、はい』 「何を食べたの」 『おせちを少し』 「ちゃんと食べなさい、松川さんに頼んでおくから何か食べたいも のがあったら言いなよ」 『いえ、特別食べたいものはないです』 「そう?」 『…あと二回寝たら…』 「え?」 『い、いえ。何でもないです』 「何?ちゃんと言わないと判らないよ」 『いえ、ただ…あと二回寝たら三日になるなってだけです』 「俺がそっちに帰る日って事?」 俺の言葉に沙英は黙った。 なんとなく、恥ずかしそうにしている彼女が目に浮かんで、思わず 笑ってしまった。 それから30分くらい他愛もない話をしてから通話を終えた。 ほんの少し離れているだけなのに、今まで以上に彼女が恋しい。 ロスに出張に行っていた時以上だ。 あの時よりも、彼女をより深く知ってしまっているからだと思えた。 沙英、もう一度、君にキスがしたい……。