******* アビサルブルーが美しい、綺麗な車。 和瑳の車の第一印象だった。 どんな車でも全部を綺麗だと思うわけではない。 彼が言ったように、綺麗に洗車されていたから余計に美しいと思ったの かも知れなかったけれど、それでも、私は魅了され”乗ってみたい”と 思ったのは事実だった。 その時だって、今だって、迂闊に他人の車に乗るものではないとは思っ ているけど、私は誘惑に勝てなかった。 (でも、車の中で…とかってやりにくそうよね) ぼんやりと私はそんな事を考えた。 人に妄想をさせる種を与えておいて、肝心の和瑳は今日は帰りが遅い。 クライアントと顔合わせを兼ねた酒の席がある、と彼は言っていた。 『眠れるんだったら、先に寝てもいいよ』 彼はそんな意地悪を言った。 眠れる筈がない。 こんなに身体が疼いて熱いのに。 それを知ってるから、和瑳は笑うんだ。 一見美しいけど、何かを含んだような艶のある笑顔で…。 綺麗な花のような人。 常に美しく咲き誇り、その香りで私を惹き付ける。 そして中毒性のある快楽を私に与え、狂わせる。 おかしくなりそう、変な事ばかり考えてしまって…。 ほんの少し前の事だ。 ”彼の上半身は美しいけど、下半身は見るのが怖い”と思っていたのは。 なのに、今ではむしろ―――――。 私は溜息をついた。 あの部分が、私を気持ちよくさせるというのを知っている。 彼の指だって、勿論気持ちよくさせてくれるけれども、あの部分はそれ 以上だった。 下手な女性よりも美しい顔立ちをしているくせに、あの部分も持ってい るなんて、ずるい。と少しだけ思ってしまう。 何に対しての”ずるい”なのか判らなかったけれども。 ―――――もう待ちきれない、と思い始めそうになるぐらいのタイミン グで、彼から”これから帰るよ”という電話が掛かってきた。 ****** 「いい子にしてましたか?」 彼はからかうように言って笑った。 「和瑳はひどいです、帰りが遅くなるのを判ってて、私を煽るような事 を言うんですから」 「うん、まぁ、そういう意味ではひどい男かもね」 ふふっと彼は笑う。 だけど、こうして”ちょっとした会話”をするのも、今の私には苦痛だ った。 焦れて焦れて仕方がない。 それを判ってか、和瑳は面白そうに笑った。 「んー、シャワーを浴びるぐらいの猶予は貰えるのかな?」 「…一秒でも、早く浴びて来て下さい」 「はいはい」 くくっと彼は笑い、深いグレーのジャケットを脱いで私に渡した。 「悪いけど、かけておいて貰える?」 「下はいいんですか?」 「ここで脱げと」 「…あっ、い、いえ、あの」 「まぁ、そっちは自分であとでやるから」 しゅるっとネクタイを首から解き、それも私に渡す。 「じゃあね」 「…なるべく早くお願いします」 「はいはい」 彼は笑ってバスルームへと向った。 あぁ、もう少しだ。 と思ったら、下腹部が痛んだ。 ひどく自分が興奮しているのが判る。 せっかちで、堪え性がないなとも思ったけれど、それもこれも和瑳が悪 い、という風にも思えた。 「なんていうか、もう、すっごい判りやすいよね、君って」 「…いけない事ですか?」 「いや、面白いなぁと思うだけ」 「お願いですから、もう、焦らさないで下さい」 私がそう言うのを、彼は面白そうに聞いている様子だった。 「早くしたいんだったら、服を脱ぎなよ」 「え?じ、自分で、ですか?」 「うん、そう」 彼は綺麗な顔で、笑った。 酷い事を言うとは、思うものの、羞恥心よりも勝るものが今はあって、 私は言われるがままにするしかなく…。 部屋着にしている、綿素材のワンピースのボタンを外した。 「そんなに欲しいの?」 ふふっと、彼は余裕有り気に笑っている。 経験の差なのだろうか。 それよりも、そもそも彼にも”こういった時期”はあったのか。 打ち勝てないくらいの熱に狂わされた日々が。 もし、私と同じようにそんな日々があったとして、その熱を向けられる 相手が自分ではなかったという事にも、胸がもやもやとする。 頭がおかしくなるくらいの熱を、私ではない誰かに向けていた。 事実であるし、だけど、だからといってどうしようもない事に対して、 もやもやしても仕方がないと判っているのに、過去において彼が違う誰 かに愛情や情熱を注いでいた事が、私を堪らない気持ちにさせていく。 「どういう表情なの?それ」 和瑳は笑った。 「なんでも、ないです」 彼に愛情を注いで貰っているのは、はっきりと判っている。 それなのに。 (なんでこんなに、私は欲張りなの?) 愛情のカタチを示して貰えているだけでも、私には十分過ぎる事なのに ”それだけでは足りない”と思ってしまう自分もいた。 もっと、愛されたい。 抑えきれなくなりそうな強い感情に眩暈がしていた。