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● 熱情の薔薇を抱いて --- ACT.22 ●

  

******

3日の朝、俺は早々に帰宅した。

「ただいま、良い子にしてた?」
俺が微笑むと、沙英も笑った、可愛らしい笑顔で。
彼女の笑顔は本当に癒されるよね。
ほっとした気分にさせられる。
「お土産持ってきたよ、ももいちごの大福」
沙英に紙袋を渡すと、彼女は不思議そうな表情をする。
「ももいちごですか?」
「正月の挨拶に来た人の手土産を貰ってきた。沙英はこういうの好
きそうかなって思えたから」
「…ありがとうございます、嬉しいです」
「うん、お茶入れてくれるかな?その間着替えるから」
コートを脱ぎながら俺は自分の部屋に入った。

ん?

いつもと違う感じがした。

いつもと違う香りがしている。
俺ではない匂いだからそう感じるんだろう。

…沙英か。

彼女の香りがする。
沙英の香りというか、沙英が好んで使っているシャンプーの香り。

俺は着替えながら笑った。

俺が居ない間、ここに居たのかと思ったら胸の奥が熱くなった。
寂しいと思ってくれていたんだ?

愛しいと、募る気持ちを抑えながら帰ってきたのに、帰ってきたら
いっそう想いが揺らされる。

彼女が傍に居ても居なくても、俺は沙英を好きだという気持ちを強
くさせられて、もう殆ど病気の域だな、これは。

一度深呼吸をしてから部屋を出る。

なるべく気持ちを落ち着かせて…。

「ねぇ沙英、俺の部屋に入った?っていうか寝室。すっごい君の香
りがしたんだけど」
俺の言葉に、沙英はびくっと身体を震わせて振り返った。
「ご、ご…めんなさい…」
「いや、怒ってるわけじゃないから、泣きそうな顔しないで」
本当に泣きそうだから困る。
「瀬能さんが、居なくて、自分の部屋で眠れなかったから…」
「だから俺のベッドで寝たんだ?」
「…すみません、もうしないです、ごめんなさい」
「いや、全然構わないんだけど、俺が居る時だって寝に来てくれて」
言ったものの、実際本当にそんな事をされたら理性なんて無くなっ
てしまうけどね。
俺は彼女を撫でた。
「そんなに寂しかったの?」
「…寂しかったです」
俺に撫でられて、彼女は安心した様な表情を見せる。
「大丈夫、寂しいと思っていたのは君だけじゃないから」
寂しくて、恋しかった気持ちを思い出してしまい、思わず彼女の唇
にキスしてしまいそうになるのを寸前で堪えて額に口付けた。

「俺もだいぶ、寂しかったよ。沙英が寂しいと思う以上に俺の方が
寂しかったと思う」
笑って見せたのに、沙英は苦しそうな表情をしてから俯く。
「どうした?」
声をかけると、彼女は俺の肩に手を乗せて、柔らかいその唇を俺の
頬に触れさせた。
「沙英?」
「…ごめんなさい」
恥ずかしそうに俯く彼女がまた堪らなく愛しい。
押さえようと思う感情が湧き上がってどうにも止まらなくなってし
まう。
「んー、良いんだけどね、沙英には何されても良いって思ってるか
ら。だけど…」

彼女の身体を壁に軽く押さえつけた。
沙英が逃げたりしないっていうのは、判っているんだけど。

「だけど、折角君からしてくれるんだったら、もっと本気のキスを
してよ、そんなキスじゃ俺は満足できない」

沙英の肩を壁に押さえつけたまま、キスをした。
…彼女の唇に。

きっかけを作ったのは彼女で、俺は悪くないと言わんばかりに何度
も繰り返しキスをする。

応える様なキスは無かったけど、沙英は俺を拒まなかった。

「…君はもっと貪欲になってもいいと思うよ」
欲しいものがあるなら、望むままに。
「欲しかったら欲しいって言えばいい、ねだればいい」
俺は火をつけられそうになっている熱を冷ます様に笑った。
「まぁ、事と次第だけど、君が望む事なら大概のものは叶うと思う
よ」
彼女は俺をじっと見上げている。

「ただし、君がその口で望む事を言うのが条件だけどね」

自動湯沸しの沸騰された事を知らせるブザーが鳴った。

「なんでも察してあげて与えるのは簡単だけど、対価は欲しいでしょ
やっぱり」
「…対価、ですか?」
「俺が言う対価はモノやカネじゃないよ。欲しいのは望まれている
という実感」
彼女の頬を撫でながら俺は言った。
欲しいものは無いと言わないという事は有るってわけで。

