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● 熱情の薔薇を抱いて --- ACT.41 ●

  

まだ春の日浅く、寒い日が続いている。

去年の今頃の私は、まだ”瀬能和瑳”という人物とは出会っていなかっ
た。
彼の居ない生活を、何ていう事もなく過ごしていた。
出会っていなかったから、彼が居ない事に対して当然何か思う筈もなく、
一人で居る事はごく当たり前だった。

人とあまり関わらずに生きる事。

それが普通だった。

望まずに生きる事。
それが自分に課せられた事だと思っていた。

だけど、今は、過去を振り返る事ですら怖いと思ってしまう。
和瑳の居ない過去が怖い。
私の記憶の中の和瑳が居ない部分が怖かった。

そして、未来においてそんな日が来るかもしれないと、少しでも思って
しまうと身体が震えて止まらなくなる。

人より優れた人間ではないから、余計にそう思うのかもしれなかった。

だけど、それでも、そんな私であっても、和瑳に愛されたかった。


******


「で、どんな感じのが良いとか、決まったの?」
「すみません、色々とネットで見てみたんですけど」
「ですけど?」
「…なんか、どれも綺麗なんで”どれが良い”とか判らなくて」
「んー、じゃあ、店を見て回って探すか」
和瑳は綺麗に笑ってそう言った。

どんなのが良い、なんて、本当に判らない。
どんな物だって、和瑳がそれを私に与えてくれるなら。

姉の指には、綺麗に輝く指輪がいつもはめられていた。
”彼”に貰ったものなのだと言っていた。

それが羨ましいと、私は思っていた。

綺麗な指輪が素敵だったから、というのもある。
だけど、それ以上に、そんな美しい宝石がついた指輪をプレゼントされ
る価値があると、認められている事が羨ましかった。


ジュエリーショップに入り、ショーケースに綺麗に並べられた指輪を見
る。

「…やっぱり、こう…貴金属の類って、高いんですね」
「値段を見ないの。デザインとか、石の色とかを見て、それから好きな
のを選ぶ。判った?」
「で、でも」
「良いから」
和瑳は、ショーケースに並ぶ宝石に負けないくらいに美しく輝く瞳を私
に向けて微笑んだ。
「ここで気に入ったのがなければ、他の店にも行くし」
「気に入らない、とかないです」
「沙英には、どういうのが良いかな、色白いし、プラチナのものの方が
似合うかな」
私が選べないのを見かねたのか、彼は何個か選んで私につけさせた。
デザインはどれも良かったのだけど、サイズが大きい。
「サイズはお直しが出来るので大丈夫ですよ」
お店の人がそんな風に言う。
「あの、そういうものなんですか?ぴったりのものって…ないんでしょ
うか?」
「このあたりですと、お客様のサイズに合うと思いますが」
店員さんに言われた場所に目を落とす。
「ぴったりにこだわらなくても良いんじゃないのか?直せばいいだけだ
し」
和瑳はそう言って笑った。
「でも…あの…」
「うん?」
「…すぐ、つけたいんです」
私の言葉に和瑳は微笑んだ。

指輪は証だと思えるから。
恋人の証。
和瑳がそれを、私に与えてくれるのなら、一日でも早くつけたいと思う
から。

「えっと、じゃあ」
私の指に合うサイズの中で一番安いのを選ぼうとした時、横から和瑳が
口を挟んだ。
「ねえ、もう一軒、別の店も見てみようか?」
「え、え?」
「うん、そうしよう」
彼は、にっこりと微笑んで今居たジュエリーショップを後にした。
「…和瑳、あの…」
「考えてみれば、これが恋人同士になってからの初のプレゼントなわけ
だよね」
「え?あ…そう、ですね」
和瑳からは服や、振袖などを買って貰ってはいたけれど。
「もうちょっと、色々と見て回っても良いんじゃないかなって思った」
「そうですか?でも、折角のお休みなんですから、身体を休める為にも
早く帰った方が良いんじゃないかなとも思うんですが」
「折角の休みだから、沙英とデートを楽しみたいんでしょう?君は判っ
てないな」
「だ…って」
「だって、何?」
「和瑳は毎日、お仕事で忙しくしているから、休みの日ぐらいはって思
います」
「それでも、毎週出かけてるわけではないだろう?」
「そうですけど」
「まあ、君が、もう疲れた、しんどいから帰りたい、と言うのであれば、
急いで帰るようにはするけどね」
「ぜ、全然そんな事はないです!」
「だったら、良いじゃない?」
彼は微笑み、それから手を繋いできた。
「こんな風に、街をのんびり歩いて回るのも、悪い事じゃない」
「和瑳…」
石畳の美しい街並みを、ゆっくりと歩く。
いつだって、一緒に歩くときは、歩く速度を私に合わせてくれた。

本当は、もっと早く歩く人だって知っているから余計にそれが嬉しかっ
た。


…一生懸命歩いても、追いつけない速度で歩く人達を知っているから…。
「待ってよ」と叫んでも立ち止まってくれないから、私は次第にそう言
う事も無くなった。

和瑳が向けてくれる愛情を、知れば知るほどに、自分が愛されていなか
ったと気付かされる。

ううん。

知っていたし、気が付いていたけれど、そうじゃないと思いたかった。

―――――そんなに私、悪い子だった?

いつだって、その愛情が向けられる先は姉の方だった。

姉は綺麗で可愛くて聡くて賢い人だったから、そんな彼女の方に愛情が
向けられるのは当然だと受け入れる事は容易だった。

容易だったけど。


寂しかったのも、本当だ。


だけど、今は和瑳が居るから、居てくれるから寂しくない。

彼だけが、私の居場所だった。








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