****** 「他には何かないの?」 「え?」 車に戻ってから、和瑳はエンジンをかけながらそんな事を言った。 「他に、俺に言いたい事ない?」 「え…っと、何か…ですか?」 彼は私の方を向いて微笑んだ。 「ああ、いつも、何か言いたそうにしては、止めてたから。それって、 さっきのお願い事がそうなのか?」 「え、あ…」 ―――――言いたい事。 確かにある。 凄く言いたくて、でも、言えない事。 「あるなら言いなよ」 「…いえ、あの、無いです」 私の言葉に、和瑳はちょっとだけ笑った。 「嘘つきだな」 「う、嘘ではないです」 「だって、無いんだったら、否定の言葉はもっと早くに出る筈だよ、だ けど、君は少し考えてから否定した。つまりは嘘って事だよね」 「…そ、それは」 「言いなよ、それも願い事なのか?」 「……願い事、です。でも、一生に一度のお願い事は、さっき言ってし まったので」 「別にそれは俺が決めた事では無いし、一度だけっていうのを条件にも してないけど」 「何個もお願いするのは、度を越えていると思います」 「俺が良いよって言っているのに?」 私は和瑳を見て微笑んだ。 「一生和瑳の傍に居られる、もう、それだけで十分過ぎるぐらいです」 「んー、そう」 「はい」 これ以上を望めば、どこかでばちがあたる。 私だって、身の程は知っているつもりだ。 「明日も休みだし?」 「え?」 「沙英が俺にプロポーズをしてくれた記念に、美味しいワインでも飲み に行きますかね」 「え、あ、あの…私が、プロポーズって…事になるんでしょうか?」 「そうだろ?」 くくっと和瑳は笑った。 「そういう事じゃ、何かご不満でも?」 携帯を取り出して、操作しながら彼が言う。 「不満とか、そんなのはないです…けど」 「けど?」 「あ、いえ、ないです」 「そう、不服があるなら聞いてあげる、でも聞くだけだけどね」 「…そ、そうですか。でも、あの、不服とかも、ないんで」 「うん、そうか」 彼は笑って、携帯を閉じた。 「ん、空いてた」 「え?」 「じゃあ、移動しますかね」 「あ、は、はい」 もう、一生。 これから先ずっと和瑳と一緒に居られる。 だったら、それ以上なんて、望む必要が無い。あなたが、隣にいてくれ るなら。 ―――――その筈なのに。 心の奥が泣き出しそうになっていた。 ****** 「え…と、ワインを飲みにいくって、言ってましたよね?」 「そうだね」 着いた場所はホテルの高層階にある広いお部屋。 「ネットで見つけた時から、いつか沙英と来ようって思っていたんだよ」 「あ、そうなんですか?」 「こっちおいで」 「はい」 そのホテルの部屋にはバルコニーがついていた。 すぐ傍に大きな観覧車が見える。 「あ、凄い」 「夜にはライトアップされるから、もっと綺麗だと思うよ」 「そうなんですね」 「うん、だから、今日はゆっくり部屋でご飯を食べながら、景色も楽し もうね」 微笑む和瑳につられるようにして私も笑った。 もう一度、窓から見える観覧車を眺めた。 「……大きいんですね」 「何が?観覧車か?」 「はい」 「そうだね」 「観覧車って揺れたりしないんですか?」 「多少は揺れるよね……乗った事ないのか」 「はい」 「飛行機も駄目って聞いたけど、観覧車も駄目なのか?高いのが苦手だ ったりするの?」 「え?あ、いえ…飛行機は、まぁ、怖いですけど、高さっていうより何 となくで、観覧車は……えぇっと…機会がなかった。そんな感じでしょ うか」 「ああ、そうだったのか」 「遊園地とか、行った事ないんで」 「え?そうなのか?」 「ひとりで遊園地行きたいってほど、興味を持つものがなかったので、 ジェットコースターとか無理ですし」 「…ん、そうか」 遊園地か。 記憶の底の方にあったものが思い出される。 小学校の低学年ぐらいだっただろうか、朝、目が覚めると家の中には誰 も居なかった。 テーブルの上に菓子パンがひとつ置いてあったから、食べろという事な のかと思い、それを食べながら私は皆が帰ってくるのを待った。 お買い物にでも行ってるのかなと思ったけれど、なかなか帰ってくる様 子はなく、皆が帰宅したのは日が沈んだ夕方過ぎだった。 帰宅した姉の手には、キャラクターの顔の形をした風船が握られていた。 「だって、沙英、起きてこなかったじゃない」 私が何か言う前に、母親がそんな事を言ったと思う。 ああ、私が朝起きなかったから、連れて行って貰えなかったんだな。 私が悪かったんだな、皆と同じに起きなかったから。 その時は単純にそう考えて、その出来事を消化した。 ―――――だけど。 (私が、皆と同じ様に起きていても…) 状況は同じだったんじゃないかなと思えて、昔の出来事なのに、やり場 のない感情に苦しくなった。 「折角近くまで来ているのだし、観覧車に乗ってみるか?」 「イヤ」 「…え?」 「私、観覧車に乗りたいとか、遊園地に行きたかったとか、そんなの思 ってない」 「…うん」 「思ってない、全然。遊園地にも行きたく無いし、観覧車にも乗りたく ないし、風船だって欲しくない」 「そう」 「だから、私は辛くないんだから」 「うん」 ふわっと身体全体が暖かくなり、それが抱き締められているんだと気が 付いた時、私は、はっとした。 「え、あ、…和瑳…?」 「うん」 「…あ…すみません、私、なんか、変ですね」 「大丈夫だよ、君はおかしくもなければ変でもない」 「……は、い」 「沙英」 「は、はい」 見上げると、彼はにっこりと微笑む。 「愛しているよ」 「はい…」 「これからは、ずっと俺が傍に居るから、辛くさせないし寂しくもさせ ない」 「……はい」 「大丈夫だよ、沙英」 微笑む和瑳を見て、胸に込み上げて来てしまう”言いたい言葉”を飲み 込んだ。 不安と共に。