だとしたら、君は一体、いつ望む事を言ってくれるのかな…。

「さて、大福食べたら出掛けるか。折角だからこの前買った振袖を
着てさ」
「え、振袖ですか?」
「うん、見たいから」
「でも、私着付とか出来ません」
「俺がやってあげる」

俺はにっこりと微笑んだ。






******


明治神宮―――――。

この場所自体、久しぶりに来る。

あまりの人の多さに俺は呆気にとられた。


「なんだろうねぇ、この人の多さ」
「でも、まだマシですよ」
「これで?参拝するまでどの位かかるの」
「これ位だと一時間あれば辿りつくと思います」
「本気で?」
一時間ねぇ…。
「参拝した後に甘酒を飲むのが私の年始の恒例行事なんです」
「…参拝しないで甘酒飲んで帰るのはどうよ?」
半分冗談で言ったんだけど、沙英が凄く悲しそうな表情で俺を見上
げてきた。
「冗談です、そんなに悲しそうな目をするなって」
ひとりで行くと言ったのを俺が阻止したわけなのだから、責任は取
りますよ。
「瀬能さんは毎年どこに初詣へ行っているんですか?」
「初詣とか行かないから」
「そうなんですか?」
「うん、カミサマだかホトケサマだかに祈っても無駄って知ってる
し」
「……」
「また、そういう悲しそうな顔する」
自分がうっかり言ってしまった言葉に苦笑いをした。
「だって、それだったら今日来たのは瀬能さんにとって意味がない
事になるので」
「意味ない事はないよ、振袖着た可愛い沙英と歩けるんだからねぇ」
「そういうお世辞とかいいです…」
「お世辞じゃないよ」
振袖なんか着ていなくても、十二分に沙英は可愛いんだけどね。

「人が多いから手を繋ごうか」

俺が手を出すと、想像していたよりも躊躇い無く沙英は手を握って
きた。

きゅっ、と少し強めに彼女は手を握る。

俯いているから沙英の表情は窺い知れなかったが、嫌がられていな
いのが判ると俺は安堵した。

******

参拝がようやく済んで、沙英が”毎年恒例”としている甘酒を飲む
事になる。

「毎年こうやって一人でやって来ては、甘酒も冷めるの待って飲ん
でるわけか一人で」
「…何か疑ってるんですか」
「別に」
「私、一人で行動するのは嫌いじゃないですよ」
「そう?」

沙英は何か言いたげに俺を見たけれど、結局言葉が出ることなく彼
女は甘酒に口をつけた。

彼女が飲むにはまだ熱いんじゃないのかな。

「急いで飲まなくても良いよ?」
「…はい」
沙英はまた俺を見上げてくる。
今度は何か決心した様な表情で。
「あの…来年、も…瀬能さんと一緒に、こうやって甘酒を飲みたい、
です」

来年も、か。
それは俺のほうが望む事だ。

来年だけじゃない、これから先はずっと沙英の隣に居るのは俺であ
りたい。

「恒例行事なんだろ?毎年お付き合いしますよ。来年も、再来年も
、ね」
俺の返事に、彼女は今まで見たことのない綺麗な笑顔で微笑んだ。

無防備に、そんな綺麗な笑顔を俺に向けないでよ。

俺だってそれ程我慢強くは無いんだから。

「…高槻?」
不意に声がして、沙英がきょろきょろとした。
彼女を呼ぶ声なのか。
視線の先に歳の若そうな男が立っている。
子供を抱いて。
「やっぱり、高槻か?俺、その…工藤」
工藤とその男は名乗った。
沙英は暫く考えるような顔をして、思い出した表情をした。
「あ、工藤君…お久しぶり」
「誰?」
俺の問いに沙英はこちらを見上げた。
「高校の時の同級生です」
「ふーん」

高校の、同級生ねぇ…?
訳ありなんじゃないの?って俺は直感的に感じて面白くない気分に
なった。

男が俺を気にするように見るから、余計に直感が正しいんじゃない
かと思わされて苛つく。

「何て言うか、高槻、クラス会とかにも全然来ないから…」
「クラス会なんてやっていたの?ごめんなさい全然知らなくて」
「ハガキとか来てなかったか?」
「卒業してから住所変わったから…実家には届いていたかもしれな
いけど」
「そ、なんだ」
「工藤君が抱いてる子はもしかしてお子さん?」
「あ、あぁ、うん…娘」
「結婚したんだね」
沙英が笑うと、男も笑った。

微笑み合うなっての。

「高校でてすぐ位にな」
「そうだったんだね、おめでとう」
「…ありがとう、高槻…なんて言うか、変わったな」
男はやっぱり俺の方を気にする様に見る。

「沙英に何か話があるんだろう?それが俺の前だと出来ない事なら、
永遠に口を塞いでお
けばって思う」
言ってから、我ながら大人気ない言い方だったかなと思ったが、
まぁ良い。

