****** 沙英が3階から降りてくる足音がした。 お祝いの準備をしながら、俺はふと気が付く。 「あぁ…ごめん、沙英ってシャンパン飲めた?」 「え?あ、少しなら」 ワインクーラーに移したシャンパンのボトルを眺める。 そういえば、夏でも温かい飲み物しか飲まないって言っていたよなぁ。 「温かいシャンパンってどうなんだろうね」 「冷たくても大丈夫ですよ、温かい方が好きってだけなので」 「そう?だったら良かった」 シャンパンを開けてグラスに注ぐと沙英はうっとりとした表情でそ れを眺めた。 「シャンパンを飲むのって姉の結婚式以来です」 「そうなんだ」 「ウエディングドレス姿が綺麗だったの覚えています」 ちょっと微笑んでから彼女はグラスを黙って見詰めている。 うーん。 「…また違う世界にトリップしているよね?」 「あ、す、すみません」 「着たいんだったら着させてあげるよ?」 「何をですか?」 「ウエディングドレス」 「え?」 沙英は何を言われたのか理解できないという様な表情をした。 暫くして、彼女は頷く。 「あぁ、あの写真館ですね?スタッフの方がドレスの撮影もするっ て仰ってました」 「…種類多いって聞くから沙英の好みに合う物もあるんじゃないか な」 「ドレスかぁ」 まぁ、写真館でって意味じゃなかったんだけどね。 さらっと言ってしまった後で何だけど…、どうしてこうも俺は彼女 に対しては独占欲がむき出しになってしまうんだろう。 これから先の未来を、紙切れ一枚で縛り付けたいと思ってしまうだ なんて。 ―――――結婚した所で安心なんてしないだろうけどさ。 「じゃ、乾杯。沙英の成人にお祝いして」 「あ、ありがとうございます」 グラスを傾けてシャンパンを飲んだ。 「…美味しいです」 「そう?口に合うなら良かった」 「たまには冷たい飲み物も良いですね」 沙英はふっと息をついた。 「綺麗なもの、可愛いものが好きなのは姉の影響が強いと思うんで す」 「何?急に」 「シャンパン見たら、凄く姉の事を思い出して」 「ふぅん」 姉、と言いながら沙英は複雑そうな顔をする。 どちらかと言うと悲しそうなんだよな、彼女が自分の家族の話をす る時って。 「私の姉は凄い美人なんですよ」 「そう」 「…興味、なさそうですね」 「そんな事はないよ、沙英が話したい事なら興味を持って聞いてあ げたいと思うけど」 興味を持って聞くと沙英は話し続ける事になるだろうから…。 「話す割りに、楽しそうな顔してないから」 「え?」 「沙英があまり楽しそうな顔をしないから、話を長引かせたらいけ ないのかなって感じてる」 「そ、そんな事ないですよ」 楽しそうに話すならいくらでも聞くんだけどね。 沙英の事なら何でも聞きたいのだから。 「ケーキに乗ってる苺は”あまおう”だって松川さんが言ってた」 「あまおう、ですか。私あまおう好きです」 「ケーキ切ろうか?なんだか食べたくなってきた」 「でも…料理をまだ食べてない…」 「順番なんてどうでもいいじゃない?好きな物から食べれば良い」 俺がケーキを切り分けていると沙英が言った。 「ロクシタンのソリッドパフュームを選んだのは、私が好む香りだ と知っていたからですか?」 「そうだよ」 嗅ぎたいと思われる香りでなければ意味が無い。 「香りも記憶への刷り込みに有効だろう?」 「計算し尽しているんですね」 「計算って言われるとなんだかねぇ」 「あ、いえ、なんて言うか…色々考えているんだなって、そういう 意味です」 「考えようって意識して考える事は少ないけどね」 「そうなんですか、やっぱり瀬能さんの頭の中ってどうなってるの かなって思います」 「どうも何も」 俺は思わず笑った。 「俺の頭の中はいつだって沙英の事でいっぱいですよ?」 俺の言葉に彼女は赤くなる。 「わ、私だって…」 「はい、ケーキ食べよう」 沙英の言葉をわざと遮り、白い皿にケーキを乗せた。 それが判ってか、彼女はちらっと俺を見る。 「わざと、ですよね」 「何が?」 「私の言葉を言わせない様にしましたよね」 それが気に入らなかったのか沙英は拗ねた様な表情をした。 「だって、そんな俺の台詞をオウム返ししただけの言葉なんて要ら ないし」 「…いじわる」 「意地悪じゃないです、そういうのに慣れさせちゃうと、沙英は自 分の言葉で表現しなくなりそうだからそうしてるんだよ」 「そうやって、ハードル高くしたら、私は何も言えなくなります」 「別に高くなんてしてないよ。ただ、沙英の気持ちは沙英の言葉で 言いなさいってだけ」 「意地悪、瀬能さんがそういう人だなんて知らなかったです」 「へぇー」 沙英は首を振る。 「違いますね、思えば初めから瀬能さんは”そういう人”でした」 「ふぅん」 「いじめっこ、なんです。瀬能さんは」 「そうかな」 「そうです」 「こーんなに愛情深い男は他に居ないと思いますけどね」 意地悪とかしている意識はあまりないし。 「…愛情深い、ですか」 「それともまだ足りないって思われてるとか?」 沙英は首を振る。 「いえ、ただ…その、愛されるってあまりよく判らないので」 「愛されてる認識がないの?」 「好かれているのは判ります」 「んー、そう」 また沙英は寂しそうな表情を浮かべる。 「瀬能さんがどうこうって言うのではなく、その辺りの感情がどう いったものなのかよく判らないんです」 「ふぅん?」 俺は頬杖をついて沙英を見た。 「ひどく感覚的なのかと思えば、相反して、何かをひっくり返した 様に論理的になる時があるよね、沙英って」 「論理って事はないと思いますけど」 「愛だのって部分ほど、感覚で感じる所なんじゃないの?」 「…感じるもの…なんですか?」 「感じた事が無いの?」 「どうでしょうか…判らないです、ただ…」 沙英は益々寂しそうな表情をする。 「他人が”愛されている”というのは感じる事が出来ます」 「どういう事?」 「姉が、愛されているのはよく判るので」 先ほどまでの表情を打ち消すように彼女は笑う。 それが逆に痛々しげで、俺の方が苦しくなる。 「例えばどんな事がそう感じる要因になったの」 俺が聞くと沙英は少しだけ考えてから口を開いた。 「…着物、とか…」 「着物?」 「成人式の着物です。姉の時は両親が振袖を買ったので、姉は…愛 されているなぁって」 「成る程ね」 俺は笑って見せた。 「着物を着たくないって言ったり、お姉さんの話をする時に沙英が あまり良い表情をしないのはそういう事か」 「そういう…とは何でしょうか?」 「寂しいとか、悲しいとか思う事を君は人より強く感じるみたいだ ね」 「え?」 「うん…でも、沙英には俺が居るし」 俺は彼女に最大限の愛情を含めた笑顔を向ける。 「感じた事がないと言うなら、これから存分に感じれば良いと思う よ」 「あ、は…はい」 沙英の話だけでも、彼女と姉とでは扱いが違うのが判る。 少し聞くだけでそう思ってしまうのだから、本人はもっと感じてい る事なのだろう。 家族から受けるべき愛情が希薄だったのだろうか。 だから愛される事が判らないと言うのだろうか。 俺は今まで以上に、彼女に対しての想いははっきりと沙英に判る様 に示していかなければいけないのかなと感じていた。