「話って?」
「う、うん…俺、ずっと、あれから高槻に謝らないとって思ってい
たんだ、でもなかなか会う機会とかそんなのなくてさ」
「謝るって??」
謝るって??はこっちの台詞だ。
一体この男、沙英に何をしたって言うんだ?
「ごめん、ほんと、凄いごめん」
「え??何、が」
「卒業式の日の事、高槻が俺に告白してきた時、酷い事言っちゃっ
たから」
「告白…って、何?」

沙英は暫く呆然とした表情を浮かべた。
男は当然、困惑の色を見せている。

俺もどうしたものと思う。
だが、事情がまったく判らない状況では助け舟を出す事も出来ずに
ただの傍観者になるより他はない。
悔しいことだったけれど。

この目の前に居る男が、沙英が好きだった男で、尚且つ彼女の告白
を受けたのかと思ったら、胸が焦げる思いがした。

俺が欲しいと望む言葉を、この男には与えたのか。



やがて、沙英の表情が歪んでいく。

泣き出す前のそれに似ていた。

そして何かを思い出した様に大きく首を振る。

「わ、私は、工藤君が好きで、恋をしている間、ずっと幸せだった、
告白したけど、どうにかなりたいんじゃなくて、私に幸せな時間を
くれたあなたに、感謝の気持ちを伝えたかった、ただ、それだけだっ
たのに」
「高槻、本当ごめん俺は傷つけたかったんじゃないんだ、ただ、あ
の時は―――――」
「聞きたくない!!」

沙英はしゃがみこんで耳を塞ぐ。

「聞きたくない、何も聞きたくない。誰も、もう好きになったりし
ない、だから私を傷つけないで!!」
「沙英」
すっかり混乱してしまった沙英に触れると、彼女ははっきりとした
拒絶の色を初めて俺に見せた。
触れた俺の手を彼女は振り払ったのだ。
それには俺もさすがに動揺してしまう。

「瀬能さんだって、私を傷つける人だ」
「沙英、落ち着いて」
「私が、好きになった人は、みんな私を傷つける」

「高槻、俺は」
「君、もう喋らないで」
俺は男の言葉を遮った。
これ以上はたくさんだろう?

「君が沙英を傷つけた自覚があって、その傷が深い事判っていて、
だから謝罪して許して貰って楽になりたいのは判らないでもない、
だけどね―――――」
沙英を抱えるようにして抱き起こしてから俺は言った。

「赦されたいと思うな。傷つけておいて、謝ってその罪から逃れら
れると思うな。悪いとか思って苦しんでいるなら、一生苦しみ続け
れば良い。それでこその償いだ」
そう、許されたいだなんてただの甘えだろ?
沙英を抱き上げる。
先ほどの拒絶は今は見られず、小さな身体は容易に俺に預けられた。

「沙英、大丈夫だから…帰ろう」
「ごめんなさい…ごめんなさい」
「何の謝罪?」
沙英は震えながら何度も謝っている。
誰に謝っているの?
俺?それともあいつ?
「私、もう誰も好きになったりしないから…」
「その”誰も”の中には、俺も含まれているのかねぇ」
笑うしかなかった。

…ただ。

うん、そうだな。

”もう誰も”の言葉の中に俺が含まれているのだとしたら、沙英は
俺を…?

仮定をしてみようか。


沙英が、俺を、好きだという仮定。

時々、ひどく怯えたり、極端に嫌われるのを恐れていたり、おかし
くなったりしたのは、君の気持ちが固まって来ていたからだとした
ら。


告白して、どんな形だったかは判らないけど恐らくは傷つけられた
んだろうと想像して、だったらどんな風なら沙英にとってベストな
のか。

俺の心はとっくに決まっている。
だけど、好きだって気持ちを押し付けるのがベストなのか?

そもそもやっぱり仮定は仮定だから、沙英が俺を好きでなかったら、
俺が好きだというのは禁忌だと思えた。
彼女の身柄が俺の手の中に納まってしまっている以上、俺が言うの
は命令になってはしまわないか?

好きになれって言いたいわけじゃない。

気持ちを決める言葉を言いたいわけじゃない。


君が自分で決めた言葉を聴きたいと思ってしまっている俺がいるか
ら、俺から告白は出来ないと思えた。



******


タクシーで帰宅する。
俯いて、しょんぼりしているような彼女に声を掛けた。

「結局沙英は甘酒を一口しか飲んでないんじゃないのか」
俺の言葉に沙英は俯いたまま告げた。
「実家に帰ります」
彼女の言葉の意味は理解していた。
だけど俺は違う風に返す。
「正月は帰らないんじゃなかったの?」
「…出て行きます」
「ふぅん」
座り込んでいる沙英の帯を、俺は解いて楽にしてあげた。
「お世話に、なりました」
「そうか」
彼女の真意が判らぬまま言葉を返すと沙英は俯いて泣き始める。

どんな涙なのさ。

なんで、離れるなんて言う?

ずっと一緒に居たいみたいな事を言ったのは嘘だったのか?

それとも本心だったけれど些細な出来事で履がえされる位の思いだっ
たって事か?

俺はこんなにも沙英を望んでいるっていうのに。

「それは、沙英が望んでいる事なのか」
思わず語気が荒くなってしまい、沙英が驚いたように俺を見た。
「離れたいと思うのが、おまえの望みなのか?本当に?俺はおまえ
に言ったよね、その口で望む事を言えと、本当に望む事を言いなよ、
どんな事でも叶えてやるから」
沙英はじっと俺を見詰めている。
「どんな事でも、だ」

沙英が小さく首を振った。

思わず息が漏れる。

『仮定』を思い出す。

今は優しく諭す場合ではなさそうで有り、俺の心境的にも優しくは
なれない気持ちだった。


追い詰めたら、本当の事を言うか?君は。

「ねぇ、沙英。おまえの気持ちってそんな小さいモノなのか?好きっ
てそんなに簡単に諦められる気持ちなのか?どんなに傷つけられたっ
て、辛酸を舐めさせられる様な事になったって、それでも変えられ
ない位の想いが好きという気持ちなんじゃないの」
「私は、そんなに強くないです」
「強いとか弱いとかの問題じゃないよ、気持ちの深さの問題だろう?
結局おまえの気持ちなんて底が浅くて、ぽいって捨てられる程度の
モノだった、そういう事なんだろう」

俺の言葉に沙英は深い悲しみの色を瞳に宿した。
そして大きく首を振る。

「違う!そんなんじゃない、私は本当に好きで、これから先もずっと
一緒に居たいだなんて、他の人にだって思った事は一度もなかった、
簡単な想いとか軽いとかそんなんじゃない」

”好き”か。思わず俺は笑ってしまった。

「ふぅん、好きねぇ…誰を?」
「だ、れ…って、瀬能さんを…」
沙英は驚いた様に俺を見上げてきた。
「そう、俺の事が好きなんだ?」
俺が言うと彼女の顔がみるみる赤くなっていく。

こうなってしまうと俺の負けだ。
もっとはっきりと、言わせたかったのだけれども…。

「俺も、沙英が好きだよ」
沙英は怖々と俺を見上げる。
俺は笑って見せた。
「ううん、”俺は”ずっと前から沙英が好きだった、おまえが俺を
知らない人って顔で見ていた時から、ずっと好きだったんだよ」
「……」
「だから辛かった、俺は好きなのに、沙英は俺の存在を認めてくれ
ていなかったから」
「…すみません…」
「まるで存在しないのと同じ様な目で見られるのは少し苦痛…って
言ったけど、少しどころじゃない、形容しがたい辛さがあった」
「私、が…辛くさせてるなんて少しも気が付きませんでした」
「いいけど、その程度だったのは事実なんだろうから。だったら、
今はどうなのって話だろう?」
「…いま、は…」

まだ何か躊躇う様な表情をしている。

「沙英、おまえに好かれて喜ばない様な男はただの屑だ。その屑を
いつまで引き摺る気なの」
「屑って…」
「屑だろ…だって、俺はこんなにもおまえに愛されたがってもがい
て足掻いて苦しんだのに、過去の事とは言え、そのおまえを無下に
したんだから」

沙英に愛されたい。
ずっと思っていた感情。

俺は微笑んで沙英の頬を撫でた。

ほら、ほんの少し君に触れるだけで俺の心の中は沙英への思いで溢
れてしまうんだよ。

「愛されたい、好きだから俺は沙英から以外の愛情は要らない」

沙英しか要らない。

「欲しいのは、おまえだけなんだよ」
沙英はまた泣き始めた。
「私だって、欲しいと思うのは、瀬能さんだけです」
「じゃあ、言いなよ、欲しいって、俺が欲しいって」
「…瀬能さんが欲しいです」
「うん」
彼女の言葉に、俺は沙英をぎゅっと抱き締めた。
「俺は、おまえだけのものだよ」
「私…も、瀬能さんのものです…」

ようやく、望む言葉を貰えた。

「好き…です」

彼女の言葉は今まで聞いたどの台詞よりも甘く俺を酔わせた。

それ以上返す言葉もなく、俺は沙英にキスをした。



ようやく、俺の想いが実った瞬間だった。


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